異世界居酒屋ツクモ、営業中<1>
一流レストランのウェイターみたいに、ステーキの皿と酒盃をヒュリアの目の前におきます。
ヒュリアは目を丸くして、ステーキと僕の顔を交互に何度も見てます。
そりゃ信じられないのも当然でしょうね。
調理もしてないのに、突然料理が現れたんですから。
「どうやって作ったんだ? これも君の力なのか?」
ヒュリアが、ごくりとつばを飲み込みます。
「まあ、そういう話はいいから。温かいうちに、召しあがれ」
さし出したナイフとフォークをひったくるように受取り、ステーキに、かぶりつくヒュリア。
とても帝国の皇女様とは思えない食べっぷりです。
「かなり、お腹減ってた?」
「ああ、この三日間、まともなものは食べていない。――しかし、これは美味いなぁ。宮廷でもこれほどの料理を食べたことがない」
「そいつは良かった」
「ツクモは死ぬ前、料理人だったのか」
「いや、料理人てほどでもないんだけどね……」
両親が離婚後、父がくれる生活費をうかせたくて、自炊をしてましたから、それなりの腕はあると思います。
けど、料理人と言われるほどではありません。
むしろ屋敷の『調理』の機能がすごいからでしょう。
これなら自炊に飽きたときに行った有名店の味をそのまま再現できますから。
「君は戦えないことを謝罪していたが、これほどのものが食べられるなら、耶卿になったことを喜ばなければ」
ヒュリアは口の周りにステーキソースをつけたままで、無邪気な笑みを浮かべます。
ちょっと感動しますねぇ。
こんなガッカリ野郎をなぐさめてくれるんだね。
いい娘やなぁ……。
肉をたいらげて、ワインを飲みほしたヒュリアは、満足そうに溜息をつきました。
皿をシンクに片付けて、『家事全般』の中にある『洗滌』の儀方を使って皿を洗浄します。
ちなみに『洗滌』の説明はこんな感じです。
『耶代内にある物品の洗浄、殺菌を行うもの』
さて、皿を棚にしまったら、重要な仕事にとりかからなきゃなりません。
「じゃあヒュリア、傷の手当をさせてね」
『倉庫』の中から消毒薬、傷薬、清潔な布をとりだします。
ヒュリアはボロボロのマントの下に、上半身を守るための皮製の防具を身につけていました。
それを外し、剣を置き、上着とブーツ、そしてズボンを脱ぎます。
そのままキャミソールらしき下着まで脱いで、さっさとパンツ一枚になってしまいました。
上半身は裸です。
とっさに、手で目隠しします。
いや全く予想してませんでした。
傷の手当がしたかっただけなのに。
やましい考えなんてなかったんです。
ホントです。
ホントだって。
「じ、自分で薬ぬれるなら、そっちの方がいいかもねぇ……」
「なんだ恥ずかしいのか? 気にするな。全裸になったところで、私は恥ずかしくないぞ」
ヒュリアは、平然としてます。
「いや、そう言われても……」
「鍛えられた肉体は芸術であり、賞賛すべきものなのだ。恥じるべきものではない」
「は、はあ……、そうすか……」
こんな可愛い娘のセミヌードを生で見るなんて初めてなわけで……。
緊張で身体が震えてきます。
そりゃそうです。
僕はまだ、そっちの経験がないのですから。
未経験のまま死んだ無垢な若者……。
なんという哀れな運命なのでしょう……。
こんなことなら、その手のお店に行って経験を積んでおけばよかった。
大人の階段を登りたかった……。
ああ、今となっては、天をあおぎ、嘆くしかできないのです。
くーっ!
「何をやってるんだ。早くしてくれ」
ちょっと冷たいヒュリアの視線。
開き直って、正面から彼女の姿を見ました。
おお、なんという神々《こうごう》しさか。
女性らしい丸みと、しなやかな筋肉が共存した奇跡のような肉体美……。
あまりの美しさと可憐さに、いやらしい気持ちなんて、ほとんど起こりません。
ほとんどです、ほとんど……、ね……。
ヒュリアの背中には、斜めに斬られた傷痕がありました。
深いものではなく、もう血も止まっていたんで消毒と傷薬をぬって済ませます。
防具のおかげで浅く済んだってことでした。
肩の矢傷も浅かったので、同じように処置します。
でも、太腿の矢傷は深いです。
念入りに消毒して、丁寧に布を巻きました。
治るのに時間がかかりそうです。
処置をしていて気づいたのですが、ヒュリアの左手首には金の腕輪が巻かれていました。
美しい装飾が施されていて、ティアドロップ型をした大粒の宝石が嵌まっています。
キラキラと紫色の光を放つ神秘的な逸品です。
「きれいな腕輪だね」
「あ、うん……、そうだな……」
「それも、お師匠さんが作ったもんなの?」
「あ、いいや……、これは違う、ちょっと訳ありなんだ……」
褒めたつもりだったんですが、ヒュリアの表情が暗くなっていきます。
なんか地雷を踏んじまったか……。
こういうときは、すぐに話題を変えなくては。
「――魔導には治療の術とかないのかな?」
そんなんがあれば傷なんて、ちょちょいと治せるはずです。
「治癒術はあるが、高位の魔導師でないと使えないな」
ヒュリアの表情が元に戻ります。
ふぃー、あぶねぇ、あぶねぇ。
処置が済んで美しい裸が隠れると、僕のテンションも下がっていきました。
ホッとしたような、残念なような……。
気持ちが入乱れて、なんか疲れてしまいました。
僕はワインの瓶を持ってヒュリアの対面に座ります。
「良かったらヒュリア自身の話を聞かせてくれないかな。もちろん言いたくないことは言わなくていいからさ」
酒盃にワインを注ぎながら、お願いしてみました。
これからどうするか考えるのに、ヒュリアが置かれた状況を知っておくことは重要です。
「そうだな、ツクモには私の身上を知る権利がある……」
ヒュリアはワインを一口飲むと、静かに語り始めました。
バシャルには大きな大陸が西と東に一つずつあり、今僕らがいるのは東の大陸だそうです。
ヒュリアの国である『聖騎士団帝国』は東の大陸の北西の端にあります。
この焼け屋敷のある人喰い森は、大陸の南東の端、オルマン王国の北の国境付近に位置しています。
ここから帝国までは、かなりの距離があり、歩けば一月は、かかるみたいです。
この辺りは鬱蒼とした森林地帯になっているらしく、険しい地形とあいまって、滅多に人も通いません。
そのためなのか、未だにどの国にも属していない“無主地”のままなのだそうです。
そして、その森林地帯の最奥に人喰い森があるというわけです。
聖騎士団帝国は、おおよそ1000年前の『災厄の時』、バシャルを守るために戦った“三傑”と呼ばれる人達の後継者が建てた国の一つです。
東の大陸では由緒正しい国だとか。
「その『災厄の時』って何なの?」
「1000年前に突然現れた『黒の災媼』と呼ばれる魔女によって引き起こされた戦乱のことだ。戦乱の終結後、バシャルの人口は戦前の三分の一にまで減少してしまった。どれほど激しい戦いだったかがわかるだろう……」
黒の災媼を倒すために立上がった三人の人物が、後に“三傑”と呼ばれるようになります。
それが、英雄フェルハト・シャアヒン、聖師フゼイフェ・ギュルセル、賢者アイダン・オルタンジャ、です。
英雄フェルハトは『聖騎士団』と呼ばれる部隊を率いていたのですが、『災厄の時』に戦死してしまいます。
そのため、彼の従騎士であった人物が、残された聖騎士団をまとめ、新たな団長となりました。
そして彼らは戦いの恩賞としてもらった土地を合わせて、自分達の国である聖騎士団帝国を建国するわけです。
帝国の初代皇帝となったのが、フェルハトの従騎士であり、彼の死後、聖騎士団の団長となった人物。
ヒュリアのご先祖様のチラック・ウル・エスクリムジさんなのでした。