巡礼者の歌<7>
「――細菌というのは目に見えないほど小さい生物でね、人の体内に入りこんで病気を引起こすとされている」
そんな生き物がいるなんて驚きだ。
そいつが身体に入ってくるのを想像して気持ちが悪くなった。
「知らなかったです……」
「ふむ、この知識は元々パトリドスのものなんだがね。伝えられていないようだ」
「火で焼いても生き残ってるんですか?」
「確かに可能性は低い。しかし火葬が不完全な場合は大いにありうる」
「それを探してどうするんです? 研究するんですか?」
「培養するのだ」
「培養? どういう意味ですか?」
ジェファさんは答えずに、次の骨壷の中に試薬を吹付けた。
「――キツォス君、私はね、人間が大嫌いなのだよ」
唐突に話を変えるジェファさん。
「そう……、ですか……」
「――やつらは盗賊であり、詐欺師であり、人殺しだ。戦争を起こしては周囲を傷つけ、殺し合い、平和になれば騙し、盗む。口では友人だ、仲間だと言いながら、自分の欲を満たすとなれば平気で裏切る。シラミ以下の連中だ」
歴史の授業で、パトリドスも人間に酷い目にあわされてきたって教えられてる。
だからジェファさんの言うことはよくわかる。
「――おお! やったぞ! 反応がでた! やはり死滅していなかったな!」
ジェファさんは骨壷を覗きながら声を上げた。
彼女のこんな嬉しそうな様子を見たのは初めてだった。
「苦労して探した甲斐があったというものだ……」
腰の小物入れから小さなガラス容器と金属の匙が取出された。
容器のフタにはネジのように溝があり、回して開ける手の込んだものだ。
骨壷からすくわれた青く光る骨の粉がガラス容器に入ると、回転式のフタがきっちりと閉められた。
「よし、もうここに用は無い」
冷めた声で呟くジェファさん。
さっきとは別人みたいに無表情だ。
手早く容器を小物入れに収めた彼女は、いままでの墓場への関心なんか忘れたみたいに、日の光が射しこむ入口へさっさと行ってしまった。
ろうそくの灯りが無くなって、あたりが真暗になる。
ここは入ってすぐのところだけど、入口からの光は十分には届かない。
闇の奥には、まだ手つかずの骨壷が無数に並んでる。
たくさんの霊達が闇の中から睨んでいるような気がして、背筋が寒くなった。
「安らかに眠ってください」
闇に向かって頭を下げ、ジェファさんの後を追いかけた。
外に出ると光がまぶしくて、すぐに目を開けられない。
「これはお前の仕業かっ!」
聞き覚えのある声が怒鳴ってる。
ゆっくり目を開けると、マノス達の死体のそばに5人の男達がいた。
怒鳴っていたのはエウゲンで、残りの4人は角が無いから人間だと思う。
「私の部下を殺し、女達を逃がしたのかと聞いているっ!」
あのエウゲンの冷たい視線が僕たちに突き刺さってくる。
やっぱり誘拐犯の親玉は、エウゲンで間違いないみたいだ。
でもまさか、国の命令じゃないよね……?
「だとしたら、どうするのかね?」
ジェファさんの調子は普段と同じだ。
「おのれ……」
顔色を変えるエウゲン。
エウゲンの隣にいた男が、困ったように首をふった。
頭巾つきの黒い外套を身にまとい、顔は骸骨みたいなのに目だけがギラギラしてて、気持ち悪い。
あとの3人も同じ黒い外套を着て、それぞれ肩に袋を担いでいる。
「エウゲン殿、約束が違いますな。要求通り、わざわざ金貨を用意したというのに。部下は忍耐強いですが、かなりの重労働ですぞ」
骸骨男は部下が担いでいる袋を叩いてみせた。
「しかし、オカン殿、当方としても予想外の事態です。取引は、また後日にさせていただきたい」
オカンと呼ばれた骸骨男は人差し指で頬をかきながら溜息を吐いた。
「仕方ないですなぁ。まあ、薬の材料に逃げられては、こちらとしてもお手上げだ。――とにかく今は、この場を収めてしまいましょう。さっさと黒妖精と子供を始末してください」
「わかりました」
エウゲンは上着の懐から銃を取出して、ジェファさんに向けた。
「余計なことをしなければ、死なずに済んだものを」
そう言って引金をひくエウゲン。
銃声が響き、ジェファさんの後ろの岩壁に弾が当たり、岩がくずれた。
「何?!」
エウゲンが眉をひそめる。
撃ち殺したと思ったジェファさんが平然と立っているからだ。
焦ったエウゲンは、立続けに二発、発射した。
でも弾は、やっぱりジェファさんの後ろの壁をくずすだけだった。
引金が引かれる瞬間、彼女は身体を横に振って弾をよけてるんだ。
「ふむ、当てなければ殺せんが?」
「化物め……」
忌々しげにジェファさんをにらむエウゲン。
「――いけませんな。あの黒妖精は危険だ。あれほどの動き、尋常ではない。不本意ながら、お手伝いさせていただこう」
そう言ってオカンは、エウゲンの横に立った。
部下達も肩から袋を降ろす。
周囲に殺気が立ちこめてくる。
オカンは右手の人差し指と中指を顔の前に立てて、目を閉じる。
すぐに指先が青く光りだした。
魔導を使う気だ。
「私は三冠の位を受けるウシュメ王国筆頭魔導博士オカン・ベレケトである。黒妖精よ、殺す前に汝の名を聞いておこう」
突然、はははと笑いだすジェファさん。
オカンはギラギラした目を吊り上げた。
「何が可笑しいっ!」
「オカン、私のことを忘れたのか」
「何だと……?」
「目玉骸骨よ、この声に覚えがないのか」
オカンは目を細めて、ジェファさんを見つめる。
「お主、まさか……。シェイマか……」
首を傾けて微笑むジェファさん。
「そうだったのか……。普段から仮面をつけていたのは、自分が黒妖精であることを隠すためか」
「お前は望んだ地位を手に入れたようだな」
「ふふ、お主が出奔してくれたおかげで、筆頭になることができた。その点は感謝しておるよ。――国から命令が出ておるぞ。お主を見つけたら捕まえて連れ戻せと。それが不可能ならば殺せとな。一応聞いておくが、ウシュメに戻る気はないのか?」
「薄汚い人間どもに、再び仕えろだと? ありえん話だ。ウシュメにいたとき、私がどれだけ苦悩していたか、お前にわかるまい。しかし務めを全うするため、耐えるしかなかった。――くだらん人間の国を出られて、今は晴れ晴れとした気分なのだよ」
ジェファさんは手を広げ、空を見上げた。
「そうか、それを聞いて私も安心したよ。お主が戻ってくれば、私の地位が危うくなるからな。――あとは、お主が死ぬことで、すべて丸く収まるわけだ」
「シラミに似合いの下劣な考えだな。まあ、やってみるがいい、卑しい人間よ。死力をつくし、運命に抗ってみせよ」
オカンは指先をジェファさんに向ける。
先端からキラキラ光る糸のようなものが出て、すごい勢いでジェファさんに飛んだ。
ジァファさんは、半身になって、それをかわした。
糸のようなものは、ジェファさんの後ろにある岩壁に、みるみる穴をあけていく。
岩くずと一緒に水しぶきが、僕の顔まで飛んできた。
光る糸は、水流だった。
水の元素魔導だ。
オカンはジェファさんを追いかけるように指先を水平に振った。
当然、水流も彼女を切裂くよう水平に動く。
切られる寸前、ジェファさんは跳び上がって空中で回転し、オカン達の後ろに着地した。
部下達が慌てて人差し指をジェファさんに向ける。
「ちっ」
舌打したオカンも振り返る。
そのときジェファさんから黒い靄のような影があふれ出して、彼女を丸く包み込むように広がったんだ。
部下達から炎弾、雷弾、土弾が、オカンからは水流が発射され、一斉にジェファさんを襲った。
でも黒い靄に触れたとたん、全てが跡形も無く消えてしまった。
「――元素が消えただと! 何をした、シェイマ!」
オカンが怯えた顔で怒鳴った。
「卑しき人間よ、魔導が絶対だとでも思っていたのか。――恃気では拘気を克することはできないのだよ」
「拘気?! 何だ、それは?!」
「死にゆくものに、不要な知識だ」
ジェファさんが言い捨てると、先端が鋭く尖った黒く細長い影が四本、靄から現れて、オカンと部下達の胸に突き刺さった。
「ぐはっ!」
うめき声をもらすオカン。
4人は刺されて固まっていたけど、影が引抜かれると崩れるように地面に倒れた。
胸に穴が開いているわけでもなく、血も流れていない。
けれど、顔は苦痛にゆがみ、ひどく黒ずんでいた。
そのままピクリともしないオカン達。
死んだんだと思う。
残ったエウゲンは全ての弾をジェファさんに向けて撃った。
でも全部よけられてしまう。
弾が無くなっても引金を引き続けるエウゲン。
恐怖で顔が、ひきつってる。
素早く近づいたジェファさんは、エウゲンの喉をつかんだ。
彼女が腕を持上げると、エウゲンの足が地面から離れる。
エウゲンは両手足をじたばたさせた。
「ふむ、君らパトリドスにも拘気が通じれば、いちいち手をくだす必要もないのだがね。面倒なことだ」
言い終えたジェファさんはエウゲンの喉を握りつぶす。
鈍い音がして首から血が四方に飛散り、腕と脚から力が無くなって、だらりと垂下がった。
彼女が手を開くと、エウゲンは首を折られた鶏みたいに地面に落ちた。
ジェファさんが、こっちに振返る。
そして、ゆっくりと近づいてくる。
身体が、また震えだす。
今度の震えは、さっきとは比べ物にならない。
立ってられないくらいなんだ。
目の前に立ったジェファさんは腰をかがめて、顔を近づけてきた。
思わずひゅっと喉が鳴る。
だって……。
だって、彼女の目が……。
――血で染めたように“真赤”だったから。
青い瞳も澄んだ白目も無くなって……。
全てが赤なんだ……。
ジェファさんは悪夢の中の怪物のように、にっと笑った。
「とんだ邪魔が入ったが、あらためて先刻の質問に答えよう」
震えている僕の頬に彼女の手が柔らかく触れた。
「先ほど言った通り、私は人間を憎み、呪っている。やつらを滅ぼすためなら、どんな手段もいとわないほどにね。――1000年前、私と同輩は人間を滅亡寸前まで追詰めた。しかし愚かなアイダンとエフトラン、そして狂人のビルルルが、フェルハトとフゼイフェに手を貸したせいで、私達の計画は失敗に終わった」
1000年前……。
それって『災厄の時』ってこと……?
「最大の敗因はフゼイフェが使ったパトリドスの古代兵器にある。あれのために匡主様の分身である真矯様は地上から消滅し、形勢は奴らに傾いた。同輩達も殺され、結局、私だけが生残るはめになったのだ」
ジェファさんは、ウラニアを襲った化物の仲間……?
「この1000年間は私にとって屈辱の時代だった。だが人間への強い憎悪が、私を支えてくれた。――そして今ようやく、新たな計画を実行に移すときがきた。それにあたり、最大の障害をとりのぞいておく必要があるのだよ」
最大の障害……。
それってまさか……。
僕の心を読んだみたいに、ジェファさんがまた、にっと笑った。
「最大の障害、つまり君らパトリドスのことだ。二度とあのような兵器を使わせるわけにはいかないからね。――培養とは何か聞いたね。それは、細菌を育て、増やすということを言う。つまり私はね、培養したカシュント病をウラニアに蔓延させて、パトリドスを滅ぼそうと考えているのだよ」
涙が、あふれてきた。
「――あの扉にあった文字が読めるかね」
首を振った。
「古代パトリダ文字だから無理もないな。――『扉を開けるな。開ければ再び疫病が広まる危険がある。故人を偲びたければ、閉じた扉の前で祈るにとどめよ』と文字は訴えていた。あれは扉というより封印だな」
「あ……、なたが……、墓を探し……ていたのは……、パ……、トリドスを……、滅ぼす……、疫病を……、みつけるため……?」
喉がつまって、うまくしゃべれない。
「そうだ。パトリドスに強い怨みはないが、人間に手を貸した君らを許すつもりはない。計画の第一歩として、この世から消えてもらう」
少し変わってるけど、綺麗で優しいジェファさん。
父さんの作った料理を美味しそうに食べてくれたジェファさん。
ほっぺたに柔らかな口づけをしてくれたジェファさん。
父さんがベタ惚れして結婚を申しこもうとしたジェファさん。
でも今、目の前に立っている人は、誰なんだろう。
この人はパトリドスを世界から消そうとしている。
僕は……、僕は……、どうしたらいいんだろう……。
どうしたら……、良かったんだろう……。
ジェファさんの手が、頬から喉へと下りていく。
「さて、キツォス君、質問には答えた。君にも死んでもらわないとな」
喉をつかむ手に、だんだん力がこもっていく。
あまりにも辛くて悲しくて、溜まっていた想いが勝手に口から出ていった。
「ジェファさん……、僕は……、あなたのことが……、大好きでした……。父さんは……、僕の母さんに……、したかったみたいだけど……、僕は……、本当は……、あなたの恋人に……、なりたかったです……」
全部出し切ってしまうと、なんだか心が落着いた。
だから目をつぶり、最後の瞬間を待ったんだ。
「――やはり、君は可愛いな、キツォス君」
ジェファさんの手が喉から離れる。
代わりに柔らかで滑らかなものが唇に触れた。
恐る恐る目を開けると、それはジェファさんの赤い唇だった。
すぐ目の前に彼女の顔がある。
頭が混乱して、何がなんだかわからない。
唇が離れると、元の青い瞳に戻ったジェファさんが微笑んでいた。
「私の手で君を殺すことはやめておこう。ただし、私のことや今話したことを洩らしてはいけないよ。もし洩らしたなら、君だけでなく、父上もろとも村人を皆殺しにすることになる。――約束できるかね?」
何度も頷いた。
「ふむ、話はついた。――君とはこれでお別れだ、キツォス君。ただ、私が手を下さなくても、結局君は死ぬことになるだろう。今のうちにやりたいことは、やっておくといい」
くるりと背を向けたジェファさんは、階段に向かって歩き出した。
「ジェファさんっ! ジェファさんっ!」
何か言葉をかけたかったけれど、名前しか出てこない。
代わりにたくさんの涙が、またあふれてくる。
階段を上るジェファさんは、途中、不意に立止まって言った。
「ジェファという名は1000年前に捨てたものだ……。今の私はシェイマ・タルハンという。万が一、君が生残ることがあったなら、その名で私を探すといい」
そう言残してジェファさんだったシェイマは森へ姿を消した。
でも、しばらくすると歌声が聞こえてきたんだ。
それは、あのときの歌だった。
でも、続きがあったみたいだ。
「――はかなきかな、はかなきかな、
いうかいなきものどもよ。
たよわきおよびの爪、
よさんをとらわんと、
たかがごとくいらめけり。
めっせんかな、めっせんかな
うぞうみながら、めっせんかな。
人よ、知るがいい、なんじが悪ぎょうを
ゆめゆめに、許すことあたわず。
人よ、泣くがいい、なんじのゆく末を
からからと、われは笑らかん……」
その後しばらく、ジェファさんが消えた森をボーッと眺めていた。
でも、さらわれた人達のことを思い出した。
だから、ほっぺたを両手で叩いて気合を入れ、エウゲンの死体から血のついた身分証を取って懐にしまった。
そして蔦を使って谷を渡ったんだ。
村に帰りついてすぐ、村長にエウゲン達のことを話した。
最初は相手にされなかったけど、身分証を見せると態度が一変した。
村長は、すぐにパゲトナスの警備局へ伝令を送り、夜になって警備隊が村に到着した。
警備隊は森に隠れていた女性達を救出し、窪地でエウゲン達の死体を確認したみたいだ。
そして、村に捜査本部が設けられたんだ。
僕も事情を聴かれたけど、疫病のことは黙ってるしかなかったし、ジェファさんのことは、皆を助けるために戦ってくれたってことにしておいた。
もちろん、あの墓場も調査されたけど、あまり重要視されなかったみたいだ。
捜査の結果、誘拐事件は全てウシュメ王国と手を組んだエウゲンの仕業ってことになった。
村は、警備隊が駐屯したんで、一時賑やかだったけど、捜査が終わると前よりいっそう寂しくなった。
ジェファさんが、いなくなったこともあるかもしれない。
父さんは落込んで、また酒の量が増えた。
でも、潮騒は、ちゃんと営業してる。
捜査が終わっても、疫病でパトリドスを滅ぼすというジェファさんの言葉が頭から離れなかった。
怖くて眠れないこともあったんだ。
けど、時間が経つにつれて、恐怖が薄れていった。
村の暮らしは以前と変わりなく、退屈で平凡に過ぎていったからだ。
そしていつしか、あれはジェファさんの悪い冗談だったのかもしれないと思うようにさえなっていたんだ。
パンジャの月になって、ウラニアの大きな街では『奉迎祭』が盛大に行われた。
たくさんの酒と食事がふるまわれ、芝居や見世物小屋が、あちこちに立った。
年に数度のお楽しみに、みんな浮かれ騒いだんだ。
祭りから半月ぐらいたったころ、集会で村長がこんな話をした。
ウラニアの南部にある街で、正体不明の病気が流行し始めたそうだ。
その病気になると皮膚が赤くただれ、全身が腐って死ぬらしい。
まだ北部に広がってはいないが気をつけるようにってことだった。
頭が真白になった。
忘れていた恐怖が戻ってきた。
彼女は、とうとう始めたんだ。
パトリドスを抹殺する計画を……。




