青の魔人<3>
そこから南東方向へ進むこと二日。
目前に鬱蒼とした森林地帯が姿を現し始める。
背の高い針葉樹が立並び、山の頂上のまで続いているのだ。
深く暗い森に沿って進むと、突然右手に森の中へ向かう横道が現われる。
入口が草に覆われているため、注意していなければ見逃してしまうだろう。
ここまでの道は、地図に載っている一般的な街道であり、幅は広く路面は整備されている。
街道は、この先さらに東へと伸び、海に臨んだところで南へ折れ、オルマン王国まで続いている。
通常の旅なら、このまま街道を行くのが最善である。
しかし、これから私達が進むべきは、この狭い道なのだ。
おそらく樵や狩人が利用する杣道であり、森の奥深く入りこみ、山頂へ向かって伸びているだろう。
本来なら避けるべきこの杣道こそ、マリフェトで滞在中にエシンが古老から聞いた『人喰い森』への道だった。
古老の話では、杣道を数日歩いた先に、小さな隠れ里があるらしい。
『人喰い森』の正確な場所は、そこで聞くようにと言われたそうだ。
貧弱で暗澹とした道は木々の間を縫うように走っている。
整備などされているはずもなく、転がる岩や石の上を歩いたり、険しい崖の縁ギリギリを通らねばならず、騎乗しながら進むのは無理と判断され、馬を降りて徒歩となった。
太陽の光は枝にさえぎられ、ほとんど地面に届かない。
夜になれば足先が痛いほど冷たくなる。
これで雪に降られれば、凍傷になるかもしれない。
周りを見回しても木ばかりで景色が変わらず、自分達が今どこにいるのかわからなくなる。
迷わずに済んでいるのは、皮肉なことに、歩くのも困難なこの杣道のおかげだった。
いくつもの峠と谷を越え、三日が過ぎ、四日目の昼頃のことだった。
突然視界が開け、粗末な木造小屋が並ぶ平地が現れたのだ。
おそらくここが、古老の言っていた隠れ里だろう。
まずエシンとサリフが先行し里の中の様子を探る。
しばらくして戻ってきたエシンが、驚くべき事実を報告した。
「人気はありません。ただ一面に死体が散乱しています。身なりからして帝国騎士と思われます」
周囲を警戒しながら里に入るとすぐに、半ば枯草に埋もれた死体を発見した。
かなり白骨化が進んでいる。
死体がつけていた鎧の胸当には、エシンが指摘した通り帝国の紋章が刻印されていた。
帝国の紋章は二羽の鷹が翼を広げ、剣を挟んで向かい合っているというもので、東の大陸で似た意匠を使用する国は他にない。
「第四聖衛騎士団の団員です。死んだのは二月程前と思われます」
エシンは鎧の肩当に刻印された文字と数字を示した。
帝国には対外的な戦争を行う十二の聖戦騎士団と、国の防衛を行う四つの聖衛騎士団がある。
第四聖衛騎士団の主な役割は諜報活動であり、他国に潜入して情報収集や破壊活動を行う。
また、逃亡した犯罪者の捜索活動なども小規模ながら長期的に行っており、大陸の隅々にまで出向いていくのだ
そのため団員の中には、何年も国に戻らず、他国で、その国民となり暮らす者もいる。
周りを見回すと死体は1つだけでなく、10あまりが里のあちこちに散らばらるようにあった。
全員の手元には剣が落ちているので、何かと戦っていた可能性がある。
しばらく死体を調査していたのだが、全く住人の姿が見えない。
私達を恐れ、隠れている可能性もあるが、雰囲気からして誰もいないように感じられた。
私達は手分けして里にある全ての小屋を調べることにした。
団長と私は、すぐ傍にある比較的新しい小屋を選んだ。
玄関を入ってすぐ、白骨化した死体が二つ、重なり合うように倒れているのを発見した。
服装から男女だとわかる。
おそらくここの住人だろう。
両者の手元にも、剣が落ちているので、やはり何かと戦っていたと推測される。
小屋の奥に進むと、そこには鍛冶のための設備があった。
「隠れ里には、非常に腕の良い錬金術師の老夫婦が住んでいるというマリフェトの古老の話に合致しますね。といういことは、あの死体がその夫婦なのでしょう」
「だろうな。――確かに錬金術の腕前は相当なものだったようだ」
壁にかけられていた長剣を手に取った団長は、空気を切裂くように振った。
「一見、普通の長剣と変わりないが、重さに偏りがなく、柄の太さと形は、手になじむよう微細な工夫が施されている。地金の錬成と、成造過程における鍛造をかなり緻密に行った結果だろう。市場に流通する長剣とは、まるで別物のだ。よほど名のある錬金術師だったに違いない」
「しかし、一体何があったんでしょう。あれだけの数の騎士が、なぜこんな辺鄙な里に……? その錬金術師が目当てだったんでしょうか……?」
「いや、違うな。死体の位置がおかしい。もし錬金術師を襲って反撃され、全滅したのなら、この小屋の中にも騎士の死体があるべきだ。しかし死体は小屋の外、里全体に散らばっている。――おそらく別の何者かを追っていたのだろう」
「ジョルジの仕業でしょうか?」
「それもないだろう。二月前なら、ジョルジはまだスプシュマにいたはずだ。やつに殺すことはできん」
「そうですね……」
そのとき頭に、ある考えが浮かんだ。
「団長、もしかすると……」
「副長も同じ答えにたどりついたか?」
意味ありげに微笑む団長。
「――ヒュリア皇女でしょうか?」
だとすれば、こんな所に多くの騎士がいた理由もわかる。
頷ずく団長の微笑みは、いつしか、獲物を見つけた肉食獣の笑みに変わっていた。
「ジョルジだけでなく、皇女も近くにいる可能性があるわけですね」
「占い師の言っていた隠者が気にかかる。もしかすると皇女も隠者に会いにいったのかもしれん。――早急に『人喰い森』を見つける必要があるな」
「はい。ただ住人がいないとなれば、人喰い森への経路を知る手段が……」
そのとき突然、入口から、イスメトが音もなく入ってきた。
八番隊の隊長イスメトは、団員中、最強という呼声も高い。
両刃の短剣を両手に持って戦い、洗練された動きで的確に相手の急所を狙う近接戦を旨としている。
イスメトは、剃髪していて一切の髪の毛が無く、なぜか眉毛まで剃り落としてるので、一見、魔人かと疑いたくなるほど不気味である。
また感情を表に出さず、寡黙で、普段は全く目立たず、私でさえ存在を忘れてしまうほどだ。
これらの事柄が近寄りがたい雰囲気を作りだしてしまい、同僚も部下も、あまりイスメトに近づこうとはしない。
本人が、人と馴れ合うのが好きでないのも関係しているだろう。
しかし戦闘となれば誰よりも勇猛苛烈に戦い、真先に敵中へ飛込こんでいく。
なので、親しみは抱かないが、ほとんど団員がイスメトを畏怖し尊敬していた。
「――誰かいる」
イスメトは短く、要点だけを告げた。
私達はイスメトと一緒に外へ出て、彼が指示す方へ目を凝らした。
一番奥にある小屋の前の草むらが揺れていた。
草の丈が高く密集しているので、はっきりとはわからないが、時折手足が見え、四つん這いなっているのがわかった。
しばらく観察していると、こちらの様子を探ろうとしたのか、ふいに草陰から顔が現われた。
長い栗色の髪、女性とも思える目鼻立ち、筋肉の少ない痩せぎすな身体つき。
それは、討伐資料にある似顔絵や特徴と一致していた。
「ジョルジ・エシャルメン!」
私が誰何した途端、ジョルジは急いで立上がり、森の中へと逃げていった。
声を聞いた団員達が小屋の中から飛出してくる。
「ジョルジを発見した! 奴は、そちらの森の中だ! 逃がすな!」
団長の命令を受けた団員達は、すぐさまジョルジを追っていく。
フェトヒとガムジが、馬を曳いて駆けつける。
フェトヒは回復薬や治癒薬などが入った袋を馬から降ろし、肩にかけた。
「荷物と馬は任せた。そして全員がやられたときは、参謀府への報告を頼む」
団長はガムジに後事を託された。
「承知しました。――皆様、お気をつけて」
ガムジが神妙な顔で敬礼を返した。
「では、行くぞ」
団長を先頭に、イスメト、私、フェトヒの順で走り、森に入る。
すると奥の方から叫び声が聞こえた。
「オラに、かまわねぇで!」
なまりが強い。
おそらくジョルジだろう。
「おねげぇでがす。どんぞ、もう、ほっどいてぇ!」
そのすぐ後、ウウルの怒鳴り声が続く。
「大人しくしやがれっ! ――よしっ、ジョルジをつかまえたぞっ!」
私達も、ウウルの声がした方へ向かおうとした。
そのとき突然、狂猛な獣の咆哮が森中に響き渡る。
続いて何かが潰れるような鈍い音が聞こえた。
「ウウルとエシンがやられたっ! 奴が逃げたぞ!」
今度はオメルの声がした。
いくつかの足音が、さらに森の奥へと走るのが聞こえる。
足音を追っていくと、途中、太い樹の前に座りこむウウルを発見した。
声を掛けようとして息を呑む。
ウウルの顔の上半分は殴られ、潰れていたのだ。
おそらく即死だろう。
脳漿と血が、そこらじゅうに飛散っている。
嫌なやつだったが、こんな無残な死様では、さすがに哀れになる。
エシンの姿を探すと、ウウルから少し先に、エシンの部下のサリフが、うつ伏せに倒れているのを見つけた。
仰向けにすると、サリフの顔の左半分は殴られて潰れ、首が奇妙な形に捻じ曲がっていた。
こちらも即死だろう。
そしてすぐ側にある岩の前に、寄りかかって座りこむエシンの姿があった。
エシンは両脚を投出し、腹部を両手で押さえている。
口の周りと胸の辺りには、大量の血が付着していた。
近づいていくとエシンが咳きこんだ。
生きていると知り安心した直後、口から大量の血を吐出した。
「エシン!」
「ふ、不覚……。内臓を……」
苦痛に顔を歪め、荒い息の下から、搾り出すように声を出した。
「しゃべらないで」
私はすぐに、エシンの腹部に手をかざした。
薄紫色の光が手から流れ落ち、腹部へ吸込まれていく。
『四冠』の治癒術である。
ただ、エシンの傷は深く、四冠の治癒術では簡単に治せそうになかった。
もう少し発見が遅れていたら手遅れと思われるほどの重傷である。
完治させるには数日にわたって何度か治癒術を施さなければならない。
ジョルジは女を襲わないはずではと思ったが、暗い森の中で追われていれば、男女の区別をつけるのは難しいだろう。
私自身、油断は禁物ということだ。
「副長、治癒薬を」
フェトヒが袋から治癒薬を取出した。
治癒薬は『四冠』の治癒術と同等の効果が期待できるため併用すれば、内と外から傷に働きかけるので快癒を早められる。
受取った薬瓶の栓を開け、エシンに飲ませてやった。
「副長、私は先に行く。エシンのことは任せた」
「はい、すぐに追いつきますので」
団長は頷くと、イスメトとともに森の奥へと向かっていった。
治癒術を続けていると、エシンの表情が和らいでくるのが分かった。
フェトヒの手を借りて、仰向けに寝かせてやる。
「良かった。なんとか命は取留めたわ。でも戦闘は無理だから」
「サ、サリフは……?」
首を振って答えた。
「そうですか……」
エシンは目を閉じて、唇をかみしめる。
サリフはエシンが隊長になったときから、女だという偏見に晒される彼女をずっと支えてきた。
彼女にとって一番信頼できる部下といえるだろう。
「ジョルジを捕まえた後、必ず弔いをしましょう」
エシンの手を握ると、彼女が、しっかりとした力で握り返してくる。
状態が安定したようだ。
「ここで休んでいなさい。治癒薬と回復薬を置いていくから、辛くなったら飲んで」
こうしてその場にエシンを残し、私とフェトヒは団長の後を追った。
しばらく進むと再び恐ろしい咆哮が森に響く。
前方で何本もの太い樹が音を立て、次々に倒れていく。
追いついてみるとそこでは、青く輝く魔人と褐色に光る大鎚を振りまわすオメルが戦っていた。
ヘペル卿の証言通り、ジョルジの姿はまさに『青く輝く鎧を着た騎士』のようだ。
身体だけでなく、頭も兜と面貌で覆われ、全身から青い光を放っていた。
ただ、オメルの攻撃に対して徒手で応戦し、暴れ回る姿は、騎士ではなく魔人という表現の方が、やはり相応しいだろう。
団長、イスメト、セルカン、ベラトはジョルジを取囲み、後方支援としてブラクが高台から弓でジョルジを狙っていた。
オメルの大鎚が輝いているのは、彼が照応する土の元素の力を与えられ、攻撃力が上昇しているからだ。
武器などに元素の力を付与することを『沾漸』の儀方と呼ぶ。
『沾漸』の儀方は、通常、『四冠』以上の魔導師にしか使えない。
なので騎士が『四冠』以上の魔導を身につけると、上級騎士の身分が与えられ、隊長などの士官になることができた。
セルカンの剣が緑色に輝いているのは風の元素を、ブラクの鏃が水色に輝いているのは水の元素を、それぞれ沾漸させているからである。
さらに団長を含め全員が『亢躰術』を使っているはずだ。
なので身体能力も元の数倍になっているだろう。
この戦術を使えば通常なら、敵を瞬殺できるはずだった。
オメルは大鎚を肩に担いで跳び上がる。
そして落下の勢いに任せて振下ろした。
強烈な一撃がジョルジの頭部を打砕くかと思われたが、紙くずでも掴むようにジョルジの右手が受止める。
亢躰術で身体能力を上げた騎士が放つ、『沾漸』を受けた武器での攻撃を、片手で受止める?
土の力を沾漸されたオメルの大鎚は、圧砕力が数倍に跳上がり、硬く巨大な岩も一撃で砕くことができるはずなのに?
通常あり得ない事態である。
ジョルジという存在が、いかに危険かという証だ。
早急に討伐しないと、将来大変なことになるかもしれない。
ただオメルの攻撃は、まだ終わっていない。
受止められた大鎚の打面から褐色の土の元素があふれ出して、ジョルジの青い腕を急速に覆っていく。
大鎚を介して土魔導の効果を敵に及ぼすことができるのだ。
これは土魔導術における『瑾摎』という技である。
土の元素で敵の身体を覆い、圧搾して潰すというものだ。
腕の後、顔と上半身まで土に覆われたジョルジだったが、まだ動く下半身を使って反撃する。
オメルの腹部を右のつま先で蹴り上げたのだ。
つま先が腹に突刺さったオメルは、白目をむき、口から大量の血を吐いて倒れた。
オメルが白目をむくのと同時に、魔導の効果が消え、ジョルジの上半身の土がボロボロと、はがれ落ちていく。
ジョルジの顔を覆っている土が剥がれ落ちる前に、ブラクが矢を放った。
水色に光る水魔導の矢が、ジョルジに向かって飛ぶ。
水魔導の『沾漸』の技は『漓澌』と呼ばれる。
対象から水分を抜いたり、逆に注入するもので、たとえば人間なら、血液を全て抜取って殺すことができる。
まだ土で視界が塞がれているはずだが、ジョルジは攻撃を察知し、オメルを蹴り上げた脚を戻すことなく、残っていた左脚で跳躍し、空中で後方回転して矢をよける。
そして回転しながら、掴んでいたオメルの大鎚をブラクに向かって投げつけた。
大鎚は鈍い音を立て、ブラクの顔面にめりこむ。
額から血が噴出し、ブラグは後ろに倒れ、動かなくなった。




