ミネ・ユルダクル<1>
帝国にとってアザット連邦との戦いは、決して楽なものではない。
彼らは帝国より広い領土を持ち、帝国の倍近い戦力を保有しているのだ。
さらに、陸上戦では優位に立てる帝国だが、海上戦おいてはアザットに一日の長があった。
半年前、新たに皇帝となられたメシフ様は、帝国の長年の宿願であった海上交易の主導権を奪取しようとアザット連邦に対して戦いを挑まれた。
しかしアザット連邦は地形を巧みに利用して戦を長引かせることに成功する。
これにより帝国が最も恐れていた冬が到来した。
帝国とアザットとの間にあるドンマイェリ山脈は雪が深く、冬の行軍は不可能と言っていい。
陸上戦力を主体とする帝国にとって、主要な行軍路を雪で閉ざされてしまえば、戦いそのものを継続することが難しくなるのは当然である。
つまり来春の雪解けまでの三月余りは、再び受忍の日々を送ることになるのだ。
ただし、この中断は、皇帝陛下には御不快であろうが、末端の騎士達にとっては母国に帰れるという朗報となる。
かく言う私も昨日、雪中行軍を終えて、帝都フェルハトラに帰還したばかりだ。
ようやく野営続きの行軍から解放され、久しぶりに官舎にある自室の清潔で暖かな寝台で眠ることができた。
昨日まで雪の降る屋外で眠っていたことが嘘のようだ。
統帥府からの辞令で数日の休養が与えられていたので、朝食をとることなく、昼過ぎまで自堕落に過ごした。
このまま夕食まで寝ていようかと思っていたところへ、参謀府から召致の連絡が届いた。
私は渋々、戸棚の奥から緑の礼服を取出し、数ヶ月ぶりに腕を通す。
初秋からアザットとの戦いに出陣し、既に三月以上経っていたので、かびの臭いが漂っている。
それをごまかすため、香水を多めにふることにした。
姿見で身なりを整える。
軍の規律により、女でも髪を伸ばすことは禁じられ、クセのある私の赤毛も耳の上まで刈上げられている。
私はあまり自分の赤い髪を好きではない。
長く伸ばしていたときなど、雨が降ると四方八方に縮れて大変だった。
一方、灰色の瞳は、とても気に入っている。
鍛え上げた剣のような輝きを放っているように見えるからだ。
実家に帰ると母はいつも、こんなに美人なのに殿方との恋愛話はないのか、と聞いてくる。
わずらわしいことこの上ない。
昔から自分の容姿を特に気にしたことはなかった。
言寄る男もいたが、全て無視してきた。
私は一人娘であり、亡くなった父に代わり、ユルダクルの家名を存続させる義務があったからだ。
婿養子をとることもできたが、私は自分の力で家名を守りたかった。
そのためには騎士の地位を得ることが重要であり、恋愛にかまけている時間はなかったのだ。
姿見の中の自分をにらみつけ、外套を肩にかけて自室をあとにする。
冬に入り、帝都では厚手の衣服をまとい、どことなく気忙しく歩く人達の姿が目につく。
外套の下に垣間見える緑の礼服は馨侖侯の地位にある貴族しか身につけられない。
足早に歩いていく人々の中にも、目ざとく礼服を見つける者がいて、すれ違うときには立止まり、会釈していった。
軍の官舎から行幸大路に出て北を望むと、巨大な『英雄大門』が目に入る。
さらに英雄大門の奥には、千年近い歴史を誇る荘厳なエスクリムジ皇宮が、そびえている。
紅を基調にし、所々に黄金の装飾をされた皇宮はフェルハトラの象徴であり、帝国の心臓部でもある。
英雄大門の脇にある掖門をくぐって皇宮前の広大な閲兵場を渡り、階段を上ると、やっと玄関にたどりつく。
そこで衛兵に用向きを伝え、通用口の扉を開いてもらう。
中に入れば、数々の装飾品や絵画をしつらえた玄関広間が現れる。
玄関広間の中央奥にある正面階段の踊場には、剣をかかげる『太祖帝』フェルハト様の像が鎮座していた。
初代皇帝チラック様とフェルハト様の間に血縁は無い。
しかしチラック様はフェルハト様を実の兄のように慕い、帝国を建国した際に『太祖帝』という皇帝の始祖たる地位と名誉を捧げ、その霊を祀ったのだ。
正面階段をのぼれば玉座のある謁見の間だが、左に折れて参謀府のある左翼の廊下へと進んだ。
参謀府の部屋は廊下に入ってすぐの場所にあった。
扉の前に立ち、拳で四回叩いた後で告げる。
「ミネ・ユルダクル、召致に応じ参上いたしました」
「どうぞ」
中から少し甲高い声で応えがあった。
「失礼します」
扉を開き、静かに素早く中へ入る。
室内には三人の男性がいた。
奥にある机には、青色の礼服を着た参謀府の長であるバリス・エファンジ府督がいらっしゃり、私を見ると軽くうなずかれた。
府督の横に立つのは灰色の礼服を着た補佐官のアリ・カイマク府佐。
机の前に立つのは緑色の礼服を着た十二聖戦騎士団の第四団を率いるトゥガイ・デスタン団長。
私はトゥガイ団長の横に並び、胸に右拳を当ててバリス府督に敬礼した。
団長はこちらに顔を向けることなく、一瞬、横目で私をとらえる。
私の心臓はそれだけで、鼓動を速くしてしまった。
帝国の上級貴族は四階級あり、下から常侖侯、庸侖侯、馨侖侯、盈侖侯とされており、礼服の色も灰、黒、緑、青と決まっている。
また下級貴族は酬侖卿という名称で呼ばれ、礼服は褐色である。
上級貴族の四つは世襲制であるが、酬侖卿の身分は本人一代限りとされている。
「ミネ君、前線から帰還したばかりなのに呼出してすまないな」
バリス府督は、ゆったりとした様子で、にこにこと微笑まれている。
年はもう七十に近く、髪やアゴ髭は白いが、均整のとれた身体つきからは、衰えを感じさせない。
エファンジ家と我がユルダクル家は古くからの付合いであるため、バリス府督は、公式の場以外では、実の娘であるかのように接してくださる。
貴族同士は普通、家名や職名で呼び合うのだが、親しい友人や仲間内では名前を呼ぶのだ。
「いいえ、帝国騎士としての勤めですので」
私は敬礼したまま答えた。
「楽にしてくれたまえ」
「はっ」
拳を下ろし、腰の後ろで組む。
バリス府督はアリに向って告げた。
「ではカイマク侯、二人に召致の理由を説明してくれたまえ」
「かしこまりました」
ネズミのような顔をしたアリは、神経質そうな手つきで持っていた書類をめくりながら、男にしては甲高い声で召致の理由を述べた。
「今より15日前、同盟国のゲチト王国で、ある問題が発生しました。それは王族が所有するスブシュマ荘園で起きた虐殺事件であります。荘園領主であるヤシャル・スプシュマ侯をはじめ、衛兵や男の農奴のほぼ全員の合わせて二百名余りが殺されております。ただし女の農奴と子供及び領主の一人娘イゼル嬢は危害を加えられておりません」
どうでも良い話だが、私はこのアリという男を好きになれない。
常侖侯という上級貴族でありながら、ときおり見せる下品な仕草や、腹に一物ありそうなうさんくさい目つきが鼻につくのだ。
年嵩の印象があり、当初四十代くらいと推察していたが、29歳だと聞いてとても驚いた。
私より年が5つ上なだけで、こんなにも老けてみえるということに呆れるばかりだ。
アリは指をなめて、書類をめくる。
そのなめ方が、あまりにもしつこくてムカムカさせられる。
しかし私の心情など知らぬアリは、そのまま説明を続けた。
「――生き残った女達の証言から、犯人は農奴の一人と判明しました。農奴名簿によると、氏名はジョルジ・エシャルメン、男性、19歳、生国はアヴジ王国、であります。ジョルジは事件後、逃走しましたが、目撃者の証言によると『災厄の荒野』方面へ向ったことがわかっております。第四団には、このジョルジ・エシャルメンの討伐をお願いしたいのです」
私の直属の上司でもあるトゥガイ団長は、勇猛な騎士達を震え上がらせてきた鋭い目つきでアリをにらみつけた。
赤みがかった金髪と碧眼。
左頬に深い刀傷。
上背があり、がっしりとした体躯は騎士に似つかわしいが、他の騎士とは明確に異なる凛然とした雰囲気を全身から発していた。
英雄という称号は団長のためにあると言っても過言ではないだろう。
アリの背丈は団長の首元までしかなく、見下ろされるようににらまれ、鼠に似た顔は、みるみる青ざめていった。
「なぜ我が団にその任を命じられるのです? 二百余名を殺したことは確かに重大ですが、たとえ中断したとはいえ戦争継続中のこの時に、一人の犯罪者に対して、正規の軍団を動かす必要がありますか? それにゲチトの軍は何をしているのです。帝国に犯罪者の討伐をさせ、高みの見物ですか?」
トゥガイ団長の低く抑えられた声は、あまたの戦場をくぐりぬけてきた猛者が持つ鬼気をおびていた。
おびえたアリは返答に窮して、目を白黒させる。
私は内心、ざまあみろと溜飲を下げた。
「デスタン侯、その辺りで。――カイマク侯に責は無い、侯を指名したのは私なのだ」
バリス府督が助け舟を出された。
「実は、9日前、別の討伐隊の千人を派遣したのだ。隊の主力はゼリハ・ヘペル卿が率いる第八団だ」
ゼリハ・ヘペルは最近団長に抜擢された盈侖侯の地位をもつヘペル家の令嬢だ。
実力ではなく、父親のカシム・ヘペル侯の縁故によって、第八団の団長となったのだともっぱらの噂だった。
「――第八団はゲチトの軍二千と協力し、『災厄の荒野』でジョルジと交戦した。その結果、千の騎士と二千の兵は全滅したのだよ」
さすがのトゥガイ団長も目を見張る。
もちろん私も驚いた。
「ただ団長のヘペル卿だけが無傷のまま見つかっている。ここでもジョルジは、女を殺さなかったことになるな」
「三千の兵を一人で全滅させたと仰るのですか?!」
「そうだ」
バリス府督は困惑した表情でうなずく。
「昨年起こったヒュリア皇女討伐の件と状況が似ていますな」
「言ってくださるな、デスタン侯、その件については、陛下から強いお叱りを受けている。その上に今回のこの事件……、胃がおかしくなりそうなのだ」
バリス府督は眉をひそめ、深く溜息をつかれた。
ヒュリア・ウル・エスクリムジ第一皇女。
皇女でありながら反意を抱き、帝国滅亡を企てたとして反逆罪に問われた重罪人である。
最高法廷で斬首の刑を言渡されるも、処刑前日に共謀者の助けを借りて脱走した。
ほどなく皇女討伐に向った聖戦騎士団第二団から、『災厄の荒野』で皇女を追詰めたとの報告が入る。
皇女は断迪刑を受け、魔導の力を失っていたため、討伐は時間の問題と思われた。
しかし、数日後に伝令が『災厄の荒野』に到着すると信じられない光景が広がっていた。
第二団のほぼ全員である五千の騎士が全滅していたのだ。
全滅の理由は明らかにされていないが、魔導によるでも、武器よるでもない手段で殺されていたそうだ。
遺体の顔は苦痛にゆがみ、皮膚はところどころ黒く変色していたと聞く。
皇女が使った殺害手段は不明だが、皇女自身についての詳細は帝国人なら誰もが知っている。
彼女は15歳で成人してすぐに『勇者号の闘儀』に参加し、そこでいきなり『二席の勇者号』を獲得する。
そして空席だった聖戦騎士団の第三団の長に抜擢された。
仇敵キュペクバルとの戦いでは数多の敵を殺し、“氷刃の皇女”としての名声をも博している。
次期皇帝を決めるための『選帝の闘儀』においては、他の皇子皇女を圧倒し、太子であった現皇帝メシフ陛下を完膚なきまでに叩きのめして、一時は皇帝権を手にしてもいた。
戦闘の天才と言っていい。




