お約束は破るためにある
夜空を見上げて、目を疑いました。
「これって、あれかな……」
そこには、白く輝く美しい月と青い光に縁取られた黒い月があります。
二つの月は、割と近い距離で輝いています。
もちろん、ここは地球じゃないでしょうね。
たぶん異世界です。
つまりこれは普通、異世界転生ってことですな。
まあ、普通かどうかは置いといて、ほぼ確実なはずです。
だとすれば、きっと僕はここでラノベの主人公のようにイケメンの勇者にでも転生して、可愛い美女達とハーレム生活を送れるかもしれません。
それこそがお約束の展開。
つまらん格差社会とはオサラバよ。
なんだか嬉しくなりました。
でもここで、あることに気づきます。
自分の両腕が冬の枯枝のように細く、無数のひび割れがあり、木炭のように真黒だってことです。
背筋を冷たいものが走り、悪い予感がよぎりました。
まさか、そんなことは……、ないよね……。
恐る恐る、近くにあった水たまりに自分の顔を映します。
そして、声にならない悲鳴をあげてしまいました。
悪い予感通り、そこには眼球まで焼け焦げた真黒なミイラのような顔があるのです。
思わず全宇宙に向けて突っ込みます。
「転生してないやろがいっ!」
こんなことになったきっかけは、あの日……、つまり成人式の日の夜のことでした。
僕は今年二十歳になるんで、早起きして、午前中に開かれる地元の式に顔を出すつもりでした。
ところで、僕には弱めの予知能力がありまして、悪いことが起きそうになると、ビビッとおでこに電気が走ることがあります。
第三の目ってやつですね。
その日の朝も、歯を磨いているときにビビッと来たので、こりゃなんかあるなと思いました。
弱めですけど、かなりよくあたり、それがあると必ずクローゼットやテーブルに足の小指をぶつけて、泣くほどの痛い思いをするんです。
だからビビッと来た後は小指をぶつけないよう、細心の注意を払って生活していました。
まあ、小指をぶつけなくても、別の悲劇が高確率で、やってはくるんですけどね……。
バスに乗り遅れたり、ものもらいになったり、答案用紙に名前を書き忘れたり……、みたいな……。
そうならないよう、そろりそろりと出かける準備を整えました。
家を出てバスに乗り、式の会場に辿りつくまで、とりあえず僕の小指は無事でした。
ホッとしたのも束の間、やっぱり別の悲劇からは逃げられませんでした。
外で式の開始を待っていると、ずっと交流のなかった中学時代の知人と出会ったんです。
彼とはクラスも違い、共通の思い出もなかったので、適当にあしらって別れるつもりでした。
しかし彼が、ふいにある事を口にしたせいで、思考回路がフリーズしました。
それは、僕が好きだった娘が、かなり前に亡くなっていたというものです。
彼女の名前は根元黎女。
いじめられていた僕を助けてくれた、強くて優しい女の子でした。
今も元気にやってるだろうと思っていた僕は、式が始まっても会場に入れず、外で立ち尽くしていました。
それで結局、式に出ることをやめ、彼女の墓があるY県へ行くことにしたんです。
彼女の墓参りを終え、東京の自宅に帰りついたのはその日の夜遅くでした。
黎女のことでひどく落ち込み、さらに日帰り旅行の疲れもあり、僕はふらふらになっていました。
そこで、成人になったんやろが、酒飲んじゃれ、と自分をはげまし、コンビニで酒とツマミを大量に買いました。
慣れない酒をしこたま飲んだことで少し気分が晴れ、二階にある自室のベッドへ倒れこみ、そのまま良い気持ちで熟睡。
しかし、これがまずかった。
ガスコンロでレトルトのおでんを温めていたことを忘れてたんです。
コンロの近くには酒とツマミの入ったコンビニのレジ袋を置いていました。
たぶん、それに引火したんだと思います。
火が家中に回り、僕は二階の自室で焼け死に、自宅は全焼してしまいました。
気づいたときには家の残骸の中で、真黒こげのミイラみたいな幽霊になって、立ちすくんでいました。
もちろん、最初は自分が死んだなんて思ってなかったんですけど、自分の姿が周りに見えてなかったり、話しかけても相手にされなかったりしたことで、やべぇ、死んでるね、こりゃ、って気がつきました。
死後の七日間、真黒こげの僕は、残骸を離れられないまま過ごすことになります。
なぜかといえば敷地から出られなかったからです。
出ようとしても、透明な壁にぶちあたり、押しても引いても通り抜けることができないんです。
霊体なんだから空を飛べるんじゃないかって考えて、思い切りジャンプしたり、腕を鳥のように羽ばたかせましたが、無駄な努力でした。
そして、ああこれが地縛ってやつねって気づいたわけです。
世間じゃ地縛霊は悪霊だとか怨霊だとか言われてますけど、僕のように何の怨みもないのに、特定の場所にとらわれている霊もきっといるのかもしれません。
何もできないまま七日が経ち、八日目になろうかとする夜、僕は突然意識を失い、気がつくとここに飛ばされてました。
この場所は鬱蒼とした森に囲まれていて、明らかに自宅があった東京の住宅街とは違ってます。
それに夜空に浮かぶあの黒と白の二つの月。
どう見ても異世界に決まりでよね。
だから期待したんですよぉ。
新たな人生の幕開けってやつを……。
でも現実は、真黒こげの地縛霊のまま。
転生しとらんのよ……。
泣きたくなりますが、眼球が焼けていて涙もでません。
そもそも、幽霊って泣くのかという問題もありますわな。
確かにハーレム勇者は高望みなのかもしれません。
だったら、悪役令嬢でも無職のベイビーでもかまいません。
百歩ゆずって、人間じゃなくてもいい。
蜘蛛でもスライムでもいいんです。
何でもいいから転生させてくれぇ!
そんな魂の叫びに応えるように、木々の間から何かが地面を這いずるような音が聞こえて、背筋がゾクッとなりました。
地縛霊の背筋を寒くさせるなんて、何という世界なのでしょう。
東京の住宅街と暗い森の中。
対照的な場所ですが、共通していることもあります。
一つはどちらも火災現場だってことです。
異世界のこの場所にも、きっと家があったのだと思います。
上三分の二が消失して炭になってる数本の柱、家の土台と思われる石の床、辛うじて膝の高さで残ってる丸太の壁。
家があったことの証拠ってわけです。
家の前には広めの空地があって、そこから空を見ることができます。
表面には乾燥した土が露出していて、雑草一つ生えてません。
代わりに切株が所々残ってます。
きっと家を建てるために、森の中に土地を拓いたんだでしょう。
周囲の森の中では木々が密集し、枝が重なりあっているので空を見ることも難しいでしょう。
もう一つの共通点は、この家からも離れることができないってことです。
地縛霊の宿命なんでしょうかねぇ。
自宅のときと同じように、ある程度の距離までいくと透明な壁にぶちあたり、それより先には進めないのです。
家の敷地と外との境界ってことなのかもしれません。
何度かトライしてみると、透明な壁は家をとりまく円周上にあることがわかりました。
どうしていいかわからず、倒れている炭の柱に腰掛けました。
そして、そのとき初めて柱の感触に気づいたんです。
つまり触覚があるってわけです。
自宅では地面以外には触ることができませんでした。
それに地面に触るといっても、触覚とは違い、圧力を受けているというだけのことです。
透明な壁と同じです。
でも今は違うんです。
明らかに炭になった柱のザラザラ感がわかるんですよ。
そこで自分の感覚がどうなっているのか、確かめてみることにしました。
まず視覚と聴覚ですけど、これは東京にいたときからありました。
眼球が無くても、耳が焼けて穴がふさがっていても問題ないということです。
嗅覚と味覚はどうでしょう。
炭の欠片を拾って、穴だけになった鼻に、そして開かない口に当ててみます。
鼻からは炭の匂いを、口からは炭の味をかすかに感じました。
結果として、僕は地縛霊なのに五感を失っていないことが判明しました。
一番驚いたのは味覚ですかね。
幽霊も味がわかるって、マジ発見でしょ。
でも、痛みや温度は感じられないみたいです。
確認が済むとやることがなくなってしまいました。
ただ、目の前の空地をぼーっと眺めるだけです。
するとふいに、空地の中央に、オレンジ色の光が浮かび上がります。
しばらくすると光は人の形になり、右腕を上げて僕に手を振ったんです。
驚いて立ち上がり、目をこすりました。
眼球が焼けて無いということは、とりあえず置いときましょ。
恐怖心と好奇心の間でとまどいながらも目が離せません。
すると人型の光は何かをしてくるわけでもなく、手を振ったまま、だんだん薄れていき、消えてしまいました。
何あれ、手を振るってことは友好のしるしなのか……?
精霊、悪魔、天使、それともお仲間の幽霊……?
でも、人型が消えて、ホッと一安心。
地縛霊のまま、これ以上ややこしいことに巻き込まれたくありませんからね。
しかし、安心したのも束の間、ポーンという軽いチャイム音が聞こえ、視界の中央に赤く光る文字が現れます。
それは日本語でこう書かれていました。
『耶卿を登録してください:氏名』
さらにその文字の斜め右下に別の文字と数字が浮かんでいます。
『消滅までの残り時間:6日29時間59分』
「何々、どゆこと、この文字なんなの、どっから出た?」
耶卿とは何ですの?
登録って、自分を登録すればいいのかな?
消滅って、まさか僕が消滅するってこと?
いやいや、そもそも、これ何なのよ?!
時間が経つにつれて、右下のカウントが減っていき、今は58分になっています。
疑問とパニックで頭が爆発しそうです。
(もしもぉし)
唐突に、頭の中で男の声が響きました。
驚きと恐怖で身体がフリーズしてしまいます。
(もしもぉし、聞こえますか?)