芸術はデボーション
もみじちゃんは、いいました。
ある日、青くてひくい、おおきな空の下。
「ゆきちゃん、だいきらい」と。
わたしはむけました。
そっぽをむいて、おこっていたから。
おなじかおをむけました。
「わたしもよ、もみじちゃん」
「もっと、もっと、だいきらい」
もみじちゃんのゆるくたれた、あかちゃ色のおめめからは、めらめら、ゆらゆら、心がとびだしました。
しずかで、ひっそりと、ぬくもりのあった声は、もうどこにもありません。
もみじちゃんのお口から、つきささる音だけが、ちいさくもれていました。
「ゆきちゃんは、いやだったんだね」
わたしに見せてきた、もみじちゃんの足もとには、おもいがくぶちがありました。
うんしょ、うんしょ、とかけ声にのせて、せなかにおんぶしてきたものです。
つめたいかぜにおされながら、がんばって持ってきました。
もみじちゃんなら、きっと、好きだといってくれるとおもっていました。
それは、きん色のつる草が、ふちのまわりをかざる、うつくしいがくぶちです。
そこにおさまるものはありません。
ただ、絵をおさえる台紙があるだけです。
わたしはその、ていねいにほられたふちだけで、じゅうぶんでした。
でも、いまは、まっ白の地面にうまっています。
きん色のふちの、すみっこがうまっています。
もみじちゃんは、あっちのほうをみていました。
わたしは、半ぶんだけ見えるかおを、見つめました。
「どうしてなの、もみじちゃん」
わたしはいいました。
がくぶちをゆびさして、ちいさく、首をかしげました。
もみじちゃんのあわい色のおめめから、ひゅる、ひゅるる、ひややかなかぜがふいてきます。
体にささって、いたいです。
心にささって、いたいです。
もみじちゃんが、ずんずんと、歩いていきます。
せなかを見せて、とおくへ、ずっととおくへ。
その先にはまだ、かれた葉っぱが、かさかさと音を立てています。
わたしがふみ入ることのできないばしょに、もみじちゃんはかえっていくのです。
つぎの日の、あさ。
木のえだからたれる、つららの森から、わたしは出ました。
がくぶちはまだ、まっ白くてつめたい、けっしょうの海にうもれています。
きのうとちがうのは、きん色のつる草のかざりが、見えなくなっていることです。
きんきんとかがやくおほしさまからふってきた、つめたいけっしょうが、それをかくしてしまっているのです。
わたしは、おひさまにみとれて光る、はくぎん色の地面をほりました。
見つけたがくぶちには、やっぱりなにもかざられていません。
がくぶちにおおわれたくぼみに、ぎん色のけっしょうがかたまっているだけです。
それは、ほんとうにうつくしい、1まいの絵になっていました。
もみじちゃんのことを、わたしはおもい出しました。
ひまわりちゃんに、会いにいったのだろう、とかんがえていました。
ひまわりちゃんをつれて、ふたりで、おさんぽをするのでしょう。
きっと、そのころには、もみじちゃんの好きなものであふれているはずです。
赤色の葉っぱも、あぶらをまぜた絵の具も、だれかがわすれていった本も。
わたしのしらないもので、もみじちゃんのまわりにあるものです。
いっぱい、おもしろいを見つけてきた、その足でまた、会いに来てくれるでしょうか。
そのときは、あたらしいものをたくさん、持ってきてくれるでしょうか。
わたしのがくぶちもわすれてしまうくらいの、ゆかいな、なにかを。