01 美少女以外はお引き取り願います!
目の前には、和服姿の可憐な少女がいた。
ミルクティ色の柔らかな髪が揺れる。真っ白な肌に、ピンクの唇がよく映える。何より、俺を見つめるその大きくて凛とした瞳は、空を思わせる美しい青。
これは夢か?現実か?
俺は確かに『VR不適合者』と診断されたはず。
じゃあ目の前にはいるのは、バーチャル世界の美少女じゃなくて現実の…?
ない頭で必死に考えを巡らせたが、気付いた時には俺は、頭を強く強打してその場に倒れ込んでしまっていた。
最後に見た彼女の姿はあまりにも近くまで迫ってきていて、もう少しでキスしてしまいそうな…。
そこまで考えて、俺は意識を手放した。
VR、所謂バーチャル・リアリティと呼ばれる技術が急速に進化し、世界に浸透して20年。現在の日本は圧倒的技術力を保有する他国にも負けず劣らずのVR大国となっていた。
元々、現実逃避願望が強い傾向にあるお国柄が功を成し、その技術が世界に知られるようになった当初は、VRを使ってリアルすぎる仮想世界にダイブし、魔王を倒したり異世界生活をエンジョイしたり、はたまた二次元の女の子とくんずほぐれつのムフフなあれこれを楽しんだりと、あくまで『娯楽』を目的とした商品として爆発的にヒットした。
しかし、技術の進歩とともにそれは急速に国民の生活を侵食し、今ではバーチャル世界で職を持ち、人脈を広げて恋に落ち、結婚に至る。そんなことが当たり前の世の中へと変化していった。
現実よりもよっぽど楽しくて便利なバーチャル世界。もはや生活に一部となっているこの世界に、人間はただただ魅了されていった。
ただし、一つ欠点を上げるとすれば、このVR技術は機械を使って脳へ直接的に電磁波を送ることで、人間の思想や感覚をバーチャル世界と一体化させるというものなので、身体的負担が大きい。
それ故に、満18歳を迎えたものでなければ使用することが出来ないのである。タバコやお酒と同じで、用法容量を守らなければ、ただの毒に成り下がってしまうのである。
秋月宗次郎。4月12日生まれの高校3年生。
クラスの中で誕生日を迎えるのが断トツで早いことを、これほど感謝したことはなかったであろう。
宗次郎は決して、バーチャル世界で職を見つけ夢を追いかけたい訳でも、色恋を楽しみたい訳でもない。
VR技術をふんだんに活かしたAV作品というものにも決して興味がなくはない。
ただ彼は、未だに中二病という不治の病に侵されているのである。
そう、彼は勇者になりたいのだ。
出来れば可愛いヒロインに囲まれて、ちょっとラッキースケベ的なイベントも挟みつつ。
そして、魔王を倒して世界を救いたいのである。かっこいい感じで。
秋月宗次郎などという無駄に立派な名前を授かって18年。昔からオタク気質だった彼は様々なものに影響されては挫折し、また挑戦しては挫折してを繰り返す人生を歩んできた。
そして早々と気付いてしまった。自分がいるべき世界は此処ではないのだと。
「ふっふっふ…、ついに俺は魔王を倒すため、旅の一歩を踏み出すのだ…!」
「魔王倒す前に、宗ちゃんには戦わなきゃいけない現実があるんじゃないの?」
4月12日、午後5時半。宗次郎はクラスメイトの親友・才原葵とともに放課後の学校を後にしていた。
「お前、俺が一足早く大人になるのが悔しいんだろ?3月生まれのお子ちゃまは苦労しますねぇ」
「悔しくないしお子ちゃまじゃない。正直VRとかどうでもいい」
「なんでだよ、ゲームの世界に飛び込めるとか男なら普通はロマンを感じるものだろ!お前の大好きな可愛い女の子とだって好き放題触り放題だぞ?」
「二次元とか興味ない。感覚があるって言ったって所詮は偽物。本物のおっぱいには敵わない」
「触ったことあんのかよ童貞」
顔だけが良いこの同級生を連れて訪れたのは、駅前にある大型電気量販店。目的はもちろん、VR機材を買うためである。
「何買うか決めてあるの?」
「もちろん、しっかりとリサーチ済みだ!俺の理想とする世界観、胸躍るストーリー、そして初プレイでも挫折する心配のない操作性!抜かりはないぜ!」
ゲーム売り場に足を踏み入れ、迷いなく手に取ったのは『ドラゴンハンター6』。昔からゲームマニアの中で愛されてきたシリーズの、VR版2作品目である。
「うーわ。超有名どころなうえに、5じゃなくて最新の6を選ぶ当たりがにわか臭くて見てらんないね。宗ちゃんの人生くらい無難でつまんない」
「ボロクソいうなお前。仕方ないだろ。6の方が面白いってネットで評判なんだから」
勝手に付いてきて勝手なことをほざく親友を尻目に、宗次郎はドラゴンハンターを手にレジカウンターの列へ向かった。
「待っていろ魔王…、ついに貴様との決着をつける時がきたのだ…!」
「あー、そうだ勇者そうじろう、明日の調理実習の小麦粉担当お前だから忘れんなよ」
「ムード壊すなよ!てか帰れよ!!」
年齢制限のためゲームをプレイすることが出来ない葵だったが、律儀というべきか暇人というべきか、結局宗次郎の家までついてきて、彼が夢をかなえる姿を茶々を入れつつ見守っていた。
「なになに、このVRゴーグルとヘッドホンを装着することで超リアル仮想空間へあなたを誘います…。なんかこれどっかで見たことあるけど大丈夫かな?大丈夫かなこれ?」
色々な面で不安を抱きつつ、説明書に書かれた通りに機材を装着、ベッドの上で横になった。
(ついにこの時が来た…!)
期待と興奮で震える手を抑えつつ、彼はスイッチに手を伸ばした。
…が、一向にゲームは始まらない。
スイッチを押せば同時に意識は仮想空間へとダイブし、ホーム画面から好きな設定やゲームへ移動できると説明書には書かれていた。
しかし目の前の景色は、ゴーグルの裏側から一向に変化なし。起動音は確かに聞こえたのでスイッチの押し間違いという事もないだろう。
強いて言えば、先ほどから顔にむず痒い感覚が走っているくらいのものだ。
「…おい、何してんだお前は」
「いやぁ、小麦粉忘れないように顔にメモしておいてあげようと思って」
ゴーグルを外せば、葵のなんの反省も焦りも見当たらないふてぶてしい顔がそこにあった。
やはりダイブは失敗のようだ。
「勇者になるんじゃなかったの?現実と向き合う気になった?」
「おかしいな。説明書通りにやってるんだけど…。まさか欠陥品…??」
「今日買ったばかりの最新型でしょ?それはないでしょ」
葵は宗次郎の手からゴーグルを奪い取ると、さっさと装着して起動して見せた。
「おい!年齢制限!」
「別にちょっとくらい平気だって。それにほら、何の問題もないみたいだよ?」
ゴーグルのみをつけた葵は、その場できょろきょろと頭を動かして見せた。どうやら問題なくホーム画面へ移行しているらしい。
その後何度も挑戦してみたが、結局その日、宗次郎が勇者になることは叶わなかった。
「おい勇者そうじろう。小麦粉忘れんなっつっただろ。顔にまで書いてやったのに馬鹿なのかお前は」
「あーもううるさい!悪かったよごめんなさい!」
お好み焼きを作る授業で小麦粉を忘れるという大失態を犯した翌日。申し訳ないと思いつつ、宗次郎の頭はそれどころではなかった。
「あの後も、結局うまくいかなかったの?」
「あぁ…。接続とかいろいろ、試してはみたんだけど…」
やはり欠陥品だったのか?長年の夢を叶えられなかったのもあるが、バイトでやっと貯めた大金が無駄になってしまう可能性もあるかもしれない。そう考えるだけで表情は暗くなる。
「…あの後調べてみたんだけどさ。宗ちゃんみたいに、うまくダイブできなかった人のブログをいくつか見つけたんだ」
やはり暇人なのか、存外良い奴なのか、葵はそのブログのページを見せてくれた。
「『VR不適合者』……?」
「本当に極稀に、そういう人がいるらしいよ。上手に脳とバーチャル世界をリンクできない人が。病院に行って一度見てもらえば?」
半信半疑のまま、藁にも縋る思いで病院に行って医師から言われた言葉は、葵の口から聞いたのと同じものだった。
「残念ですが、秋月さんは『VR不適合者』ですねぇ」
「それは…、なにか治療みたいなことはできるんですかね…?」
突き付けられた現実に体を強張らせながら、宗次郎は医師に救いを求めた。
「いやぁ、治療とか、そういう類の話ではないですからねぇ。一種の個性みたいなもんですよ。現実世界もバーチャル世界も同じ。結局現実世界で周りに馴染めないやつは、バーチャル世界でもつまはじきにされるってことですねぇ。悲しい現実かな。まぁそう気を落とさず。VRが出来なくても死にはしませんから。まずは現実と向き合うことから始めましょ、ね。」
走り書きで、青少年電話相談窓口の電話番号が書かれたメモを渡され、そのまま病院を後にした。
要するに宗次郎は、絶望的なまでにVRとの相性が最悪で、今後バーチャル世界へダイブすることは不可能だろうという事であった。
自宅へと帰っても電気をつける気力がない。ポケットに突っ込んだままぐしゃぐしゃになったメモ。それを握る手が震える。
「いややかましいわ!!!」
ビリビリと、乱雑に走り書きのメモを引き裂くと、ゴミ箱の中に力いっぱい押し込んだ。
「俺がいつ周りに馴染めてないって言ったよ!現実と向き合えてないって言ったよ!あぁその通りだよ俺はゲームの中でしか胸を張って歩けないクソ童貞野郎なんだよぉ!でもいいじゃん、こんな俺でもゲームくらいさぁ、夢見たって良いじゃんかよぉ……!」
突っ伏した枕がクソ童貞野郎の涙で濡れていく。
しばらくそのまま枕に顔をうずめていたが、宅配便の到着を知らせるチャイムの音で重い体を起こした。
荷物を受け取ると、それは訳あって別々に暮らしている母親からの、1日遅れの誕生日プレゼントだった。
久しぶりの母からの荷物に顔を綻ばせたのも束の間。中身は、先ほど夢が絶たれたばかりのVR専用ゲームソフト。しかも、ジャンル的に興味がなかった宗次郎でも知っているレベルのクソゲーだった。
「『幕末男子血風禄』。確かかっこいい幕末志士やらえっちな女忍者やらが出てくるビジュアルメインのゲームで、やけに戦闘シーンがグロかったり登場人物が頭おかしかったりで炎上したクソゲーだよな…」
パッケージの美しいイラストを眺めつつ、ため息と同時に笑みがこぼれた。
ゲームには疎い、歴史好きの母親らしいチョイスだ。
最近の流行りがわからないくせに、息子のゲーム好きを考えて、一生懸命選んでくれたのだろう。
「駄目元で、もう一回やってみるか…}
可能性があるとは思っていない。だけど、折角のプレゼントを開けもしないで放置するのは気が引けた。
昨日何度も試したため、もうゴーグルやヘッドホンの装着は慣れたものだ。
同じ要領でスイッチを入れる。しかし、当然何も起こりはしない。
「……、まぁそうだよな。母さんには悪いことしちゃったな」
今日は早く寝てしまおう。そう思ってゴーグルを外したその時だった。
「----…い!---------のか!?」
ヘッドホンからではない、部屋のどこからか、確かに人の声が聞こえた。
驚き、反射的に背後に視線をやると、そこには時代錯誤な和服姿。そしてその装いには似つかわしくない、柔らかなミルクティー色の髪を肩近くまで伸ばした、美しい顔立ちの〈少女〉の姿があった。
「……え!?あれ、なにこれ夢!?それともついにダイブが成功した!?」
1人あたふたと周囲を見回す宗次郎とは対照的に、落ち着き払った様子で宗次郎や室内の様子を観察する〈少女〉。
鋭く凛としたその目つきに射抜かれ、やっと宗次郎も体の動きを止めた。
宗次郎に敵意がないことを察したのか、〈少女〉は表情を柔らかくし、ふわりと笑いかけた。
そのことに宗次郎も安堵し、改めて部屋の状況や彼女の姿を凝視する。
間違いなくここは宗次郎の家である。という事はダイブが成功したというわけではないだろう。
ではこの〈少女〉はどこから来た?ただの不法侵入者?この和服姿は何かのコスプレだろうか?
ぐるぐるとない頭で考えてみたが考えがまとまらない。でも正直、そんなことはどうでもよくなるくらい、目の前の〈少女〉が可愛かった。
見惚れていると、その人形のような小ぶりで可愛らしい口がやっと開いた。
「あなたが私をここに連れてきたのですか?その不思議な格好は一体……」
彼女も現状に動揺しているらしい。不安そうな姿が庇護欲を誘う。
恐らく自分より年下であろう〈少女〉の不安を少しでも和らげてあげたい。その一心で彼は語りかけた。
「いや、俺もびっくりしてて!まさか君みたいな可愛い女の子がいきなり俺の部屋に現れるとか、ラノベか!っつってね!でも大丈夫!変なことはしないから!ちゃんと君のおうちまで送り届けるから!てか、君はどっからきたの?もしかしてゲームの中からとか?なーんてそんなことあるわけないよねぇ!エロゲじゃないんだからねぇ!」
緊張で早口になりながらもスラスラと飛び出してくる気持ち悪い言葉の数々に、宗次郎自身が1番ドン引いていた。なにしろ女の子と話すことなど滅多にないクソ童貞野郎なのだ。
とにかく、彼女がどこから来たか聞きださなくては。そう思いながら視線を泳がせていると、顔の真横すれすれを何かが風を切って通り過ぎていった。
なんだろうと振り返れば、壁に突き刺さった立派な刀。
もう1度視線を〈少女〉へ戻し、腰に目をやると、そこには収まるべき刀を失った鞘がぶら下がっていた。
恐怖でそこから視線を動かせずにいると、その上の方から、舌打ちと共に持ち主の可憐な姿からはかけ離れた声が聞こえてくる。
「何股のとこじろじろ見てんだよ気持ち悪りぃ」
「……はい?」
視線を上のほうへとずらすと、確かにそこには、良い匂いがしそうなふわふわのミディアムボブ。真っ白い肌にピンク色の唇。そして、空を思わせる美しく大きな青い瞳が、ゴミを見るような目でこちらを見つめていた。
「……あれ?」
「もうセリフから存在からすべてが気持ち悪い。しかも何も知らねぇとかつっかえねぇ。」
やはり聞き間違いではないようだ。間違いなくこの声は、目の前の和風美少女の口から発せられている。
「えっ……と、あれ、どゆこと?さっきまでの美少女は……?」
その言葉に見るからに機嫌を損ねたらしい目の前の〈少女〉は、つかつかと宗次郎に歩み寄ってくる。
あっという間に壁まで追いやると、着物の裾がはしたなくめくれるのもお構いなしに、壁に足をつき完全に宗次郎の動きを封じ込めた。
「俺の名前は沖田総司。美少女じゃなくて残念だったな童貞野郎」
あざ笑うような表情で宗次郎の顔を覗き込んだ〈美少女〉……いや〈美少年〉は、そのまま頭突きをかまして宗次郎を昏倒させてみせた。
これが、なんの取り柄もないオタク高校生・秋月宗次郎の、偉人変人入り乱れての半バーチャル生活の幕開けであった。