第六話 食卓会議
親父が出て行ってから、数分後。
俺はおっさんと共にリビングに向かった。
この後の振舞いによって、トネリコの処遇が決まるだろう。
だから、変なことをさせるわけにはいかない。
さすれば、おっさんはこの家を追い出されることに。
こんな妄言を吐くおっさんを野放しにはできない。
仮に異世界から来たのがホントなら行き場所もないだろうし。
何より、初め自分が手を差し伸べてしまったのだから、見過ごすわけにもいかなかった。
目標は、当面おっさんをこの家に縛り付ける許諾を得ること。
そのためには母に取り入ることが必須なわけだが――
いつもは三人しかいない食卓、そこに謎のおっさんが一人加わっている。
しかもそのおっさんは自称異世界の住人らしく……傍から見ればカオスな状況だ。
当人である俺ももちろん困っているわけで。
食卓に並ぶは、母の手作りカレー。そして父が用意したサラダ。
どこにでもあるありふれたメニューだ。
それはトネリコにとっても同じであるらしい。
それらを前にしても、何ら不思議がる様子はなかった。
彼の語る異世界にもカレーはあるのだろう。
また一つ賢くなった!
はぁ、心の中で何度目かわからないため息をついた。
しかし、待ちに待った夕食の時間なのに、まったく食欲がわかない。
胸の辺りがざわざわして胃が重たい。
それはおそらくこの場に漂う空気のせいだろう。
ただひたすらに重苦しい。
お通夜状態とはこのことを言うのだろうか。
去年、球技大会でうちのクラスが敗退した後の教室がこんな感じだったなぁ。
みんな絶対勝てると思ってたみたいだから余計に落ち込んでた。
「「「「いただきます」」」」
何がきっかけというわけでもなく、四つの声はおおよそ重なった。
遅れて食事の音がバラバラに鳴り始める。
誰一人として言葉を発することはない。
テレビもついていない。
そんな静寂の世界が、本来に賑やかなはずの食事の時間を支配していた。
父や母の動きはどこかぎこちない。
見知らぬ人といきなり食卓を共にしているから当たり前か。
俺は、さっき話したせいで、多少なりともおっさんの人柄を知ったから幾分かましだが。
それでも気まずいことには変わりない。
隣に座るのが、同じ迷い人でも可愛らしい子供とかだったらよかったのに。
だとしたら、このどうしようもない雰囲気も和らぐのになぁ。
しかし、現実そこにいるのは、哀らしい丸みを帯びたおっさんだ!
軽い絶望である。変な妄想しなければよかった。
しかし、まあ会話を切り出すきっかけも見つからなく。
とりあえず、両親の様子を窺うことは止めた。
ひとまず食事を済ませよう。そう思って皿との睨めっこを開始した。
初めにスプーンでご飯の山を切り崩す。
そして、それをルウの海へと沈めて、その無垢な色を茶色く汚す。
満足が行ったら、口の中へとぶち込んでいく。
それを幾度となく繰り返す。
無心に、自分に俺はカレーを食べる機械だと言い聞かせる。
沈黙は永遠に続くと思っていた。
しかし――
「いやぁ、おいしい! 絶品ですな、奥さん!」
そんな空気をものともせず、いきなりおっさんが叫んだ。
「鼻をつくは豊潤なスパイスの香り。ルゥのコクは非常に深い。
何よりジャガイモが入っていないのが素晴らしい。
おかげで、味がぼけていない」
おっさんは、いきなりカレーについて品評を始めだす。
おっさん、そんな無茶を……!
内心、かなりハラハラしていた。
とりあえず俺には見守ることしかできない。
「そして少し硬めのお米がいい。
噛めば噛むほどに、カレーの風味と合わさって、口内が幸せに包まれる。
わたし、こんなにおいしいカレーライスを食べたことありませんっ!」
おっさんは恐ろしいくらいに興奮していた。
その目はキラキラと輝いている様に見える。
お前はどこぞのグルメリポーターかよ……
確かに体型はそれらしいけれどさ。
よくもまあそんなおべっかを使えるもんだ。
呆れを通り越して感動すら覚えるぞ。
しかし、問題の母の反応は……?
やや恐ろしく思いながら、小さく窺ってみると――
あからさまなにこにこ笑顔、どう見ても機嫌がよいのだ!
あらやだ、なんて恥ずかしそうに口走ってやがる。
そんな母親のまんざらでもなさそうな反応は、息子の俺にはダメージが大きかった。
あからさまなお世辞なのに……この女のチョロさ加減に頭を抱える。
そして、その隣の旦那の方は誇らしげに胸を張っていた。
「そうでしょう! 家内の料理は最高なんです!
いやぁ、旅の人、お目が高いなあ」
おい、だめ親父、いいかげんにしろ。
なんでお前が調子に乗るんだ。
「もう、いやですよ、あなたったら」
母が照れた様に頬を染め、父を小突く。
全くすさまじい光景が繰り広げられている。
この夫婦、もう50近いんだぞ?
なんでそんな奴らのカップル感を見せつけられなきゃならない?
というか、今日、こんなんばっかだな!
ホームコメディドラマを見てるんじゃねえぞ、こっちは。
「お二人とも、仲がよろしいんですね!
それにこんな立派なぼっちゃんまでいらっしゃって。
ほんと、素晴らしい家庭ですなぁ!」
「いやいや……それほどのこともありますよぉ
なんて、がっはっはっは――」
気持ちよさそうに親父が笑い飛ばす。
この野郎、アルコールを入れ始めたらしい。
「どうですか、旅の人も一杯?」
「……いえ、ありがたいのですが、わたし下戸でして」
「あなた、ほどほどにしてくださいよ!
それにいつまでも旅の人って呼ぶのは失礼じゃありませんか」
「はっ、わたしとしたことが!
申し遅れました、トネリコ、と申します」
「これはこれは、ご丁寧にどうも。
尾張利治です。こっちは妻の安江」
「よろしくお願いしますね、トネリコさん」
唐突に始まる自己紹介タイム。空気感がよくわからない。
しかしこれは中々いい傾向では?
さすが商人というべきか、おっさんの取り入る能力には目を見張るものがある。
「トネリコさん、それでおかわりはいかがですか?」
「ええ、それは厚かましいのでは……」
どの口がそれを言う。
「構いませんよ。こんなに美味しそうに食べてくれるんだもの。
むしろ願ったり叶ったりですわ」
「ではお言葉に甘えまして――」
とうとうお代わりまでしちゃったよ、このおっさん。
あんた、さっき結構パン食べてなかったか?
なるほど、その見かけは伊達ではないということか。
いつの間にやら、トネリコのおっさんは場の雰囲気に溶け込んでいた。
先ほどまでの気まずさはどこへやら。
むしろ俺の方がなんだか居心地が悪くなってきた。
そのまま、楽しい雰囲気の中、食事会は進んでいった。
「「「「ごちそうさまでした」」」」
「で、トネリコくんといったかな?」
「ええ、旦那様」
食後のお茶を前にして、二人のおっさんが向かい合っていた。
俺は母の皿洗うの手伝いをさせら――しながらその動向に耳を傾けている。
「きみは遠い場所から来たんだが、すぐには戻ることができないと」
「そうなんです。困ったことにどうしようもないのです」
「行く当てはあるのかな?」
「それがこの土地は縁もゆかりもない場所でして……」
トネリコはしくしくと泣いたふりをする。
おっさんがしても全く効果はないだろうに……
『おっさんはこれからどうしたいんだ?』
『できれば、しばらくこの家においていただけるとありがたいです。
実際どうしたら帰れるかもわかりませんし』
『……まあ、俺もそれがいいと思ってたよ。
だったら、決して異世界の話はするなよ!』
親父が出て行ってすぐ後のこと。
俺たちは簡単な打ち合わせをしていた。
『すんなりと信じられる話じゃないんだからな。
頭がおかしいと、たたき出されるのが関の山だ。』
『まあ、そうなっちゃうでしょうな。
でもぼっちゃんの親御さんなら大丈夫では?』
『はっきり言うけど、俺もまだ信じ切ったわけじゃないからな』
そういうと、トネリコはやや不服そうな顔を見せた。
『とにかくその話は後だ。
で、設定だけども――』
とりあえず遠い海外の国から漂着したことにしておいた。
国を出た理由は、内紛から逃れるためということで。
当然だが、泣き落としの指示は全くしていない。
しかしこのおっさん、とにかく口が過ぎる。
油断していると、次から次へとボロを出しそうになるのだ。
その度に、俺はわざとらしく大声や咳払いをした。
おかげで母さんの視線が痛い。
「でもそういうことなら外務省とか大使館に任せないとだめじゃないの?」
家事を終えた、母さんが参戦してきた。
またしても正論を振りかざし始める。
「い、いや、それがそんな簡単な話でもないみたいで。
とにかく、そういうのはだめだ!」
「なんで、あんたが答えるのよ……」
「まあまあ母さん。
詳しい事情は晴信の方がわかってるみたいだし、息子を信じようじゃないか」
危ないところを、珍しく親父に助けられた。
「そういうことなら、暫くこの家に泊まっていくのはどうだろう?」
「そ、そんな、旦那様!?
本当によろしいのですか?」
「うん、それが一番良いと思うけどねぇ。
どうだい、母さんは?」
親父は思った通りの提案をした。
ここまでは予想通りだ。
後は母さんがどういうかだが――
「まあ、仕方ないわねぇ。
トネリコさんはいい人そうだし、いいんじゃない」
親父だけでなく、最終意思決定者の許可もでた。
結果としては、俺の目論見通りになったわけだ。
しかし、まあこれでトネリコが極悪人だったら――
いや、俺はおっさんを信じている。
実をいえば、この時点でトネリコの話をかなり真に受けていた。
おっさんと一緒にいれば何か面白いことが起こりそうだ。
それは俺が仄かに願っていた、日常を変える出来事になるかもしれない。
「とりあえず部屋はさっきの客間を自由に使ってください。
何か困ったことがあれば、遠慮なく晴信をこき使ってかまいません」
何をいうか、このくそ親父!
「ありがとうございます! よろしくお願いしますな、ぼっちゃん!」
「……どーも」
俺はおざなりに頭を下げた。
こうして、自称商人のトネリコが尾張家の仮初めの一員になった!
……―頭の中に謎の軽やかなBGMが聞こえた気がした。