第六十七話 おっさん逃走する
「連れ戻すってどういうことですか?」
真っ先に食って掛かったのは、寧音だった。
身を乗り出して、勇者と名乗った女性の顔をきりきりと睨んでいる。
当事者よりも先に声を荒らげるとは、こいつらしいというか。
まあ、わからないでもない。豊臣商店にとっても、死活問題なわけだし。
認めたくはないが、おっさんの尽力で、盛況になりつつあるのは事実だ。
……本当のところは、不思議なアイテムのおかげな気もするけど。
勇者の方に慌てた様子はなかった。
変わらず涼しげな表情で、少女の抗議を受け止めている。
その堂々たる様は、呼び名に対してしっくりくる。
「君たちも知っているだろう? 彼は元々こっちの世界の人間ではない」
「それはそうですけど……」
たんたんと語る勇者に、口ごもる寧音。
おとなしくなった幼馴染みを俺はすかさず引き戻す。
寧音ほどではないにしろ、俺にも思うところはあるわけで。
でも、彼女のように振る舞わないのは、おっさんが異邦人だと、よくわかっているから。
彼はここにいていい存在ではない。
だから、いずれこんな別れが来るとはわかっていたけれど――
でもこれは、あまりにも急すぎる。
俺はちらりと、トネリコの方を見た。問題なのは、本人の気持ちだ。
どこか浮かない表情で、じっと床を見ていた。
当事者にも関わらず、そんな態度とは……話に身が入ってないような感じさえさせた。
普段、底なし沼のように明るい彼からすれば、全く想像できない姿である。
思い返してみれば、この女性にあってからというもの、おっさんはその口数を空に減らした気がする。
よほど、勇者のことが苦手なのか。今もけっして目を合わせるようとしないし。
過去の話からしても、こいつは仲間たちにあまりいい印象を持ってなさそうだったわけで。
それを抜きにしても、ようやく元の世界に戻れるのだから、少しは嬉しそうにすればいいのに。
やがて、おっさんは顔を上げた。ぴたりと、彼と目が合う。
俺が見ていることに気が付いたらしい。
しかし、にこりともせずに、ただ難しい顔をしたまま。
「勇者様、迎えに来てくれたのはありがたいのですが。
わざわざ来ていただかなくてもよかったのですぞ?」
ようやく喋り出したと思ったら、なるほどこれはなかなか滅多な物言いだ。
その声色もとても不機嫌そう。
だが勇者は眉一つすら動かさない。無表情のまま口を開く。
「なんとしてでも、キミを連れ帰らないといけないんだよ。
そういうことを人任せにしたくないんだ、わたしは」
「……どういう事情ですかな?」
「ああ、それがね――」
勇者はちょっと間を取ると、今までの経緯を話し始めた。
魔王とは互角の闘いを繰り広げていた……少なくとも、勇者陣営はそう思っていたらしい。
魔族を統べる者の力は、彼らの予測よりも貧弱だったということらしいが。
しかし、その均衡がなかなか崩れなかったというのが、一番の問題でもあった。
トネリコが強靭に伏したことは、パーティの誰もが確認していた。
それでも、すぐに蘇生されなかったのは、単純に手が回らなかったから。
互いの勢力が拮抗していたせいで、誰一人前線から抜けるわけにはいかなかった。
「闘えど、闘えども、一向に戦局は楽にならない。
平坦な道がずっと続いているみたいに、一向に目的地が見えてこない気分だった。
かといって、手を休めるわけにもいかなかった」
「となると、あとは消耗していくだけになりますよね?
しかもそんな状況だと、補給路が断たれているのとほぼ同義だ」
「なかなか賢い子がいるじゃないか。キミの言う通りだよ」
勇者は俺に向かって、称賛の拍手をプレゼントしてくれた。
とてもわざとらしい渇いた音が部屋の中に響く。
「自分で回復するくらいの余裕があったが、それでもいつかは各自のリソースは底をつく。
そうなった者から、次々脱落していった」
「まさにじわじわと嬲り殺しに~ってやつですね!」
「なんで、安斉は目を輝かせてるんだよ……」
「ご、ごめんなさい、なんだかゲームのお話を聞いているみたいで……」
その言葉は、彼女の淑やかな見た目には大きなギャップがあった。
安斉って、ゲームとかするんだ……とても、意外。
これが、こういう雰囲気じゃなかったらもう少し掘り下げてみたい気もするが。
そんな場違いな好奇心を押し殺して、俺は勇者向けてにちょっと頭を下げた。
安斉もまたそれに続いてくれる。
それでようやく勇者の怪訝そうな表情が元に戻った。
そして、一つわざとらしく大きな咳ばらいをする。
「でもさ、それは敵――魔王の方も一緒じゃないの?」
「そうだね、我々もそう思った。しかし、すぐにそのトリックは判明したんだよ。
奴は無敵だったんだ。こちらが幾ら攻撃をしようとも、全く効き目がなかった。
にもかかわらず、それを勘違いして、無駄な特攻を続けてたわけさ」
勇者は自嘲気味に鼻を鳴らして唇を緩めると、肩を竦めてみせた。
「そんな有様だったから、わたしたちはやがて全滅した。
トネリコが生きていれば、アイテムの受け渡しがスムーズにいったからもう少し善戦できたかもしれないな」
「それが、おっさん――トネリコを必要とする理由ですか?」
俺の問いかけに、勇者は唇の端を持ち上げながら首を左右に振る。
「いや、それもあるが、一番の理由は他にある。
全滅した後、いろいろと調べた結果、魔王を倒すにはトネリコの枝と、それに選ばれしものの力が必要なんだ」
彼女は、おっさんの目を見つめながらそんな言葉を言い放った。
トネリコとトネリコの枝……ダジャレじゃねえか! それも相当質の悪い。
しかしとてもそんなことを声に出せる雰囲気でもなくて、俺は言葉をしまい込む。
それでも、表情が少しおかしくなることは止めることはできない。
傍から見れば、どこか神妙で不可思議さを剥き出しにした顔になっているんだろうな。
「それは、それはあまりにも勝手じゃあございませんか!」
トネリコが怒鳴り声を上げた。
そんなことをする彼の姿を初めて見た気がする。
こいつは、いついかなる時もどこかのんびりとした穏やかな奴だと思ってた。
「今まで、半ば除け者のように扱ってきたくせに。
いざその力が必要となれば、それをなかったかのようにして、頼ってくるなんて、あまりにも都合がよすぎる!」
「……それは――いや、その通りだ。済まなかった」
勇者は一瞬何か反論しようとしたのか、不自然に口を開いた。
しかし、そのような言葉はでなくて、代わりに謝罪の意思を見せる。深々と頭を下げてまでして。
やって来た沈黙は非常に重苦しかった。
直接の当事者でない俺は、ただただ息苦しい。
俺の友人たちも、かなり居心地が悪そうだった。
時折、寧音なんかとは視線がつい交錯してしまう。
「おおかた、こんな事情でもなければ、私を探そうともしなかったでしょうに」
「……魔王に負けて神の力で帰還した後、キミの姿が見えないのには気が付いていた。
信じてくれないかもしれないが、ちゃんと探し回っては見たんだ」
「さっきは魔王の無敵さの秘密を探ってたって言ってましたけど?」
「まあまあ、おっさん、落ち着いて。同時並行ってこともあるんじゃあないか?」
「その少年の言う通りさ。何を言っても無駄だろうけど。
とにかく、キミが異世界に飛ばされたと知って、こうして追いかけてきたのは事実だ。
さあ、帰ろう!」
勇者はぐっと右腕をおっさんの方に差し伸べた。
しかし――
「嫌です、帰りません!」
おっさんはその手を弾くと、いきなり立ち上がった。
そのまま、猛然とした勢いで扉を出て行った。
俺はその突然さに呆気に取られて、目を白黒させることしかできなかった。
「トネリコ~っ!」
そんな俺を我に返らせたのは、勇者と呼ばれる女の情けない叫び声だった。




