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第六十一話 不思議な本

「それでどうするんだ?」

 俺と寧音はバックヤード部分――休憩室に戻ってきていた。

 戸村も一緒で、安斉には申し訳ないが店番を頼んでいる。


 あまり広くない和室、家具は少ない。

 かつて、寧音の祖母が住んでいたこともあったが、持ち主がいなくなって久しいとのこと。

 中央には大きな丸机が置いてあり、そこで改めて依頼人と向かい合う。

 ちなみに慎吾は少しわきにどけてくれて、黙々と問題集と格闘していた。


「おじさんには朝先に話を通しておいたから。それでいくつかアイテムを用意してもらったわ」

「……大丈夫かよ」

「へーきへーき。ちゃんと説明は聞いていたからね。――それで、戸村君」

「は、はい!」

 突然名前を呼ばれたクラスメイトはなぜか背筋をぴんと伸ばした。

 その顔はどことなく強張っている。


 早くも緊張しているらしい。

 別に、そんな取って食われるわけでもなし。

 できればリラックスしてもらいたいんだけど。


「とりあえず足、崩せば?」

「あ、そうだね……では失礼して」

 ようやく彼は正座を止めた。

「戸村君は自分の性格を変えたいんだよね?」

「うん。自分でも、引っ込み思案で、臆病で、人見知りで、卑屈で、根暗で――」

「ス、ストップ! ストップ! いきなりそんなに卑下しなくていいから。ねっ!」

 すかさず寧音か止めに入った。

 見覚えのない優しそうな笑みを浮かべている。


「うう、ごめんなさい……」

「いや謝ることないからな」

「いきなり二人にフォローしてもらって……ああ、僕はどこまでダメな奴なんだ」

 彼は体育座りをして、俯いてしまった。

 暗黒のオーラが見える見える。


 まさにネガティブが服を着て歩いているというような……

 普段からいきなりスイッチが入るからな、こいつは。

 聞いている分にはまあ害はないけれど、本人としてはなかなかしんどいと思う。


「とにかく明るくなりたいってことでいい?」

「は、はい、まずは」

「それなら……ちょっと待っててね」

 そう言うと、寧音は立ち上がって部屋を出て行った。


 残された俺と戸村は、特に話すこともないので黙ったまま。

 俺たちの間には微妙に気まずい沈黙が漂っている。

 室内に響くは、我がクラスで一番頭の良い男がシャーペンを動かす音だけ。

 どうにも俺にはそれが耐え難くて。


「ま、そんな不安がるなよ」

「ごめんね、貴重な休日を無駄にしてしまって……」

「い、いや。そんなこと気にしないでいいよ。お前は客なんだから、もっとその堂々というか」

「む、無理だよ! そんな失礼だよ!」

「そういうとこだと思うぜ。まずは小さなことから始めよう」

「でも……」

「ほら、俺の言葉を繰り返して。早くしろ、幼児体型――」

 ごつん。頭にものすごい衝撃を受けた。


「痛ってぇーーー!」

 思わず頭を押さえて倒れ込んだ。

 凄い痛い。横になりながら、身悶えをする。


「ど、どうしたの、橋場君!」

 異変を察知した安斉が血相を変えてこっちにやってきた。

 入口に立つ彼女を見上げる形になって、あわや短いスカートの中が見えそうに――


「ごはっ!」

 しかし、今度は背中にまた一段と強い衝撃が。

 俺は力なく床に伏すしかなかった。

 畳の感触がひんやりとして気持ちいい。しかし、頭と背中には鋭い痛みが。


「寧音ちゃん! 何してるの!」

「悪い奴を倒したのよ。

 こいつ、わたしに対する冒険だけじゃなく、琴乃ちゃんのスカートの中まで覗こうとしてたわ!」

「え、ええっ!」

 友人の答えを聞いて、安斉が短いが鋭い悲鳴を上げる。


「ぬ、濡れ衣だ……」

「じゃあシロ?」

「ああ」

「やっぱり見たんじゃない!」

 激しい怒声。

「ごほっ!」

 なぜかもう一撃喰らった。


 ちょっと待って、さっきから俺は何で攻撃されてるんだ?

 滅茶苦茶痛いんだが。素手ではないことが確かだ。

 接触面積は小さく、どこか尖っていて、感触はとても固い。

 何か抉られる様な痛み。


「ほら。色まで答えた!」

「ま、待って、寧音ちゃん。その――」

 再び安斉の声がしたが、それはとても消え入りそうだった。

 少し間があって、複数の足音が聞こえた。


 今の誘導尋問は卑怯だと思う。

 シロって色のことかよ。無実って意味で使ってると思った。

 少なくとも文脈的にそっちの意味でとってもいいはずだ。

 相変わらず痛みで起き上がることはできない。


「大丈夫かい、大将?」

 その時上から声が。久しぶりにこの男の声を聴いた気がした。

「俺は何で殴られた?」

「本の角」

「道理で痛いはずだ……」

 抉るような痛みの正体が分かったところで、結局どうというわけでもないが。


「しかし覗きはまずいよ。警察沙汰だ」

 言葉とは裏腹に慎吾は楽しそうである。

 他人事だと思って、この野郎……!

 畳と睨めっこしているから見えないが、さぞ愉快そうに笑っているに違いない。


「そっちは冤罪だったわ、たぶん」

 反論しようとしたところに、寧音が口を挟んできた。

「どこ行ってたんだい?」

「立見君はデリカシーという言葉を知るべきね。あんたも角、いっとく?」

「どうもすいませんでした」

 変わり身がはやすぎるだろ、慎吾……


「ほら、あんたもいつまで寝てんのよっ!」

「誰のせいだと思ってるんだ……」

 寧音の手を借りて、ようやく起き上がることができた。


 安斉の姿はなく、慎吾は地面にひれ伏し、慌てた様子で戸村は俺を見ている。

 寧音は確かに分厚い青病死の本を持っていた。

 あれが暴行事件で使われた凶器か……それにしても一体何の本だろう?


「これはね、性格を変えることのできる本よ!」

 うわぁ、胡散臭そう。しかし寧音は大胆不敵に笑っている。

 戸村の方を見ると、やはり心配そうな顔をしていた……





 俺たちは再び机についていた。

 改めて落ち着きなおして、そもそもなぜあんな騒動になったのか。

 不思議でならないが、とりあえず殴られたところに瘤ができてなくてよかった。

 だが、結局寧音からの謝罪はなくて。 


「覗きは疑いにとどまったけど、悪口を言ったのは事実だから」

 それを指摘したら、むくれながらそんな言葉を返してきた。

 悪口とは……俺はただ事実を言っただけなのに。


「さ、戸村君。これを開いて」

 机の上に、彼女は先ほど持ってきた本を置いた。

 表紙にも背表紙にも何も書かれていない。

 ただ真っ青な本。どこか不気味ささえ感じさせるような……


「で、でも……」

 やはり戸村もそれを前にして、どこか怯えていた。

 当たり前だ。本を読むだけで、性格が変わるなんて信じられないだろう。

 自己啓発本というものがあるが、それについてはノーコメントで。


 しかし、寧音に頼んだということは不思議なアイテムの力を信じているということ。

 事実、本をかざしながら色々と今までの出来事を説明したが、彼はすでに知っているようだった。

 決め手は前回の薄井の一件らしい。ま、クラスの中でもかなり話題になっていたから。


「本当に大丈夫なのか?」

「トネリコさんは大丈夫って言ってた」

「それは大丈夫じゃないな。……どうする、戸村次第だぜ?」

「やってみるよ……不安だけど」

 戸村は不思議な本を手に取った。

 そして、ゆっくりとパラパラページを捲っていく。


 俺たちはそれを眺めていることしかできなくて。

 手持無沙汰に彼が本を読み終わるのを待つしかない。

 静かな室内には、本を捲る音と、何かを書く音だけがしている。

 慎吾のやつは、また集中モードに戻っている。

 さっきのは、あんまりにも騒がしくて、つい集中力が途切れたとぼやいていたのに。

 切り替えが早いのは羨ましい。


「なあ、読んでいる風に見えないけど」

「あたしに聞かないでよ。きっとそういうもんなんでしょ。

 パラパラ漫画みたいなもんよ」

「また懐かしいものを……」

「えっ? 教科書のすみに絵、描いたりしないの?」

 寧音はとても不思議そうに俺を見上げてきた。


「小学生じゃあるまいし、とっくの昔に卒業したわ」

「あんたね、もう一回角を食らいたいわけ?」

 眉を顰めて、怒りを露わにする暴力系幼馴染。

 なんだか痛みが蘇ってきた気分だ。


「それは止めてください、お願いしま――」

「……うるさいぞ、二人とも」

 ぴしゃりと、部屋の中に低く渋い声が響いた。


 聞き覚えのない声色。男の声だから、寧音ではない。

 当たり前だが、俺でもなく、慎吾は相変わらずペンを動かしているし……

 消去法からして、残るのは――


「……なんだ?」

 普段の様子から全く信じられないほど、鋭い目つきで戸村が俺たちを睨んでいた――

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