第五十八話 ああ掃除って、素晴らしい!
「やっぱりここは巻物シリーズでどうでしょうか?」
「いや、どうでしょうかって言われてもな」
この張り切りよう、かなりめんどくさいことになりそうだ。
しかも巻物ということは魔法の類だし。できれば止めて頂きたいけども……。
「洗い流せればいいわけですよね、教師どの?」
「ま、まあそうですね」
おっさんの剣幕に藤岡先生は少し押され気味である。
トネリコはその回答に満足したようだ。にっこりとした笑顔を浮かべて一つ頷く。
彼はまたいつもの得意げな表情で道具袋を漁る。
程なくして、中央で閉じるタイプの巻物がでてきた。
時代劇とかで見る感じのやつである。忍者アニメでもいい。
「こちら『氾濫の巻物』です!」
ドヤ顔で俺たちの方にどこぞの印籠みたく突き付けてくる。
「……使うとどうなるんだ?」
「辺りを水で押し流します。魔物に耐性がなければ百ダメージくらい与えますね」
「俺たちは掃除をしに来たってのは、わかってるよな?」
「ええ、もちろん」
トネリコは至極真顔な表情である。なんだか俺の方がおかしなことを言っている気分がしてきた。
なるほど。確かに、床にこびりついた聖水の汚れは洗い落とせるかもしらない。
その点で言えば、特に労力を使わないから大変便利だと思う。
が、しかし。一点、とても重大で致命的な問題が――
「びしょびしょになるよね?」
「ええ、なりますね」
また真顔。流石に今回はカチンときた。
「お、落ち着け晴信!」
掴みかかろうとしたところを、慎吾に後ろから羽交い絞めにされる。
「止めてくれるな、我が友よ! 少しぼこぼこにしないと気が済まない!」
「あのね、おじさん。結局それって水を拭く作業が発生しないかしら?」
なんと、この幼馴染に代弁されるとは……なんだか悔しい気分になった。
とりあえず解放してもらって、力に訴える代わりに目でいなしてみることに。
しかしおっさんは涼しげな顔をしている。こちらの怒りなどお構いなしということか。
その顔には、秘策があるんですと書いてあった。どうせ碌でもない。
「ぼっちゃん。人の話は最後まで聞かないと損ですぞ?」
「そうですね。トネリコさんのありがたいお言葉、痛み入ります」
「いえいえ、役に立ったのなら何よりです」
「てめえっ!」
「ああ、堪えて橋場君!」
今度は安斉にストップをかけられた。
釈然としないながらも、気まずくなって再び黙りこむ。
「水分など蒸発させてやればいいのです」
あ、これダメな奴だ。しかし、さっき言われた通り一応続きは聞こう。
「火炎のまきも――」
「校舎を消し炭にするつもりか、馬鹿!」
これぞマッチポンプ。そう言えばこれがこのおっさんの本質だったな。
「ええつ! いい案だと思ったんですけど」
「あのトネリコさん。流石に学校の責任者としては認められないというか……」
「先生殿に言われたらしょうがありませんな……」
彼は非常に残念がっている。テロリストか何かか、こいつ?
「もっと普通の道具はないの、おじさん?」
「そうですね~、とりあえず素早さでも上げときますか?」
おっさんの手のひらに乗っていたのは黄色い不思議な形をした木の実。
「久しぶりのドーピングアイテムだな」
「ううん。早く終わらせるには相当食べないといけない気がするんだけど……。
トネリコさん、効果時間は?」
「永続です!」
「日常生活に支障がでちゃうね……」
「逆に考えれば、スポーツで活躍し放題よ!」
「それで注目が集まったら余計に面倒くさい事態になるぞ」
こいつは本当に目先のことしか考えられないな。
「じゃあ二回攻撃が可能になる武器にします? こっちなら一時的ですよ?」
「いやモップモテなくなるからさ」
「モップとの二刀流でいいんじゃないの?」
この女……他人事だと思ってにやにやしやがって。
その武器とやらがなんにせよ、ダサいことこの上ない。
しかも攻撃って、いつから掃除はそんな物騒なもんになったんだか。
なに? モップをひたすらに振り回せばいいわけですかね。
「もういいからさ、真面目にやるしかないんじゃないの?」
案の定、まともなアイテムが一つも出てこないので、俺は完全に呆れ切っていた。
「うぐぐ、しかし敗北を認めるわけには……」
「お前はいったい何と張り合ってるんだか」
悔しそうに歯ぎしりする寧音の頭を軽く叩いた。
「さっさと始めましょう」
「そうだな、橋場の言う通りだ。じゃあ僕は立見とこっちから始めるから。
橋場はトネリコさんと向こうからよろしく」
廊下の端を順番に指さして、藤岡先生は右のほうに歩いて行った。
ようやく三階まで上がってこれた。
予想通り、なかなかにその作業は大変で。聖水って意外とべたべたして拭きづらいことこの上なかった。
ただそれ以外に特に異変はなかったのは幸いだ。
「効果てきめんでしたね」
「まあそこはよかったよ。もしそうじゃなかったら、本当に無駄な事しただけになっちゃうからな」
あの夜の様に、辺りに化け物が徘徊している。ということはなかった。
平穏無事そのもの。さっき外で感じた様に、異変はどこにもない。
「あーあ。せっかく魔法の杖を振り回し放題だと思ったのに」
「そ、そんなことしたんだ……。凄いね、寧音ちゃん」
「出たら出たでどうせ騒ぐだけだろ」
「そんなこと、ありませんっ!」
後ろから背中を殴られた。しかも消臭剤のスプレー缶で。
こんな風にくだらない話をしながら、俺たち四人は廊下を進んでいた。
つまり向こうは藤岡と慎吾の二人きりというわけで。
考えるだけで、気まずそうである。いったいどんな話をしていることやら。
「でもどうせなら雑巾がけレースとかしたかったわよね」
「またそんな小学生みたいなことを言いやがって……」
「でもわたしも寧音ちゃんもスカートだよ?」
「……今変なこと考えたわよね、あんた」
彼女にしてはそのトーンは低かった。明らかに不審が見え隠れしている。
「いや濡れ衣だから」
「はぁ、いやらしいったらありゃしない! 後で先生に言いつけるから」
「小学生なところはその見た目だけにしてくれ」
「なっ……おじさん。魔法の杖、早く!」
「は、はいっ!」
トネリコは慌てた様子で立ち止まって、手早く道具袋を漁り始める。
「待った! すみません、俺が悪かった!」
「今日こそは許さん!」
「ま、まあまあ、寧音ちゃん。橋場君も謝ってるんだし」
「……仕方ないわね、琴乃ちゃんに免じて勘弁してあげるわ」
よかった。焼かれるのだけは免れたらしい。
おっさんの前で、寧音をからかうのは自嘲した方がいいかもしれない。
ことある毎に、魔法の杖なんか持ち出されたらこっちの身が持たないぞ。
まあ冗談なんだろうけど、いつそれが本気になってもおかしくないわけで。
「しかしなんだかこういうのもいいですな~」
「どうした? ついに善なる心に目覚めたか?」
「ぼっちゃんの中で、わたしはどういう存在なんですかね……」
「もちろん悪徳商人だけど?」
一階の巻物騒動で、改めてその確信を深めていた。
「確かに私はお金儲けに興味があります。それは認めましょう」
「興味ってレベルじゃないと思うけどな」
「ま、まあそれは今回は勘弁してください。でもこういう穏やかな日常が嬉しいのですよ」
その横顔はとても楽しそうでどこか寂し気だった。
今まであまり意識したことはなかったけれど。
おっさんが元いた世界はここよりももっと物騒だったんだ。
そして勇者と一緒に世界を救う旅をして――心が休まる時なんてなかったよな、きっと。
胸中は決して俺には理解できないけれど、なんだかもの悲しい気がした。
「やっぱり元の世界に戻りたいよな?」
「ううん。どうですかね……ここでも商売はできますし。
それにその手段はさっぱりですからな!」
おっさんは豪快に笑った。それはとても強がりには思えなかったけれども。
「まあでも誰かが探してると思うから大丈夫だよ、おじさん!」
そんなトネリコのことを寧音が強く励ました。
「そうだといいんですがねぇ……」
おっさんはそんな風に少し自虐的にほほ笑んだ。
「そういえば、トネリコさんはこの廃校舎で目が覚めたんですよね?」
「ええ、そうですが」
「だったら、なにか手がかりがあるんじゃないかな?」
安斉の指摘はまさに目から鱗だったーー




