第五十五話 あの場所に再び
「それで何の用ですか、先生?」
「はっ、まさかいかがわしい行為に及ぼうと……!」
「いや豊臣? そういうことを軽はずみに口にしないでもらえるかな……」
藤岡は困った顔をして首筋の辺りをかいた。
帰りのHRが終わってすぐ後のことである。
俺と寧音は担任に呼び出しを食らった。
そのまま教室から職員室あたりに連れていかれると思ったら、道中の適当な空き教室で話すことになった。
廊下は一足早く自由を得た連中のせいで賑やかである。
時折、好奇心からかドアの窓から覗き込んでくる顔もあった。
その度に先生に呼ばれるというこのシチュエーションに対して恥ずかしさを感じている。
「トネリコさんの話、聞いたぞ」
「な、何の話ですかねぇ?」
寧音は下手くそな口笛を吹きながら目を泳がせている。
教科書に乗りそうな程、古典的かつ典型的な惚け方だ。
「あの人、異世界から来て妙なアイテムを売っているんだって?」
「えっ、もう先生の方まで噂が広まっているんですか?」
寧音が目を見開いて、開いて口に右手を当てた。
なんともまあ大げさな仕草をするもんだ。俺は隣で呆れていた。
「噂って何の話かな? 僕は進のやつから聞いたんだけど」
「あ、そっちか。なんなんですか、人騒がせですね!」
「それはお前の方だよ……」
惚けたり驚いたり怒ったり一々感情豊かな奴だな。あからさまに先生はひいている。
ちなみに噂というのは、薄井に頼んで広めてもらった豊臣雑貨店の話である。
寧音に頼めば、不思議なアイテムで色々な悩み事を解決してくれる。そんな話になっていた。
まあ薄井の頼みが犬探しだったので、てっきりペット探しの専門家と思われているのが実情だが。
しかし、学年にはそこそこ広がっている様で、寧音は何度か話があったと喜んでいた。
それにしても、進さん経由で担任まで話がいくなんて。
少しも想像していなかった。
ほんの少し前まで、この人たち疎遠になってたんじゃなかったか?
別に秘密主義はもう終わったからいいんだけど。
「で、なんです? 藤岡先生も何か頼み事ですか?
もしかしてカノジョへの贈り物とか?」
寧音は勝手に担任のゴシップを想像していやらしい笑みを浮かべる。
「あのなぁ、例の夫婦の顛末を聞いて誰がキミらに頼むと思う?」
「むっ、それは失敬ですね。やらかしたのは、この馬鹿とおじさんですから」
失礼な物言いで不躾な視線をぶつけてくる幼馴染。
そこまでされる謂われはないので、少しムカッときた。
「誰が馬鹿だ……学校サボったせいで数学の追試受けてる奴の方が馬鹿だろ」
「おっと、橋場君。その話詳しく――」
「だぁーっと、何でもない。何でもないですよ、先生!」
これまた面白いくらいにオーバーリアクションだな。
まあ先日のサボり行為が露見しかけているのだから無理はないけど。
「豊臣。その話は今度ゆっくりしような」
「……はぁい。もうっ、晴信余計な事言わないでよ!」
なぜだか俺は寧音に強く睨まれる。
「この世に悪の栄えた例なしってやつだ」
「誰が悪よっ!」
「あの、そろそろ本題に戻っていいかな?」
業を煮やしたのか、うんざりした顔をしながら藤岡が口を挟んできた。
「ああすいません。彼女に贈り物をするって話でしたっけ?」
「橋場……キミまでボケにまわらないでくれよ」
「実際のところはどうなんですか? 先生、カノジョいるの?」
「どうしてそれを生徒に言わないとならないのだね」
「ええっ! つまんない。一大スキャンダルなのに」
「そう言うのは著名な芸能人とどこぞの週刊誌に任せておけばいいんだよ。
って、僕は何の話をしてるんだか」
どんどん話が横道にそれていくのを改めて認識したらしい。
先生は少し強張った表情でため息をついた。
「あの先生、俺たちも時間ないんで早く用件を言ってくれませんかね?」
「花の女子高生は暇じゃないんだよ? アラサーダメ教師とは違うのです」
「なんで僕が攻められる流れなんだよ……」
「まあいい、単刀直入に言うが。キミたち、旧校舎に入ったな?」
なんと、俺たちの悪事はすでに露見していたらしい。
店の中に入ると、一般客がいた。この数日で初めて見た光景だ。
トネリコは笑顔で女性とやり取りを交わしている。
まあ当たり前というか、そうでなくてはこの店の経営が不安になるのだが。
俺たちの主目的が不思議なアイテムだから、なんだか奇妙な感じがした。
入口でずっと眺めているわけにもいかず、俺たちはずかずかと店の奥へ。
この人以外に客はいなかった。狭い店内はがらんとしている。
ちなみに今日のメンバーは俺の他にはいつもの二人と安斉。
慎吾の方は藤岡に呼び出された時に待っておくように言っておいたのだが。
解放された時、安斉はまだ教室に残っていたのだ。なんと俺たちを待っていたらしい。
興味があるから仲間に入れてくれと言われて、断る理由はなかった。
「そういえば奥様。こんなアイテムがあるのですが――」
少し離れたところで、俺たちはトネリコの接客具合を見守っていた。
すると、おっさんは台の下から何かを取り出した。
なんだろう、取っても嫌な予感がするぞ……。
「『快眠マクラ』です。これを使えばすっかり疲れが――」
「待て待て待て! 一般人に何売りつけようとしてやがる!」
すかさず二人の間に割って入った。
黙って見ていれば、このおっさんとんでもないことしやがって。
隙あらば、不思議なアイテムを取り出すんじゃない!
「いえぼっちゃん。この方が最近疲れが取れないというので」
見ると、お客――俺の母と同じくらいの年齢の中年女性はきょとんとした顔をしている。
何が起きているか、いまいちよくわかっていないらしい。
無理もない。いきなり謎のアイテムを持ち出され、謎の高校生が会計に割り込んできたのだから。
「今のは気にしないでください」
「そうなの? なんだか興味あるのだけれど」
何度か目をぱちぱちさせながら、彼女は少し困った様な顔をした。
「いえ、その胡散臭い商品なんで!」
こんなこと店側の人間が言うのもどうかと思う。
しかし他に言葉が思い浮かばなかった。
「ありがとうございましたー」
なんとか女性客も引き下がってくれて一段落した。
頭を深々と下げて、彼女が完全に店から出て行くのを待つ。
「で、トネリコ。どうして今の人に不思議なアイテムを売ろうとしたわけ?」
「ぼっちゃんたちも見てるからいいかなと」
「いいわけあるかっ!」
そのノリの軽さに思わず声を荒げてしまった。
「もしかして今までもこういうことしてたんじゃないだろうな?」
「そ、それはないです。今のが初めてです!」
必死な顔で弁明するおっさんの顔をまじまじと見つめる。
それは嘘ではないように思えたけれど……とにかく信じることにした。
「これからは気を付けろよ」
「はい、わかりました……」
「まあまあ晴信。少し言い過ぎだよ?」
しょんぼりするおっさんの見方をし始める店のオーナーの孫。
「いやいや、お前なんで止めに入んないんだよ?」
「別にいいかなって」
「まだ早いと思うけどな、その段階は。ちゃんと相手を選んで売るべきだと思うぜ」
「う~ん、そうかなぁ……」
寧音は納得いってない様子だ。こいつ、散々苦労したことを忘れたのだろうか。
「おっさんはとにかく、まだまだ不思議なアイテムは信用ならないからな。
不特定多数に売った時、トラブル対応が非常にめんどくさくなるぞ」
「まぁ確かにそうかもね。晴信の言う通り、まだしばらくは学校関係者に限定するわ」
それでもまだ奴の顔は渋かった。まあ早く次のステップに移りたい気持ちもわからないでもない。
しかし、こいつらの能天気さを目の当たりにして。
自分が心配しすぎだと、馬鹿らしくなってくる。
なんだかどっと疲れを感じた。
「それでおじさん! さっきのマクラは?」
「ああ、『快眠マクラ』ですね。これはどんな魔物すら寝かせることのできる最強のマクラです!」
「それ遠回しにさっきのお客さんを魔物扱いしてませんかね……」
「そんなことありませんぞ、探偵殿。比喩表現です!」
三馬鹿のあほらしいやり取りを聞きながら、俺はぼんやりと店の中を眺めていた。
「いつもこんな感じなの?」
そんなところに安斉が話しかけてきた。
「まあな。馬鹿らしいだろ?」
「ううん、とっても楽しそう!」
彼女は目を輝かせながら、にっこりとほほ笑んだ。
何はともあれ、気に入ってくれたのなら別にいいか。
「なんだよ?」
三馬鹿から意味ありげな視線を向けられていることに気がついた。
まあどういう類いのものかは想像がついたけれども。
「べっつに~?」
にやにやしながら。とても含みをもった口調だ。
「寧音、お前なぁ」
「ま、ま、ぼっちゃん。ここは抑えて。
それで、その方が今日のお客様ですか? 昨日もお会いした気がしますが……」
「いえ、私はーー」
「違う。まあ、彼女の事は後で説明するから。そもそも今日は客はいない」
俺たちが豊臣雑貨店にやって来たのは別件だった。
それは、あの藤岡とのやりとりに関わってくるもので。
「もう一度旧校舎を探索しに行く!」
そう。非常に億劫だが、俺たちはせざるを得ないのだった……




