第五十一話 噂話はすぐにひろまって
教室はやけに騒がしかった。
いつもそうなんだけど、今日はなおさらうるさい気がする。
その内容が俺たちに関係することな気がして、なんだか気分が落ち着かない。
一緒に入室してきた寧音の方は全くなんともなさそうだけど。
その能天気さは少し羨ましい。ほんの少しだけどな。
入ってすぐのところで奴と別れた。
俺は廊下側、そしてあいつは窓側からそれぞれ二列目の座席だ。
疎らにそびえる人の壁を自在によけて、自分の席を目指す。
「おはよう」
慎吾が読んでいた本から顔を上げた。
「ああ。おはよう。ニュース見たか?」
話しかけながら、雑に鞄を机の上において俺は椅子に座る。
「未確認飛行物体のやつだろ? ネットで話題になってるっていう」
「あれ、絶対『魔法の絨毯』だよな」
誰に訊かれてるかもわからないので、俺は一段と声を潜めた。
まあ、こんな目立たない二人組の話、誰も興味はないだろうが。
「ぽいよねぇ、シルエットが波打ってたし。なんか人影見えたし」
「……恐るべきは現代社会の技術だな」
「何くだらないらないこと言ってんだよ、晴信……」
慎吾は眉を顰めて呆れる表情をした。
だって、まさかあんなにはっきりと映るとは思っていなかった。
現代のカメラの技術とはなんて素晴らしいことだろう。
とは、全くトネリコじみた感想だけれども。
そして、それをほぼ大多数の人が有しているわけで。
やれ何があったら、スマホで動画を取ってSNSにアップする。
まるで一億総記者社会だ。どこでも誰でも報道の真似事ができるわけである。
「みんなかなり盛り上がってるぜ~。どうする、晴信?」
「どうもこうもないだろ。俺たちだってバレてないんだから、毅然とした態度で接するべきだね」
流石に飛んでるシルエットが遠すぎて、映像から正体に至ることはできなかった。
それに離発着は人目につかない場所で行ったし、大丈夫だろう。
誰もあれが空飛ぶ絨毯だとは思わないし、それを使っていたのが俺たちだとも気づけない。
二度と『魔法の絨毯』を使わないようにすれば、怪現象として処理されるはずだ。
人の噂も七十五日というやつである。
「しかしまさかこの僕がクラスの話題になることができるなんて」
なぜか慎吾は嬉しそうである。
付き合いが始まってから二年は経つが、こいつに関しては未だによくわからないことだらけである。
「厳密にいえば、おっさんの不思議なアイテムだからな」
「まあ一枚噛んでるのは事実じゃない」
「この騒動の発端ともいえるがな」
俺は呆れた気持ちで言葉を返した。自作自演という言葉が浮かんだのは内緒にしよう。
こいつが空を飛びたいなんて、某動物のなりした機械に頼むようなことを言い出したのが始まりだ。
それがなければ、『魔法の絨毯』は発掘されなかったわけで。
と思ったが、遅かれ早かれあのおっさんの性格を考えると出てきていた気はする。
もちろんこいつを責める意思など毛頭ない。俺だって一緒になって空中遊覧を楽しんだし。
「まあしかしびっくりはするよね。いきない全国ニュースでこの街が映るんだからさ」
「逆に言えば誰かが俺たちが飛んでるのを見てたってことだろ」
「そうなるね。クラスの中でもそういう人いるみたいだし」
「まじでか」
ううん、となると先の見通しが甘かったかな。少し不安になった。
一時の好奇心に負けた自分を恨む。
あまりおっさんの不思議アイテムが人目につくのはよくないとわかってはいた。
しかし、『魔法の絨毯』と聞いてロマンを感じない人間がいるだろうか。いや、いまい!
これ以上話していても気が重たくなるだけだったので、俺は露骨に話題を変えることにした。
「そういや、うわさ話と言えば旧校舎の話はどうなった?」
あの夜中の探索以来一切続報を聞いていなかった。
「別に何も聞かないなぁ。あ、ただこの間潜り込んだ奴はなんだか床がべたべたしてたって」
「どうみても聖水の影響だな。本当にありがとうございましたってやつだ」
あれ、本当に効いたのだろうか? 一度観に行った方がいいかもしれない。
「まあでも以前みたいに、実際にこの目でお化けを見たって話は聞かないかな」
「やっぱりトネリコの仕業だったんかねぇ」
「あの巨大ネズミとかはそうだろうけど。
でも、怪談自体はトネリコさんがこっちに来る以前からあったからねぇ」
慎吾は意味深にほほ笑んだ。どこか維持の悪さを感じた。
「ま、俺は再び寧音が興味を持たなきゃ何でもいいさ」
「確かに……しばらく冒険はうんざりだ」
俺たちは顔を見合わせて笑った。
「何話してるのよ?」
俺たちが楽しそうにしているのが気になったのか、その当人がこちらにやってくる。
「別に、何も」
「ま、男子が隠すと言えばどうせエッチな話でしょ? あーやらしー」
「例えそうだとしても、お前のことでそういう話題にはならないから安心しろよ」
「それどういう意味よ!」
それにしてもいつも通り朝っぱらか元気な奴だ。
そのキンキンとした金切り声は少し耳に突き刺さって痛い。
「晴信君は安斉さんに夢中ってことだろう?」
ゴシップ野郎がニヤニヤしながら後ろから身を乗り出してきた。
またそれかよ、俺は辟易しながら窓側の方へと目をやる。
それはちょうど安斉のいる方向でもあって、ぴんと背中を張って友達と話す姿が目に入った。
その時、彼女がちょっとこちらの方を振り向いた。刹那の間、目があった気がする。
しかし次の瞬間には、また後ろ姿しか視界に入らなくて。
俺はさっきの出来事が現実か、気のせいか。いまいち判断がつかなかった。
「朝、私のこと見てたよね、はる――尾張君?」
隣を歩く少し背の高い少女が首を傾げた。その顔には悪戯っぽい笑みが宿っている。
「ん、ああ、そうだけど。やっぱり気づいてた?」
「もちろんですよ~」
俺の言葉に、彼女はにっこりとほほ笑んだ。
笑うと彼女の目が細くなることを俺は最近知った。
それだけじゃなかった。
ほんの数日前までは特に関わりのないクラスメイトだったのに。
ここ二三日で随分とこの人のことを知った気がする。
それはまだほんの一部なんだろうけど。
「それでどうして私のこと見てたのかな?」
「気に障ったのならごめん。別に他意はなかったんだけど」
「あ、ううん。そうじゃなくて、……しかったというか」
終わりの方はよく聞き取れなかった。しかし、彼女が顔を赤くして照れているのはわかる。
はずかしくなる様な事を言ったのかもしれない。
「あとね、もう一つ訊きたいことがあるんだけどいいかな?」
「ああ、もちろん」
「放課後、寧音ちゃんや立見君と一緒に何してるの?」
「な、なんだよいきなり……」
思わずドキッとした。
今朝からの『魔法の絨毯』撮影騒動があったせいで、余計に不安になる。
「実は私、昨日見ちゃって……」
彼女の顔はさっきまでの楽しそうなものから一気に曇った。
言いにくそうにした唇をかんでちょっと俯いた。
そしてその意味深な言葉で俺の脈拍が一気に上昇する。
心臓が今にも胸を突き破って出てきそう。
この娘、いったい何を知っているというのか。
嫌な予感が浮かんで、胃の中がぐるぐるとしている。
「何を見たんだ?」
「尾張君たち三人と、パン屋のおじさんが裏山に入っていくのを。なんか変な絨毯を持って」
少しだけほっとした。決定的な場面を彼女は目にしていないらしい。
「その後、空に謎の影を見て――あれ、動画のものとそっくりだったなぁ」
漠然とした言い方だったが、こちらに対する当てつけの様なものを感じる。
うん、先ほどの安堵感は一気に吹っ飛んだ。
やばいな、安斉は何かに勘づいているのかもしれない。
「いや、あれだよ。この間、寧音が悩み事相談受付みたいな話してたろ? あれの手伝いさ」
「そうなの? でもどうして山の中に――」
「安斉さんは何か相談事とかないのか?」
強引に彼女の言葉を遮った。それでもまだ彼女は怪訝そうな顔をしている。
「えっ、うーん……ないかな」
「そうか。もしあったら、寧音に気軽に話してくれ」
「うん。そうするね。それでさっきの話だけど」
やはり誤魔化しきれなかったか。次はどうしたものか、そう考えていると、ポケットでスマホが震えた。
チャンスだと思った。俺は彼女に断ると通話に応じる。寧音からだ。
「今どこ?」
「帰路」
「じゃあ今すぐ学校に戻ってきなさいな」
「なんで命令口調なんだよ」
「お客よ、お客。いい人が見つかったわ」
「あいよ。すぐ行く」
「今日はやけに素直ね――」
そこで通話を切った。もう用事は済んだ、と判断した。
「寧音ちゃん?」
「ああ、そうだけど……よくわかったな?」
「なんとなくね」
そう言うと、彼女は曖昧に微笑んだ。
「悪いんだけど、ちょっと学校に戻らなきゃ行けなくて」
「うん、わかった。じゃあまた明日ね」
安斉は一瞬寂しそうな顔をしてが、すぐに笑顔を浮かべて小さく手を振った。
「ああ、また明日な安斉さん」
俺はそう告げて、踵を返して歩み出した。
「あ、そうだ。一つあったな、悩み事」
俺は足を止めて、もう一度彼女の方を見る。
彼女は真剣なまなざしを俺に送っていた。
「最近よく一緒に帰る人が少し他人行儀なんです。
『安斉さん』って呼ばれるのが少しこそばゆいなって」
「そいつにはよく言い聞かせておくよ、安斉」
「名前で呼んでくれてもいいんだけどね」
最後にえへへと無邪気に笑うと、彼女は駆け出して行ってしまった――




