第四十七話 妻の怒りの鎮め方
「さてここで一度状況を整理したいんだけど」
色々なことがありすぎて、あまり頭が追い付いていなかった。
「いいんじゃないかしら」
「まず進さん、今里奈さんはどこに?」
「家にいると思うが」
「でもさっき通りがかったらお店閉まってましたよ?」
「まじで!?」
進さんは目を大きく見開いて何度かまばたきを繰り返した。
この人が知らなかったなら、里奈さんがやったということになる。
しかしその理由がわからない。可能性はいくつか思い浮かぶけども。
例えば暴れまわった後我に返って世間体が気になってきた、とか。
あるいは単に進さんが失踪したからパンの供給が追い付かなかったって線もある。
「まあとりあえず家にいるということにしておきましょう。
いなかったら後で考えればいいわ」
「またお前いつもの行き当たりばったりを発揮しやがって」
「実際仕方ないじゃない。それとも、あんたには里奈さんがどこにいるかばっちりわかるっていうの?」
「……普通に電話してみればどうだ?」
「あっ」
寧音がその手があったかという顔をする。
どうも不思議なアイテムが身近にあるせいで、逆に視野が狭くなっていた様だ。
それで進さんに奥さんに電話するよう頼んでみたのだが。
「出ねえな」
空しく呼び出し音が鳴るだけだった。
それでももう一度かけてみると、今度は繋がらない。
どうやら着拒されたらしい。
「家の電話の方にかけてみるのはどう?」
「ああ、やってみよう」
再び進さんがスマホを操作した。
「もしもし俺――」
その言葉を言い切る前に彼は苦い顔をした。
「切られた」
「でも家にいるってことですよね」
「そうなるな」
ということで、里奈さんの居場所問題は解決した。
さて次は――
「いやはや電話というのは便利ですなぁ」
この世界の文明の利器に感心しているこのおっさんに訊くべきことがある。
「ありゃ、トネリコの所にはないのかい?」
「ええ。この場に居ながらにして、遠くの人と会話する手段はありませんでした」
「えー、魔法とかないの?」
「ないですねー。あ、でも時折神様からお告げが聞こえてくることはありましたけど」
放っておいたら会話が脱線していた。
まあ気になるのはわかるけど、ここは抑えて欲しいところだ。
「異文化コミュニケーションはまた今度にしてくれ。
おっさん、『怒りの指輪』ってなんだ?」
「あ、忘れてた」
今度トネリコに頼んで記憶力を強化する薬をもらおう。
それをすぐこいつに投与してやるのが、幼馴染としての責務だろう。
「ええとですね、現物があればいいんですけど……」
おっさんは鈍い口調で頭を掻いた。
「端的に言えば、対象への怒りを増大させあらゆるパラメータを上げる指輪です」
「そんなもんを今あいつがつけてるっていうのか!」
「はい、おそらくは。進殿の話からすればその可能性が高いです。
なんたって『力の指輪』と見た目も似てますし」
「もっともらしく言ってるけど、全ての元凶はお前にあるんだぞ?」
「それはわかっております。ええ、この度は大変申し訳ありませんでした」
豊臣雑貨店の責任者代理が深々と頭を下げた。
それはあまりにも丁寧すぎる所作で、逆に慇懃無礼に見えた。
そもそもこのおっさんの正体は悪徳商人である。対立している二ヵ国の間で武具を売り捌く程の。
なので本当に反省しているかは怪しいと思われる。後でよく言い聞かせなければ。
「そもそも対象って何?」
「指輪を付けて初めて目にしたものですね」
「ああ、なんかすりこぎに似てるね」
何言ってんだ、こいつ?
少し考え込んで、刷り込みと言いたかったことが分かった。
相変わらず、ノリだけで言葉を覚えてやがるな。
というか、逆にすりこ木の方が難しいと思うけど。
長い付き合いながら、こいつの知識の源泉は不明である。
「それって結構ポンコツな道具だよな」
「ええ、所謂呪いの装備です」
「いやそもそもその呪いの装備ってやつを知らないから……」
「自分じゃ外せなくて、デメリットのある装備のことですよ~」
「次『そんなことも知らないのか、この馬鹿は』みたいな口調をしたらデコピンな」
「あははは、ほんのジョークですよ、ジョ――」
ばちん。イラつきがピークに達したため結局執行した。
「つまり今里奈は俺に対して激しい怒りを抱いている、と」
進さんは神妙な顔をしている。
「そういうことになりますね」
「じゃあどうすればいい?」
「もちろん指輪を外すことができればオーケーです」
「でもそれは俺じゃあ難しいよな」
「ですね。おそらく時間が空いたので、先ほどよりも里奈様のステータスは上がっていると」
元々の力がどうだったかはわからないが、おそらくただで済みそうにないと思う。
腐ってもトネリコのアイテム、その効果は認めたくないが折り紙付きだ。
「だったら、あたしたちが行けばよくない?」
俺は寧音の言葉に頷いた。俺たち三人は怒りの対象ではない。
なにより朝、何のトラブルもなく接客ができていたみたいらしいし。
ということは、対象以外の人物に対しては普通に振舞えるに違いない。
「いえ、それがダメなんです。呪いの装備を外すためにまず解呪する必要があります」
またファンタジー用語が出てきたか。
「つまりおっさんじゃないとダメと?」
「いえ、そのですね……」
なぜかトネリコは言い淀む。
「ちゃんと言え」
「私にも無理でして」
「はあ? じゃあどうするんだよ」
「でもできる人なら心当たりがあります」
そこで商人は進さんをじっと見つめるのだった。
雲一つない良く晴れた空の下、太陽はやや沈みかけながらも元気に輝いている。
ここは公園の広い広場、遮蔽物は何もない。
辺りでは、そよ風に木々の枝葉が揺れている。
今この場で一組の夫婦が向かい合っていた。
夫の方は満身創痍、経っているのもやっとという状態である。
そして妻の方は息を荒げてまさに臨戦態勢といった感じ。
対峙してしばらくたつというのにそれは収まるところを知らない。
「なあ本当にこれで大丈夫なのか?」
「ええ、解呪ができない以上これしか方法がありません」
「でもだからって、こうして怒りを発散させるなんてねぇ……」
寧音は渋い顔をして頭を左右に振った。長い髪がふわりと揺れる。
呪いの装備には二種類ある。解呪しなくては外せないものと、しなくても消滅可能なもの。
前者は呪いを解く手段さえあれば何度も使える。
しかし後者は効果を発揮したらなくなってしまう。ただ解呪できれば使い回しはできるらしい。
そんな風にトネリコが教えてくれた。
『怒りの指輪』は後者のタイプだった。
この場合の効果とはすなわち怒りの発散ということ。
それで藤見夫妻をこうして誰にも迷惑の掛からない場所で引き合わせたわけだが。
進さんは愛しの妻がこれで元に戻るならとやる気満々だった。
里奈さんの方には事情を伝えず、寧音に迎えに行かせた。
そして顔を合わせるなり壮絶なファイトが始まった。
始まりはまず罵詈雑言から。日頃の恨み辛みをひたすらに奥さんがぶつけていた。
それから段々と手が出て行って、中々なバイオレンスな光景だった。
ここに武器がなくてよかったと本気で思う。
「進さんのバカ―――!」
最後の一撃は、切ない思いを抱く。それは見事な足を使った金的だった。
フジミベーカリー店主の身体がゆっくりと地面に崩れていく。
俺はそれ以上見ていられなかった。傍観者の俺でさえ肝が冷える思いがする。
おそらくトネリコも同じだったのか、奴も青い顔をしていた。
そんな中、寧音だけがケロッとしている。
倒れ込んだ男の身体はピクリともしない。
その痛みは想像を絶するものだ。激しくその場にのたうち回りたくなる程に。
俺も遠い子供時代に覚えがあった。
「だ、大丈夫なの、あれ?」
「……お前にはわからないだろうな」
決して女性にはわからない衝撃なのだ、これは。
とりあえずいつまでもただ見ているわけにもいかず。
俺たちは二人の所に近づいていった。
里奈さんは、夫の近くでただ呆然とと立ち尽くしている。
彼女のことも気になったが、今はこっちの男の方を何とかしなければ。
「進殿、大丈夫ですかな?」
返事はない、ただの玉無しのようだ。
「おっさん、急速に傷をいやすアイテムは?」
「『癒しの杖』なんてどうでしょう?」
さすがトネリコ用意がいい。俺が言うや否や先端に青い石が付いた杖が出てきた。
「あたし、振りたい!」
いつかの魔法使いコスプレで味を占めたらしい。
彼女ははしゃぎながら杖を受け取ると、それを空中で振りかざした。
すると、進さんの身体の下からじわじわと淡いグリーンの光が湧き上がってきた。
見る見るうちに彼の身体が光に球形包まれていく。
そして一際激しい輝きを放った後、泡が弾けるように光が消えた。
「ん、ここは……どこだ?」
声がした。それから彼の身体がピクリと動く。
どうやら気が付いたらしい。
「次は里奈ちゃんね」
進さんがひとまず無事なのを確認すると、寧音は彼女の方を振り返った。
しかし未だに放心状態だった。そこに――
「しっかりして、里奈ちゃん!」
大き目な声で呼びかけて、さらにその身体を寧音が揺さぶってようやく彼女は我に返った。
「わたし……どうしてこんなところにって、進さん!?」
はっとした顔をすると、里奈さんは夫の所に駆け寄った。
どうやら正気に戻ったらしい。
「里奈様、すいませんが手を見せていただけますかな?」
「え、トネリコさん? よくわからないけど、わかったわ」
怪訝そうな表情で、彼女は両手を胸の前で広げた。
そこにあるはずの指輪は失くなっていた――




