第四十五話 遅れてきた少女
「なんだ。進さん、もう帰っちゃったんだ」
扉を開けるなり、開口一番に寧音は残念がる言葉を述べた。
息遣いは少し荒い。さらに肩かやや隆起しているのを見ると、いくらか彼女も急いできただろうことがわかる。
ここからではわかりづらいが、その顔もどこか疲れていた。
ちょっと入口のところに立ち止まってから、彼女は大股気味に歩いてきた。
ずかずかと小柄な少女が向かってくるのを、殊勝な顔をして待つ。
「のどかわいたっ!」
こちらにきていきなり店のオーナーの孫は不遜な態度を執る。
「飲みかけの茶ならあるぞ」
俺はしばらく放置していた湯呑みを持ち上げた。
結局一口つけてそのままにしてしまった。
寧音は一瞬意外そうな顔をした。
そして、俺の顔と湯呑みを交互に見る。
なにかを躊躇っているのがわかった。
こいつにしてみれば、得体のしれないかつさらにすでに口をつけてあるわけだから、そうなるのも当然だ。
ちょっとの間その俊巡が続いたが、最後には彼女ははにかみながら何度か頷いた。
微かに耳に謎の呟きが聞こえてくるも意味は理解できない。
そして何か決意を決めた顔をした。
「じゃ、もらうね」
俺から湯呑みを奪い取ると、奴は一気に中の液体を飲み干した。
その白くか細い喉が躍動する。
そして彼女はなんともいえない表情をした。
「びみょー」
顔中に皺を寄せて、彼女はちらりと舌を出した。
そして、なぜか意味ありげな視線で俺を見上げてきた。
「なんだよ?」
「べ、別に」
しかし俺が声をかけると彼女は忽ち目を逸らしてしまった。
なんなんだろう、いったい。
もしかして俺が茶に何かを仕込んだとか思ってるんじゃないだろうな?
「これ、トネリコが淹れてくれた普通のお茶だぞ?
それに飲み物にイタズラする程落ちぶれちゃいない」
「だから何でもないってば!」
奴は俺を見ないまま、語気を少し荒げた。
意味の分からない反応に、俺は肩を竦めておっさんと顔を見合わせた。
「淹れたてがよければ用意してきますよ?」
「ううん大丈夫、トネリコさん」
寧音は軽く首を左右に振る。
結局先の意味深な視線の真意はわからずじまいだった。
「そんなに急いでくるぐらいだったら、ちゃんと連絡すればよかったな」
「やっぱりメッセージ見てなかったのね! はあ、無駄な事しちゃったじゃない」
そこでようやく彼女本来の調子が戻ってきた。
「あれそうだったのか? ごめんごめん、一度は確認したんだけど」
進さんと本題に入る前にスマホをチェックした時は何も通知はなかった。
それからいつの間にか話に夢中になっていたので、彼女のことはすっかり頭から消えていた。
とりあえず俺はポケットからスマホを取り出した。
『終わった。今から向かうね』
確かに寧音からしっかりとメッセージが来ている。
まだ進さんがいた時間だった。が、これは黙っておくことに。
そしてもう一つ、別の人間からもメッセージが入っていることに気が付いた。
クラスメイトの女子からだった。
昨日一緒に帰ろうと誘ってくれた彼女。
そう言えば、今日も誘われたがこの通り豊臣雑貨店でこき使われる運命だったのでまた断った。
すると、メッセージのやり取りをしていいかと言われたので快諾したのだったが――
『こんにちは、安斉琴乃です』
こうして改めてあいさつされると、なんだか照れるというかこそばゆい。
ちなみに来た時間を見ると、十数分前だった。
やはり駄目なおっさんたちと一緒に無理難題に取り組んでいた時間だった。
『橋場と申します。これからよろしくお願いいたします』
どう返していいかわからなかったので、とりあえず思いついたままに送ってみる。
自分でも自棄に馬鹿丁寧だとは思うが、彼女との距離感がまだ掴めていない。
そもそもこんな個人的にやり取りする程、親しい中ではなかった。
ちゃんと話したのはおそらく昨日が初めてだと思う。去年から同じクラスだったのにもかかわらず。
もしかすると、二言三言形式上のやり取りはしたことがあるかもしれないが。
『なんだか橋場くんっておかしい笑』
するとすぐに返信が来た。
『そ、そう? 悪い、あんまり慣れてなくて』
なんだか申し訳なくなってすぐに次のメッセージを送る。
『ううん、大丈夫です。私こそ何か失礼したらごめんね』
安斉さんからのメッセージは止まない。
こういうのって止め時が難しいと思う。
寧音や慎吾なら、飽きたらやめるで全然大丈夫なのに。
とりあえずぼんやりと何を返すか考えて視線を外した所――
「何を熱心にやってるのよ!」
目の前で、小柄な女子生徒がぴょんぴょんと跳ねていた。
こいつ、どうにかして俺の手元を覗き込みたいらしい。
俺はスマホを真直ぐに近づけて、顔の前に掲げる。
こうすることで盗み見を防ごうとしてのだが、それでも奴は諦めない。
俺は右手の中指と親指で輪を作り、前者の指をぐっと縮こまらせた。
パチン。
「だからいたいってばぁ……」
鬱陶しいので、その額にデコピンをお見舞い。
おでこを押さえて、奴は蹲ってしまった。
「盗み見しようとした罰だ」
「うぅ、だって気になったんだもん」
「別になんでもねえよ。ほら、同じクラスの安斉さんいるだろ? 彼女からメッセージが――」
「琴乃ちゃん? なんであんたなんかと」
しゃがみんだまま、涙目になりながらも寧音は俺を睨んできた。
「なんかとはなんだ。言葉に気を付けろよ、豊臣お嬢ちゃん?」
今度は自分が一番強くデコピンを打てる形で構えを取って見せた。
「お願いですからデコピンは勘弁してください」
すると奴は頭を垂れて、頭の上で手をすり合わせた。
その様子に満足が行ったの、俺は手を引っ込める。
「ほんと、少しは加減してよね!」
ようやくダメージが少しは癒えたのか、彼女はよろよろと立ち上がった。
「お前も滅多な口を利かないよう気を付けような」
「で、どういう事情なわけよ?」
「昨日一緒に帰らないかって言われて」
「えっ、マジ?」
「ああ今日もだけど」
「それでどうしたの?」
興味津々といった感じで、幼馴染は顔をぐっと近づけてきた、
それで甘いに香りがふわっと鼻腔をくすぐる。
「どうもこうも、お前が俺の放課後を独占してるじゃねえか」
「た、確かにそうだけどさ。その、一緒に帰りたいとか思わなかったの?」
少し怯んだ様子を見せながら、彼女はおずおずと聞いてきた。
「申し訳ない気はしたけどな。でもそこは先客優先だ」
「ふうん、そっか……」
「なんか嬉しそうだな」
「ど、どこが!? あんまり変なこと言うとおじさんからまた魔法の杖借りるわよ」
そしておっさんの方に首を回した。
奴ものらなくていいのに、袋からすぐに火炎の杖を出しやがる。
「後生ですから、それだけは勘弁してくだせえ」
今度は俺が過度に遜る番だった。
「へえ里奈ちゃんにプレゼントかぁ。いいとこあるじゃん、あのダメ親父!」
長い紆余曲折を経て、ようやく進さんの件について寧音に説明し終えた。
しかし、ダメ親父はないだろう。親父という歳でも見た目でもない。
「ねえあたしにもなんかちょーだい」
「なんでそうなるんだよ……」
相変わらず脈絡のないおねだりである。
「理由がない」
「とりあえず誕生日プレゼントってことでいいわ」
「まだまだ先だろうが」
こいつは十二月生まれである。
「まあぼっちゃん。寧音お嬢さんがこんなに頼んでることですし、贈って差しあげたらどうでしょう?」
「こんなにって程の頼み方じゃないだろ」
むしろカツアゲに近い。
「そうですかね? まあとにかくお安くしときますよ」
「そっちが狙いか」
全く身内から金を巻き上げようとするとは何事か。
とんだ悪徳商人がいたものだ。
「うーん、おじさんのおススメは?」
「そうですねぇ……」
「おい、誰も買うなんて言ってないぞ!」
「いいじゃない、減るもんじゃないし」
「確実に俺の金は減るだろ! そこ、袋の中を漁るのを止めろ」
「ええー、そんなー」
俺は強引におっさんからアイテム袋を引き剥がした。
すると、バラバラと、その中身が零れ出てきてしまった。
見事に装飾品ばかり。なるほどこれを俺に売りつけようとしていたらしい。
とりあえずかき集めようと、俺は床に屈みこんだ。
おっさんも膝をついて、寧音もカウンターの裏に回り込んでくる。
「全く何やってるのよ」
「悪かったよ、トネリコ」
「いえ、気にしないでください。私も悪乗りが過ぎましたから」
三人でそれぞれ拾い集めていくが。
「あれ、なんだこれがここに?」
俺はある一つが目についた。
銀の指輪に赤い宝石がついたそれは、まさに進さんが買って行ったものと同じに見える。
「おい、おっさんこれ」
とんと、机の上に指輪を置いた。
「ふむふむ、なんですかなっとこれは……」
おっさんは一瞬目を丸くしたが、すぐに怪訝そうな顔でそれをしげしげと観察し始めた。
「なになにどうしたのよ?」
「これ、さっき話してた進さんが買った指輪にそっくりなんだ」
「ふうん。まあ複数持ってたんでしょ」
「そんなはずはないんですが、ちょっとすいません。『サーチス!』」
おっさんは指輪を片手でつまみながら、あいた方の手で魔法をかけた。
「これは力の指輪だな。装備すると、攻撃力が十アップするぞ。人類ならだれでも装備できるな」
いつものように謎の口調でトネリコは捲し立てた。
「やっぱりさっきのやつじゃないかこれ」
「いやでも私これ、一つしか持ってないと思ったんですけど」
おっさんは唸り声を出すと、そのまま渋い顔で思考の世界に飛び込んでいってしまった。
やっぱりおっさんの勘違いなんじゃないかと思う。
ここに現物があるのだし。
考え込んだ果てに、おっさんはいつものひょうきんな顔に戻って。
「ま、大丈夫でしょう」
最後には、能天気な口調でそう言い放つのだったーー




