第四十二話 初めての客
薬草パン騒動は何とか事なきを得た。
おっさんはまだむせているものの、とりあえずそれ以外の異変はない。
俺たちはそれが落ち着くのを待った。
「そんなにまずいんなら、逆に気になるわね」
寧音は机の上に残された薬草パンに向かって物騒は一言を呟く。
「やめとけ、お前が想像している百倍は苦いぞ」
「またそうやって興味をそそる様ないい方しちゃって」
俺はこいつがそんな感情を抱けるのが心底不思議だった。
あんなに俺やおっさんが苦しみ悶えていたのを見ていなかったのだろうか。
「まさかうちのパンをこんなにされるなんてな」
進さんは変貌しきった元商品を摘まみ上げた。
「恐ろしいぜ、合体壺!」
「まあでも進さんも信じたでしょう、これで。
やっぱりトネリコさんは異世界人なのよ」
「ああ、そうだな」
その時、ちらりと彼は俺の方を見た気がした。
しかしすぐに何かを考え込む表情に戻る。
思い返せば、先の『頼み事』発言の真意を聞いていない。
あの後すぐに水の入ったコップを持った里奈さんが飛び込んできてタイミングを失った。
丁度いい機会だから聞いてみようと思ったんだが――
「しかしこの壺、どう生かしたものかしらね。何か組み合わせると便利なものを考えない?」
早速、積極的に商品化を進めようとしている女がいた。
「合体したら便利なものかぁ、テレビのリモコンとスマホとかどう?」
「たぶんそういう商品もうあると思うんですけど……」
「あ、ネコとイヌは? お互いの可愛いところをいいとこどりできるわ」
「唐突過ぎるし、それただのキメラだし、生き物を合体させるなんていうお前の発想は怖いし」
「ちょっとボケてみただけよ。そんなひかないで」
ほんとかよ、俺は疑いの念を込めて寧音の顔を睨んだ。
「まあまあ。私は可愛らしくってステキだと思うなぁ」
「ほらメルヘンよ、メルヘン!」
「はいはいそうですねー」
「真面目に聞きなさいよ!」
「やっぱりボケじゃなかったんじゃねーか」
あっ、と声を漏らして寧音はしまったという表情をする。
「いやはや、お二人とも相変わらず仲睦まじいですなぁ」
「次余計なことを言ったらその口が二度と開かないようにするからな」
「はいはい、それは申し訳ありませんでしたな」
全く謝意が感じられないいい加減な言い方だ。
こいつ、良くも悪くも日常に適応しているということか。
「ま、復活してよかったさ」
「ご心配をかけてすいません。今度こそうまくいくと思ったんですけどねぇ」
そこ口ぶりから察するに、この男以前に似た試みをしているということか。
懲りないやつである。俺はほとほと呆れることしかできない。
「実はダンジョン探索中、モンスターに囲まれちゃって。
しかも、空腹限界を突破したせいでHPもかなりピンチに。
それで効率を重視して、パンと薬草を合体させたんですけど」
「馬鹿だろ、お前」
俺はその発想が究極的にイカれていると思った。
「いえ、あの時は落ちてたパンを使ったのがまずかったと思ったんです。
しかし今回はほっぺたが落ちる程においしいパン。うまくいくと思ったんですけど――」
「ちょっと待ってくれ。今、パン拾ったって言わなかった?」
「ええ、それが何か?」
「お前の世界ではダンジョンの中に食べ物が落ちてるのか……」
「はい、そうですけど。というか、フィールドにも偶に落ちてますけど」
何を当たり前のことを、とおっさんの顔は語っていた。
ある種こちらを馬鹿にした様なその表情は少しむかついた。
「パン職人が聞いたら暴動を起こしそうな話だな」
言いながら俺はフジミベーカリーの店長の方を見た。
しかし彼は相変わらず難しい顔をしたままで、こちらの話に耳を傾けていないようだった。
「ん、なんだ? どうした?」
見られていることには気が付いたらしい。
「いや、トネリコのいた世界ではあちこちにパンが落ちてるらしいですよ?」
「へぇそうなのか」
予想していた反応とは違った。てっきり、食べ物を粗末にするなとか怒り出すと思ったのに。
淡白な物言いに些か拍子抜けだった。
「さっきから何考えてるんですか?」
俺は気になってつい聞いてみた。
「いや別になんでもねえよ」
「そういえば、さっきの頼み――」
「いやぁ、里奈! 俺、喉渇いちゃったなぁ!」
わざとらしい大声を出して、進さんは寧音の言葉を遮った。
あからさますぎて、俺は思わず苦笑いをする。
「はいはい、わかりましたよ。二人も何か飲む?」
彼の奥さんは困った様に微笑んだ。
「ううん、大丈夫。ありがと、里奈ちゃん」
「俺もいいです」
里奈さんは一つ頷いて、三度この部屋を出た。
「なんなんですか、今の?」
俺はぐっと身を乗り出した。
「頼みごとの話は里奈には聞かせたくないんだよ」
「もしかして浮気してるから何とかしたいとか?」
寧音は心底意地の悪い笑みを浮かべた。野次馬根性が透けて見えている。
「んなわけあるか! 俺は里奈一筋だ!」
「ヒュー、ヒュー熱いですね!」
「子供が揶揄うんじゃねえよ」
「照れてますな」
「照れてるな」
「やかしいぞ、そこの男衆!」
「あらあら何を騒いでるんですか?」
すぐに里奈さんが戻ってきてしまった。
今度はトレイにコーヒーカップを載せている。
「おう、すまねえな」
進さんはカップを受け取るとすぐに口を付けた。
「なんだかこれぞ夫婦って感じ!」
「も、もうっ照れるわよ、寧音ちゃん」
里奈さんは顔を赤らめて、誤魔かすように手を振った。
結局、進さんの発言の真意はまたしても聞くことができなかった。
依然として気にはなるが、本人が妻の前では止めろ言うのでは引き下がるしかない。
時間もないので、俺は話をまとめることにした。
「それで、そもそもの話なんですが。明日からトネリコがこの店での手伝いを止めても……」
俺は言葉を濁した。この先なんと続けていいのかわからなかった。
「そういう事情なら仕方ないわよ。そもそも、私たちが無理を言ってたわけだしね」
「元々はこいつが勝手に出かけて助けられたのが悪いと思うんですけど」
「そんなこともあったわね。でも気にしてないから大丈夫よ。
進さんもそれでいいよね?」
「ああ、もちろんだ。これでもだいぶおっさんには世話になったからな」
真剣な表情で言い切った後、彼は横にいる妻の方に顔を向けた。
「それに俺としては、やっぱりお前と二人っきりの方が」
「もう、進さんったら……」
目の前で若夫婦がいちゃつき始める。
それ以上見ていられなくて、俺は視線を逸らす。
その時、寧音がなんともいえない表情で俺を見てきた。
「なんだよ?」
「べ、別に」
俺がそう聞くと、彼女は少し顔を赤らめてすぐにそっぽを向いてしまった。
「こほん」
俺はあえて少し大きめに咳払いをしてみる。
それでようやく夫婦が現実へと帰ってきた様で、少しどぎまぎしながら顔をこちらに向けてくれた。
「ではすみませんが、そういうことで」
「ええ、今までありがとうございました、トネリコさん」
二人は深々とおっさんに向けて頭を下げる。
「いえそんな……こちらこそお世話になりました」
トネリコもまた頭を下げ返す。
なんとなく俺と寧音もそれに併せてお辞儀をしてみた。
「でも俺が言うのもおかしいですけど、人手足りますか?」
「まあそれはおいおい何とかするわよ。いいの、あなたたちはそんなこと気にしないでも。
それよりも自分たちのお店のことを心配しなさいな」
「そうだな。物を売るってのはお前らが思っている一億倍は大変だ」
小学生の様な数字を持ってきたな、この人……心の中でツッコミを入れておく。
まあしかしそれは彼なりの励まし方なのだろうと、ありがたく受け取っておいた。
「ありがとう、里奈ちゃん! あと、進さんも」
ニコニコ顔で、寧音が二人の顔を交互に見やった。
「さてそれじゃあ帰ろうか」
「そうですな」
俺たちはゆっくりと立ち上がる。思えば、だいぶ長居をした気がする。
「私たちもいつかお邪魔させてもらうわね」
「はい、安くしときますよ~」
トネリコが都合よく応じた。
「金とんのかよ……」
「そこはしっかりするべきですぞ、ぼっちゃん」
「そうそう、おっさんの言う通りだ。ぼっちゃん?」
全く進さんまで悪乗りをしやがって……俺は忽ち笑みをこぼすしかなかった。
それを見て、その場が笑顔に包まれる。
いい雰囲気のまま、俺たちはフジミベーカリーを後にした。
いよいよ明日から面倒事が本格化すると思うと頭が痛いけども。
歴史の授業とは、なぜこうも退屈なのだろうか。
必死に眠気と闘って、ようやく勝利を得た。
空しく教室内にチャイムの音が響いている。
担当の教師が荷物をまとめて、足早に出て行った。
それと時を同じくして教室内が騒がしくなる。
まだ二時間目の授業が終わったばかり。
自由になるまで、あと四つの関門を超えねばならない。
俺は自分にしては珍しくスマホの電源を入れた。
昨日、寧音から学校に行く前に連絡するからと言われていたからだ。
奴は言っていた通り、とりあえずまだ学校には来ていない。
非常に面倒くさく思いながらも、欠伸をしながらメッセージアプリを起動する。
『はじめてのおきゃくさんがきた!』
見ると、そんな猟奇的なメッセージが来ていた――




