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第三十七話 現代のダンジョン

「丁度いいタイミングで乗れたね」

 隣に座った寧音がこちらに向かってにっこりと笑う。屈託のない子供の様な無邪気な笑顔だった。

 そしてすぐにその顔は窓の方へと向く。


 俺たちは街中を快走するバスに揺られていた。

 それもこれも真横で外の風景に目を奪われている少女の突然の思い付きのせいである。

 トネリコが極端に興味を示したこともあって、俺たちはすぐに移動を開始した。

 商店街近くのバス停からは、駅に直通で行けるのだ。しかし、本数は三十分に一本と不便だが。

 まあ彼女の言った通り全然間に合う時間だったので、それを利用したのだ。


 だが、もちろんおっさんの乗り物酔いのことを忘れていたわけではない。

 寧音がバスを使おうといった時には、初め否定した。

 フジミベーカリー校内出張計画での惨劇が再び起こることを危惧したのだ。

 ちなみに彼女もそれを知っているのに、そんな提案をしたのは単に忘れていたかららしい。


 とにかく寧音も流石に自分の言葉を引っ込めて、歩こうかという話になった。

 せいぜい三十分くらいだから、どうにかなる距離ではある。ちょっとばかししんどいが。

 しかし当のおっさんが、女性をそんなに歩かせるわけいかないとかのたまりだして。

 俺たちの苦悩も知らずに、大層ご立派でなことである。

 もはや自分がどんな失態を犯したのか忘れてるんじゃないかと思えた。


 俺の指摘に、おっさんは思わせぶりに笑った。

 そよ風に靡く口髭がものすごくイラついて、ぶち抜いてやろうと思った。

 でも時間もなかったので、さっさと本題に入ることに。聞くと、何でも秘策があるとか。

 そして、今俺たちはバスの車内にいるわけだ。


 乗客はあまりいない。バス前方の一人席はまばらに埋まっている。

 そして後方にある二人席は俺と寧音の他はがらんとしていた。

 俺たちがいるのは最前列右側の椅子で、おっさんはすぐ前に一人でちょこんと座っている。

 後ろから見る分には特段おかしなところはない。

 むしろ、揺れに身を任せてなぜか楽し気にしているほどだった。


「おい、おっさん。大丈夫か?」

「ええ、もちろんですぼっちゃん。お気遣い痛み入ります」

 俺の呼びかけにおっさんは振り返った。顔色もいつも通り好調そう。

 そして、話した感じも全く調子の悪そうなところはない。


「実は進さんの運転が荒かっただけとか?」

 会話を聞いていたのか、寧音が再びこちらに顔を向けた。

「ああ、その可能性があったか。まったく気づかなかった」

「あたしもママの運転はいいけど、たまにパパの運転だと酔っちゃうことあるから」

「ほう、経験が生きたな」

「それは誰目線なのよ……」

 彼女は目を細めて呆れた表情をすると、また外の様子を観察する作業に戻る。


 まあ理由はどうあれおっさんがグロッキーじゃないことはいいことだ。

 次第にバスが走る振動が心地よく感じてくる。

 豊臣雑貨店に出向くために、やはり早く起こされたからどうにも少し眠気があった。

 だから自然と瞼が閉じる。目的地まではまだ数駅あった。





 バスから降りて、少し歩いたところで俺はぐっと身体を伸ばした。

 ずっと感じていた窮屈感から解放されて、いくらか気分がリフレッシュした。

 身体中に気持よさが駆け巡った後、反動で気怠さと共に少し眠気を感じる。

 結局、移動中に眠ることはしなかった。けれど、ずっとうとうとと微睡んではいた。

 それで大きな欠伸が一つ出た。

 

「そんなに眠いなら少し寝ればよかったじゃない」

 目ざとい幼馴染はそんな俺の反応を見逃さなかった。

「そしたらお前に何されるかわかったもんじゃないからな」

「別に子供じゃあるまいし、何もしないわよ」

「嘘つけ。この間も、車で移動中横で寝てたら叩き起こしてきたじゃねーか」

 あれはいったい何の用事の時だったか。確か産気月くらい前の話だけれど。

 とにかく苛烈な暴力を受けたことだけは記憶に残っている。

 頬を強くつねられたのだ。思い出して、反射的に右のほっぺたを触った。


「あれはあんたがあたしの話を無視したからでしょ。

 せっかくこのあたしがありがたい話をしてたっていうのに」

「欠片ほども記憶に残っていないから、よっぽどつまらな――」

 言いかけて、俺は言葉を引っ込めた。

 寧音の表情が見る見るうちに不機嫌なものに変わったからだ。


 気まずくなって、いったん俺はおっさんの方を見てみた。

 すぐ近くで彼はしきりに視線を動かしている。

 きょろきょろとあたりを見回す姿は、街に初めて出てきた田舎者みたいだった。

 創作の世界でありがちな光景である。


「いやぁ、何かごちゃごちゃしていますねぇ。あちこちに高い建物もいっぱいですし」

「ま、ここがこの街で一番栄えてる場所だからな」

 巨大商業施設はもちろん、色々な会社のオフィスや少し離れたところには庁舎なんかもある。

 まさしくこの駅前が経済的、政治的中心部であった。

 あまり大きな市ではないから、駅前にあらゆる機能が一極集中しているのだ。


「おじさんの世界には流石にこういう場所はないんだよね?」

「ええ、どれも初めて見るものばかりです。あ、でも高い塔はありましたよ」

「塔ねえ……」

 慣れない口調で呟いてみる。それこそ俺たちには馴染みの薄いものだ。

 一応、駅の隣になんだかタワーはあるけれど。

 

「神の居城に乗り込む際に登らされました。百階層ぐらいはありましたね。

 あれは地獄でしたよ……」

 おっさんは段々と遠い目をする。

 その顔が俯いていき、全身から闇のオーラが滲み出ていた。


「ま、まあとにかく! ほら、さっさと行くわよ」

 いたたまれなくなった様子の寧音が、どんどんと先に歩き出した。

 その後ろを俺とおっさんでついていく。


 バス停の通りを折れて、駅から真直ぐに伸びるメインストリートに出た。

 交通量も人通りも激しい。流石、日曜日だけのことはある。

 車通りはともかく、あちこちの人ごみを見るたびに俺はうんざりする気分になった。

 賑やかすぎる場所はあまり得意でない。


 そんな俺とは対照的におっさんの足取りは軽い。

 先の落ち込んだ様子はどこへやら。わくわくした表情で、あちこちに目をやっている。

 まあこいつにとっては目にするもの全てが新鮮なのだろうから無理もない。


 逆に考えると。周りからすればこのおっさんも物珍しい存在なわけで。

 相変わらずの巨体と奇抜なファッション、さらに面白い見た目もあって心なしか視線を集めている気がする。

 本人に気にするそぶりは全くないけれど。


「そういえば、車酔いは大丈夫だったみたいだな」

 黙って歩いているのも飽きて、気になっていたことを口に出した。

「ええ。実はですね――」

 トネリコはごそごそと上着のポケットをまさぐり始めた。

 やがて現れたのは、直径一センチくらいの白い球体。


「混乱直しの薬です。これを飲みました」

「というか、乗り物酔いは混乱状態扱いなのな」

 また役に立たない知識を得てしまった。

 なんにせよ、効いたのだったらよいことだ。


「こういうのなら売っても大丈夫ですよね?」

「まあそうだけど……ちなみに副作用は?」

「劇的にまずいです」

 それくらいなら仕方ないのかなと思う。良薬は口に苦しという諺があるくらいだし。

 だが、俺はふと一昨日の薬草の味を思い出した。

 あれは苦いとかそういうレベルではなかった。口が消滅すると思ったほどだ。


「やっぱり却下!」

「ええっ、そんなぁ……」

 おっさんは情けない声を上げてがっかりと肩を落としてしまった。





「おおっ! ここがでぱーと……!」

 ひときわ大きな建物の前で、おっさんは感嘆の声を漏らす。


 我が街において、最も巨大で歴史のある百貨店だ。

 創業はおよそ百年近く前。それから度重なる改装を重ねて、今も多くの人がある丸憩いの場である。

 地上十階建てのこの建造物は、地下も二階まである。

 地下鉄の駅からも直結でとてもアクセスがいい。


 さらに言えば、巨大商業施設はこれだけではない。

 そう遠くない場所には、日本の二大電気店がしのぎを削っている。

 さらには東西にそびえる構想の駅ビルまで。

 豊臣雑貨店ひいては商店街が束になっても敵わない程の規模を誇っているわけだ。

 確かに何か買おうと思うと、俺自身ここまで出張ることも多い。

 あるいは、ちんちくりんな幼馴染に付き合わされるか。


「とてつもなく大きいですね」

「そうでしょう、そうでしょうともよ!」

「なんでお前が誇らしげなんだよ」

 それにテンションもおかしい。

「これ全部がお店なんですよね? いやぁ素晴らしいですなぁ」

 おっさんの目はこれ以上ないくらいに輝いていた。


「さ、中に入ってみましょう」

 寧音に言われて、人並みに紛れて扉をくぐる。

 

 店内はたくさんの人で溢れかえっていた。

 若い恋人、家族連れ、裕福そうな老人――客層は非常に様々である。

 いつも思うのだが、こういうところに来るとひどく自分が場違いな存在に感じるのだ。

 自意識過剰というか、考え過ぎなのはわかっているけれど。


 とりあえず俺たちは入ってすぐの所の案内板の前で立ち尽くしていた。

 寧音はぐっと首を上げて、必死にそれと睨めっこをしている。どこへ行こうか思案しているらしい。

 俺もなんとなくそれを眺める。横におっさんも立った。


「晴信ぼっちゃん、大変です! よくわからない単語しかありません」

「わかったから、とりあえず黙ってような」

 後ろを淀めなく歩く人たちがこちらを見た様な気がして恥ずかしい。

 ずっと言われているから慣れてきたが、流石にこういう場所でぼっちゃんというのは……


「まあ適当に回りましょうか。

 おじさんにこの世界の商店がどんなものか見せれればいいしね」

 やがて寧音がそんな風に言った。

 そして、俺たちはいよいよデパートを攻略していくわけだ――

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