第三十六話 謎の誘惑
「あの寧音お嬢さん。それはどういう意味でしょう?」
おっさんは、恐る恐ると言った様子で言葉を吐き出した。
その顔には、疑わしさと期待が半々にあらわれているみたいだった。
それは俺も同じで、幼馴染の言葉の真意がよくわからなかった。
こいつに一体何の権限があって、そんな提案ができるというのか。
相変わらず大胆不敵な笑みを浮かべ続ける奴に、俺は一抹の不安を感じる。
「あたしの祖母が雑貨屋をやってるんですよ」
『豊臣雑貨店』この地区の商店街にある昔ながらの店だ。
俺も子供の頃、彼女と一緒によく通ったもので。文房具や駄菓子などを買った。
最近はあまり足を向けていないけど。ついこの間久しぶりに話題にしたくらいだし。
ともかく俺は寧音の言葉を聞いて、僅かだか確かにある予感を抱いた。
それはろくでもない可能性で、できれば違っていて欲しいけれど。
こいつならば考えかねない。まさか――
「今おばあちゃん体調崩しちゃって、お店休みがちで。
それでよかったら、代わりにトネリコさんに商売をやってもらえないかなって」
その言葉はおおよそ俺の予想通りだった!
『豊臣雑貨店』の手伝いでもさせるんじゃないかと思っていたのだ。
寧音は真剣な表情で、じっとおっさんの顔を見つめている。
少なくとも冗談で言っている様な感じはない。
「なるほど! わたしでよければ全然やります。というか、やらせてください!」
おっさんは見るからにやる気満々だった。
少し前のめりになりながら、鼻息を荒くして目をギラギラさせている。
「ホントですか!? やったぁ!」
「待て待て」
いとも容易く話がまとまりそうになっている。そこに俺は横やりを入れた。
流石にその寧音の企みには十割不安しかない。
店の経営という点では、確かにトネリコは向いているのかもしれない。
向こうの世界でも、自分の世界を持っていたわけだから、資質は申し分ないだろう。
しかし、話はそう簡単ではないはずだ。
商売――物を売るという点ではこちらとあちらとで違いはないだろう。
どんな世界でも、需要に対して金を媒介にして供給する。
至極単純化したが、その仕組みに変わりはない。
その点で言えば、パン屋の一件からしても、おっさんに不安を抱かせるところはない。
だがこの世界において、おっさんのビジネスの前にはいろいろ細かいシステムやルールが立ち塞がる。
残念ながら、例えばこいつは法律的には得体の知れない人物である。
戸籍はおろか、国籍もない。行政上、不具合を起こす存在でしかなかった。
商売に伴う事務手続きを考えた時に、色々な問題が噴出するのは想像に難くないわけだ。
それらすべての責任は寧音や、彼女の祖母に振りかかることになる。
幼馴染としては、それを見過ごすことはできない。
そもそもおっさんの保護者的立場でもあるわけだからなおさらだ。
「辞めといたほうがいいと思うぞ」
「僕も晴信に賛成だね。別にトネリコさんの手腕を疑うわけじゃないけどさ」
「たくさんリスクがあることくらい、あたしだってわかってるよ。
ずっとおばあちゃんの仕事を見てきたから、そこまでド素人ってわけじゃないし」
それがわかっていながら、なぜトネリコに店を出さないかなどと言うのか。
俺には、あまり理解できなかった。
「それ以上にね、あたしはこの人に可能性を感じたの。
おばあちゃんの店を立て直してくれるって」
「立て直すって……どういうことだ?」
それは変な言葉に俺は想えた。
ただ休業中の代役ならそんな言葉を使うだろうか。
「実はね、休みが多いこともあるんだけど。少し前からあんまり売り上げがよくなくて。
やっぱり時代柄、個人の商店なんてそう上手くいかないのよ」
寧音は伏し目がちに弱く微笑んだ。それはどこか寂しげに見えた。
口では納得するそぶりを見せるものの、やはり色々と思うところはあるのだろう。
直接関係ない俺ですら、なんだか残念な気持ちになったのだから。
孫のこいつはもっと複雑な心境になるのもなおさらだ。
「でもおじさんなら――いいえ、おじさんの持つ不思議なアイテムなら何とかできる。
あたしはそう信じているの!」
そう寧音は高らかに宣言した。
そこで俺は違和感を覚えた。同時に、その企みのヤバさに驚愕する。
てっきりトネリコの経営手腕に期待を寄せていると思ったのに。
まさか、ファンタジー世界の道具類を売り捌こうと考えているなんて全く思わなんだ。
そう言えば、品評会の時偶に変な顔して頷いていたことを思い出す。
心の奥底では、売れるか売れないかの判断をしていたに違いない。
「お嬢さん! わたしも同じ考えでした」
そこにおっさんが感激した様子で迎合した。
「こっちの世界でわたしが持ってきた道具を売れば、世界一の商人になれるんじゃないか。
実はここが自分の住んでいた世界と大きく違うと気づいた時からずっと思っていたのです!」
とんでもないことを考えていやがったな、こいつ。
頭痛がしてくる思いだ。そして、脳の混乱が強くなっていく。
「わあっ! さすがね、トネリコさん!
そうと決まれば、善は急げよ。早速明日お店を紹介するわ」
「ありがとうございます! では、藤見夫妻からお休みをもらっておきますね」
呆気に取られている内に、話がどんどん進んでいった。
俺は思わず慎吾と顔を見合わせた。
奴もまた複雑な表情をしている。その結果が少しは想像がついているのかもしれない。
昨日彼は、ワープできる羽根を使って被害を受けたばかりである。
「ちょっと待ちなよ、二人とも。流石にそれはまずいんじゃない?」
「そうだ。いったいどれだけの混乱が生まれることか」
少し考えただけでぞっとする。
街に不思議アイテムが氾濫することにでもなったら、忽ち世紀末に早変わりだろう。
あちこちでさっきのコスプレ大会の様な光景を目にすることになるかもしれない。
しかも普通のコスプレと違って、本物の武器や魔法の杖など実害はたっぷりだ。
「じゃあなに? 『豊臣雑貨店』なんて潰れればいいと。二人はそういうのね」
「いやそういうわけじゃ」
「ないけどな……」
そこを持ち出されると弱い。
俺だって、何とかしたい思いはある。大切な思い出の場所だし。
しかしだからと言って、他の誰かを巻き込むのもどうかと思うのだ。
「大丈夫だって、ちゃんと何を売るかは決めるし。ねえ、トネリコさん?」
「もちろんですとも。ぼっちゃんが不安に思うようなことは何もありません!」
奴らの言葉や態度に一ミリも信じられるところはなかった。
「……わかったよ。とりあえず明日もう一度考えよう」
依然として全く腑に落ちないものの、ひとまず二人に付き合うことにした。
ここでグダグダと文句をつけている時間はなかった。
さすがにフジミベーカリーに返してやらないと。
翌日、貴重な日曜日をまたしても寧音に潰された。おっさんもパーティに加えて、商店街に来た。
慎吾の野郎は面倒くささを嗅ぎ取ったのか、一緒には来ていない。
「ここが『豊臣雑貨店』です!」
寧音は店の前で立ち止まり、看板に向けて左腕を伸ばした。
南北にのびるアーケード街、そのほぼ真ん中あたりの所。
朝の九時ということもあって、それなりに人通りはあった。
立ち並ぶ色々な店もどれもがオープンしている。
ただ一つここだけがシャッターが下りて、侘しさが滲み出ていた。
「ちょっと待っててね」
そう言うと、俺たちに背を向け彼女はまず手慣れた感じでシャッターを開けた。
するとガラス張りの店の入口が現れて、扉の鍵を開けると中に入っていく。
真ん中と左右の壁に大きな細長い棚が奥に向かって伸びているのだが、そのどれにも布が掛かっている。
そして、寧音の姿はその店の奥に消えた。
「ここが商店街というやつですな」
「ああ。色んな店が集まってる」
俺は適当にテナントを指さしていった。八百屋、床屋、靴屋まあそんな感じだ。
「なんだかボンノーの城下町を思い出します」
「へえ、そうなのか」
「あそこは十字の形にメインストリートが広がってまして、同じように色々な店舗が。
もちろん一番目立つところにわたしの店はありましたよ」
えへんとでもいう様に、彼は背中を少し逸らした。
俺は辟易とした気持ちを胸に秘めて、その言葉を受け取る。
「さ、準備できたわよ」
やがて、寧音が入口からちょこんと首を突き出した。
それで俺たちもその中に入っていく。
店内は、蛍光灯の光に照らされていた。埃っぽさが鼻につく。
見ると、棚からは布が撤去されて、その下の商品が姿を現していた。
しかしその上や床に薄っすらと埃が積もっているのがわかる。
どうにも暫く営業していなかった様に見えた。
「一週間ぶりくらいかな」
俺の指摘に寧音がそっけなく答えてくれた。
今、彼女ははたきを以て、てきぱきと商品の埃を落としている。
「そんなにおばあちゃんの具合悪いのかよ」
やはり心配になる。昔世話になったわけだし。
「まあ色々あるのよ」
それは意味深な言い方だったが、同時に強い拒絶感も含んでいる。
だから、俺はそれ以上は何も言わなかった。
「ふむふむ、いいお店ですなぁ」
おっさんはそんな俺たちの雰囲気などまったく気にしていない。
興味津々と言った様子で店内をぐるりと見回すと、どかどかと歩き始めた。
時折足を止めては、並んでいる商品に手を伸ばしていく。
「気に入ってくれたのなら嬉しいわ」
「ええ。人通りも立地も問題ないですし、店舗の大きさも悪くない。
しかし、どうして売り上げが落ちてるんです?」
おっさんの言うことも尤もだと思う。
俺もざっと見てみたが、記憶にある姿とあまり違いはない。
昔と変わっていないのに、どうしてピンチに陥ってるのかわからなかった。
「それはね、この駅前に大きなデパートがあってね、そっちにお客を取られてるのよ」
「でぱーと?」
おっさんはとても不思議そうな顔で首を傾げた。太い腕を組んで、眉間に皺を寄せている。
そういえば、近年駅前再開発だとか言ってやたらとビルなんかが増えていた。
俺自身あまり頻繁にいかないから、時々街の姿が変わったことに驚くこともある。
それが昔と変わったことなのだ、と一人で納得した。
「そっかわからないんだね、おじさんは。じゃあこれから見に行く?」
そう言うと、彼女は悪戯っぽく笑った――
かなり更新が遅くなってしまいました
ちょっと色々あったため、明日以降更新頻度が保てないかもしれません……




