第三十一話 旧校舎の冒険
恐るべき巨大ネズミを目の当たりにして、俺は尻もちをついてしまった。
奴は部屋の奥でじっとこちらの様子を窺っている。
一体あれは何なんだ。おおよそこの世の存在には思えない。
そうそれはまるで――
考える暇もなく、いきなりそれはとびかかってきた!
それなりに距離はあったはずなのに、一気にジャンプして詰めてくる。
奴の動きがとてもゆっくりとして見える。
それでも俺は身体を動かすことができない。
恐怖で身が凍り付いているのだ。
「きゃあああああああああ」
寧音の悲鳴がやけに大きく聞こえる。
やられる、そう思った瞬間――
「ぼっちゃん!」
素早い反応を見せたのはトネリコだった。
瞬時に俺とネズミの間に割って入ってきて、仁王立ちをして身体を張る。
「ふんすっ!」
そしてタイミングよく、おっさんは思いっきり飛来する黒い塊を殴った。
それはすごい勢いでまた教室の中に戻っていく。
程なくしてこの階を揺らす様な大きな衝突音がした。
俺は唖然として表情で、それを見ていることしかできなかった。
なんだこのおっさん、強すぎだろ。
内心かなり舌を巻いていて、先ほどまで幽霊にビビっていたのが信じられない。
辺りには微妙な空気が漂っていた。
まさに開いた口が塞がらないみたいな状況である。
いきなり謎の怪物が現れたと思ったら、太ったおっさんに倒された。
端的に説明するとこうだ。うん、わけがわからない。
そんな中、トネリコはゆっくりと教室の中に入っていった。
ずっしりとした重い足取りは得物を追い詰める殺し屋みたいである。
その姿が完全に扉の奥へと消えたところで――
「な、なにあれ?」
ようやく寧音が沈黙を破った。
まだ深い困惑状態なのが、その表情から伝わってくる。
「僕にはネズミに見えたんだけど……」
「あんなのネズミじゃないわ、ただのモンスターよ!」
「……どこかで聞いたような言い回しは止めろ」
というか、最近俺はそれでこいつに怒られたばかりである。
「いやつい……」
あまりの出来事に誰もが緊張感など吹っ飛んでいた。
最早全てが衝撃的であったのだ。
とりあえず寧音の手を借りて何とか立ち上がった。
ズボンの後ろの辺りを払う。床は少し埃っぽかったのだ。
しかし、先ほどから脈が上がりすぎて、そろそろ心臓が爆発するんじゃないかと不安になる。
「ふむ、ここは大丈夫そうですぞ!」
奥からおっさんが叫ぶのが聞こえた。
あんなのがいて、なにが大丈夫だというのか。
全く腑に落ちないものの、仕方なく中に入ってみることに。
殿は慎吾が務めて、中に入るとすぐに扉を閉めた。
辺りをぐるりと照らしてみる。どうやら普通の一般教室の様だ。
理科室の時と同様に、がらんどうだけど。机や椅子はおろか、教卓や教壇もない。
窓側や後方の棚もやはり空っぽである。
普段の自分の教室の姿がちらついて、少し寂しい気持ちになった。
おっさんは窓際に突っ立っていた。
こちらに恰幅の良い背中を向けて、視線を下に向けているのがわかる。
それでライトを下に向けると、トネリコの後ろ姿から先の大ネズミがはみ出ていた。
ピクリとも動く様子はない。
「仕留めたのか?」
近づきながら、俺はおっさんに声をかけた。
「ええ」
「お前、幽霊はだめなんじゃなかったのか?」
「え、だってただの大ネズミでしょう、これ」
振り返って見せたその顔はキョトンとしていた。
どうやらこれは彼にとっては常識であるらしいな。
こっちにしてみれば溜まったもんじゃない。
「俺たちの知ってるネズミはもっと小さい奴だけだ」
「あ、そうだったんですね! いやぁ、すいません。あっちではこれくらい当たり前なので」
おっさんの話から分かっていたことだが、相当修羅の世界そうだな、そっちは。
「じゃあさっきの人体模型は――」
「あれはだめです。お化けですよね、あっちは」
基準がよくわからない。さすが異世界人。
改めて、じっくりネズミの死骸を観察する。
その体躯は今やぐたっとしているものの、やはりかなりでかい。
だらしなく開いた口元からは、鋭い牙がちらついていた。
爪も鋭くて、尻尾はしなっているもののとても長い。
それはとても死んでいるはずなのに、なおも凶暴で禍々しかった。
少なくとも、こんなネズミ見たことも聞いたこともない。
大きさもそうだが、あまりにも見た目が凶悪すぎる。
まさに『モンスター』だ。寧音の一言を思い出す。
異世界人の次はモンスターと来たか。一体俺の身の回りで何が起こっているのだろう。
やるせない思いを感じて、非難するような目をおっさんに向けた。
「うわっ、きもちわるっ!」
寧音が俺の身体を盾にしながら顔を出してきた。
心底深いそうに眉を顰めている。
「ちなみにお化けネズミの噂は?」
「聞いたことないわね」
「じゃあおっさん、心当たりは?」
「いや、あのですね。たぶん私のせいかと」
トネリコは恐る恐る口を開いた。
またこいつの仕業か。俺はうんざりしながら、彼の次の言葉を待った。
「さて、ここも外れだな」
俺は何の感慨もなく、ただ機械的に扉を閉めた。
現在地は旧校舎三階。かつての二年生の教室があるフロアである。
迫りくる人体模型をやり過ごし、探索を続行していた。
奴は今どこにいるのだろうか。それはわからない。
ただ階段を上がってきて、俺たちが潜んでいた教室をスルーしたのは確かだ。
だから隠れるのを止めて、騙し騙しここまでやってきた。
しかし俺たちには逃げ出すという選択肢もあったわけで。
当たり前だ、相次いで怪異と遭遇している。
明らかにこちらに物理的被害を起こしそうな大ネズミ。
そしてトラウマを植え付けてくる校内を巡回する人体模型。
ここから脱出するのを決断をするのには十分すぎる要素である。
そうせずにこうして廃墟を彷徨うのにはそれなりの理由があった。
すべては先程のおっさんの発言が原因だ。
『たぶん私が異世界から持ち込んだ魔力の塊というアイテムを齧ったからですね』
トネリコは平然と巨大ネズミの発生理由を述べた。
そして謎の小さな決勝のかけらも見せてくれた。
それがいわゆる魔力鉱石というものらしい。超高濃度の魔力が結晶化したものだとか。
本来の用途と言えば、魔力回復に使うらしい。
細かく砕いたて粉上にしたものを飲み込むんだと。
ちなみにモンスターが摂取した場合にはパワーアップするらしいぞ!
至極どうでもいい。
それをこっちの世界の普通の生き物が取り込んだところ、こうした異常種が出来上がったのではないか。
トネリコの見立てはこうだった。
それよりも重要なことは――
『ということは、やはりここにアイテム袋があると?』
『おそらく。私もなんとなーく、辺りに見覚えがありますし』
全く困ったものだ。いや、探し物の所在が分かったのは喜ばしいけども。
ここはもう普通の廃校舎ではない。
いや、そもそも普通の廃校舎ってなんだよと思うけど。
とにかく、この場所には危険が溢れているといこと。
先に挙げた二つもそうだが、おっさんの言葉が正しいとするならばよりまずいことがある。
それはあの大ネズミと同じモンスターに変性した生物が他にもいそうだということ。
次に何が出てくるのか、全く想像もできない。
それでもこれ以上事態を悪化させないためにも、アイテム袋の回収は諦められないわけで。
『俺とおっさんは残るけど、二人は逃げろ』
これ以上、つき合わせるわけにもいかない。
何かあったら一大事だ。しかし――
『何言ってるのよ、水臭いわね』
『そうそう。ここまで来て二人を見捨てるとかありえないさ』
二人とも納得してくれる様子はなかった。
その気持ちは嬉しんだけれど、危ないのには変わりないわけで。
『おお、お二人とも! トネリコは感激でございます』
同じ考えだと思っていた男はこの調子だった。
服の袖でおっさんは目元を抑える。
残念ながら見事な三文芝居だことで。
結局、何かあった時にはおっさんが命に代えても守るとまで言い切った。
それでこうして全員でアイテム袋を探し求めて歩いているわけだ。
「ねえ思ったんだけど、あの人体模型も魔力が関係してるとかじゃないの?」
「いやそれはないと思いますよ? やっぱりあれは幽霊ですって」
「それはそれで問題だけどな」
魔力の次は霊力ときたか。全く不思議現象のオンパレードだな。
「そう言えば怪談話はまだ何か残っているのか?」
「色々あるわよ。ひとりでに鳴りだすピアノ、校長室の肖像画」
「家庭科室のポルターガイスト現象ってのもあったね」
「結構あるのな」
しかしどれもどこかで似た様な話を聞いたことがある。
「まあ眉唾だけどね」
慎吾もその真偽については疑っている様だった。
それはそうだ。あまりにもオリジナリティがなさすぎるし。
「でも人体模型は動いていたもん!」
寧音はまだ噂を信じているみたいだった。
「お前この期に及んで、まだ怪談に興味があるわけ?」
「今日の所はそれより大事なものがあるから、これ以上は勘弁してあげるわよ」
完全に強がりだとはわかっていたけれど、黙っておいた。
滅多なことを言って、厄介ごとを増やされたら面倒くさい。
そんな会話をしていると、次の教室の扉の前まで来た。
「ここはどうかね」
たいして期待せずにその扉を開く。
そして入り口から手早く中を探った。
自分でも手慣れたものだと思う。
相変わらず、ここも空っぽの部屋だ――そう思ったけれども。
「あった!」
部屋の中央に、大きな袋が置いてあるのが見えた――
明日はもしかすると更新できない可能性が高いです。申し訳ありません。




