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第二話 大いなる壁


「いやぁ、まさか、大の大人の男とはなぁ……一本取られたよ」

 親父は目を丸くして苦笑いをする。

 小走りでやってきたから、肩が上下して、息は少し切れ気味だ。

 ついには膝に手をついて息を一生懸命整え始めた。

 イイ年してよくやるもんだ。最近、ろくすっぽ運動してないはずだろう。


「わざわざ走ってくることないのに。なんだよ、そんなに心配だったのか?」

「いや、楽しみで……だってお前の話し方が――ちょっと待って」

 親父は瀕死状態だった。これからもっとしんどいことになるというのに……

 先行きが不安になってきた。


 しばらく待っているとようやく落ち着いてきたようで、親父はしっかりと顔を上げた。

「一体どんな珍しい動物を見つけたのか、楽しみで仕方なかったんだよ!」

「子供か、あんたは!」

「それ出てくる時、母さんにも言われたなぁ」

 親父は少しはにかんだ。


 そんな父親のあほさ加減を目の当たりにして、少し頭痛がする思いだ。

 しかし、そんなことは今に始まったことではないため、もう諦めていた。

 まあそれでも全く頼りにならないわけでもない。


「で、生きてはいるんだな、これ?」

「ああ、腹減ってたらしくてパンをやったら、寝落ちしやがった」 

「そうか原始人みたいだな」

 この人は原始人にどういうイメージを持っているのだろうか。

 さすがに彼らだって、こんなハチャメチャな暮らしは送らないと思うけど。


「よし、じゃあ連れて帰るか!」

 俺が提案するより先に、親父が一人で結論付けた。

 予想通りであっても、驚かずにはいられない。いや、最早心配になってくる。


「いいのか、本当に?」

 自分で呼んでおきながら、意味不明な聞くもんだとは思う。

「困ったときは助け合いってな。

 ほら、そっち持て」

「あ、ああ――」

 促されるまま、男の左側面部についた。

 そして、親父と息を合わせて、その巨漢を担ぎ上げる。


「さ、帰るか、我が家に!」

 高らかに叫ぶ父を見て、恥ずかしくないのかなと感じた。

 まあとにかくもゆっくりと帰路を再び進んでいく。


 そして十数分の旅路を経て、ついに我々は戻るべき場所に辿り着いた。

 道中含め多少手荒な真似をしたというのに、男はちっとも目覚めることはない。

 結果、たかが数百メートルの距離が永遠の地獄の様に思えた。

 この男、やはり見かけ通りにとてもヘビーなのだ。


 そんなわけで、自宅の前まで来た時にはその疲労は頂点に達していた。

 今すぐ身体をベッドに投げ出したい。そしてこの男の様にすやすや眠るのだ。

 そう思ったが、それはすぐには叶うことのない淡い願いである。


 なぜなのか、答えは簡単だ。

 我々の前には次なる関門――最後にして最大の試練が待ち受けているのである。


 我が尾張家の最高意思決定権力者――ハハオヤ、の説得だ。

 彼女の許可が得られなければ、何も始まらない。

 

 はっきり言えば、父親の同意などあってないようなものだ。

 責任分散のデコイとして、こちら側に着けただけ。

 悲しいことに我が家の意思決定においては、彼の存在は虚無だ。


 俺は偉大なる虚無の存在と顔を見合わせた。

 彼もまた、母親の説得が重労働だということはよくわかっている。

 そりゃ、付き合って数十年ってレベルだもんな。

 母の苦労を思わずにはいられなかった。


「どうしますか、隊長?」

「電撃作戦しかあるまい、息子よ」


 つまり母さんに見つからないうちに、この男をどこかの部屋に隠す。

 そしてすでに連れ込んだという既成事実を基に交渉に臨む、というわけだ。

 過去、何度もこの手で様々な動物を拾ってきたものだ。

 

 だが、今回はその対象が人間なわけで、そこに一抹の不安を感じざるを得ない。

 それでも、俺は覚悟を決めて、玄関のドアを開けた――

 

「おかえりなさい、二人とも!」

 扉の向こうには恰幅のいい中年女が待っていた。


 俺たちの考えは所詮は猿の浅知恵に過ぎなかったのだろう。

 端から勝ち目など、希望などなかったのだ。

 俺たちは途端に絶望に突き落とされた。


 母さんは満面の笑みを浮かべていた。しかし腕を組んだ仁王立ち姿で。

 日本史で学んだ、不動明王像がふと頭に浮かんだ。

 それくらい全身から激しい怒りが滲み出ているのだ。

 鋭い目つきは一切の不正を許さない役人の様で、門番の仕事とか勧めたくなる。


 だが、その表情が見る見る内に崩れていった。

 吊り上がった目元は緩んでいき、真一文字に閉じた口はぽかんと半開きに。

 強い眼差しからは力が消えて、困惑げに揺らいでいる。

 まさに訳が分からないと語っている様だった。


 そりゃそうだろう、と俺は心の内で納得する。

 母の心構えとしては、イヌやネコなどの捨てられた動物のつもりだったのだろう。

 それが扉が開いて目にしたのは、疲労困憊状態の夫と息子の姿。 

 そして、その二人に抱えられた怪しげな風体の男――それも太ったおっさんだ。

 誰だって混乱するだろう。

  

 玄関は暫く静寂に支配されていた。

 誰も何も話さない、気まずい沈黙状態が続く。

 母はともかく俺たちの方も何を話せばいいかわからなかった。

 いやぁ、道端でおっさんを拾ってね――意味不明な供述でしかない。


「とうとう人間を拾ってくるなんてね……

 呆れて何もいえないよ、まったく!」

 ようやく母から言葉が捻り出された。

 困った様にこめかみのあたりを抑えている。


「じゃあとりあえず家の中に――」

 すかさず父が動いた。

「待ちなさい!

 そんな得体の知れないおっさん、家に入れていいわけないでしょ!」

 そこにストップの声がかかる。まさに正論である。


「そうなんだけど、この人空腹でぶっ倒れてたんだぜ?

 外国の人っぽいし、あのまま放っておいたら死んでたよ、きっと」

 すかさず俺が援護射撃を入れる。効果のほどはきたしていない。

「だからってねぇ……何のために警察がいるのよ?」

 幼い子供に言い聞かせる様な優しい言い方だった。


 ……正直その発想は今の今までなかった。 

 父も会うなり、家に連れて行くことを提案してたし。 

 俺はもう目をしろくろさせることしかできなかった。

 父も大概だが、俺も大概である。 


「そういうわけでね――」

 母はゆっくりと優しく微笑む。そして、自らの夫へと視線を向けた。

「ねえ、あなた? どうして連れてきたのかなぁ?」

「そこに人が倒れていたからだな」

「登山家みたいなこと言わないでよ!」

「まあまあ、世の中助け合いが肝心だぞ。なあ晴信もそう思うだろ?」

 救いを求める父の眼差しが刺さる。

 

 なぜそこで俺に振る!?


 悲しいが、ここで俺はこの人の味方をできない。

 それは俺の弱さだ。母はにあらがうことのできない俺の情けなさだ。

 そんな感情を抱えたまま、父から目を逸らした。


「ほんと、あんたはいつまでも懲りないわね!

 この前も連帯保証人になって、貯金全額すったでしょ!」

「仕方ないだろ、俺の大事な友達だったわけで。かなり困っているっていうからさ」 

 母の苛烈な指摘にも、父の口調に気に留めたところはない。

 

 しかし俺はいきなり判明したその事実に、驚きを隠せずにはいられない。

 それって結構とんでもないことなんじゃ……

 思わず再び父の方を向いた。

 しかしやはりけろっとした表情を浮かべていて――

 そのうえ、力強く頷き返されてしまった。


「その件は結局、解決したじゃないか。あいつは色付けて返してくれただろ」

「そういう問題じゃないと思うんだが……」

「はるもそう思うわよね!

 もし返ってこなかったら一大事よ、離婚の危機よ!」

「む、ううん、まあ確かになぁ……」

 そんな母の強い言葉に、ここで初めて父の顔が曇った。


「ほんっと、あんたはいつもいつも軽率なのよ!」

勝機をみたのか、母さんが一気に捲し立てる。

「そういえば初デートの時なんか、約束すっぽかしたわよね。

 迷子の子の手伝いをしてたとかいってさ」

「だってそれは仕方ないだろう?

 子どもがすごい可哀想だったのさ」

「あとは溺れた人を助けるために、服を着たまま飛び込んだり。

 それに--」

 女の口から紡がれるのは、数々の思い出。

 端から聞いていれば、のろけ話だった。


 なぜ俺は両親のそんなエピソードを聞かされなければならないのか?

 やってられないぜ、まったく。

 眠ったままの男を肩に担いだまま、とんだ苦行だ。

 心底うんざりして強く天井を睨みつけた。

 

「まあしかしそんな俺だからこそ母さんと結ばれた。

 そうだろ?」

 長い小話……もとい茶番を締めくくったのは使い古されたそんな、くっさいセリフだった。

 状況が状況なら、親父を張り倒してやりたい気分である。

 

「はあ、わかったわよ、もう」

 おい、なぜちょっと照れたような顔を浮かべてるんだ、安江46歳!


 全く一体全体何を見せつけられているんだ、俺は!

 力一杯叫び出したい気持ちをぐっと堪える。

 脱力感を乗り越えて、最後の気合いを込めた。


「とりあえず、その人は客間にでも転がしておきなさいな。

 ただし……次はないからな」

 終わり際のその一睨みには背筋が凍り付く。


「それとは別にあんたらの今月の小遣いはなし!」

 言い切ると、女帝は家の奥へと下がっていった。

 

 こうして我々は成し遂げたのである。

 数少ないお小遣いという犠牲と引き換えに……

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