第二十八話 乗り越えるべき関門
「それにしてもやっぱり雰囲気あるねぇ」
慎吾はそんな暢気そうな一言を漏らした。
闇の中にぼんやりと灯る旧校舎のシルエットをしみじみと眺めている。
そこには、恐怖や緊張といった様子は一切ない。
その言葉につられて、俺もじっくりと建物を観察してみる。
外観部分は所々古くなってる気はしたが、この闇の中では目を凝らさないとわかりづらい。
正面口のガラスの奥には一層濃い暗黒が広がっていて、じっと見ていると薄ら寒い思いがした。
思わずそこから視線を外して、周囲へと目をやった。
当たり前だが、周囲には俺たち以外の人気はない。
「そもそもどうして夜に来る必要があるんですかねぇ」
この期に及んで、トネリコのやつはビビっていた。
顔色は悪く、その巨体はいくらか震えている。
全く歴戦の商人が効いてあきれるほどだ。
まあ確かにおっさんの言葉にも一理はある。
幽霊の有無は別にして、物を探すにおいて暗闇の時間帯は不向きだ。
本音を言えば、俺だって朝昼の明るい時がいいさ。
しかしそうはいかない事情があった。
まず大きな理由として、あまり早い時間だと人目につく恐れがあること。
万が一見つかりでもしたら、どうなることやら。
事実、ここに立ち入るのは固く禁止されているわけで。
だが、それだけならば別にあの話し合いの時でもよかった。
あの時は丁度夕方から夜に変わる時分で、まああまり目立ちはしないはず。
それでもそうはいかない事情があるわけで――
「こういうのは、雰囲気が大事なんですよ、おじさん!」
それがこいつだ。夜に行くと言ってきかなかった。
実際の所、無視すればよかったのではないか、そう思うかもしれない。
しかし、それだったら初めからそうしているわけで。
寧音と慎吾と一緒だと、奴らにおっさんの正体が露見するリスクもあるし。
そうしなかったのは、俺には超えることのできない関門があったからだ。
って、なんかこういう話ばっかりだな。
――気を取り直して。
問題は、どうやって旧校舎に入るか、である。
どういうことかと言えば、当たり前だが廃校舎と言えど施錠はされているわけで。
だからいつかの時に、寧音も鍵を求めて担任に直談判した。
そして、結局それは手に入らなかったのだが。
にもかかわらず、寧音は探検をするといった。
それは中に入る術を確保しているということだろう。
俺はそう思ったからこそ、こいつの誘いに乗ったわけだ。
だって、その手段を持っていなかったから。
『ふふん、あたしを誰だと思ってるのかしら?
そんなこととっくに手配済みよ! 寧音様に不可能はないわ』
実際に後で確認したら、こんな答えが返ってきた。
言葉通りそれは尊大な態度をとっており、かなり自信満々だった。
しかし、その手段がどういうものかは決して教えてくれなかったが。
つまり、彼女抜きではアイテム袋の探索もなにもないわけだ。
だからその我儘に付き合っている。
「で、どうすんだ寧音?」
一応昇降口のドアに手をかけたものの、うんともすんともしなかった。他も同様なのも確認済みだ。
「こっちよ、ついてきて」
すると彼女はつかつかと一人で暗がりの中を進んでいってしまった。
仕方なく、残された俺たち男衆もついていくことに。
しんとした静けさの中、俺たちの足音だけがやけに大きく響いていた。
闇の中を黙々と進んでいると、なんだか不思議な気分になる。
どこか高揚して、それでいて確実に恐怖を感じている。
周りに寧音たちがいるのにもかかわらず。
なぜか世界から一人取り残されてしまったような、そんな寂しささえ覚えるのだ。
やがて、俺たちは校舎を西側から大きく迂回した、
どうやら彼女は裏の方に回るつもりらしい。
そこには、校庭に近い勝手口がある。おそらくそこを目指しているのだろう。
裏側はさっきよりも一層闇が濃くなっていた。
街灯の光は届かないし、校舎外観に取り付けられた明かりも機能していない。
多少目が慣れたから、辛うじて先を歩く寧音の姿がわかるだけ。
俺たちの左手にはグラウンドやテニスコートも広がっているはずだが、何も見えなかった。
「実はね、最近ここに学校の用事で出入りしている子を見つけてね。
その子に裏口のカギを開けておくように頼んだのよ!」
歩きながら、ようやく寧音が秘密の入り口の詳細について嬉しそうに語りだした。
きっと得意気な顔をしているのだろう。こちらから見えなくても、口ぶりから想像がつく。
「さて、と」
寧音はようやく足を止めた。
暗くてよくわからないが、どうやら目的地に着いたらしい。
彼女はポケットからスマホを取り出して懐中電灯代わりにする。
そして、閉じ切ったガラスのドアへと近づいた。
「あれ? おかしいな。ちゃんと本人に確認したんだけど」
手元を照らしながら、奴は何やらドアをがたがたやっている。
どうにもそれが開く様子はなくて――
「鍵、かかってるな」
「ますね」
「ですな」
男衆は呆れることしかできなかった。
「どうなっているのかなぁ、寧音ちゃん?」
後ろから芝居がかった口調で声を浴びせた。
「ええと、あのですね、これそのぉ」
とぼけ声をだしながら、なおも奴は扉をいじっている。
「こうなったら壊すしか――」
「待て待て待て」
自暴自棄になった幼馴染を慌てて後ろから抱き留めた。
そのまま、後ろへと引きずっていく。
「離しなさい、晴信! てか、どこ触ってるのよ!」
「うるせー、少しは落ち着け。そして、誤解を招く様な言い方をするな」
「痴漢です、痴漢! こんな辱めを受けたらあたしお嫁にいけないわ」
しくしく、とそれはもう大根役者もびっくりするくらいの泣きっぷりを見せる。
「うわー、晴信最低だな。責任取りなよ」
「刑事責任のことか? わかった警察に行こう。器物損壊未遂犯として突き出してやる!」
「その前に僕たち全員が不法侵入の罪を犯してるけどね……」
ひとまず、慎吾に会話をまとめてもらったところで。
俺たちは裏口から少し離れた場所で顔を突き合わせた。
「つまり寧音の策略は失敗したってことでいいか?」
俺は黙ってやつの顔を凝視し続ける。
「ええ、そうですよ! ごめんなさいでした!」
とても謝っている人の態度には思えない横暴っぷりだ。
まあそれはこの際どうでもよくて。
問題はどうやって中に入るかだ。
唯一の手段が今打ち砕かれてしまったのだから。
「窓をぶち破るのはどうだい? やってみたかったんだ、校舎の窓を割るの」
「ずいぶんバイオレンスだな……リスクが大きすぎるから却下」
「じゃあね、えっとなんだっけ? 鍵をこじ開けるあれ……ストッキング!」
「それは肌着だ。ピッキングだけど、できるのかお前?」
「ううん、無理」寧音は笑顔で言い放った。
じゃあ言うなよ、思ったが脳内で留めておく。
しかしろくな解決策がないな。
まあ俺自身も特段何も思い付かないわけだから、あんまり強く出れないけれど。
諦めようか、そんな考えが一瞬脳裏に過った。
しかしその時、おっさんが妙な視線をこちらに向けているのに気が付いた。
「どうした?」
「あのですね……」
おっさんは二人を警戒しながら俺の方に近づいてきた。
「私、鍵開けの魔法持ってます」
かなりの小声で俺の耳元で衝撃的な言葉を放った。
「ええ……先に言えよ」
「すいません、寧音お嬢さんが張り切っていたので」
トネリコは心底申し訳なさそうな顔をした。
しかしそれが本当ならば、ここまで歩いてきたのは何だったのか。
そもそも、寧音たちに付き合う必要すらなかった。
二人でこっそりやってきて、さっさとアイテム袋の有無を確認したのに。
なんだか、黒い思いが胸にわいてきて――
べちん。言わずもがな、褒美を額に授けた。
おっさんは低い唸り声を上げて、その場で痛みに悶えた。
サッカーのファウルをもらう人の様な痛がりっぷりである。
まあともかくこれで問題は解決したわけで。
後は解散宣言をして、後日おっさんと共に出直せばいいのだが――
そう思った矢先、今度は蚊帳の外に置いた二人がこちらを見ているのを感じた。
これはまずい。奴らの視線は興味津々に輝いている。
「ねえ、晴信? 今、魔法とか聞こえたけど……」
「僕も確かに聞きましたねぇ」
どうやら先のおっさんの言葉が聞こえていたらしい。
彼らが地獄耳というか、俺たちが軽率だったというべきか。
「気のせいじゃないか?」
「ふーん、とぼけるんだ。いいよ、じゃあおじさんに聞くから。
ねえ、魔法って何のこと?」
復活したばかりで、地べたに座り込むおっさんに彼女は声をかけた。
「あはは、なんでしょーね」
明らかにおっさんはキョドていた!
下手くそな口笛を吹いて、さらに目は泳ぎまくっている。
トネリコめ、そこは『言ってません』と押し通せばいいものを。
あれじゃあほんとのことを言っている様なものだ。
実に窮地である。
相手が寧音一人なら何とかなる。でも慎吾もいるとなると。
つかみどころのない奴ではあるが、目ざといのは確かだ。
「そもそも前からおかしなことはいっぱいあったんだよね~」
頭の中で言い訳を考えていると、寧音から追撃が飛んできた。
何かを勝ち誇った様な笑みを浮かべて、すっかりいつもの勝気さが戻っている。
その目には意地の悪そうな色が宿っていた。
「だいたいね、このご時世に普通の外国のおじさんが道に落ちてるわけないでしょ!」
「珍しくお前にしては正論だな。実に賢い!」
「え、そうかなぁ」
彼女は褒められたのがうれしかったのか、少し口角が上がっていた。
そのままははにかんだ顔をして、視線を俺たちから逸らす。
「って、誤魔化されないでよ、寧音さん……
一番おかしいのは夕方散々言ってた『目が覚めた』発言だよ」
慎吾は呆れながらも確信を突いた。
思えば、今の今まで放っておかれたことの方が驚きだが。
「あ、そういえば。それ、説明してくれるんじゃなかったの!」
最悪のタイミングで、ボケボケ少女の記憶も戻った様で。
ここまできて、俺は覚悟を決めた。
「実はこのおっさんは異世界から来たんだ」
言った。ついに言ってしまった。
ひた隠しにしようと思っていたのに、あっさりと白状してしまった。
「いやいや、意味わかんないんだけど?」
「……ノーコメントで」
二人ともさすがに脳みそがついていかないらしい。
かなり困惑しているのがわかる。無理もない、俺もそうだった。
はあと一つため息をついて、俺は異世界から来た商人に命じた。
「おっさん、例の鍵開けの魔法とやら使ってくれ」
「はっ、ぼっちゃんの仰せのままに」
おっさんは座ったままの姿勢からいったん跪いた。
さながら中世の騎士のようである。
ただ残念ながら、全く不格好であったが。
次に彼はのっそりと立ち上がって、開かずの扉に近づいていく。
しっかりと施錠してあるのを確認してから、そこに手をかざした。
「オープマ!」
謎の一言を告げると、裏口のドアが一瞬眩く輝いて辺りの闇が振り払われていく。
俺たち三人はそれを黙って見守ることしかできなかった。
さすがに謎に光り出した時には、寧音が小さく声を上げたけれど。
とにかく事態が動くのを待つだけ。
「はい、開きました」
言いながら、トネリコが力を籠めると扉はスライドした。
ようやく難関を突破できたというのに、誰一人歓喜の声は上げない。
それ以上に、驚きが疑念が二人の胸に渦巻いているのだろう。
俺は一人、辺りはおかしな空気が漂っているのを感じていた――




