第二十四話 おっさん、猛威を奮う
あまりの事態にいくらか思考が、行動が止まっていたけれど。
それでもトネリコの企みを指をくわえてみているわけにはいかない。
俺も手早くエプロンを身に着けて、奴の後を追うことにした。
「先生たちはとりあえず準備を完了させてください」
そう言い残して俺もホールを出た。
廊下には、登校してきた生徒の姿が多くなっている。
そして近くにある購買ではもう人だかりができつつあった。
朝ごはん代わりに食べ物を買っていくのか。あるいは他の物を買おうとしているのか。
なんにせよ、その盛況ぶりは羨ましい。
おっさんはなんと、その集団の少し後方にいた。
傍から見れば、謎の大男が、謎のエプロンを身に着けて、謎に立っているわけで。
そう、謎の存在でしかないのだ。
だから、周りの生徒は遠巻きに彼を不振がっている。
どう見ても不審者です。本当にありがとうございました。
トネリコのやつ、いったいどうするつもりなのか。
とりあえずあそこで立っているのは止めさせなければ。
フジミベーカリーの評判までガタ落ちになる。
そうなれば最終日を待たずにゲームセットだ。
俺はうんざりしながらも、その大きな背中に近づいていく。
エプロンの腰ひもがぎちぎちになっているのが滑稽だ。
そして声を掛けようとしたところ――
「もし、そこのお嬢さん!」
「は、はい? なんでしょう?」
ああ、遅かった。事案が発生してしまった……
おっさんは集団から少し外れた位置にいる女の子に声をかけた。
謎の太った中年男が、高校内で女生徒に声をかける事案が発生しました。
今日の夕方のニュースの冒頭はそんな感じだろう。
せめてインタビューではフォローしてやらないと。
『そんなことするようなひとにはおもえなかったんですけどねぇ』
よし、脳内トレーニングは完璧だ。
そんな現実逃避をこなした後、俺はそのヤバい光景を少し離れたところで見守った。
俺まで合流するのは逆効果に思われる。
なぜならその女子は下級生で、さらなる威圧感を与えてしまうことになる。
ただでさえ見知らぬおっさんに声を掛けられているのだし。
女生徒は小柄で見るからに大人しそうな雰囲気だ。
長い髪、低めの身長、校則に則ったきっちりとした制服の着こなし。
所謂、真面目系女子であるように見える。
そしてその瞳にはいささか不安の色が灯っているのは気のせいだと思いたい。
「もしよろしければパンを買っていきませんか!」
意外にも直球な第一声だ。
そして小ホール前の、例の手作り看板を指さす。
てっきりやたらと回りくどいセールストークでも始めると思ったのに。
ちなみに手作り看板はバージョンアップしていた。
薄暗さの中目立たないので、ライトアップ加工を施した。
里奈さんが一晩でやってくれたらしい。
やはり超人なのかもしれない。あの珍妙な絵もパワーアップしてしまったけれど。
とにかく少しはなれたここからでもよくわかる。
「あそこでフジミベーカリーというお店のパンを売っているんですが……」
「え、いやでも――」
困惑気味な真面目少女はちらりと購買の方を見た。
「こっちは空いてるのでスムーズですぞ」
トネリコは優しく付け加えた。
俺にはいまいちおっさんの意図が読めていない。
そもそもなぜあの子に話しかけたのだろうか。
確かに購買の人だかりの近くにいたけれども。
それすなわち、朝飯を買いに来たと決めつけるのは早計だ。
そして購買を気にする素振りを見せたということは、彼女はそこに用事があるということでは……
「うーん、じゃあそっちにしようかな……」
「ぜひぜひ! 種類も用意してありますので」
そう言って、おっさんは少女を促した。
すると彼女は人だかりから離れて、小ホールへと入っていた。
つまり、おっさんの呼び込みはいきなり成功したわけである!
刻々と八時半に近づきつつあった。
さすがにやってくる生徒も疎らになってきて。
そもそも、俺と寧音はこのままいくと遅刻である。
担任がまだここにいるからそう簡単には朝のHRは始まらないだろうけども。
「とりあえず俺らはいったん抜けるぞ」
ホールに残った最後の客が出て行ったのを皮切りに、俺は教室へ向かう用意を始めた。
「お疲れさまでした、お三方!」
トネリコは疲れたそぶりを少しも見せていない。
むしろかなり生き生きとしている。
「いやぁそれにして、もかなり捌けたねぇ」
しみじみと藤岡がつぶやく。
彼はイートインスペースに陣取ってパンを食べていやがった。
販売対応の人材が、数分前からあまり出したからだ。
「おいしい、おいしい」
全くいいご身分である。
まあしかし客対応に頑張っていたのは事実なので何も言えない。
「先生はほとんど役に立ってなかったでしょ!」
そこに鋭く寧音がツッコミを入れた。
彼女は先まで身に着けていたエプロンを、馬鹿丁寧に奇麗にたたんでいる。
「何を言うかね、豊臣。先生はだね、レジを頑張っていましたとも」
「はいはい、そーですねー」
えばる担任をその教え子が容赦なく淡々とあしらった。
「やっぱりおじさんのおかげだよ!」
寧音は尊敬の念が籠った眼差しでトネリコの方を見た。
「いやいや、そんなことないですぞ」
おっさんはゆっくりと首を左右に振った。
謙遜しているのか。それとも本当に大したことでもないと思っているのか。
しかし俺にとってみれば、トネリコの活躍には目を見張るものがあった。
このおっさんの働きで、朝だけでパンの大部分を売り切れたと思う。
あのおとなしそうな女子の呼び込みに成功した後。
芋蔓式にトネリコのキャッチはうまくいった。
程なくして、俺も客対応に追われることになったのだ。
もとよりおっさんはコミュニケーションに臆することのない性格である。
そのためがんがんと道行く学生に話しかけるのだ。
そしてその話し方、人柄も相まって、ずるずると相手の心に侵入していく。
結果、短時間の内に、彼は我が校きってのネタキャラと化した。
後は工場の生産ラインみたく、客が流入する。
恐るべし、異世界の商人。
人に取り入るのが本当にうまい。
いわくコツは、相手が何を求めているか察することらしいけど。
『最初の女の子なんて、ちらちら私と看板を観てましたから。
初めから気になってたんですよ』
後で、聞いたらそんな風に教えてくれた。
恐るべき観察眼である。
一緒に聞いていたほかの二人もものすごく感心していた。
そういうわけで、今朝の戦果は大量だった。
具体的に言うと、ぱんじゅう四ケース程。
個数にして、百個を越える。
わあすごい! 昨日はいったい何だったんだろうか?
……軽くヘコむ。
「それじゃまた後でな」
「頑張ってね、おじさん! ファイトだよ!」
大勝利の余韻を胸に、俺たちは教室へと急いだ。
いくらか光明が見えた気がした。
「いただきます」
弁当箱を前にして、俺は手を合わせた。
今日はこうしてゆっくりと教室で昼飯にありつくことができる。
「あれ、晴信? 行かなくていいのかい」
「ああ、少し時間をもらってさ」
慎吾が後ろから声をかけてきた。
彼のおかげで昨日は昼食にありつけたわけで。
しかしそれでも時間はあまりなかった。
おかげでかき込む様にして、体内に食べ物を詰め込んだけれども。
だが、それがなぜこうしていられるかといえば。
『ゆっくりとご飯を食べてからくるといい』
藤岡がそう言ってくれたのだ。
なんだかんだいって、彼も積極的に協力してくれている。
「意外だねぇ、藤岡さんが手伝っているなんて」
慎吾はしみじみと呟いた。
俺もそう思う。
いつもの気怠そうな感じからは信じられないくらいにいい働きをしている。
朝なんか、慣れた様子で客を捌いていた。
一体どんな弱みを里奈さんに握られているのか。
全く彼女のことが末恐ろしくなってくる。
「しかしかなり大盛況みたいだね、フジミベーカリー出張店」
「お、なんだお前でも知ってるのか?」
「でもってどういう意味ですかね……
まあ周りがそれか旧校舎の怪談話かでしか盛り上がってないからねぇ」
「ふうん、まあ今日はここまでかなりたくさん人が来てるからな」
というか、まだ怪談話は生き残っていたのか……
昼休みまでの成果はというと。
休み時間の度に、俺は顔を出した。
おっさんがいるから、無理にそうする必要はなかったけれど。
しかし、いつ行っても謎の列ができていたりして。
まるで魔法でも使ったかの様な賑わいぶり。
いやこの場合ただの比喩なはずなのに、奴の場合はシャレにならない。
後で一応確認しておかなければ。
「なんかすごい面白いおっさんがいるとかなんとか。えっと、トルネーー」
「違う、トネリコ! 樹木の名前と同じ!」
「ああそうそうトネリコさん。てか、よく知ってるね、そんなこと」
「北欧神話だ。ユグドラシルってのは、一本の巨大なトネリコの木を指すんだよ。
それが九つの世界に枝を――って、なにニヤニヤしてやがる!」
全く人がためになる話をしているというのに、失礼な奴だ。
「いやぁ、絶好調だなぁと。やっぱり晴信は厨二病――」
「違う、断じて違うっ!」
ここでようやく俺は冷静になれた。何を口走ってるんだ俺は。
危ない危ない、パンドラの箱を開きかけた。これは封印したんだから。
「その反応、怪しいねぇ。この場に寧音さんがいないのが残念だ」
「俺としてはとてもうれしいけどな」
「そういえば彼女、どこ行ったんだい?」
昼休みが始まって早々、一人のクラスメイトと連れたってどこかへ行ってしまったのだ。
まだ店に出る時間ではないはずだけど。
「やっほー、三年の豊臣寧音です! 今日は宣伝に来ました。
あれ、これちゃんと声入ってる?」
その時、なにやら聞き覚えのある声がスピーカから聞こえてきた。
俺は思わず吹き出しかけた。
おかしい、今の時間はいつもの昼の校内放送が流れているはず。
そしてあいつは別に放送部ではない。
これが示す事実は――
「電波ジャックか!」
「いや、違うでしょ……」
とりあえずよく耳を澄ませることに。
「何でも豊臣さんは現在小ホールでイベントをやっているとか?」
「そうなんです。フジミベーカリーっていうパン屋さんがありまして~」
教室内の雑音の中に、確かにあの小うるさい声がはっきりと混じっていた。
そこでようやく気が付いた。
さっきあいつと一緒だった女子は放送部の部長だ。
なるほどコネを利用して、昼の放送に乱入したらしい。
これが昨日考えておくといった、結果らしい。
まあ中々にいい手であると思う。
校内放送だから、よほどのことがない限りは耳に入ってくるわけで。
寧音も意図的に会話に『フジミベーカリー』というワードをぶち込んでいるみたいだし。
一種のサブリミナル効果が期待できそう。
「あれ、寧音じゃん!」
「ほんとだー」
「あのパンの宣伝してるんだ」
「そういえば、変なおじさんがいてさ~」
クラスの中にも、徐々に放送に対する反応が広がる。
どれも悪くないもので、思わず手ごたえを感じた。
俺はこれから出張店へ行くのがとても楽しみになっていくのだった――




