第二十三話 復活のおっさん!
翌日もまた朝は早かった。
まるでコピペしたかのように、昨日とほぼ同じ行動をとって学校まで来た。
ただある一点を除いて。
会話の内容、なんて些細なとるに足らないことではなく。
今日は、トネリコのおっさんを加えて三人で登校しました!
昨日の車酔いの喜劇ーーもとい悲劇を経て。
おっさんを車で輸送することは避けた。
結果、まさかの俺たちの登校に同伴というわけである。
その事態に俺も参っていたが。
それ以上に寧音の機嫌が悪くって仕方なかった。
こんなおっさんと一緒に行くなんて嫌だ。
玄関行って迎えた顔にはそう書いてあった。
それを宥め賺して、なんとか家を出たのだった。
方や異世界から来た常識知らずの商人。
そしてもう一方は幼い頃から一緒のそれはやかましい少女。
おかげさまで、いつにもましての通学路はさぞ楽しいものとなったわけでありましてーー
「晴信ぼっちゃん! あれはなんですかな?」
おっさんはとても興味津々な面持ちで遠くのある物体を指差した。
それは地面から生えた金属の棒で、その先には三色の光る眼がついていた。
「信号機だよ……」
俺はうんざりしながらおざなりに答える。
住宅街を抜けて、交通量がそれなりの通りに出くわしたばかりの一場面。
まだ早朝だからか、車はあまり走っていないけれど。
そのまま歩いて行って、横断歩道のところで止まった。
「赤が点いたら、こうして青になるのを待つんだよ」
丁度良く実演してやる。
すると、おっさんは嬉しそうに何度も首を縦に振った。
というかーー
「昨日見なかったのか?」
あんた、車に乗っていたはずだろ。
「恥ずかしながら、昨日の記憶は朝ごはんと晩ごはんくらいしかなくてですね……」
車酔いによって、彼の記憶の大部分は破壊されてしまったらしい。
それは大層可哀想なことだ。
「えっ、おじさん、信号機も知らないの?」
そこに幼馴染も会話に首を突っ込んでくるわけで。
不思議半分、怪しさ半分の顔でおっさんを見据えている。
ここまで来ると、おっさんのことを誤魔化すのがとても馬鹿らしくなっていて。
いっそのこと、異世界の話がばれてもいいやとさえ思える。
一々繕うのが非常に面倒くさいのだ。
しかし、バレたその暁には俺まで頭おかしい扱いを受けそうで。
それを考えると、やはり秘密にしておいたままの方がいいという結論になる。
「そりゃ世界には、信号機がない国だってあるだろうさ」
とりあえず話をすり替えてみる。
すると、寧音は少し悩んだ表情になって――
「うーん、アマゾンとか?」
ようやく捻り出てきたのは、国名ではなかった!
それは熱帯雨林の名前だ、バカ。しかし言葉には出さない。
「そうだな」
代わりに俺はできる限り精いっぱい優しく微笑んでやった。
否定するよりも、こうした方がうまい方に話が転がる気がするのだ。
いいタイミングで、信号が青に変わった。
それで俺たちは歩き出す。
「ライオンさんだ!」
少ししたところで、いきなり妙な言葉が飛んできた。
「はい?」
ほんとこいつと話していると、俺の耳がおかしくなった気がする。
「アマゾンと言えば、ライオンさんだよ、晴信!」
しかしやはり彼女は『ライオン』と口にしていたらしい。
二度まで言われれば、信じるしかない。こいつがとんでもないアホだと。
そもそも、なぜさん付けなのだろう。
寧音の外見も相まって、ホント幼子の相手をしている気分になってくる。
仕方ない、一つ一つ片付けて行こう。
「まずライオンがいるのは、アフリカだ。
砂漠地帯で、熱帯雨林とはまるで真逆だぞ?」
「あれ、そうだっけ?」
彼女はとぼけた顔をして首を傾げた。
俺の記憶が正しければ、こいつ地理選択だった気がするんだけど……
こんなに話が通じないとは、頭が痛い。
「あと、アマゾンは国の名前じゃないからな」
「えっ、それホント?」
「学校着いたら地図帳貨してやるから、それで調べような」
「いいよ、今スマホで調べるから!」
そう言うと、少女はポケットからスマホを取り出す。
少し不機嫌な表情で、それを操作し始めた。
仕方ないので俺は足を止めた。
おっさんも少し慣性に従いながらもなんとか静止する。
「なんですか、アマゾンって?」おっさんは小声で俺に聞いてきた。
お前もか、トネリコ……
「帰ったらいくらでも教えてやるから」
おっさんがわからないもの全てを説明していると、日が暮れてしまう。
そもそも俺の精神が持たない。
「それと、とりあえず今日と明日は出先で質問するのは止めてくれ」
「えぇー、そんな殺生ですよ!」
「一日毎に帰宅したら清算してやるから、勘弁してくれ」
「はぁ、晴信ぼっちゃんが言うなら仕方ないですな……」
トネリコは渋々納得してくれたみたいだ。
しかしこのおっさんの現代知識不足は深刻な問題だ。
ずっと見ない振りして、先延ばしにしていたけれども。
やたらと『サーチス』の魔法を使わせるわけにもいかないし。
ここはインターネットの使い方を教えて、勝手に学ばせるのが得策だろうか。
いや、そうすると新たな問題が――
「いやぁまた一つ賢くなってしまった。さ、行くわよ、二人とも」
思考の袋小路に足を踏み入れ始めた頃、寧音の一言で現実に立ち返った。
一人歩き出す彼女の背を俺とおっさんは慌てて追った。
その後は、特に問題もなく登校が完了した。
と言うのも、おっさんが言いつけを守ったからで。
それで歩く毎に寸劇を入れずに済んだおかげだ。
「ここが学校ですか……!」
何やらおっさんは大変感慨に浸っている。
外観部を見た時にも同じ言葉を漏らしていた。
今はすでに校内に侵入――足を踏み入れて、小ホールへ向かうところである。
そこでは、昨日の話し合いでフジミベーカリーの奴隷と化した藤岡先生が待っているはずだ。
寧音を先頭に殺風景な老化を進んでいく。
おっさんは物珍しいのか、ずっとあちこちを見ていた。
事ある毎に俺に何かを聞きたそうな目を向けてくる。
それを鋼の意志で跳ね除けながら、ようやく目的の場所の扉の前に辿り着いた。
「おはようございまーす」
先陣を切ったのは寧音だった。
扉を開けて、挨拶をしながら部屋の中に入っていく。
遅れて、俺とおっさんも後に続いた。
先生はいつものくたびれた感じ、でぼんやりと隅っこのテーブルを占拠していた。
頬杖を突きながら、教え子である俺たちに無機質な目線を送ってくる。
しかしその表情に変化が見られた。
まずその目が大きく見開いた。
次に肘をつくのを止めて、終いには俊敏に立ち上がる。
トネリコの存在に気が付いたからだろう。
「初めまして。この子たちの担任の藤岡です」
「私はトネリコと申します。えっと、しょ――」
「しょうもない居候です!」
この野郎、いきなり失言をかましそうになりやがった。
慌てて、俺はわけのわからない言葉を続ける。
部屋の中は微妙な雰囲気に包まれていた。
藤岡は「おお、そうか」と微妙な言葉しか返さない。
寧音に至っては、呆れと失望の入り混じった冷たい目でこっちを見ている。
おっさんは、状況が理解できずただ困惑気ににこにこして。
端的に俺が滑ったみたいになっているわけだ。
忽ち俺は居た堪れない気分になる。
なんだ、文句あるのか? いっそのこと殺してくれよ!
俺の中に眠る、叛骨精神を具現化した様なもう一つの人格が顔を覗かせた。
いやそんなもの持ち合わせてないけども。
もう恥ずかしくって、思考回路はむちゃくちゃだ!
「まあとりあえずもう少し中に入ってきなよ」
結局空気に耐えかねたらしい担任の一言で救われた。
進さんがパンを持ってくるまで暇があった。
そこで改めて、藤岡とトネリコの相互理解を深めてもらうことに。
無論、そこは俺が通訳に入った。
おかげで、おっさんの頭の中はわからない単語だらけになったようだ。
今から、帰宅後のことを考えると胸が熱くなる……
それでも時間があったから、昨日とは違い全員で掃除をした。
寧音はまだ昨日の掃除は人の心云々を信じていたようで、一生懸命張り切っていたけれども。
まあ悪いことではないので、永遠に真実は黙っておこう。
それで、ようやく今日売るパンが搬入されたわけで――
「多くない?」
パンジュウを見て、開口一番に藤岡が文句を漏らした。
明らかに今日はパンの量が増えていた。
なんと六ケースもある。昨日は三ケースだったのに!
もしかすると売れ残りを混ぜた、とか?
そんな軽口をたたいたところ。
「あのなぁ、そんなことするわけないだろうが!
大切に冷凍庫で眠ってもらってるわ!」
とすごい剣幕で店長に怒られた。
「一日目より多く売らないと駄目よ、って里奈が言ってた」
「奴め、現場の苦労を知らないで」
「いや先生も知りませんよね?」
「言葉の綾だよ、橋場くん。細かいことを気にすると、女の子に嫌われるぞ?」
そして、藤岡は寧音の方に意味ありげな視線を送った。
「あ、あたしは別になんというか……」
突然注目された少女は見るからに慌てふためいていた。
「はいはい、青春ワールドを展開するのは止めよ―な。
それと、祐一。さっきの発言はちゃんと報告しておく」
「い、いや、そのなんというかですね……」
たじろぐ友人を進さんは険しい目つきで見ていた。
「ごめんなさい、勘弁してください」
「何でもするか?」
「ああ、僕にできることなら」
言っちゃたよ、この人。
冷静に聞いていた俺にはすぐにこれが罠だとわかった。
止める術はなくて、代わりに恨みのこもった眼差しを担任にぶつける。
「じゃあ、全部売れ!」
やはり予想してい言葉が、進さんの口から吐き出された。
まあこれがなくても、どちらにせよやらなければいけないことではあるけれど。
店長は満足げに笑うと、そのままホールを出て行った。
俺はその背中にありったけの恨み節をぶつける。
こうして俺たちに朝っぱらから多大なノルマが振りかかったわけで。
元気だけが取り柄の寧音もさすがにこれにはひいていた。
販売開始まであと数分。
にもかかわらず、現場には重たい空気しか漂っておらず――
「任せてください!」
そんな中、自信ありげにおっさんが前に進み出た。
その顔はいつになくきりっとしていて、いつものゆるキャラ的ムードは消え去っている。
「このトネリコ、命に代えても全て売って見せましょうとも!」
その覚悟は重かった。
売れなかったら、トネリコは死んでしまうらしい。
蘇生魔法も、蘇生する道具もないけど、大丈夫だろうか?
「見ていてください、晴信ぼっちゃん」
空気を読まずに誰かが噴き出した気がする。
藤岡だろうか? だとしたら、パンの海に沈めてやりたいところだ。
おっさんは勇猛な足取りで廊下に出て行った。
ああ、こいつ何する気だろう。
俺はその姿に、たくましさではなく不安しか感じなかった――




