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第二十二話 一日が終わる

 反省会、その言葉は非常に重い響きを持っていた。

 事情はどうであれ、俺たちの前には大量に残されたパンがあって。

 それがすなわち今日が失敗だったと教えてくれている。


「ふむふむ、今日来てくれたのは約八十人ってところか……」

 自由帳を見ながら、副店長が呟いた。

 無表情のために、果たしてそれについてどう思っているかはわからない。

 それが俺をどこか不安にさせて――


「うん、上出来じゃないかしら!」

 長い間があって、里奈さんは声を弾ませた。

 その顔も満足げに綻んだ。


 しかしそう言われたところで、俺は全く安心できていなかった。

 うちの生徒数はおよそ千人。アンケートではこの半分の数値が必要になる。

 仮に今日来てくれた人数全てが賛成してくれるとしても、目標の十六パーセント程度だ。

 販売期間は三日間なわけだから、単純計算で一日辺り百七十人は人を呼ばねばまずい。

 しかも後になっていくにつれて、リピーターも混ざるわけで。

 だめだ、頭がこんがらがってきた。


「あら、晴信くんは納得いかないみたいね?」

「いえそういうわけじゃないですけど」

「うちの嫁さんが誉めてるんだぞ、泣いて喜びやがれまったく!」

「そういう風にするのは進くんだけで十分よ……」

「な、なに言ってんだ! そんなことねーだろーよ」

「またまたぁ、この間だって『お前が誉めてくれるのが一番嬉しいよ』って、キスをーー」

「わー、わー! 人前でなに言い出すんだ!」

 そしてなぜか若夫婦の生々しい話が暴露されて。


 なんでのろけ話が始まったのだろう。

 思い返せば、この間は我が両親の話も目の当たりにしたではないか。

 あ。思い出すんじゃなかった、気分が……


 とにかくそれに比べれば、天と地のさではあるけれど。

 やっぱり聞いていると、なんだか胃がムカムカするわけで。

 その甘ったるさと言えば、濃いブラックコーヒーを身体にぶちこみたくなる程だ。


 そんな甘々空間に引きずれたというのに。

 寧々の奴は目を輝かせ嬉々としている。

 なるほど、これがスイーツ脳というものか。

 そう一人納得する。


「あのそろそろ本題に戻りませんかね?」

 そこに切り込んでいったの、藤岡先生だった。

 さすが友人、そこに遠慮はない。

 俺にできないことを平然とやってのける。憧れはしない。


「えっとなんの話だったかしら?」

 里奈さんは少し顔が赤くなっていた。

「反省会の続きだ」

「そうそう、それね! とりあえず今日は順調だったと思うのです、私は」

 彼女はもう一度同じ結論を繰り返した。

「というのもですねーー」

 そしてつらつらと自分の理論を快活に説明していく。

 まるで学校のようにはっきり堂々と。


 そもそも、全校生徒のうちどれくらい購買を利用するのか。

 彼女はここを強調した。


「つまり仮に五割だとしましょう。すると、その全員が賛成票を入れてくれれば」

「わぁ、すごい! 目標達成だ!」

 寧音がいち早く小さく手を叩いた。

 なぞなぞに正解した幼稚園児みたいな反応だ。


 はしゃぐ幼稚系女子高生をよそに、俺は一人考える。


 しかし実際はそんな単純ではないはず。

 購買の利用者数がいくらいるか、その正確な数はわからない。

 でもそれが五割もいるとはあまり思えないわけで。

 まして問題は購買で食べ物を買う人と細かい条件まで付く。

 すると、やはりその数字は遠のいて見えるのだ。


 そもそも根本的な問題は別にある。里奈さんの仮定が正しいとしよう。

 では一体どうやってその全員をここに呼び込むのか?

 そして全てを満足させることなどできるのか?

 ……今日の成果から鑑みると前者は途方もないことのように思える。

 後者については、全くその方法は浮かばないし、難しいと思う。

 俺は思い切って里奈さんにこの二つをぶつけてみた。


「そうね、それが一番考えなきゃいけないことね」

 彼女は考え込む顔になった。

 だが、すぐにまたいつもの素敵な笑顔に戻って。


「少し見方を変えるけれど、必ずしも購買を使う人みんなを虜にする必要はないのよ?」

「えっ、でも里奈ちゃんさっき……」

「あれはね、話を究極的にわかりやすくしただけ」

「よかったな、寧音」

「なんであたしを哀れむのよ!」

 しかし先の喜びようを見ているとねぇ。俺は呆れていた。


「購買を使わない子でも、賛成票を入れてくれると思うのよ」

「つまり浮動票を当てにすると」

「うん、見込みが立たないのが戦略的には不安だけど。

 そこはまあ仕方ないと割り切ります」

「ね、ふどうひょう? ってなに?」

 一般常識が不足気味の少女に絡まれてしまった!

 

「政経の教科書でも読んでおけ……」

「えー、教えてくれたっていいじゃない!」

「……でもそんなに票が集まりますかね?」

 脱線しかねないので、幼馴染の疑問は黙殺した。

「反対する理由がなければ、存外反対に票を入れないものよ?

 余程の捻くれ者さんじゃない限り、大丈夫よきっと」

 楽観的だと思ったけれど、しかしどこか納得できる部分はあった。


 自分が今回の件について、無関係な第三者の立場だとした時。

 俺はおそらくフジミベーカリーのパンを購買に置くことに賛成する。

 例え、店の常連じゃなくてもきっとそう。

 どうでもいいからこそ、わざわざ反対したりしないと思うのだ。


 そう考えてみると、幾分か心理的ハードルが低くなった気がする。

 すでにある程度票を確保してあると考えればいいわけで。

 だとすれば、購買利用者の『全員』を意識する必要はない。

 呼び込みについては、それなりに頑張らなければいけないけれど。


「だから、ある程度は票を取りこぼしてもいいわけですね?」

「うん、私はそう思うわ」

「だとしても、二人の努力を否定するわけじゃないけど。

 初日で八十って数は少ないかい?」

 ずっと黙っていた藤岡が横やりを入れてきた。

 

 それは大方寧音の努力の結晶だった。

 その顔の広さを生かして、同学年にフジミベーカリーの話を広めてくれた。

 俺も友人や過去のクラスメイトに話してみたもののその数はたかが知れている。

 その結果が、『八十』という数字で。これ以上を伸ばせる気がしない。

 縦の繋がりは俺も寧音も持ち合わせていないのだ。


「大部分が三年生で、俺たちのできる策は使い切っちゃいました……」

「それは大丈夫よ。口コミで広がっていくでしょう?

 今日来たそれぞれが自分の所属する集団に話を広めてくれるはずよ」

「あー、確かに。後輩にも広めておくね、って言ってくれた人いたわ!」

「ね。だから、八十という数字は十分評価できるのです!」

 ぱちぱちぱち、と里奈さんは一人手を叩いて俺たちを讃えてくれた。


「後は明日呼び込みもしましょう」

「呼び込み、ですか?」

 途端浮かんだのは、今日の失敗の数々。

 俺は元より、寧音もそれには全く向いてなかった。


「極論を言うと、購買に食べ物を買いに来る人ってうちのパンでもいいわけじゃない?

 だからね、結構見込みがあると思うんだけど……」

 俺の不安な表情を、彼女は別に解釈したらしい。

「うーん、だと思うんだけど。今日かなり失敗しちゃって……」

 申し訳なさそうに、寧音が口添えをした。

「それは大丈夫! トネリコさんがいるわ!」

 ここでそう来るのか。信頼度高いな、あのおっさん。


 やってくれそうなところはあるけれど。

 俺としては、あのおっさんの存在をあまり露見させたくないわけで。

 露出が増えれば増える程、異世界関連でボロを出しかねない。

 明日から、別方向に辛さが増えそうだ。心の中でため息をついた。


「あたしも明日までに何か考えておくね!」

 そして、そこにトラブルガールまで乗っかってきた。

 余程、キャッチが失敗したことが悔しかったのか。

 それともおっさんを信用できないのか。

 どちらにせよ、頼むからろくでもないことはしないでほしい。


「何とか光明が見えてきたと思わない、晴信くん?」

「ははっ、そうですね」

 実際には、俺の心に見通しの立たない闇が広がってきたのは秘密だ。


「後はね、来てくれた人は満足してもらえると思うのよ」

 さらっと、とんでもない一言を里奈さんはぶち込んできた。

「す、すごい自信ですね」

「でも二人もトネリコさんもうちのパン好きでしょ?」

「まあそうですけど」

「職員室でも人気だったぞ~」

 多めに買ったパンはどうやら同僚に配ったらしいな、この人。

「だから、食べてもらえれば気に入ってくれると思うのよ。

 それはきっと驕りなのかもしれないけれど。ねえ、進さん?」

「当たり前だ。俺は自分の作るパンには自信を持ってる」

「百パーセントは難しいにしても、結構いい線いくと思うんだ」

 里奈さんははにかむ様に表情を崩した


 その目論見を、俺は決して驕りだなんて思っていない。

 俺自身として、フジミベーカリーのパンは最高だと思っている。

 その味をほとんどの人が好きになってくれる、その確信があった。

 だから、校内販売という結論に達したわけで。


「ただ接客はきちんとやりましょう!」

 副店長は、俺、寧音、そしてなぜか藤岡と順々に目を向けてきた。

「え、やっぱり僕もやるのか!?」

 この期に及んで、まだ担任は動揺を隠せていない。


「手伝ってもらえますよね?」

 どこか陰のある笑顔で、彼女は小首を傾げた。

「え、ええ、喜んでやらせていただきますとも!」

 言葉と表情が全く合致していないんだけど。

 まあなんであれ、また一人協力者が現れたことは良しとしよう。


「それにトネリコさんもいるから大丈夫よ、たぶん」

「たぶんって言った。今、たぶんって」

「やかましいぞ、祐一! 言ったからには覚悟を決めやがれ」

「おいおい、ついには強迫かよ……」

 ぐったりとうなだれる担任に心の中でエールを送っておいた。


「さて、こんなところかな。あとは店で細かいところを詰めましょう」

 その一言で、即席の反省会は幕を閉じたわけだ。

 全員でそそくさと後片付けの作業に移る。


 自分としては、納得のいく結果ではなかったけれど。

 それでも評価できる部分はあったらしくて。

 終わったばかりの頃感じた、無力感はかなり和らいでいた。


 色々と不安なところはあるけれど、明るい材料が見つかったのも事実である。

 しかしそれは大半が一層明日からも頑張らなければならないということで。

 俺は次第に自分の中に活力が漲っていくのをひしひしと感じていた――

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