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第二十話 過酷な一日の幕開け

「ありあとざいっしたー」

 辛うじて、ありがとうございましたと聞こえる発音で意味不明な言葉を吐き出した。

 そして、これまた適当に腰を折る。


「あのねぇ、晴信? ちょっと雑過ぎない?」

 隣に立つ寧音は咎める様な顔で俺を見る。

 そこには少しばかり呆れも含んでいるみたいだ。


 しかしそんな反応をされてもなぁ……

 相手は知り合いばかりで、段々と心が擦れていく。

 それじゃあだめだ、というのは頭ではわかっていても、ねぇ。


 地獄の一日が幕を開けてから、はや十五分ほど立っていた。

 しかしその成果と言えば非常に芳しくない。

 そう、全く客が来ないのだ。

 

 時折、廊下から騒ぎ声は聞こえてくる。

 そのため、このあたりまで来る人はいるのだ、それなりに。

 でも、我がフジミベーカリー出張店に、彼らが来ることは殆どない。


 仕方ないから、途中からやり方を変えた。

 集団が近づいてくる音が聞こえたら、俺たちは廊下を覗き込んだ。

 その中に、顔見知りを見つけたら、強引にこちらに引き込む。

 そして押し売り的にパンを買わせて終了。以下この施行をn回繰り返す。

 みたいな感じである。


 それでその実態と言えば、まあ特に問題はなかった。

 元々購買によるつもりだった奴にとっては、この店でも代わりになるわけで。

 彼らは腹を満たせ、俺たちは売り上げを得る。ここにウィンウィンの関係が成立していた。


 では、それ以外はどうなのかと言えば――


 丁度いいタイミングで、入り口から顔を突き出してきた奴がいた。

 男子生徒だが、その顔に見覚えはない。

 足元が見えないので学年は不明。指定上靴のラインの色が学年を示しているのだが。

 こういうパターンは何度かあった。大抵冷やかしで終わったけれども。 


「ふっふっふっ、あたしに任せなさい!」

 そう言うと、自信満々に彼の方に寧音が近づいていった。

 また始まったか。止める暇はなかった。いやつもりの間違いか。


「おはようございます!」

 まずは先制ジャブをかます。

 男は多少怯んだ様子を見せた。


「ここでフジミベーカリーっていうお店のパンを売ってるんですけど……

 よかったら、おひとつどうですかぁ?」

 寧音の声はどこから出しているのか、かなり甘ったるい。

 

「いや、ちょっと覗いてみただけだから」

 しかしそれは虚しい結果に終わった。

 男子生徒は足早に去って行ってしまった。


「なによ、あれ! だったら最初から覗かないでほしいわね」

「まあそういうなよ。はたから見りゃ、不思議な催し物で珍しいんだろ」

 お怒りのご様子の幼馴染を軽く宥めた。


 寧音が苛立つのも無理はないと思う。

 ここまでああいうキャッチは連敗続きで。

 それに下級生に間違われることもままあった。


「やっぱり魅力的じゃないのかなぁ……」

 幼馴染は珍しくしょげた様子を見せた。

 さすがに失敗が続いてへこんでいるらしい。

「まあ見た目がな、どうしても」

 可愛くないとかそういうわけではないが、やはり色々と足りない。


「え、そう? 悪くないと思うんだけど」

 彼女は心底意外そうな顔をしていた。

「……じゃあ中身か?」

 見た目相応に子供っぽいけれど、それなりに頼りになるところもあるわけで。

 そこは別にマイナスポイントじゃないと思うけど。

 

 しかし俺の答えに、寧音は今度は怪訝な顔をした。

「中身って……ねえ、あんた何の話してるの?」

「お前が魅力的かどうかって話じゃないのか?」

「違うわよっ! パンの話に決まっているでしょ!」

「ああ、そっちか」

 心配して損した。まったくわかりづらい言い方をしないでほしい。


「あたしは十分に魅力的ですから!」

「はいはい、そうですね。

 それを生かして、パンをたくさん売ってくださいな」

 いつも思うが、その自信はどこから来るのやら。

 まあこうして元気いっぱいでうるさいくらいが寧音らしいけれど。


「っと、そろそろ終わりにしないとな」

 気になって時計を見た。八時二十分になろうとしていた。

 朝のHRが始まる時間まであとわずかだ。


「えー、まだ大丈夫でしょ?」

「ギリギリに来る奴を捕まえてる時間はないぞ。

 売るのにも時間かかるし、それに片付けもある」

「そうかなぁ」

 まだ寧音は名残惜しそうにしている。


 それをほっといて、俺はエプロンを外した。

 そしてテーブルの上にまだたくさん残っているパンをいったんケースに戻していく。

 しかしまあその量を前にすると、この後のことがやや憂鬱になるのだった。


「ねえちょっと持ってって、クラスの子に売ってもいい?」

「ああ、いいと思うぞ。ただ記録するの忘れるなよ」

「大丈夫、大丈夫」

 そう言って、寧音は自分の鞄にいくつかパンを入れる。

 

「さて、教室行くか」

 俺は最後に金庫をバッグに詰めた。

「そうだね。鍵、ちゃんと持ってる?」

「もちろん」

 藤岡先生から貸してもらった小ホールのカギをちらつかせた。


 出る時に施錠しろとのことで、先ほど預かったものだ。

 ちなみに彼は進さんが帰ってすぐ職員室へ行ってしまった。

 どさくさに紛れて、十個ほど売りつけることに成功したけれど。


「俺、保健室寄ってくよ」

「じゃああとでね」

 廊下に出て、扉を閉めたところで、俺は寧音と別れた。


 残された時間は僅かである。

 しかし、俺は行かなければならない。

 トネリコの状態を確認しなければ。

 そろそろ目覚めていて欲しいところではある。

 現在、我が高校の保健室は見知らぬ謎のおっさんに占拠されているのだ。


 急ぐ生徒の波に逆らって、俺は廊下を早足で進む。

 保健室は小ホールと同じ一階で、反対側にある。


「失礼しまーす」

 がらがらと音を立ててドアを開けて中に入った。

 白衣を着た若い女性がこちらに背を向けて座っていた。


「あら橋場君」

 ゆっくりとその體がこちらを向く。

 保健室の先生の顔はげんなりとしていた。


 朝っぱらか謎のおっさんを押し付けられたのだから無理はない。

 かなり申し訳ない気になってくる。


「あのどうですか、おっさ――トネリコは?」

「それが全然目が覚めなくってねぇ」

 はぁ、と一つ大きく彼女はため息をついた。


 俺もため息をつきたい気分だ。

 大丈夫なのか、あのおっさんは……

 これは今後も全くあてにならないぞ。


「すいません、また授業終わったら来ます」

「はいはい。なるべく早く目が覚めることを強く願ってるわ……」

 問題が一向に減らないことに、うんざりしながら俺は保健室を後にした。





 それからのことは散々だった。

 休み時間になる度に、俺はまず保健室に行っておっさんの様子を聞きに行く。

 その後は、小ホールに行って店番をする。

 

 一例をあげれば――

 

「さあ、晴信行くわよ!」

 授業が終わるや否や、こういう風に寧音が飛んでくる。

 それでやれやれと思いながらも腰を上げて、急ぎ足で移動する。

 彼女はまっすぐ小ホールに行けばよいが、俺は廊下の端々を動かなければいけないのが辛い。


 それで肝心の人は来るのか、ということだが。

 寧音がクラス内で宣伝したこともあり、三年生の客は多かった。

 俺も微力ながら知り合いに声をかけた。

 朝よりも売れ行きが良くなったのは不幸中の幸いだった。


 ただ中には別のパターンもあって――


「さあ、晴信行くわよ!」

「いや次移動教室だけど?」

 そうなのだ、必ずしも小ホールに行く時間があるわけではなかった。

 今日はなかったが、これが体育でもあろうものなら……

 明日以降のことを考えると気が重い。

 さすがにトネリコのおっさんが復活しているとは思うが。


 そんなわけで、休み時間を全て労働時間に変えながら。

 ようやく午前中の授業が全て終わった。





「さあ、晴信行くわよ!」

 よくもまあ同じことを飽きもせず繰り返せるものだ。

 俺はもはや感動すら覚えていた。


「……ご飯食べたいんだけど」

「それはあたしだって同じよ。さあ、行くわよ!」

「大変だねぇ、二人とも」

 後ろの席で、慎吾が苦笑いをしていた。


「昼飯食ったら、手伝いに行くけど?」

「それは助かる! なあ、寧音?」

「じゃあ今から来なさいよ!」

「あの交代制にした方が、二人も飯食べれると思うけど……」

 その通りである。

 まったくどうしてこんなに寧音は張り切っているのやら。


「いってらっしゃーい」

 友の声を背に、俺たちは出張店舗へと向かった。


「実は待機の行列ができてたり?」

「ないない」

 俺は即座に手を振って否定する。

「なによ、少しくらい夢見たっていいじゃない!」

 そんな話をしながら、階段を降りたところ――


 小ホールの前で二人の男が待ちぼうけを食らっているのが見えた。

 進さんと、藤岡先生だった。

 そういえば、昼の分のパンの追加があったことを今思い出した。


 彼らの所に行ったところ、二人はパンジュウをいくつか重ねて持っていた。

 それは朝よりも多く見える。

 はあ、ようやく朝の分が捌けてきたと思ったのに。


「おせーぞ、お前ら」

「無茶言わないでくださいよ。今まで授業ですよ?」

「そんなもん抜け出してこい!

 俺たちが高校生の時はしょっちゅうそんなことしてたぞ」

 なあ、と進さんは旧友に同意を求める。

 それを藤岡は曖昧な表情でかわした。

「これでも教員だからね、ノーコメント」

 

 とにかく扉を開いて、俺たちは中に入った。

 進さんたちが販売台にケースを置いて、俺と寧音がパンを手慣れた感じで並べていく。


「これで全部ですか?」

「いや、おい祐一! さっさと取りに行くぞ!」

「はいはい、それじゃ行ってくるから、二人とも頑張ってな」

 どうやらまだ追加分があるらしい。

 当たり前か、目標個数を考えれば、朝持ってきた分だけでは全然足りないし。


 しかし全てを売り切る自信はないぞ……

 せめてトネリコが居れば。

 未だに、保健室で夢を見ているおっさんが本当に恨めしい。


「さあっ、昼休みも頑張るよー」

 そんな食傷気味の俺を余所に、隣で幼馴染の少女が激しく張り切っているのだった――

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