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第十八話 前途多難な準備作業

 数十分後。

 即席の販売会場は無事に完成した。


 部屋の窓側から三分の一くらいのところに三つほど長机が並べてある。

 そして、残りの部分に客の流れを阻害しない程度に、テーブルを配置した。

 しかしやはりいくつかあまりがでたので、それは廊下に出した。


「ふー、結構疲れたわね」

 寧音はぐーっと小柄な体躯を目いっぱい伸ばす。

 なんともまあ微笑ましい光景だった。


 それはそれとして、俺も軽く疲労感はあった。

 たかが机と椅子の持ち運びと侮っていたら、これが案外なかなかしんどかった。

 今は手ごろなところに腰を下ろしていた。


「後は掃除をして終了だが」

 藤岡はちらりと壁時計を見た。

 そろそろフジミベーカリーからパンとおっさんが届く頃だった。


「よし、ここは豊臣! キミに任せよう」

「え、嫌なんですけど」

「これはな、キミにしかできない仕事だ」

「そんなわけないじゃないですか……」

 さすがの寧音もその言葉においそれとは騙されなかった。

 疑う様な目つきで、先生を睨んでいた。


 すると藤岡はゆっくりと首を振った。

 わかってないな、彼の表情がそう物語っていた。

「掃除には人の心が現れる。

 今こそ、キミの大人の女性としての心意気を見せる時じゃないか?」

 至極真剣な表情でそんな言葉を繰り出した。


 さすがにそれは無理があるだろう。

 俺は自然と眉間に皺が寄って渋い表情にならざるを得なかった。

 呆れながらも、寧音の方を見ると――


「やります、やらせてください!」 

 まばゆい笑顔で応じてしまっていた。

「見てなさい、晴信! 今日こそはあたしの真の魅力を見せつけてあげる」

 ああ、口車に乗せられて見事に張り切っていますね……


 そんな哀れな幼馴染を捨てて、俺と先生で進さんたちと合流することに。





 外に出てすぐ校門のところに、フジミベーカリーのワゴンが止まっていた。

 向こうも俺たちに気が付いたらしく、進さんが運転席から降りてきた。


「よお、祐一! 久しぶりだな!」

「そうだな、進」

 二人はがっちりと拳を交わした。

 まさに男の友情といった感じ。


 そのまま二人で談笑になだれ込む。

 俺はそれよりも気になることがあった。

 おっさんがいつまでたっても出てこない。


「あの、トネリコは?」

「おっさんか……まあ見てもらった方が早いな」

 そう言うと、進さんは車に近づいて助手席のドアを開けた。


 おっさんがグロッキーな状態で押し込まれている!


 その顔は青白く自慢の口髭は萎びていて。

 白目を剥いて魂が抜けた様に口はだらしなく開いている。

 そしてシートベルトがなければ、そのまま床に崩れ落ちそうな体勢だ。


「こいつ、車酔い激しかったんだな」

「はは、そうなんですかねー」

 俺は遠い目をして誤魔化した。

 歴戦の冒険者も自動車移動には勝てなかったらしい。


 いや、そもそも彼らは馬車で旅をしていたはずでは?

 そっちの方がよほど乗り心地が悪そうだけども。

 でも馬車で酔うことはないのかも。

 そのあたりのことを知っているはずの男は今ダウンしているからよくわからない。

  

 ぐったりとして呻き声をあげるだけの存在になったおっさんを見下ろしながら。

 これをどうしたものか……腕組しながら思考を巡らせる。

 おおよそ、今の状態では使い物にならないんだけど。


「進さん、どうしましょうか?」

「どうしようってな……」

 すると彼は顔を歪めて頭をかいた。

「休ませておくしかなくないか」

「ええ、それだと誰が販売を……」

「俺が、俺がやるしかねえっ……!」

 店長の瞳にはごうごうとと炎が宿っている様だった。


 俺としては、非常に深い不安を覚えるのだけれど。

 この人に接客なんてことできるわけが……言葉遣いは乱暴だし、態度は横柄だし。

 そもそも初めから出きるくらいなら、トネリコがここに送り込まれてはいない。


 何とかしておっさんには復活してもらわなけば。

 ああ俺に治癒魔法が使えれば。

 あるいは、回復アイテムでもあれば――


「なあ二人とも。ところで、その人は誰なんだい?」

 緊迫した雰囲気に、藤岡が水を差した。

 その疑問も至極真っ当なものだけど、タイミングというものがあるだろう。

 彼の友人は蛮勇を滾らせて。

 彼の教え子は悲壮感に押しつぶされそうになっているというのに。


「ああ、これか。トネリコって言って、うちの従業員だ」

「あとうちの居候でもあります」

「は、はあ?」

 先生の頭には疑問符がたくさん点っている。

 しかし可哀想だが、説明している時間はあまりなくて。


「行き倒れたところを俺が保護したら、

 紆余曲折を経てフジミベーカリーで働くことになった外国人です」

 と、早口で情報を押し付けた。


 見る見るうちに、先生の顔は曇っていった。

 情報を処理できないのか、次第に眉間に皺が寄っていく。

 ついにはこめかみをおさえだしてしまった。


「はぁ、また橋場がお人よしスキルを発動したのか」

「いやぁつい放っておけなくて」

「あのなぁ……しょっちゅうノート貸したり、予習見せたりしてるみたいだけど。

 度が過ぎるのはよくないぞ?」

 わかってはいるんだが、いざ相違場面に出くわしてしまうと……

 断れない性格というやつなのだ。


 まあその説教は甘んじて受け入れることにして。

 とにかく今はおっさんをどうにかしなければ。


「うーん、やっぱりすぐには回復しないと思うぞ」

 見解は藤岡先生も同じだった。

 だが、このまま放置しておくわけにもいかず。


 こうして三人の男は一人のおっさんの処遇について頭を悩ませるのだった――

 




「ただいま~」

 ようやく玄関前での一悶着が終わった。

 俺たち三人は小ホール――フジミベーカリー学内出張店へと戻った。


 寧音は相当張り切って掃除をしていたらしい。

 今やブレザーを脱ぎ捨て、ブラウス姿で袖までまくっていた。

 部屋に入った時には、軽くハミングしながら机を熱心に磨いていた。


「お帰りなさい。あら、結構あるんだね」

 彼女は手を止めると、俺たちの抱えるケースを見て目を丸くした。


 パンの入れ物――ぱんじゅうと呼ぶらしいが――はそれぞれが一つずつ持っていた。

 一つにつきおよそ三十個ずつ入っているということで、総計は九十個程度。

 それを里奈さんの計画では昼頃までに売るということらしい。


『意外と、朝に購買に通う子も多いいんだよ?』

 その根拠について、そんな風に述べていた。

 さすがうちのOGで元生徒会長。その辺りのことは詳しいらしい。


「あれ、おじさんは?」

「あいつはおいてきた。この先の闘いにはついてこれそうにもない」

「どこかで聞いたことのある様なセリフ回しね……

 わかるように説明してもらえる?」

「めんどくせーな」

 あからさまなため息までおまけしたら、思いっきり寧音に睨まれた。


「いや車酔いで使い物にならなくなっちゃって」

「えぇ……だってここまでそんな距離ないでしょ」

「そんなこと言ったって、しょうがないじゃないかぁ」

「今度は謎物真似が入ったわね……

 とうしたの、あんた大丈夫?」

 本気で憐れまれる目を向けられてしまった。


「そういう反応が一番傷つくんだよなぁ」

「少しはあたしの気持ちもわかったかしら?」

「いやまったく」

 幼馴染の表情が冷ややかなものから、一気に燃え上がった。。

 最終的にこいつを悔しがらせることができたので、良しとしておこう。


 ちなみにおっさんは保健室のベッドに沈めておいた。

 もちろん保健室の先生の強い抵抗を受けたわけで。

 当たり前だ、トネリコは怪しい不審者でしかない。

 幸いにも、藤岡先生の熱心な説明により事なきを得た。 


 しかし藤岡先生も災難である。

 今日知り合ったばかりの、ほぼ見知らぬおっさんの弁護をさせられたのだから。

 これでおっさんが何かトラブルでもおこしようものなら……

 今までありがとうございました、藤岡先生。


 というわけで、おっさん抜きでミッションを進める必要がある。

 いきなり前途多難なわけだ。


「……それで? そうなると誰が売るのかしら?」

 寧音は喋りながら、険しい目付きで進さんを見ていた。

 答えはわかっている。けれど、万が一があるかもしれない。

 おおよそそんな風に考えていることだろう。


 ただ残念ながら――


「もちろん俺だぁ!」

 これでもかという程、フジミベーカリー店長はやる気に満ち溢れている。

 何がここまで彼を駆り立てるのか、よくわからない。


 トネリコが役に立たないと、判明してからずっとこうだ。

 名目上でも、店の責任者という立場だから責任感を感じるのも当然だが。

 しかしこのはりきりようは、いつものこの人からは想像できなかった。

 だからこそ俺の胸には、先ほどからずっと嫌な予感が燻っているわけで。


 ただ、現実問題、この人以外に適任者がいないのも事実だ。

 本店の方は、里奈さん一人で回している。

 選択肢は、今日は諦めるか。進さんを信じるかのどちらかだ。


「……ほんとに大丈夫かな」

 やはり寧音も気持ちは同じらしい。

 珍しく不安げな表情でぽつりとつぶやいた。

「なんだ、お前ら! 俺をなんだと思ってるんだ」

「生粋の遊び人」

「違わいっ! 俺だってな、やる時はやる男さ。なあ、祐一?」

「キミが自信満々の時は大抵ろくなことがなかったけどね」

 冷めた目で藤岡先生が跳ね除けた。


「そもそもどうしてそんなにやる気なんですか?

 昨日は渋々やるかって感じだったのに」

「バカヤローっ!」

 いきなり激しく怒鳴られた。

「いいか、ここは高校だ。若い娘と触れ合えるチャンスだ」

 ……動機はこれでもかというばかりに不純だった。


「ちょっと待ちなさい!」

 さすがにここで女子代表として、寧音が意見を申し上げるらしい。

 その顔はかなり怒っている。

「いつもあたしの時、扱いがぞんざいじゃない!」

「だってそれは……なあ、少年」

 残念な目をして、ダメ男は俺の方を見た。

「こっちに振らないでくださいよ……

 言いたいことはわかりますけどね」

 寧音の需要は特定の層に固まっているだろうしなぁ。

 心の中でぼんやりと思う。


「あんたたちねぇ……! 里奈ちゃんに報告するから!」

「なっ、頼む、それだけは――」

「無理っ!」

 果てしなく無意味な攻防が始まってしまった。

 俺と藤岡先生は思わず顔を見合わせた。


「時間、大丈夫か?」

「さあどうですかね」

 時刻は八時に迫りつつある。

 そろそろパンを売る体制を整えないと大変なことになる。

 

 とりあえずそろそろ準備を再開しなければ。

 二人を宥めにかかろうとしたその時、誰かのスマホが鳴った――

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