第十二話 おっさんの秘策
丁度お茶が切れたので、台所に取りに行くことにした。
気分転換も兼ねている。
なにせおっさんの話をずっと聞いていると疲れてくるわけで。
すると、母がテレビを見ていた。
いい機会だ、少しカマをかけてみよう。
そんな悪戯心が芽生えて――
「客間、戸棚、一番上の棚」
「な、なによ、突然!
いっちょ前に韻なんか踏んで、ラッパーを気取っているの?」
俺はじっと狼狽える母の表情を観察していた。
心当たりのない者からすれば、俺の発言はあまりにも突拍子がない、意味不明な言葉の羅列。
そんなものをいきなりぶつけられればそりゃ困惑する。
母親の反応もそう考えれば、自然であるが。
「な、なによ? 今月の小遣い無しは変わらないわよ!」
いきなり金の話が出てきた。
これはもしや――
あの文字列から金のことを連想したということならば。
すなわりそれこそ母があのへそくりの持ち主ということだ。
いやまだ確証は得ていない。
しかし確信は覚えた。
「ま、見つからない様に気を付けてー」
煽る様に一言残して、俺はおっさんの所に残った。
母さんが何やら騒いでいたが、よくわからなかった。
しかしこれで母さんのじゃなければ無意味なことをしたものだ。
ま、おそらく隠し場所が変わるかどうかで全てがわかる。
だからどうしたと言われれば何も言えないけれど。
「あ、晴信ぼっちゃん。お帰りなさい」
「さあ話を続けようぜ」
おっさんの前にグラスを置いて、俺は腰を下ろした。
「いったいどんな悪だくみを思いついた?」
一口茶で喉を潤してから切り込んでいく。
「そんな悪だくみだなんて……」
「なんで少し照れ気味なんだよ」
「こほん、いいですか?
人がたくさんいるということは顧客獲得のチャンスでもあります」
「確かにな」
まあ一理ある。
「一か所にまとまっているということはその分コストもかかりませんね?」
「おお、中々論理的じゃないか」
今回ばかりは素直に感心した。。
まさに商人ならではの考え方である。
さっきは突然話題が降ってきたものだから、つい身構えてしまったものの。
ちゃんと聞いてみれば、物騒な話ではない。
「もし件の学校とやらの人を全員虜にすることができれば。
それはもうとっても、素晴らしいことじゃあありませんか!」
おっさんは悦に入った表情を浮かべている。
頭の中で金勘定をしていてもおかしくない。
それができれば、確かにフジミベーカリーは爆発的な人気を得るだろう。
しかし、できれば、という話である。
問題はその手段だ。
残念ながら、この辺りからうちの高校に通う生徒はあまり多くない。
教職員はもとよりで。
いくら学校から近いと言っても、その存在は目立たない。
距離にすれば、歩いて10分かからないくらいでも。
「やはりそこですよね、ずっと考えてはいるんですけど。
はあ、アイテム袋があればいくらでも人気にできるんですが……」
「念のため、その方法を教えてもらってもいいかな?」
どうせろくでもない考えなのだろうけど。
「やはり一番良いのは魅了剤ですかね。サキュバスを倒した時にドロップしたもので。
これをパンに仕込めば、もうそれなしでは生きられない身体になりますぞ!」
「それただの依存症じゃねーか!」
あいつパンキメてるらしいよ?
とかいう会話が繰り広げられるとか、世も末過ぎる。
「需要を作り出すのに一番手っ取り早いと思ったんですけど」
「ヤバい組織のやり方だぜ、それ……
却下だ、却下! 他には?」
「能力値が上がる果実を混ぜる、とかどうでしょう?」
「いや、そもそもステータスってなんだよ!」
「筋力とか、賢さとか……」
「一気に危ない商品に早変わりだな。
方向性はさっきの魅了とほぼ同じだからダメ」
「えぇ、我がままですねぇ、晴信ぼっちゃんは」
「お前にモラルがなさすぎるんだよ」
さすが死の商人戦術で自分の店を築いただけのことはある。
こんな横暴を許したら、うちの学校がボロボロになってしまう。
とりあえず過激派路線へと舵を切ろうとするのは止めていただきたい。
このまま話していると、幻覚を見せてだますとかいう話まで出そうだ。
「そもそも、アイテム袋を見つけるための施策でもあるわけだから本末転倒なわけで」
「それもそうでしたね。やっぱり普通の方法を考えなくては」
「とりあえずパン自体は美味しいんだから、それ自体に手を加えるのはなしだ」
「確かにそうですな。藤見ご夫妻に失礼ですぞ」
「……初めに言い出したのはお前だからな」
この男、本当に反省という言葉を知らない。
「じゃあ希少価値を持たせてみます?
数量限定、お一人様一つまでみたいな」
「まあそういう感じの方が健全ではあるよな」
「以前冒険で寄った街に、どんな病気や怪我にも効く万能の回復薬のお店があったんですよ。
それがさらにそういう謳い文句を掲げていまして、とても繁盛してました」
「うんうん、いい実例だ。こっちの世界にもそういうのあるしな」
「まあ結局勇者パーティって言うことを前面に出して、粗方買い占めましたけど」
「お前は一々オチをつけないと話せないのかよ……」
昨日から勇者一味に関して、悪評しか聞いてないんだけど。
「まあでもこれはあまりいいと思えませんが」
「ん、どうしてだ? 少なくとも先の二つよりはましだと思うけど」
「知名度が急激に上がるやり方にはなりませんからね。
いきなりよく知らない店がそういうことをやってもあまり効果はないかと」
「じゃあどうしたらみんなに知ってもらえるかね……」
やっぱり地道に布教していくしかないか。
口コミも意外と馬鹿にできないわけで。
俺はともかく寧音は校内で顔が広いのだから、それなりに広まるはずだ。
だが、これでは効果が出るまで時間がかかる。
単にフジミベーカリーを流行らせるだけならそれでいいが、俺たちにはその次のステップがある。
「食べてもらえればイチコロだと思うんだけどなぁ」
ぽつりとそんな一言を漏らした。
するとトネリコがはっとした表情になって――
「学校の中で、売ったりできないんですか?」
……それは盲点だった。まさに灯台下暗し。
フジミベーカリーにパンを買ってきてもらえないなら、こちらから売りつければいいじゃない。
えらい偉人もそんなことを言っていたし。
「なんだか俺たち凄い遠回りをした気がするな……」
「ええ、ほんとですね」
おっさんも少しげんなりしていた。
「とりあえず明日調べてみるから、おっさんは進さんたちと話し合っておいてくれ」
「ええ、わかりました」
これでうまくいけばいいのだけれど。
なんだかどっと疲れが湧いた。
ひとまず話は終わったということで、コップを持って立ち上がった。
そのまま部屋を出て行こうとするが――
「ぼっちゃん! 今度はわたしから聞いてもよろしいですか?」
なるほど、今度はおっさんのターンらしい。
少しだけ面倒くさかったが、再び座りなおした。
「いいけど。手短に頼むぜ?」
「わかっていますとも」
そういうと、トネリコは珍しく真剣な顔つきになって――
「今日一緒だった娘さんはぼっちゃんの恋人さんですかな?」
とまあ、真面目な顔でとんちんかんな言葉を吐いた。
何言ってんだか、こいつは。
まさかそんなくだらないことを聞きたがるなんて。
そんな話興味ないと思っていた。
このおっさんの一番の関心事は金儲けじゃないのか?
「違う」
「またまた照れちゃっ――」
「トネリコさん、覚悟できてますか?」
ぐぐっと、左の手のひらで、右人差し指と中指を押して力を貯める。
今俺にできる全力の一撃を。
ありったけの力を込めてぶっ放す。
目の前の小憎たらしい顔をした中年男をこの世から葬り去るために――
「す、すいません、それは勘弁してください!」
それは華麗な土下座だった。
手のつき方、頭の下げ方、足の揃え方――このまま彫像にしたいくらい。
そして芸術品として高値で売りさばく。
タイトルは『売り物と化した中年商人』みたいな。
「ただの幼馴染だよ、まったく」
俺は素っ気なく吐き捨てた。
「ああ、やっぱりそうなんですねー」
「やっぱり? ……誰かの入れ知恵を受けたな」
「ええと進殿が試しに聞いてみろ、と。
そしたらバイト代挙げてやるからって言ってましたぁ」
べらべらと開く口はいいものである。
しかし、あの人は。
直接的じゃ飽き足らず、間接的にもいじってき始めたか。
「とにかく進さんの言うことは真に受けるなよ」
「はーい、わかりましたー」
いつになく軽率極まりない答え方だ。
まあ一々気にしても仕方がないので、ここはスルー。
「でもお似合いだと思いましたよ、実際。
――って、そんなにいやそうな顔をしますか?」
自分でも顔が曇っていくのが抑えられなかった。
「見た目はとても可愛らしいじゃないですか」
「そうか? 中身共々子供っぽすぎると思うけど」
「年相応だと思いましたけどねぇ……」
ん、今こいつ変なことを言ったような気がする。
「いや、あいつ、俺と同い年の17だぞ?」
「はい?」
珍しくおっさんは間の抜けた声を上げた。
密かに俺は心の中で笑った。
あいつ、またしても幼く見られたか。
しかしこのことは黙っていよう。
またあいつきっと暴れ出す。
「えぇ、ほんとですか? あれで、妹と同じとは……」
「あんたの妹も同年代なのか。
というか、いくつだと思ったんだよ?」
「13、14くらいかと。
だから初めはずいぶんアンバランスな組み合わせだなぁと思ったんですよ」
「それなのにお似合いと思ったのか……
相変わらず適当言うねぇ」
俺はくたびれた思いを感じつつ首を左右に振った。
「幼馴染さんということなら、付き合いも長いので?」
「まあそうだな、ほんと小さい頃から一緒だなぁ」
自分の記憶の中で一番古いものは、幼稚園のころまで遡る。
あの頃は、性格はもっとしおらしかった。
引っ込み思案で、人見知りで、いつも俺の後ろをついて歩いてた気がする。
小学校の高学年になる頃には立場が逆転したけれど。
きっかけについては、あまり良く覚えていないというところが本音の所だ。
「なんだかいいですな、そういう関係」
「そうか? まあ確かに悪いことばかりじゃないけど――」
言いながら、つい最近もひと騒動あったことを思い出す。
この間、一緒に商店街へと出かけたのだが。
生憎イベントと重なって、珍しくかなりの人混みができていた。
俺たちはそんな中を目指す店に向けて歩いていたのだが。
ふと、横を見た時、そこにあいつの姿はなかった。
どうやらはぐれたらしい。
高校生にもなって、彼女は迷子になった。
仕方なく、スマホに連絡してみたが、繋がらない。
後で聞いたところ、たまたま忘れちゃった~、とか悪びれもせずに笑っていた。
置いて帰ることも頭に過ったが、向こうも俺を探していると面倒なわけで。
結局、歩いて探し回ることになった。
おかげで貴重な休日の半分が、それはまあ有意義なものになった。
ちなみにはぐれた理由は、目に入ったショーケースの中の商品に見惚れてたとかなんとか。
それでするするっとその店に入っていったんだって。
どうにも彼女は視野が狭いというか。
「はあ、なんだかうんざりした気分になってきた」
「そ、それは、なんだかすいません」
「いや、いいけどさ。とにかく明日また作戦会議な」
そう言って、俺は客間を出た。
コップを下げにリビングに行ったところ、母親から探りを入れられたのは言うまでもない。




