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主人公は悪を滅ぼす

「ここは……」


 次にエルムが目覚めた時、彼は既に日本にはいなかった。エルムは起き上がり、恐々と辺りを見渡した。先ほどまで壁のように聳え立っていた建物も柱も、その間を結ぶ謎の黒い線も、太陽の光を反射する不思議な透明の壁も何処にも見当たらなかった。眼下に広がる、赤レンガが積み重ねられた農家の集落に、エルムは見覚えがあった。


「帰って来た……!?」


 少年は思わず自分の手のひらを見つめた。果たして自分が本当にファンタジアに戻って来たのかどうか、全く実感が湧かなかった。ゆっくりと指を動かしてみる。いつも見ていた自分のより、一回り大きな掌がそこにはあった。


「そうか……俺の体、無くなっちまったんだったな……」

 エルムは立ち上がると、近くの水溜りを覗き込んだ。そこにエルムの姿は無く、代わりにエルムと同じくらいの歳の、見たこともない少年が写っていた。転生して、あちらの国の人間の体を借りているのだ。だが、落ち込んでいる場合でもない。体が変わってしまったこと以外には、特段変わったところもなかった。何だか転生して日本という国にいたことの方が、夢みたいに感じられた。


「やべ……! 急がねえと」


 エルムは街の方角を振り返ると、三日ぶりの故郷を目指して地面を蹴った。


◾️


「『転生者』ァ?」

「そう! 転生者だよ! あいつらが街を襲ったろ!?」


 唾を飛ばして必死に説明するエルムに、街の酒場で昼間っから一杯引っかけていた男達は顔を見合わせた。


「……何言ってんだおめえ?」

「は?」


 エルムはぽかんと口を開けた。訳が分かってないのは、男達も同じだった。


「そんなもん知らねえよ」

「相変わらず国王は国王のままだしよ」

「夢でも見てたんじゃねえのか? おめえ……」


 男達の酒臭い息が、エルムの顔面に吹きかけられた。


「夢……?」


 エルムは顔をしかめ、ガヤガヤと騒がしい市場を振り返った。大勢の人でごった返すライオットの生鮮市場は、ついこの間転生者達の襲撃を受けたにしては、明らかに賑わい過ぎていた。


 何かがおかしい。


 エルムはふらふらと路上へ飛び出すと、右に左に急いで首を動かした。ヘリオッツ兄弟の魚市場。マーシャルおばさんの野菜の叩き売り。街は活気に溢れている。美しい青に染まった空の下は、何もかも元通りになっていた。じゃあ、自分が見たあの黒焦げの街は一体……。エルムは唾を飲み込んだ。


「なあおめえ、名前なんてんだ?」

 路上に呆然と立ち尽くすエルムに、酒呑みが向こうからやってきて、赤い顔をにやつかせ絡んで来た。エルムは少し後ずさりした。

「俺? 俺はエ……あー……」

 エルムは、自分がもうエルムじゃなくなったことを思い出し、咄嗟にズボンのポケットの皮袋を探った。皮袋に入っていた一枚の紙切れを取り出し、エルムはそこに書かれていた名前を読み上げた。


「あー……アオヤマ? 何て読むんだこれ?」

「アオヤマ? 聞かねえ名だな」

「もしかしてその国王を襲った転生者ってのは、おめえのことなんじゃねえのか?」

「んな……!? 違えよ! 俺だって三日前……!」


 そこまで言ってエルムはハッと顔を上げた。


「今何日だ?」

「は? 今は四十五日だろ? ヒュリウス歴二十三ヶ月の……」


 酒呑みの親父が目を細めてしゃっくりを繰り出した。


「二十三ヶ月……そうか……!」


 エルムはようやく納得した。ライオットの街が襲われ、エルムが剣に貫かれたのは二十六ヶ月の夜のことだった。ということは、彼は今三ヶ月前の、転生者がやってくる前のライオットにいることになる。


(世界が二つ別々だから……同じ時間軸で流れてるとは限らねえんだ……)


 これは正直厄介なことになった、とエルムは思った。まだこの街の人々は、自分達が襲われることを知らない。それどころか転生者のことすら知らない状況なのだ。こんな中、自分が一人「転生者が襲ってくるから逃げろ」なんて叫んでも、変人扱いされるに違いなかった。エルムは三日前より一段と長くなった髪を掻き毟った。


(一体どうやってみんなに転生者のことを……? ん? 待てよ? 三ヶ月前……?)


「おい! 見ろ!!」


 その時だった。

 市場から悲鳴が上がった。誰もが一様に顔を上げ、美しい青空を見上げていた。エルムも慌てて視線の先を追った。そこには……。


「皆さん、アクは滅びました! ここに、皆さんで新しく『平和で、豊かな、楽しいゆるふわスローライフ』世界を作りましょう!!」


 そこには、悠々と空に浮かぶ一人の青年の人影があった。三ヶ月前、エルムはその姿を正面から見た。今度は、後ろからだった。


 エルムは新国王が勝鬨を上げるちょうどその瞬間に、またしても出会すこととなった。


◾️


「ローラさん。国王様は何でわざわざ私を招き入れたんでしょう?」


 湯船に浸かったまま、マチルダは湯けむりの向こうにいる黒髪の女性に話しかけた。熱いお湯で体を流しながら、ローラが艶やかに微笑むのが見えた。マチルダの声は所々に広がり何度も反響した。王族の使う巨大な浴場に二人きりでは、あまりに空間が広すぎだった。口からお湯を吐き出す『マードラゴン』の下で、ローラのシルエットが湯けむりの向こうから近づいてきた。


「そうね……国王は特効薬を作ってる。不治の病を抱えた、彼の母親のためにね。そのために、たくさんの魔力が必要なの」

「何でもできる能力があるのに、わざわざ薬を……?」

 マチルダは首をかしげた。口元まで湯船に顔を沈める彼女の隣に、ローラがゆっくりと入ってきた。


「フフ……。私も詳しく知らないけど……何でもできるのは、『この世界限定』でって話よ。ファンタジアを出てしまうと、途端に効力を無くしてしまうらしいの」

「へえ……」

 湯船に浸かったローラがマチルダに体を寄せ、彼女の緑の瞳をじっと覗き込んだ。マチルダは座ったまま少し後ずさりした。


「彼がどんなにチート能力で薬を作ったって、少しでもこの世界を飛び出したらたちまち力を失うわ。残念ながら、彼の母親はファンタジアに渡ってこれるほど体調も優れないようだし……」

「そうだったんですか……国王様……」

「だから私や、マチルダちゃんみたいな魔力を持った子が必要なのよ。外の世界に持って行っても効力を失わない、そんな特効薬を作るために……」

「なるほどですね……それで……」


 マチルダは顔を上気させた。長く湯船に浸かりすぎたみたいだ。何故か息がかかるくらい近くにあるローラの顔が、何だかとても色っぽかった。


「……じゃあね。先に上がるわよ」

「はい!」



 優雅に脱衣所に歩いていくローラの背中に、マチルダは元気良く返事をした。


(優しいところ『も』、あるみたいね……)


やがてマチルダは先輩魔女に悟られないように、そっと肩の荷を下ろし白いため息を吐き出すのだった。


〈続く〉

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