主人公は能力者
数十メートルの高さから、落ちたことはあるだろうか。
生きるか死ぬかの境目は、約七メートル。ビル三階分の高さと言われている。だいたい四階から五階の高さで、死亡する確率は約半分。十階から十一階の高さでは、ほぼ確実に死亡する。奇妙なことに、五階よりも六階から七階の高さの方が死亡率が下がるとの報告もある。
「……じゃが、それが果たして本当のことなのかどうか、わざわざ試す必要はないじゃろう」
「うおおおおおおおおおおおお!!」
「申し遅れた。ワシの名はイトコンニャ=ヴュルフゲルド=ミケクリフ。訳あってこっちの世界で『渡し役』をしておる。ミケと呼んでくれて構わん」
「うおおおおおおおおおおおお!!」
「それと、先ほど語った『通行料』の話じゃが……何、お主が途中で興奮して先走るもんでな。ワシも慌てて追っかけたという訳じゃ。『通行料』……これは何も、『金銭』とは限らん。『肉体』であったり、『魂』であったり……」
「うおおおおおおおおおおおお!!」
「『記憶』、『性格』、『感情』、『愛』、『能力』、『血統』……様々なものを『通行料』にして、契約者は世界と世界を渡ることができるのじゃ」
「うおおおおおおおおおおおお!!」
「ま、何事もタダと言う訳にはいかんと言うことじゃな。お主がもしファンタジアに渡りたいというのであれば、それ相応のものを差し出してもらわなければならん。ところでエルム。お主はここに来た時点で、肉体がほぼ破壊されておった。今のお主が渡せるものと言えば……」
「うおおおおおおおおおおおお!!」
「ふむ……そうじゃな。残念ながらお主、子供だからと言うこともあるじゃろうが、人間としての基本能力はまだまだ低そうじゃな。貰うに値せん」
「うおおおおおおおおおおおお!!」
「それなら、お主が持っておる『記憶』。幼き日々、家族や友と過ごした大切な思い出が『通行料』として釣り合ってると思うが……どうするかの?」
「うおおおおおおおおおおおお!!」
落ちている間、エルムは叫び続けた。七階建のビルから足を滑らせ地上に激突するまで、体感時間にしてものの数秒。悲鳴を上げている間、隣に何故か先ほどのおじさんが逆立ちして喋りかけてきたような気がしたが、恐らく幻覚だろう、とエルムは思った。
「……決まりじゃな。ではお主の目的のために、ファンタジアに行ってくるがよい」
「うおおおおおおおおおおおお……!!」
おじさんが白ひげを満足そうに撫でるのを、最後にエルムは見た気がした。斯くして契約を果たしたエルムは絶命後転生し、再び絶命して転生することとなった。
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「わあ……! キレイ……国王様、ここは?」
「ここはお花畑だよ、マチルダ」
マチルダが三階の廊下の先の扉を開けると、そこには室内のはずの部屋に見渡す限りの草原が広がっていた。足元には色とりどりの花々が地平線の彼方まで広がっている。何も言われずに入ると、危うく宮廷から外に出てしまったかと勘違いしてしまいそうだ。マチルダが天井を見上げると、十四年間、彼女が今まで見てきた中で一番美しい青空が広がっていた。ゆっくりとそよ風に流される雲を見つけて、彼女は目を丸くした。国王が幼き魔女の肩にそっと手を置いた。
「僕の能力で、本物の空を天井に再現しているんだ。草原も、お花畑もそう。本物が何処までも広がってる。部屋の向かいの壁に触ろうと思っても、きっと何十日かけても辿り着けないよ」
「すごい……」
マチルダは感嘆のため息を漏らした。本物の空間を室内に再現するなんて、一体どんな理論なのだろう。ファンタジアのどんな魔女でも、こんな大掛かりな魔力は持っていないに違いなかった。
「……この部屋は、かつて鍛治が行われていた工房だった。この間、街を歩いているとその鍛冶屋とばったりあってね。何故だか分からないが、いきなり錆びれた斧を抱えて飛びかかってくるもんだから、僕もつい……」
「広ーい! ねえ、今度向こうに見える湖まで探検しましょうよ、国王様!」
「……ああ。迷子にならないようにね」
マチルダは早速箒に跨り、地面を蹴ると一気に数十メートルの高さにまで舞い上がった。無邪気な笑顔を見せる魔女に、何処か考え深げだった国王もようやく笑みを浮かべた。
〈続く〉