主人公は夢が叶う
「しっかし、あっけなかったな……」
「何が?」
黒ずみになった街を見下ろしながら、鎧を纏った男が退屈そうに後頭部を掻いた。鎖帷子に身を包んだ若い少女が、その後ろから絡みつくように顔を覗かせた。
「任務が、だよ。村一個消滅させるって聞いてたから一晩はかかるかと思ってたら……アイツ一人で十分だったんじゃねえの」
そういって鎧の男は、そばにいた冠の青年に目を向けた。国王と呼ばれるにはまだ年端も行かない、幼さを残す少年が視線に気づき静かに笑みを返した。
こうしてライオットの街は、国王の気まぐれで一晩もかからずに消滅した。この街に住んでいた者は皆「反逆者の仲間」として焼かれた。不思議なことに、周辺の村の住民も、火事が収まるまで誰もライオット地方に立ち上る黒煙にすら気づかなかった。聞くところによると、国王がその類稀なる超能力で、他人の記憶を操っているとの噂もあった。あれほど強大な力を扱えるのだから、そんな眉唾物の噂も瞬く間に真実として国中に広まった。もちろん、噂を誰も証明できた者は一人もいない。
「……エルム!!」
様変わりした農場に、悲痛な少女の声が響き渡った。彼女が駆け寄ったところには、心の臓を貫かれ、背中から剣を生やした少年の遺体が横たわっていた。
「エルム!!!」
背中に箒を背負った少女・マチルダが大粒の涙を流して、少年の遺体に触れようとした。そんな彼女とお揃いの衣装を着た、黒いローブの女性がそっとマチルダの肩を抱いて制止した。
「危ないわ。まだ焼け焦げた直後だもの、火傷しちゃうわよ。それに、その子はもう助からない……見ればわかるでしょう?」
「そんな……!」
「結構頑張ったけどなァ。合計八回だっけ? 腕吹っ飛ばされてもショウジに向かって行ったのは立派だったと思うぜ。まぁ無駄だったけど」
ローブ姿の女性の横で、全身毛むくじゃらの長耳男が八重歯を剥き出しにして笑った。どうやら彼らは、皆国王の仲間らしい。マチルダは女性の腕の中で半狂乱になりながら叫んだ。
「貴方達……どうして!? なんで……!」
「落ち着いて、マチルダ」
「この街は反逆者を出した。焼かれる理由があった。そして君には、生かされる理由もあった」
「何を言って……!?」
困惑する少女の周りに、村を壊滅させた正義の集団が集まってきた。十四歳のマチルダとは少し年上くらいの、冠を被った青年・この村を焼き払った張本人が彼女の顔を覗き込んで微笑んだ。
「マチルダ。君は魔女を目指しているんだね。なるほど……空を飛びたいんだ。でも自分には素質がなくて苦労してる。フゥン……でも、君には少なからず眠っている魔力がある。その力を呼び起せば、すぐにでも飛べるようになるさ。その魔力で、僕の特効薬作りに協力してもらうよ……」
「空を飛びたいですって? まあ、今時なんて可愛らしい夢なんでしょう!」
「何の話……!? 特効薬って……!?」
国王の独り言に、マチルダはさらに混乱した。一体何の話なのだろう? 特効薬? 何か薬を作らされるのだろうか? そもそも、これほど無茶苦茶な力を持っている国王に、できないことなどないはずだ。
……いや、それよりも、何故この青年は、自分が魔女を目指していることを知っているのだろう?
マチルダの疑問に答えるように、国王はさらに笑みを深くした。
「君の記憶を”読んだ”。この世界で、チート能力を手に入れた僕にできないことはないからね。わざわざ無駄な努力を何回も繰り返す必要はない。今すぐ飛べるようにしてあげるよ」
「は……!?」
国王が指を鳴らした。すると、何とマチルダの体がふわりと宙に浮かび始めたではないか。突然の出来事に、マチルダは目を丸くした。
「な……!? な、なな何これ……!?」
「君の魔力を今すぐ解放しておいた」
「解放……!?」
マチルダが怯えた顔で国王を見下ろした。
「おー。良かったな、これでやっと空飛べるな。俺達と同じように」
「夢が叶っておめでとう」
「良かったね。これでもう、痛い思いして練習しなくて済むじゃん」
「見て、膝に擦り傷がたっぷり……健気だわ。この子、空を飛ぶためにどれだけ無駄な訓練をしたのかしら。王様のおかげで一瞬で飛べるようになって、今どんな気分?」
ふわふわと、地上から数メートル浮かぶマチルダに向かって、国王とその仲間達が口々に囃し立てた。彼らの笑い声に、マチルダは背中に冷たいものを感じた。
「……下ろして! 貴方達、私を一体どうする気!? エルムを返して……!」
「マチルダちゃん。心配しないで。きっと私達、良い友達になれるわ」
「友達……?」
マチルダは空中から、焼け焦がれた農場を見た。丘の下で黒焦げになっている街を。そして笑顔を浮かべる国王の仲間達の向こう側に横たわる、幼馴染の姿を。
念願の夢が叶ったというのに、ちっとも嬉しくない。私は何で、空を飛びたかったんだっけ? 空を飛んで、何をしたかったんだっけ? 空を飛ぶ姿を、一体誰に見せたかったんだっけ……。
「……下ろして! いいから下ろしてよ!!」
マチルダが顔を歪ませ、空中で泣き叫んだ。国王の仲間達が不思議そうに顔を見合わせた。何故マチルダが抵抗しているのか、さっぱり分からない様だった。
「可哀想に。今夜の出来事に混乱しているんだ」
「心配しないでも、そのうちマチルダちゃんもちゃあんと”納得”してくれるわ。『国王様! 狭い価値観に囚われていた、私を目覚めさせてくれてありがとうございます!』ってね」
「どっちみち、”主人公”の能力でハーレムの仲間入りなんだがな。抵抗するだけ無駄なんだよ」
「下ろして! 下ろしてってば!」
泣き叫ぶ少女を風船のように空に浮かべたまま、やがて国王の一団は黒ずみになった街を飛び立ち宮廷へと戻って行った。
◾️
エルムが絶命する数秒前。
彼は途切れそうになる意識の中で、自分の中の何かが崩れ去って行く音を聞いていた。
腕を捥がれ、足を捥がれ、顔を吹き飛ばされ、腑をぶち撒けられ……とうとう彼は、国王に向かって行くのを諦めた。
【……いいかい? 本当に怖いのは、負けることじゃなくて、立ち向かう意志さえ持てなくなることなんだ……】
それが、先代の王に仕えたエルムの亡き父親からの教えだった。だからエルムは幼い頃から、どんなに体格差があろうと、どんなに相手が強かろうと、向かっていくことだけは忘れなかった。
だけど、今回ばかりは……あまりにも相手が悪すぎた。
(マチルダ……!)
エルムは焼け焦げた草むらに横たわり、自分の死を悟った。心臓を貫かれるその瞬間。エルムはもう見えなくなった視界を、それでも睨み続けた。そして彼は消えゆく意識の中で誓った。
この痛みが。
仲間を奪われる苦しみが。
居場所を失う悲しみが。
立ち上がれない悔しさが。
奴らには到底理解し得ない、無縁のものだと言うのなら。
或いは分かっていながら、行われたのだと言うのなら。
たとえどんなに奴らが強かろうと。
どんなに奴らが正しかろうと。
何と汚名を着せられようと。
何度敗北を味あわされようと。
必ずマチルダを取り戻し……この世界にやって来た主人公とやらを、殺してやる!!……と。
そう誓いながら、彼は絶命した。
〈続く〉