主人公は腕もげない
「逃げろ! チル……!」
エルムの鋭い叫び声が、農場を襲う爆炎にかき消されていった。分厚い壁のように立ち昇る炎が、エルムとマチルダの間を分かつ。声にならない悲鳴をあげるマチルダの肩を、同い年くらいの王冠を被った青年がそっと抱いた。
「マチルダ……!!」
「まだ向かってくるのか。正直、ダッサいな……」
「!?」
青年がため息混じりに指を鳴らすと、突然エルムの右腕が何の前触れもなく吹き飛んだ。
魔法。いやそれ以上の、神の所業。
指を鳴らしただけでエルムの小さい体はいともたやすく破壊された。最早何でもありのその桁外れた能力に、少年は為す術もなかった。一瞬間を置いて、腕を捥ぎ取られる激痛がエルムを襲った。
「ぐあ……!」
「やれやれ、倒されても、倒されても向かってくる。感動的だね。僕に言わせれば、君の方がよっぽど主人公らしいや」
「あ!?」
青年がもう一度指を鳴らすと、今度はエルムの左足が吹き飛んだ。マチルダが目を見開き泣き叫んだ。
「エルム!」
「ただし……ひと昔前のだけど」
ニッコリと笑みを浮かべる青年、トウドウショウジは、それから間髪入れず三度目の指を鳴らした……。
◾️
ライオットの街が突然火の粉に襲われたのは、エルムが死亡する三時間前だった。原因は誰にも分からなかった。百年ぶりにドラゴンが襲ってきたのか、それとも新国王に今更歯向かう馬鹿者の仕業か。理由はどうあれ、目の前に迫っている死の恐怖に、ライオットの住民は逃げ惑うしかなかった。火の粉は瞬く間に街全体を覆った。
もうダメだ……逃げ場のない火事の中、そんな諦念が皆の頭に浮かんだその時。人々は、上空に浮かぶ人影を指差して歓声を上げた。
「助かった……!」
「国王様が来てくれたぞ!」
「良かった……! 俺ァてっきりもう死ぬかと……!」
夜空に立っていたのは、新国王本人とその旅の仲間達だった。
◾️
「何故こんなことを……!?」
すすり泣くマチルダに、冠の青年が微笑んだ。
「何故って? 必要ないからさ。僕の平和に」
「必要ないからって、殺したの……!?」
「安心しなよ。ここを旅立った人達の魂は、全員僕の故郷に送ってあげる。きっとそこで彼らも、のんびり幸せなスローライフを送ってくれるはずだよ……」
「やめろおおお!!」
指を鳴らす音。今度はエルムの顔の左半分が消し飛んだ。燃え盛る農場に、少年の叫び声が響き渡る。彼の全身に刻み付けられた傷からは、大量の血が流れ出していた。
血で真っ赤に染まった片方の目で、少年は国王を睨みつけた。国王は鮮やかなブロンズを靡かせ、エメラルドの装飾が施された大剣を振りかざしながら少年の頭を踏みつけると、勝ち誇ったように笑った。
「じゃあね。君、弱かったよ。とんだ勘違い、ご苦労様。あっちの世界でもよろしくね」
「ぐ……!!」
「エルム!!」
マチルダが叫んだ。国王のかざしたエメラルドの大剣が、エルムの体に深々と突き刺さった……。
〈続く〉