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主人公は駆けつける

 静まり返った宮廷の廊下を、マチルダは見張りに見つからないようにゆっくりと歩を進めた。足音を殺し、曲がり角からそっと顔を覗かせる。

「…………」


 慎重になるに越したことはない。魔法で姿は消しているとは言え、物理的にその場から無くなった訳ではないので、急に誰かとぶつかったりしたら見つかる危険性があった。


(いないみたいね……)


 透明になる魔法は、マチルダくらいの年齢の少女が使うには余りにも高度なものだったが……国王の半強制的な能力開花が、年端もいかない彼女にそれを可能にさせていた。そしてそれが皮肉にも、国王自身の首を絞めることになる。人影を確認し、マチルダは静かに三階の廊下の窓を開けた。扉や窓は門限を過ぎると見張りの兵士達が戸締りをしている。彼女は夜な夜なそれらをこっそり解錠し、時々こうして賊の侵入を手助けしていた。


(よし……)


 一フロア分の窓を開け終え、ホッと一息ついたマチルダがその場を立ち去ろうとした、その時。

「おかしいな……窓は全部、締め終えたはずなのに」

「!」


 マチルダの背後で、男のねっちこい声が聞こえた。彼女は背中に冷や水を流し込まれたかのように、その場で飛び上がり必死で叫び出しそうになる声を堪えた。心臓を鷲掴みにされたかのような衝撃の後、彼女のそれは鼓膜の奥にまで響くような早鐘を打ち始めた。


(この声……ヨハン……!)


 ヨハン。

 常に聖書を持ち歩き、片眼鏡を欠かさない国王の側近。狡猾で、明らかに人を信用していないその細長の目が、マチルダは大っ嫌いだった。ヨハンは短く切り揃えた青い髪を搔きむしりながら、聖職者の格好に身を包みマチルダのいる暗がりの廊下をじっと見据えた。


「やはり……誰かが侵入を意図的に……この窓もだ」

(マズい……こいつに見つかったら……!)


 廊下を一歩一歩、空いている窓の鍵を締め直しながら、ヨハンがゆっくりマチルダの立つ場所まで近づいていく。ファンタジアの出身にして、新国王の危険な思想に跪く”裏切り者”。敬虔なる神の崇拝者のその裏の顔を、彼女は知っていた。


(彼は国王やローラさんとはまた違う……相手の言い分を聞いたりしない……!)


 例えば、一分でも会議に遅刻してきた者。例えば、一グラムでも銀の重さを間違えた者。王に逆らったとヨハンが”判断”した者を、容赦無く右手の本の中に隠してある銃で撃ち抜く姿を、彼女は何度も目撃していた。マチルダは音を立てないように唾を飲み込んだ。手が小刻みに震えているのが分かる。その場から一歩も動くことが出来ず、足元に広がる赤い絨毯の上に冷や汗を滴らせた。すると……。


「!」


 突如、静寂を切り裂いて発砲音が廊下に響き渡った。

 ヨハンが銃を抜いたのだ。マチルダは驚きのあまりその場にへたり込んだ。


「なんだ……ただの風か」

 

 マチルダが振り向くと、ヨハンが涼しげな顔で割れた窓ガラスを見上げていた。左手に手にした蛇の装飾が施された銃から、白煙が漂っている。逃げた方がいい。分かってはいながらも、体が震えてしまい足は一歩も動かない。マチルダは呆然としたまま、その銃から目が離せなかった。


「それとも……やはり誰かいるのかな?」

「!」


 ヨハンがぐるりと首を回し、今度はマチルダを正面から見据えた。透明な彼女の姿を、彼が見えているはずはないが……ヨハンはじっとマチルダの目を見下ろしたまま、彼女の方と足を踏み出した。


(やば……!)


 やがて彼がマチルダの目と鼻の先まで到達しようとした、その瞬間。


「……ゥオオオラァア!!」

「!」


 低い呻き声を上げながら、全身毛むくじゃらの大男が窓ガラスを突き破りヨハンの上にのし掛かった。


「なんだ……!?」


 ヨハンは床に叩きつけられながらも、慌てて銃口を大男に向けた。男はその大きな手のひらでヨハンの腕ごと銃を握り潰すと、そのまま全体重を乗っけて彼にボディプレスをお見舞いした。ヨハンの体が、まるでボールのように何度も何度も地面を跳ねた。


「…………!」


 マチルダはしばらくポカンと口を開けて目の前で繰り広げられる惨劇を見ていたが、慌てて魔法を解いて大男を止めにかかった。このままではヨハンが、平べったい白い布の化け物みたいになって死んでしまいかねない。


「やめて!」

「!」

「やめてってば! あなた……エルムね!」

「マチルダ……!?」


 呼びかけられ、ようやく毛むくじゃらの大男は手を止めた。怒りで真っ赤になった男の目を見上げながら、マチルダはようやく確信した。狼男が目を瞬かせ、マチルダは安堵のため息を零した。


「やっぱり……エルム……」

「マチルダ、お前……!」

「エルム……貴方、バカなの!?」

「!?」


 マチルダが呆れたように叫んだ。てっきり感動の再会になると思っていたエルムは、顔面に唾を吹きかけられ急停止した。


「何で私が折角こっそり鍵開けてるのに、わざわざ突き破って入ってくるの? 誰かに気づかれたらどうすんのよ!」

「お、おぅ……すまん……」

 狼男の姿に転生していたエルムは口篭った。


「今までも……転生を繰り返して、何度も王に挑んだんだがよ。どうも上手くいかないから、ここは一つ原点に戻って真っ正面から……」

 時には先代に仕えた傭兵として。時には盗賊の長や鍛冶屋として、また時には工場長や熊の姿で。何度も『通行料』を払い、姿を変え、手を変え品を変えその都度王に向かっていったエルムだったが、結果は散々だった。エルムは長い指でボリボリと頭を掻いた。



「それにしてもお前、よく俺がエルムだって分かったな。俺も忘れてたくらいだわ。記憶やら何やら、『通行料』払いすぎて、もうほとんど昔の自分だったものが残ってねえんだよ」

「バカね。あんなチート野郎に真っ正面から向かっていく奴なんて、貴方以外にはいないでしょうよ。何回やられたら気がつくのよ。もう諦めなさいよ。相変わらずバカなんだから」

「おぅ……だがよ、日本のおじさんも言ってたぞ。『千里の道も一歩から』……この意味はな、コツコツ歩いてれば、いつの日か……」

「何時の時代の話をしてるのよ。電車に乗れば良いじゃない電車に。今時ハネダからトウキョウエキまで三十分程度よ」

「お前も相変わらず、新しいものに目が無いな……転生者がやってきたあん時も、急に『空が飛びたい』なんて言い出して……。何でお前が電車やら知ってるんだ?」


 狼男がマチルダを見下ろして首をかしげた。子供の頃は同じくらいの身長だったのに、今やマチルダは彼の膝くらいの大きさになってしまった。『通行料』として、彼は自分の記憶を渡さなかったのだろうか。最早種族すら変わってしまったエルムをマチルダは見上げていった。


「聞いて。私達の街が襲われてから、もう三年経ってる」

「三年……! そうか、今度はそんな時間軸か……」


 エルムが遠い目をして破れた窓の外を見上げた。転生する度に実に様々な時間に、エルムは飛ばされた。過去、未来、現在……そして国王は今、ファンタジアに自分の故郷を再現しようとしているとの話だった。もう帰れないと分かって、恋しくなったのだろうか。今ではファンタジアも彼のチートで近代化が進んで、彼の故郷のトウキョウが再現されはじめているのだそうだ。そういえばマチルダも、昔より少し背が高くなっているような気がする。彼女が話を続けた。


「ま、とにかくエルム。貴方に会えて良かったわ。ありがと。貴方なら、諦めずに来てくれると信じてたから」

「どっちだよ」

「私、この三年間で気づいたことがあるの。聞いて……」

「…………」

「…………」


 マチルダは爪先立ちして、エルムの耳元で作戦を打ち明けた。エルムは牙の生えた口をあんぐりと開け、目を丸くした。


「いやお前……そんなバカな……そんなん上手くいく訳……」

「国王は、月並みな言い方かもしれないけれど、人の心を取り戻しつつあるわ。失敗するかもしれないけど、どうせ失敗続きなんだし、やってみる価値はある」

「だけどよ……いや、やっぱダメだ!」

「何で!?」

 エルムが吠えた。マチルダが負けじと吠え返した。


「アイツは俺をぶん殴った。だから俺も一発やり返さねえと気が済まねえ!」

「何それ!? バカ! 何で暴力で解決しようとするの? それじゃアイツと同じじゃない……」

「誰と同じだって?」

「「!」」


 マチルダとエルムが慌てて暗がりの廊下を振り返った。

 そこに立っていたのは、廊下を埋め尽くす数十名の集団。その中心には、冠を被った二人と同い年くらいの青年……ファンタジアの新国王その人がいた。国王の後ろには、彼の仲間達が勢揃いし、中には黒いローブ姿のローラも見える。騒ぎを聞きつけて、駆けつけてきたのだろう。


「てめえ……!」

「エルム、待って!」


 エルムが唸り声を上げ立ち上げるのを、マチルダが必死に制止した。国王は余裕の笑みを浮かべたまま天井まで届きそうなくらい大きな狼男を見上げて言った。


「君は、マチルダのお友達かい?」

「おい喋んな……」

「いちいち殺気立つなよ。僕の作った新しいファンタジアじゃ、争い事はご法度だ。暴力なんて以ての外。平和で、豊かな、楽しいゆるふわスローライフがモットーさ。争うなら、潰すよ……火種ごと」

「…………」

「ね? 仲良くしようよ。争いなんてさ、もうそんなの無しでいいじゃないか」

「俺はよ……毎日マチルダと喧嘩ばっかだったけどよ……」

「?」


 ジリジリと距離を詰めていたエルムが、突然床を蹴った。


「それが無くなってしまえばいいなんて……思ったことはねえぞ!!」

「エルム!」


 マチルダが叫んだのと、国王が腕を掲げたのは同時だった。


 エルムは王の喉元に届くこともなく、呆気なく体の中身をぶち撒け、もう何度目か分からない絶命を味わった。


「やれやれ……」


 王はその死体を足蹴にし、呆然と立ち尽くすマチルダに近づいていった。


「!」


 その時だった。

 国王の背中から、黒服の女性、ローラが彼の背中に短剣を突き刺した。



〈続く〉

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