51話
戦闘態勢に入ったルーディスに対して、ケビンがとった行動は逃げの一手だった。
ケビンは障害物を利用して移動しながら常にルーディスの視界の端にいる。
戦闘行動を一切行わず、けれど身を完全に隠す事はしない。
ケビンは魔法をまだ使っていない。
それにも関わらず、ルーディスは一度も接近戦に持ち込めず攻めあぐねていた。
それはケビンが倉庫に転がっているガラクタや障害物を投げたり壊したりしながら道を塞ぎ、或いは道を切り開きルーディスとの距離を一定に保ちながら動いていたからだ。
それでもルーディスとケビンの運動能力の差があれば強引に接敵することも不可能ではない。
ルーディスはタイミングを計り、ケビンの動きが鈍ったその一瞬を狙い障害物を乗り越えて強引に駆け寄った。
しかし、それはルーディスを誘い込む罠だった。
二人の距離が剣の射程範囲に迫るその前にケビンの声が――呪文が空気を揺るがす。
「……仮想に現実を、現実に虚像を、虚像を欠片に世界に過去と未来による相似をもって現時に在りし日の光景と存在しえぬ夢を見せ付けてやる」
ケビンの呪文に呼応してルーディスの足元を中心に五芒星と円の光が輝き始めた。
(これは……魔法陣。やられたっ)
ケビンはただ闇雲に逃げていたわけではなかったのだ。
ルーディスから逃げながら、気付かれないように床に魔法陣を描いていたのだ。
「狂い踊る空を眼下に刻め。非・自然・生成!」
魔法の完成と共にルーディスの視界が揺れた。
暗き倉庫の風景が光に飲み込まれた。
視界が白亜に染まると今度は画布に絵を描くように色が刻まれていく。
最初に現れたのは大地の茶色。
次に森の緑、泉の青、空の蒼。
そして彩られた世界に改めて白い雲が描かれる。
ルーディスが目にしているのは見も知らぬ森の中の風景だった。
時折、風に流れて白い羽根と黒い羽根が円を描くように舞っている。
どこか幻想的な光景だった。
(幻惑を見せる魔法か。でも僕には通用しない)
目を凝らすと森の風景が透けてその奥に暗がりの倉庫とケビンの姿が見えた。
ルーディスには相手の意思を視覚で捉える『目』がある。
幻覚の魔法を構成している魔力に宿るケビンの意思を透過する事で、現実の風景を見ることが出来た。
ケビンはルーディスが幻覚で周囲が見えていないと思っている様子で、杖を軽く振りながら無警戒に近づいてきた。
ルーディスはケビンの動きに気付かないふりをして攻撃する機会を伺う。
そしてケビンがルーディスの手の届く範囲まで接近してきた瞬間、剣を振り上げ――ようとしたが動かなかった。
(バカな。身体が動かない? 金縛りの魔法でも使われたのか? いや、そんな素振りはなかったはずだ)
思わぬ事態にルーディスの表情に焦りが浮かんだ。
それを目の当たりにしたケビンが破顔する。
「安心したぜ。テメェは化け物の部類じゃねぇって事が証明できた。良かったな」
嬉しそうなケビン。
ルーディスはその意味を図りかねた。
「そうだ。勘違いしていると思うから正しておいてやるぞ。俺は動きを封じる魔法を使っているわけじゃねぇ。なぁ、ルーディス。今までお前を観察して気づいたことがある。お前の『目』についてだ」
ルーディスはケビンの指摘にドキリとした。
自分でも上手く説明できない目の事を知ってるのだろうか。
「お前の目は魔力を観測できると推察した。幻惑の魔法でも完全には視覚を奪えないだろうってな。だからある仕掛けをしたんだ」
ケビンが一呼吸おいてから、不敵な笑みをルーディスに向ける。
「なぁルーディス、お前は今、幻惑に重なっている現実の俺を見ているだろ? それはお前の『目』の能力で見えてんじゃねぇ。俺が意図的に幻惑を透過させているからだ」
得意げに語るケビンに、ルーディスは説明好きな姉の姿が脳裏によぎり、思わず聞き入っていた。
「んで、俺は幻惑の動きに合わせて杖を動かしてた。この意味がわかるか? テメェは魔法に注意を向けていたせいで、飛ぶ羽根の動きで顕在意識を逸らし、視界の端に俺の杖の動きを捉えて催眠術の引き金を引いた。魔法と催眠術を組み合わせた技さ。目が良すぎることが逆に仇になったな」
説明が終わると同時にケビンはルーディスの腹部に拳を叩き込む。
ルーディスの身体がくの字に曲がったところで今度は左脇腹に蹴りを入れられて身体を地面に叩きつけれらた。
ケビンのさして強くない腕力と脚力では身体が吹っ飛ぶことはなかったが、それでも痛みがない訳ではない。
ルーディスは咳き込みながら立ち上がる。
攻撃を受けた衝撃で身体は動くようになっていた。
ダメージは軽い。
だが精神的なダメージは大きかった。
もしケビンが刃物を持っていたら、ルーディスは確実に敗北していた。
今の攻撃はルーディスが不意打ちの際にケビンに叩き込んだものと同じ。
わざと同じ攻撃で対抗してきたとしか思えない。
それは恐らく、挑発のため。
「先程のお返しというわけですか?」
「さぁ、どうかな」
飄々としているが、ケビンの能力は計り知れない。
魔法の部で脅威の戦闘能力を目撃したが、彼はあの試験で一度も本気を出していなかった。
食堂におけるルイとの会話で知識の広さと頭の回転の速さを垣間見たが、それもほんの一部分にすぎない。
戦闘能力も知能指数も未知数のままだ。
なにより、まだ戦闘という様相にすらなっていない。
純粋な戦闘へ誘導しなければ心理戦で負けてしまいそうだ。
だが、勝ち目はある。
(魔法を魔法陣の補助で使った。それはつまり、広域探査魔法で魔力をかなり消耗している証拠。ルイ姉さんの予測通りだ。けど油断は出来ないな)
ケビンの表情に焦りはなく、むしろ余裕があるように見える。
「んじゃまぁ、そろそろ本気でやろうぜ。『お互い』、な」
次の瞬間、ルーディスは『本物』の強さを思い知らされることになる。
「精霊・生成、弾丸、風!」
杖を上から左下に振り下ろす。
刹那に生まれたのは六発の目に見えない小さな風の弾丸。
「精霊・生成、魔力・刃、弾丸!」
さらに杖を左上に伸ばし弧を描くように右上に払って現れたのは光り輝く魔力で構成された半円形の魔弾を六発。
「精霊・生成、重力・空間、空気・弾丸!」
最後に杖を振り上げて出現する圧縮された透明な空気の弾丸六発。
時間にして三秒弱。
早口言葉のような呪文と杖を指揮棒で三拍子を刻むようにして発動したのは三つの魔法。
空に発現したのは十八発の弾丸。
その時、ケビンが一瞬だけ見せた酷薄な表情にルーディスは青ざめた。
それは飄々といた男のものとは思えないほど冷淡でルーディスの背筋に冷たい汗が流れた。
「いくぜ。これぐらい止めてみせろよ」
ケビンの宣言と共に十八発の弾丸が襲いかかる。
中には目に見えない弾丸も混じっているが、魔力を眼で追えるルーディスにはその軌道がはっきりと見えた。
弾丸は直線にしか飛んでいなった。
そのため、弾丸の発射にあわせて動くことで何とか回避できた。
しかし、それだけで終わるはずはなかった。
「精霊・生成、弾丸、風! 精霊・生成、魔力・刃、弾丸! 精霊・生成、重力空間、空気・弾丸! 精霊・生成、弾丸、風! ……」
ケビンは早口で呪文を唱え、三つの魔法を巧みに操り使い続けた。
一秒足らずで六発の弾丸が生まれ、わずか十秒で六十発がルーディスに襲い掛かる。
魔法の射線軸から逃れようと懸命に走り回避を試みるものの、その全てを避けるのは不可能だった。
それに速さだけではない。
幻惑の魔法による森の風景の中で舞い散る白と黒の羽根と倉庫の背景が重なり、視界を混乱させる。
倉庫に転がる木箱を障害物にして隠れてみたが、魔弾だけは物理的なものではないため素通りして迫ってくる。
障害物が視界を遮り魔力の軌道を見えなくしてしまうため、不利になってしまうだけだった。
不利な状況を抜け出す為に魔法陣の外――幻惑魔法の圏外へ退避を試みたが、壁のようなものに遮られて魔法陣の中から外には出られなかった。
(閉じ込められているっ! 僕から逃げている間に幻惑魔法だけでなく封鎖の魔法まで張っていたっていうのか)
攻防前のお互いが牽制しあっていた最初の段階でここまで周到に準備されていたという事実にルーディスは驚愕した。
打開策が何も思い浮かばない。
左右に駆け抜け魔法の射線上から逃れるだけで精一杯だった。
見切りも弾道予測も戦士の勘も圧倒的な数の前では何の役にもたたない。
剣を振るう速さで魔法を操るケビンにルーディスは恐怖を覚えた。
魔力を目視できる能力がなければ恐らくもう立ってはいられなかっただろう。
しかし、逃げ回っては体力を削ぎ取られるだけだ。
(この人、本当に魔力を消耗しているのか? 魔法を連発、しかも湯水のように使い続けるなんて異常だ。それを敵に対して止めてみせろなんて無茶苦茶だ。拙いぞ。何とか接近しないと一方的に負けてしまう)
万策尽きたルーディスは馬鹿正直にケビンの正面へ躍り出て突進を試みる。
しかし、魔法の弾丸が容赦なくルーディスを襲った。
風の弾丸と空気の弾丸は身体に鈍い打撃のような痛みを受け、魔弾は倦怠感を齎す。
一つ一つの弾丸の威力は低いが避ける数より受ける数の方が多く、蓄積されていく小さなダメージは馬鹿に出来なかった。
しかも、風と空気の弾丸は前進したルーディスの身体を後方へと押し戻してしまう。
ルーディスには魔力に対する耐性があって魔法を軽減してくれるため、魔法使いに対して有利に働く――はずだった。
だが魔法を受け続けていたルーディスは圧縮された空気の弾丸の威力は何故か軽減できていないことに気が付いた。
理解しがたいことが多すぎて焦りは募る。
奇跡でも起きないと勝てないかも、と弱気になりかけた。
そんなルーディスを救ったのは後方の空から落ちてくる銀に光る一条の『軌跡』だった。




