44話
食堂からルイとケビンが立ち去ったその後、ルーディスが皆に午後の予定を聞いたところ河川敷に向かって歩くことになった。
それというのも、ゴーザが「河川敷で食後の運動をするつもりだ」と言い出したことからレイリアが「稽古ってどんなことやるの?」と食いついたのだ。
ゴーザは一言も『稽古』とは言っていないのだが、レイリアはしっかり勘違いしてゴーザについて行くと宣言し、予定のなかったルーディスとユリアもレイリアの勢いに引っ張られる形で行動を共にすることになったのだ。
先頭をレイリアが意気揚々と進み、一人で先走ってどんどん先へ行く。
それをルーディスは保護者のように追いかけて声をかけた。
「レイ。はしゃぎすぎだよ」
それでもレイリアの進行速度は変わらない。
「私はいつも通りよ。そういうルーディスの方こそ、さっきは随分機嫌悪かったじゃない。親の仇を見るような目でケビンさんのこと睨んでたわよ。感情的になるなんて珍しい。まぁ、原因は誰の目にも明らかだったけどさ」
レイリアに指摘されるまでもなくルーディスは自分がユリアに惹かれているという事実をちゃんと自覚している。
その感情を隠せていないことも自覚がある。
そしてそれらの感情があるからこそケビンの女性に対する軽々しい態度が許せなかった。
だから穏やかな対応がとれなかった。
思わず敵意を剥き出しにした態度になった。
けれども、対話の途中でルイとケビンの口論が始まりルーディスは消化不要のまま蚊帳の外に追い出された。
そのせいで感情を吐き出す場所を失った。
だが、そのおかげで汚い言葉を吐かずにすんだのかもしれない。
「らしくなかったと自分でも思うよ」
反省を込めてルーディスが言う。
「だねぇ。まぁ、でも安心した」
「安心?」
「感情をぶつけているルーディスって、男の子って感じがした」
「どういう目で僕を見てたんだよ」
「にゃははは」
奇妙な笑いで誤魔化してレイリアは逃げるように歩くスピードを上げた。
ルイに重なるその仕草にルーディスは一瞬、視線を奪われた。
それはたまに遭遇するルイとレイリアが似ていないけど似ている姉妹なんだな、と思う瞬間だった。
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河川敷でゴーザの稽古が始まるとレイリアの機嫌が途端に悪くなった。
最初にゴーザが始めたのは柔軟体操。
そしてそれを五分ぐらい続けたところでレイリアが声を上げた。
「つまんない」
「飽きるの早すぎだよ」
ルーディスが思わず突っ込んだ。レイリアはきっと画期的な稽古をするものと想像でもしていたのだろう。
レイリアは恨めしそうな視線をゴーザに向けた。
ゴーザは無表情に受け止めて口を開く。
「次は軽い走り込みをする」
「えぇ~」
レイリアは不満を呻き声のような声音で吐き出す。
ゴーザはそんなレイリアを無視。靴の爪先で地面に線を描くとレイリアの腕を無言で掴み、線の上に移動させた。
そしてルーディスとユリアにも線の上に並ぶように指示を出して口を開く。
ゴーザは3人の背中を順番に叩き、その後に川沿いに立つ一本の木を指差した。
「あそこに木がある。そこまで軽く走ってあの木に触れて戻って来い。身体を温める程度の軽い走力でこれを五セットやる。それからレイリア」
そこでゴーザはレイリアに視線を向けた。
「文句を言うのは結構だが、それはまずは準備運動ぐらいこなしてからにしろ」
冷たく言い放つと、ゴーザも線の上に並ぶ。そして合図を出す。
「それではスタートだ」
ゴーザは川敷沿いの木に向かって走り出す。それに習うように3人も足を踏み出した。そして。
「おわっ」「ふぎゃっ」
レイリアとユリアが派手に転倒した。
ユリアはともかくレイリアの珍しいミスにルーディスが気をとられているその間にゴーザは目標の木に手をついて戻ってくる。
ルーディスも河川敷の木まで走ってそれに手をつき、反転する。
そこで視界に入ったのはレイリアが足をもつれさせて倒れる瞬間だった。
「こ、このぉ」
倒れたレイリアはすぐさま、地面に手をついて立ち上がりざまに地面を蹴り上げる。
足はふらつきその身体は左右に揺れながら前進する。
今にもまた倒れそうな勢いだった。
一方、ユリアの方は最初に転倒した場所から一歩も進んではいなかった。
それどころか地面に倒れたままもがいている。
立とうとしているが立てないといった感じだった。
ルーディスは走る速度を上げてゴーザの隣に移動した。
そこでスタート地点に到達して、身体の方向を折り返す。
ルーディスはゴーザの隣に並んで走りながら声をかけた。
「ゴーザさん。2人に何かしたんですか?」
「身体に流れる気を正常化した。それだけだ。正しい身体の使い方をしていれば不具合など生じない。キミのように」
ルーディスとゴーザが往復三週目に入ってもレイリアは何度も蹴躓きそうになりながら、二週目に突入していた。
上半身が前のめり気味で、顔には必死な形相を浮かべていた。
ところが、ルーディスとゴーザが五週目の折り返しに入る直前。
レイリアはルーディス達に追いつき、先に木に手を付いて追い越していった。
姿勢も先程とはまったく違った。
背筋を伸ばして、目線は地表と平行に前を向いていた。
整ったフォームで残りの距離を走りきり、レイリアは誰よりも先に五週目を終えた。
「だぁー」
終えた途端、レイリアは力尽きたように仰向けに倒れこむ。
その額には大粒の汗を浮かべ、整えるように小刻みに呼吸を繰り返し、胸が激しく上下させていた。
「レイ。大丈夫か?」
五週目を終えたルーディスが、レイリアに声をかける。
「めちゃくちゃ疲れた。なんか不思議。たいした距離を走ったわけなじゃないのになぁ」
「ゴーザさんが僕達に走る前、身体に流れる気を正常化する気功術を施したと言ってたけど」
「それでどうして疲れんのよ。ていうか、ルーディスは何で汗一つかいてないのよ」
「それはキミが当たり前のことに慣れていないからだ」
そう言ったのはルーディスに続いて五週目を終えたゴーザだった。
「当たり前のこと?」
言葉を反芻するレイリアにゴーザは頷いてみせる。
「そうだ。キミは気の均衡――力の入れ方が偏っている。だから僕の気功術で体内の気の均衡を整えたとき、体勢を上手く取れなくなってキミは倒れた。我流の者に多いが、利き腕や利き足の方に筋肉を集中的に使う傾向が強い。利点を最大限に使う戦い方を優先して、代償に姿勢が悪くなっている」
ルーディスは納得した。
レイリアの極端な消耗は普段、無意識に使わない筋肉を集中的に使ったせいだったのだ、と。
「悪い癖があるから直した方が良いってこと?」
「いや。癖を強引に直しても今までの戦い方の利点、キミの場合は速度か。それを失うことになりかねない。矯正しても恐らく逆効果だ。だが力の均衡を整える術は覚えておいた方が良い。それだけでも怪我の確率が格段に下がる。もっとも、キミは3度も今のを繰り返せば身につけるだろう。現に三、四週目辺りからキミの動きが良くなった。普通はそう簡単に慣らせるものではないのだが、キミは飲み込みが早い。運動センスがいいのだろうな」
「えへへ」
ゴーザに意図せず褒められてレイリアは笑って照れ隠しした。
「な、和んでるとこ悪いんだけど、助けてくれない?」
苦しげな声に振り向くと、最初の位置から一歩も動いていないユリアが地面に座り込んでぐったりしていた。
「大丈夫か、姐さん」
ゴーザが駆け寄りユリアに肩を貸して助け起こすと、木の傍にまで運んだ。
そして木を背もたれにして座らせた。
「情けないですね、あたし」
「そんなことはない。相応の修練を続けていない者に先程の気功術は厳しい。姐さんの反応は普通だ。気にする必要はない」
慰めているのだろうが、それでは逆効果だろうとルーディスは思う。
あまり表には出さないがユリアは周囲が考えている以上にプライドが高いのだ。
「そういえば、さっきの食堂にいたときから気になってたんだけど、ケビンさんもゴーザさんもユリアを姐さんって呼んでたわよね? なんでそんなユリアに似合わないような愛称になったわけ?」
「あぁ、それは……」
「あー、えー、ああー、ああああー!」
ゴーザが説明しようとしてユリアが何故かそれを叫んで遮った。
そしてゴーザを睨みながらユリアは叫ぶ。
「ゴーザさん、言わないでっ!」
必死に口止めしようとするユリア。
そんな態度でますます気になってしまった。
いったい、どういう経緯でそうなったのだろうか。
「そうか。では説明するのはやめておこう」
ゴーザはユリアの必死な訴えに微笑んで答えた。
胸を撫で下ろすユリアに対してレイリアは不満げだ。
「えー。それぐらい教えてくれてもいいじゃない」
「嫌がっている相手に無理強いは良くない。まぁ、代わりというわけではないが、せっかくの機会だ。これから模擬戦を行う」
ゴーザの提案にレイリアの目が輝いた。
「マジで。やるやる」
「そうこなくてはな。ただし、僕は普通の模擬戦をするつもりはない」
テンションを上げるレイリアに忠告するゴーザ。
その表情に変化はなかったのだが、何故か楽しそうに見えた。
ゴーザが課した模擬戦のルールは武器の使用禁止。
使える攻撃は手で掴むという行為のみ。
言い方を変えればまともに相手にダメージを与えられる攻撃は投げ技のみということでもある。
素手を得意とするゴーザに有利な条件のため、ルーディスとレイリアはコンビで。
そしてゴーザはルーディスに対しては左手のみ、レイリアに対しては右手のみで相手をするという条件を加えた。
「では模擬戦を始める。行くぞ」
宣言と同時にゴーザが駆けた。
ルーディスはレイリアと視線で意思を示し合わせて左右に走り、ゴーザを挟み込むように動く。
先制したのはレイリアだ。
得意の速度を活かしてゴーザの左側から接近、左腕を両手で掴む。
瞬間、ゴーザは乱暴に左腕を振り上げる。
その脅威の腕力はレイリアの身体を軽々と持ち上げた。
レイリアは瞬時の判断でゴーザの左腕から両手を離してその勢いで上空へと離脱する。
その間にルーディスがゴーザの右側へ駆けて左手を伸ばす。
刹那、ルーディスの視界からゴーザの姿が消えた。
直後に左足が自分の意思を無視して宙に浮く。
ゴーザに左足を掴まれたのだと気がついたときには浮遊感と共に視界の大きく回る。
そしてゴーザは上空に逃げたレイリアに向かってルーディスの身体を投げ飛ばした。
飛翔するルーディスが上空でレイリアと衝突しそうになる。
レイリアは両足のブーツを脱ぎ捨て、そして叫ぶ。
「背中貸りるわよ」
衝突の瞬間、レイリアは空中で器用に身体の位置を調整して、ルーディスの背中に鋭い蹴りを入れる。
絶妙なその蹴りは衝突の勢いを殺した。これにより衝突によるダメージは軽減できた。
しかし、それもつかの間。
視線を上げればルーディスとレイリアの前にゴーザがいた。
上空にルーディスを投げた直後に自分自身も宙に飛んでいたのだ。
「前に比べて格段に鈍い」
ゴーザの低い声。
自由の利かない空中で、それでもルーディスとレイリアは必死になってゴーザに掴みかかろうと腕を伸ばす。
だが、剣を振るうような素早い動きとはいかず簡単に避けられた。
それどころかゴーザにルーディスは首筋を後ろから掴まれ、レイリアは右足を掴まれた。
抵抗を試みるがゴーザの握力から逃れることが出来ない。
落下する3人。
着地する瞬間、ゴーザは両手を地面に押し込む。
ルーディスは胸を、レイリアは背中を地面に叩きつけられた。
思わず2人は小さな悲鳴を上げる。
ゴーザは両手を2人から離して挑発するように言う。
「こんなものではないだろ、キミ達は」
その言葉に感化されてルーディスとレイリアは素早く立ち上がる。
ゴーザと距離をとり、再度攻勢にでた。
それから――
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――わずか10分足らずで勝敗は決した。
結果は見事なまでの惨敗だった。
レイリアと組むのなら接戦、或いは自分達の方が有利になるだろうとルーディスは思っていた。
だが、それが浅はかだったと思い知る。
「ここまで差が出るなんて……」
ルーディスは苦悶の表情でゴーザを見上げた。
地面に膝をつき、荒い息を吐いていた。
レイリアもほぼ同様だ。
それに対してゴーザは汗の一滴も浮かんでいない。
ルーディスとレイリアはゴーザに対して攻撃らしい行動が一切出来ないままだった。
せめて拳や蹴りのような打撃攻撃が使えればもっと結果は違ったかもしれないが、それは言い訳にしかならないだろう。
実技試験でゴーザと互角に渡り合ったレイリアと組んでこの結果だ。
ルーディスもレイリアも全力を出したのにゴーザは手を抜いている。
にもかかわらず攻撃が一度も通らなかった。
制限ありの模擬戦だからといってもこの結果はひどすぎる。
「剣を得手とするキミ達では荷が重かったか? だが、忘れるな。武器は所詮消耗品だ。どんな名剣でもいつか必ず刃毀れを起こし鈍となる。そしてその瞬間が訪れる可能性が最も高いのが戦闘中だ。今のキミ達では戦場で武器を失ったら脆い。自覚しておくことだ」
ゴーザが辛辣な言葉を投げて寄越す。
何も反論が出来ない。
それが適切であり現実だったからだ。
ゴーザは自分達に弱点を教えるためにこの模擬戦を提案したのかもしれない。
「少し休め。その間に僕はちょっと席を外す。スグに戻る」
そう言ってゴーザは、どこかへ行ってしまった。
「ゴーザさん、すっごーい。ま、期待してた稽古とはずいぶん違ったけどさぁ、でも楽しかった」
「ボロ負けしたのにかい?」
「うん。新しい道が見えた気がする。ルーディスだって感じることあったんでしょ? そんな顔してる」
「そうだね。確かにそうだ」
ゴーザの戦い方は腕力と握力にものを言わせた強引なものだった。
投げ技らしい投げ技を一つも使わなかった。
それなのにルーディス達は負けた。
状況次第で不利有利が極端に変わることを学べた。
自分達の今後の課題となりそうな予感があった。
それは大きな収穫だ。
やはり経験を積んできた実力者に直接指導を受けると得るものが多い。
ルーディスがレイリアと話し込んでしばらく、ゴーザが戻ってきた。
彼の手には3本の木刀が握られていた。
「どうしたんです、それ?」
「協会からの支給品だ。貰ってきた。受け取れ」
ゴーザはルーディスとレイリアにそれぞれ木刀を投げてよこす。
そしてゴーザは両手で木刀を握り締めて、新たな提案を申し出た。
「では次の模擬戦を始めよう。先程の模擬戦は僕に有利すぎた。不満もあるだろう。だから今度はキミ達に合わせる。剣で勝負だ」
「良いの? 今度は私達の方がボロ勝ちしちゃうわよ」
「出来るものならやってみせろ」
レイリアの挑発にゴーザは挑発で答えた。
そして模擬戦の第2回が始まる。
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2度目の模擬戦の結果はルーディスとレイリアの圧勝だった。
ゴーザの剣の腕前は並みの剣士程度のものだった。
強気な発言をしてはいたがやはり得意ではなかったらしい。
それでもレイリアとルーディスが10回の攻撃を当てる合間に一撃程度の反撃は当ててきた。
それは逆に言うと不得手でありながらも、それなりに戦えるということの証明でもあった。
ルーディスとレイリアはこの後も日が暮れるまでゴーザと稽古を続けた。
制限ありの模擬戦を4回ほど繰り返した。
そして2人は思い知る。ゴーザの実力を改めて。
そして2人は同時に思う。この人に勝ちたい、と。
そしてユリアはそんな彼らを羨ましそうな目で眺めていた。




