34話
時は半日ほど遡る。
窓から差し込む太陽の光と外から聞こえてくる喧騒でユリアは目を覚ました。ベッドから起き上がると、重い腕と痛む足に自由を制限されて小さく呻いた。
「まだ痛みが治まらないのね。いつになったら慣れるのかしら……」
ユリアは不安を思わず独白する。
一昨日の武道、昨日の魔法の実技試験と、立て続けに動き回ったせいで筋肉痛になっていた。
慣れない筋肉の使いすぎで身体が悲鳴を上げているのだ。
隣に並ぶ2台のベッドに視線を移す。
そこで寝ていたはずのアトリス姉妹の姿がない。
室内に備え付けられているテーブルの上に置き手紙があった。
それを読んで2人がいないことに納得した。
手紙にはルイの筆跡で『医療の部の試験を受けに行ってくる』と書かれ、その下にはレイリアの筆跡で姉に付き添って医療の部を見学に行くと記されていた。
ユリアは寝間着にしていたシャツとズボンを脱ぎ捨てて革の鎧を着込み腰に剣を刺して部屋を出た。
その拍子にひらひらと小さな紙切れがユリアの足元に落ちてきた。
どうやら扉の隙間に挟まっていたようだ。
ユリアはその紙切れを拾い上げた。
それはユリア宛の手紙だった。
差出人はルーディスだ。
先に出かけることに対する謝罪と礼拝のために教会へ行くという旨が書かれていた。
「つまりあたしは1人、取り残されたということね。はぁ」
盛大な溜息を吐くと手にした紙切れをポケットにしまい、とぼとぼと宿の外に出た。
1人の時間も悪くはないのだが、それはそれで寂しい気がして少し落ち込んだ。
ルーディス達はきっと疲れているユリアを気遣って、声をかけずに書き置きを残してくれたのだろう。
今日はその優しさに甘えてゆっくり休むべきなのかもしれない。
それなのに踏ん切りがつかなくてルーディスかアトリス姉妹を追いかけるべきか否かと、逡巡を繰り返しながら街をぶらついた。
気が付くと街外れの河川敷まで来てしまっていた。
考え事をしながら歩いていたため、どういう経路でここまで来たのか、まったく思い出せなかった。
ユリアはそこで黒髪の青年――ゴーザとばったり出くわした。
「奇遇ね、ゴーザさん。あなたもお散歩?」
「ユリア・フィナードか。僕は朝稽古をしていたところだ」
返って来た声音は平坦で素っ気のないものだった。
けれど、ユリアは嫌な気分にはならなかった。
ゴーザの琥珀色の瞳に写ものが憂いを帯びた何かだとユリアの直感が告げた。
ユリアを通して他の誰かを見ている。
そんな気がした。
「あたしの顔に何か付いてますか?」
ユリアは見惚れた男を正気に引き戻す定番の台詞を言った。
するとゴーザは弾かれたように視線を河川に向けてそのまま黙り込んでしまった。
無表情に視線をそらすゴーザの姿がユリアにはバツが悪くなって恥ずかしがっているように見えた。
その姿が可愛いと感じてしまったユリアは心の中で密かに微笑んだ。
これ以上ゴーザの側にいると気を使わせるだけだろうと感じたユリアは街のほうへ戻ることにした。
「稽古の邪魔をしてしまったみたい。あたしはここで失礼するわね」
ユリアはゴーザに別れを告げてから街へと戻った。
しかし、よく考えたら宿に戻る道順が判らない。
ユリアは河川方面を背にして街を見上げて目印になるような建物を探した。
冒険者協会関係の施設は背が高い建物が多いからそれを頼りに動けば宿に辿り着けなくとも大通りに戻れるだろうと考えたのだ。
周囲を見渡せば思惑通り、連なる建物の間に巨大な剣が見えた。
武道会館の巨像の剣だ。ユリアは武道会館を目指した。
しばらく歩いていると小道でガラの悪い筋肉質の男と出くわした。
薄手のシャツと革のパンツを穿いている男の首には似つかわしくない高価そうな女物のスカーフが巻かれ、手には宝石の装飾が施された小さくてバックを三つほど右手に持っていた。
はっきり言ってセンスの欠片もない格好だ。
男は立ち止まると、無遠慮にユリアを凝視してきた。
口元に笑みを浮かべ、つり上がった目が怪しく光る。
男の不気味な態度にユリアは恐怖を抱いた。
「な、なんですか?」
虚勢を張るように上ずった声音が口腔を通る。
声が震えているのが判った。
しかし、男は返事をせずにユリアの姿を眺めた後、何事もなかったようにそのまま立ち去って行った。
「な、なんだったの今の?」
男の理解不能な行動に首を傾げつつも、恐怖から開放されたことの方に安堵していた。
気を取り直して歩き出して、しばらく。
小道から大通りに続く道が見えた。
通りに出ると、歩道の中心に人垣が出来ていた。
何事かと思い、近づいてみると通行人達が、男に荷物をひったくられた、財布が強奪された、と騒いでいた。
叫ぶ通行人達の言葉にユリアの思考は数分前の記憶を呼び出していた。
小道ですれ違った巨漢の男。普通の服装にアンバランスな装飾と荷物だった。
(さっきの小道であった男性……高価そうなバックとか似合わないスカーフとか巻いていたわ。まさかあれってひったくり犯?)
その答えに辿り着いた瞬間、ユリアは踵を返して辿ってきた道を逆走した。
あの男がひったくり犯ならば追いかければまだ間に合うはず、と考えたのだ。
役人に通報するという当たり前のことを思い至らず、男とすれ違ったときに自分が恐怖していたことも忘れて。
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ケビン・カラミティは大通りで騒ぐ群衆の中にいた。
騒ぎに気付いて興味本位で駆けつけたのだ。
だが、思わぬ収穫があった。
人垣の中にユリアの姿を見つけたのだ。
自分の幸運にケビンは口元を緩める。
「おやおや。野次馬根性たくましいガキだな。まぁ、俺も人のこと言えねぇか」
などと、軽口を呟いていると、ユリアは急に血相を変えて小道へ走り去っていった。
「なんだありゃ?」
尋常ではないユリアの様子を怪訝に思い、ケビンは人垣から離れていく彼女を密かに追いかけた。
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荒い呼気を伴って走り抜けたその先に巨漢の背中が見えた。
自分は疾走、相手はひったくり後の逃亡犯とは思えないほどのんびりとした歩調。
このままの速度を維持すれば、確実に追いつける。
そう思ったのも束の間、男はユリアの予想を裏切り針路変更して横道に入っていく。
「待ちなさい!」
思わず男を呼び止めていた。
男は一瞬、振り返りユリアを見たが、その足が止まる事はなかった。
そのまま横道に男の姿が消えていく。
ユリアは男を追って横道に曲がる。
巨漢の背中を視界に補足すると、ユリアは全速力で駆け抜けて男の正面に回り込み、両手を広げて行く手を阻んだ。
男は舌打ちをして鬱陶しそうにユリアを睨む。
「何のつもりだ、小娘?」
脅すような男の視線にユリアは恐怖を感じて思わず怯む。
手足が震えていたが、自分に『大丈夫』と言い聞かせて平静を何とか保つ。
「大通りのひったくりはあなたでしょ? 大人しく奪った物を返しなさい!」
ユリアの説得は男の失笑を買っただけだった。
男は蔑むようにユリアを見下し「邪魔だ」と肩を乱暴に押し退け、そのまま歩き出し、また横道へと入っていく。
ユリアは去ろうとする男を追いかけて横道に飛び込み、そして目の前に入った光景に戸惑い立ち止まった。
通路の先は陽の通りが悪い裏通りだった。
建物の入り口や通路の脇に追いかけていた男のようにガラの悪い男達がそこかしこに犇いていたのである。
まるでそこは犯罪者の溜まり場のようだった。
ユリアはそんな中で好奇の視線の的となった。
「なんだ、ガキちょ?」
通路の端で座り込んでいる小汚い男がユリアを見上げて目を細める。
その手には小さな財布が3つほど握られていた。
それは明らかに女物で男性の持ち物とはとても思えなかった。
「さっきからそこら辺をうろついてたぜ。盗んだもの返せってさ」
巨漢の男がユリアの変わりに小汚い男の問いに答える。
「正義感の強いおバカちゃんが、調子こいて追っかけてきたわけか。あ~、可哀想に」
ワザとらしい大声で小汚い男がそう言うと周囲に屯っているガラの悪い連中がぞろぞろと立ち上がり、ユリアの方へと集まってくる。
巨漢の男は少し離れた場所からユリアをあざ笑うように眺めていた。
「な、なんですか、あなた方は。あたしはそっちの男性に用があるの。邪魔をしないで下さい」
「つれないこと言うなよ、お嬢ちゃん」
小汚い男がユリアの右腕を掴む。
その手の冷たさと気持ち悪さに危険を感じて乱暴に振り払う。
鞘から剣を引き抜いて男達を牽制するように正面に構えた。
「どいてください」
「物騒だな、嬢ちゃん。そんなちゃちな刃物で何をする気だ?」
「ふざけないで! あたしはもう、躊躇わないんだから!」
自分に言い聞かせるように叫ぶ。
しかし、それは虚勢としか受け止められずに男達の嘲笑を生む。
男達の態度はユリアの頭に血を上らせた。
我慢ならずにユリアは男達に剣を振るった。
だが、男達に剣の軌跡は重ならない。
小汚い男が懐から取り出したナイフによって剣はあっさりと弾かれ、その隣の男が放った蹴りを腹に食らいユリアは身体を縮めた。
息がうまくできなくて大きく咳き込む。
「あぁ~あ。もうちょっと真摯的に相手してやれよ。こういう風にさ」
小汚い男が言葉とは正反対の乱暴な手つきでユリアの顎を持ち上げる。
「おっ。よく見るとなかなかの美人じゃないか。どうやって可愛がろうかなぁ」
下卑た笑みを浮かべながら顔を近づけてくる。ユリアは嫌悪感で顔を歪めた。
「は、はなしてっ!」
ユリアは左手で頬をひっぱたいて小汚い男の手を強引に振り払う。
両手で剣を構えつつ男達から離れる。
しかし男達はユリアの反応を面白がって、笑いながら左右に動いてゆっくりとユリアを囲っていった。
気が付けば背後の道は行き止まり、前方と左右を男達に陣取られて身動きが取れなくなってしまった。
「さぁさぁ。もう諦めたらどうだ。あん?」
そう言って最初に絡んできた小汚い男が近づいてくる。
ユリアは剣を振るうが簡単に避けられて、左腕を掴まれる。
そして小汚い男の左手がユリアの身体に伸びる。
恐怖に耐えかねてユリアは思わず悲鳴をあげそうになった。
だが、次の瞬間、右側から別の手が伸びてきて小汚い男の右腕を掴んだ。
驚いて右を向くと、そこには見覚えのある黒髪の男が――ゴーザが立っていた。




