02話
茶色の髪の少年――ルーディス・オルラントは褐色の髪の女性と肩を並べて街を歩いていた。
その場の勢いで食堂から連れ出す格好になってしまった事をルーディスは少しだけ後悔した。
ルーディスは自分が見知らぬ女性の手を引いて連れ出すという大胆な行為に及んだことに驚いていた。普段の自分なら店の外へ誘うにしても手を握ったりはしない、はず。
何故、そんなことをしたのだろうか。
ルーディスは自分自身の行為に不思議を思い首を傾げ、しかしすぐに思い直した。
今はそんな事よりも彼女の方だ。
どういう経緯なのか判らないが、彼女『も』全身が濡れていた。
濡れてからしばらく経ってはいるようで乾き始めてはいるようだが、このまま放置するわけにもいかないだろう。
「あのさ、どうしてずぶ濡れなの?」
「夜明け前まで雨降ってたでしょ? 今日は野宿だったのよ。でもまぁあなたの方がヒドイ有様だと思うわ。川に落ちたって言ってたわね。あたしも人のこと言えないけどさ、雨上がりだっていうのに川の傍を歩くなんて何やってたの」
「いや、少し考え事をね。あはは」
指摘されてルーディスは苦笑した。
実際は川に落ちた猫を助けに飛び込んだのだが、それは黙っておこう。
偽善者のような言い訳はしたくない。
「それより、早く服を乾かした方がいいよ。替えの服とかは持ってる?」
ルーディスの質問に褐色の髪の女性は首を左右に振って唯一の持ち物である荷物を入れた袋をルーディスに見せるように持ち上げた。
薄い布で出来たその袋から定期的に小さな雫が地面に向かって落ちていた。
水分を吸っていて湿っている様がはっきり見て取れ、その中身が無事のようには到底思えなかった。
「全滅か」
「残念ながら」
やはり宿に戻るのが一番いいだろう、とルーディスは思考を巡らせた。
宿に戻ればタオルを借りることも出来るし、自分の着替えもある。
彼女の着替えは流石に自分のを貸すわけにはいかないが、知り合いに頼めばいい。
ただ、自分が褐色の髪の彼女を宿に連れて行くという行動が下心と捉えられないだろうかという不安があった。
そんなことを考えていると進行方向の街道の片隅を重い足取りで歩く赤髪の少女の姿が視界に入った。
その後姿はルーディスが見知ったものだった。
いつもは快活な少女なのだが、珍しいことに肩を落とし下を向いて歩いていた。
「レイ。どうしたんだ?」
ルーディスは赤髪の少女――レイリア・アトリスに声をかけた。
声に反応してレイリアは顔を上げて後ろを振り向く。
そこでようやくルーディスの存在に気が付いたようだった。
「あ、ルーディス。ちょっと私の剣が行方不明でさぁ、探し回ってたところなの。どこに置き忘れたんだろ。最悪だぁ」
珍しく落ち込んでいる様子のレイリア。
ルーディスは肩を叩いて励まそうと手を伸ばしかけて、途中でやめた。
良く考えたら今の自分は全身泥まみれである。
そんな手で触れたらレイリアの肩を汚してしまう。
ルーディスは先ほど褐色の髪の女性と手を繋いだことをすっかり忘れてそんなことを考えていた。
ルーディスの躊躇いがレイリアには伝わったようだ。
レイリアは怪訝な表情で一瞬、目を見開く。
そこでルーディスが泥まみれであることに気が付いた様で、顔を苦悩で歪めて両手で鼻を抑えた。
「なに、ちょっと。ルーディス、臭い。どうしたのよ、その格好」
無遠慮な苦情にルーディスは苦笑いを浮かべるしかなかった。
「諸事情で川を泳ぐ羽目になって、この有様だよ。それよりちょうど良かった。頼みがあるんだけど」
「頼み?」
「この女性に服を貸してあげて欲しいんだ」
そう言ってルーディスは隣の褐色の髪の女性に視線を向ける。
「ん? どちら様?」
「あぁ。彼女は……」
ルーディスはレイリアに褐色の髪の女性を紹介しようとして、途中で口を閉ざす。
今さらながら彼女の名前を知らないことを思い出した。
「えっと。そういえばまだ自己紹介してなかったっけ。僕はノーラス王国のハザンシティの近くにある村から来たルーディス・オルラント。それで……」
ルーディスはレイリアに視線を移した。
「彼女は僕のチームメイトでレイリア・アトリス。彼女も僕と同郷だよ」
「よろしく~」
レイリアが軽い口調で挨拶をする。
褐色の髪の女性はにこやかに笑って二人に答えた。
「あたしは、この国の出身でユリア・フィナードよ。よろしく、ルーディス。レイリア」
ユリアはルーディスとレイリアが泊まっているという宿に案内された。
ルーディスは友人と相部屋で、レイリアも姉と相部屋なのだそうだ。
ユリアは宿の二階のレイリアが借りている部屋にお邪魔することになった。
ルーディスは自分の部屋に着替えに戻ったので今はレイリアと二人きりである。
「んじゃまぁ、さっさと服脱いでよ。すぐにタオルと着替え準備するから」
そう言うとレイリアは部屋の片隅に置いてある荷物を漁り始めた。
そんな彼女の背中を見つめながらユリアは服を脱ぐのを少しだけ躊躇う。
女同士とはいえ、見知ったばかりの他人に素肌を晒すのに抵抗があったのだ。
しかし、このままじっとしているわけにもいかず、勇気を出してユリアはブーツを脱ぎ、革の鎧を外し、その下に着ているシャツとズボンを脱いだ。
するとすぐさま、注文が飛んできた。
「ユリアぁー。下着も脱がないとダメだよ」
「え……いや、流石にそれは……」
「濡れたままの下着の上に服を着たら意味ないっしょ。ほら脱げ脱げ」
どこか楽しそうな声音でレイリアは催促する。
困惑するユリアだったが、レイリアの言うことの方が正しい。
恥ずかしさを我慢してユリアは下着を脱いだ。
ユリアは裸身を隠すように両手で抱いて羞恥を堪えた。
もっともレイリアはユリアの羞恥心など気にも留めていないようであった。
「はい。これで身体拭いて」
レイリアは荷物から取り出したタオルをユリアに向かって放った。
それを受け取ったユリアは「ありがと」と礼を言って全身を拭き始めた。
一方のレイリアは荷物漁りを中断して、床に脱ぎ捨てられたユリアの鎧を部屋に備え付けてある椅子の背中に引っ掛ける。
そしてシャツとズボンと下着を拾い上げて、高窓を開いて窓枠に乱暴に引っ掛けて干していく。
ユリアは慌てて声を上げた。
「ちょ、下着を窓に干さないでよ」
「日に当てた方が早く乾くよ」
「そういう問題じゃなくて、外から見えちゃうじゃない」
「んー、それもそうか」
レイリアはユリアの指摘にあっさり納得して窓から下着をとって、外套用のハンガーに移した。
どうやら深く考えてなかったらしい。
ユリアは安堵して身体を拭く作業に戻る。
全身を拭き終えた頃にはレイリアは自分の荷物から着替えを準備しておいてくれていた。
「はい、どうぞ」
レイリアはそう言ってユリアに上下の服を手渡してくれた。
しかし、受け取った服に着替えたユリアは自分の身体を見下ろして複雑な表情を浮かべた。
渡されたのは無地の白いシャツに黒色のハーフパンツ。
ごく普通の服で文句の出ようもないのだが、ユリアとしては受け入れるのに勇気が必要なものだった。
身長はユリアよりレイリアの方が高いが差はそれほどある訳ではない。
問題は体型の違いだった。
レイリアがスレンダー系であるのに対してユリアはグラマー系なのだ。
渡された服のサイズはレイリアにはぴったりなのだろうが、ユリアには窮屈だった。
「どうしたの?」
「いや、これはちょっと……」
貸してもらっている手前、直接的には言いづらくてユリアは言葉を濁す。
ハーフパンツは伸縮性のある素材で履き心地は良いものだ。
けれどフィット感抜群で身体の線がはっきり判るのは恥ずかしい。
それに問題なのは上半身。
無地の白いシャツはユリアのふくよかな胸を包むには小さすぎで布地が胸部で盛り上がって、へそが丸出し状態。
しかも今は下着を着ていないのだ。
無地だということも災いして、隠すべき丘陵の先端の形がくっきりと浮びうっすらと透けて見えている。
だからと言って、流石に他人の下着を借りる訳にもいかないだろう。
ユリアの戸惑いにレイリアは申し訳なさそうな顔をした。
「あー、やっぱサイズ合わないねぇ。う~ん。体格が違うからこればっかりは仕方ないしなぁ。でも今は他にないのよねぇ。とりあえずそれで我慢してよ。大丈夫。別にその格好、変じゃないよ」
慰めになってない慰めを言われてユリアは大きく肩を落とした。
「……できれば上にもう一枚、羽織れるものが欲しいんだけど。これじゃ外に出られないわ」
ユリアは両腕を交差して胸部を隠すような仕草をとる。
「その格好でも問題ないと思うけどなぁ。ま、それがイヤなら服乾くまでここにいれば?」
「そういう訳にはいかないわよ。まだ冒険者教会試験の申し込みをしてないの」
「え? だったら急いだ方がいいよ。今日は受付最終日だからかなり混んでるはずよ」
受付で申込書を提出して受験票を受けとるだけだが受験の申込書を貰うだけでも時間がかかりそうだ。
レイリアの言うことが本当なら今すぐ出かけるべきだろう。
しかし、今の格好のまま外に出る勇気はユリアにはない。
「う~。やっぱり上着欲しい」
懇願するようにレイリアを見たが首を左右に振られてしまった。
「そう言われても私も今は手元にないしなぁ」
「誰か他に服を持っている人っていない?」
「う~ん。姉さんなら持ってると思うけど、私の服でサイズが合わないんじゃ姉さんの服も合わないと思うし……」
そんな話をしていると廊下から扉を叩く音が聞こえてきた。扉の向こうに人の気配があった。
「は~い。だれ?」
「僕だよ、レイリア。ユリアの着替え終わった?」
扉の向こうから聞こえる声はルーディスのものだった。
「あー、そうだ。ねぇ、ルーディス。ちょっと」
そう言いながらレイリアは扉を開く。扉の向こうにはルーディスが修道服姿で立っていた。
ユリアはルーディスの視線を気にして身体を隠すように背を向けた。
「どうかしたの?」
ルーディスはユリアの拒絶するような反応を疑問に思った様子で訊いてきた。
「それが、ちょっとね。私の服だとユリアのサイズが合わなくて。ユリアが着れそうな上着持ってない?」
「マントならあるけど」
「何でマントなんか持ってんの?」
「防寒具だよ。野戦実技があるって話だったから野営の事も考えて念のために持ってきてるんだ。身が重くなる外套より持ち運びやすくて脱ぎやすいマントの方がいざって時に便利だと思って」
「なるほど。ねぇ、ちょっとそのマント、ユリアに貸してあげてよ」
「別にいいよ。じゃあ、とってくるよ。少し待ってて」
ルーディスは一旦、自室に戻ってマントを持ってきてくれた。
手渡されたユリアはそのマントを肩に掛けてみた。
男性用だけあって、床を引きずってしまうぐらい丈が長く横幅も大きめだ。
だが、それが幸いした。
マントの紐を胸元の少し上あたりで締めてみると、両肩から足元まで全身を隠してくれたのだ。
マントを胸元で留めているので前が下にいくほど開いているが、隠したい部分を覆えているので問題はない。
全身をマントで覆うのはなんとも不恰好だとは思ったが、貸して貰っている立場として不満を抱くはずもない。
「大丈夫そう。ありがと」
ユリアが素直に礼を言うとルーディスはどこか照れたように鼻の頭を掻いた。
修正
レイリアの自分の呼称 わたし→私