16話
「ちっ。ヤベェな、こりゃ」
霧のように広がる魔力の粒子を前に金髪の青年は舌打ちした。
暗黒竜が魔力を周囲に放出するのは高密度な魔力をぶつけて獲物の感覚を酔わせて動きを鈍くさせる為だ。
もっとも人間に限っては長時間曝されない限り酔う事は無い。
だが、視界を奪われてしまって2人を助けに行けなくなったのは痛い。
これでは状況も掴めない。
判断を誤ったと青年は思った。
もっと早く決断して助けに行くべきだった、と。
「無事でいろよ。魔力・錬成。存在を否定された悪鬼のツレども肯定しやがれ。代償はすでにねぇ。魔力は同義……」
金髪の青年は杖を構えて呪文を唱えながら、足で地面を掘りながら魔法陣を描く。
描き終えると陣の中央に立ち、爪先で地面を2、3回ほど叩く。
すると青年の足から魔力の光が放出されて地面に吸い込まれ、魔法陣が光輝する。
「……在るべき姿を失った貴様に帰路を提示する。自然・開放!」
呪文の完成と共に金髪の青年は杖を天に向けた。
刹那。青年を中心にして、広範囲に広がっている魔力の光が風に吹かれたかのように散っていく。
視界を遮っていた魔力の光が瞬く間に消えて、緑の森が姿を見せる。
良好になっていく視界の中に暗黒竜の姿を捉えた。
暗黒竜の前足が男を地面に押し潰していた。
遠目から男が辛うじて生きている事だけは確認できた。
だが、死の秒読みは止まらない。
青年は苦悩を顔に貼り付けて走り出す。
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全身が悲鳴を上げていた。
息苦しくて、叫び声を上げたいのに出せない。
動かせるのは首から上と右手首から先の掌だけ。
意識が混濁していたが状況は大よそ把握できていた。
自分は暗黒竜の前足に踏み付けられている。
金属並みの強度を誇る竜の掌に前身を圧迫されて、背中が地面に沈んでいく。
臓器が締め付けられて呼吸が満足に出来ない。
酸素不足で思考が回らず、自分の骨が砕かれていく感覚はあるのに痛みを理解する余裕がない。
それでもルーディスは首を動かして視線を動かし、ユリアの姿を探した。
ユリアはルーディスのすぐ傍に横たわっていた。
無事はそれで確認できた。
ユリアはルーディスを凝視して状況に絶望を抱いて泣いていた。
敵を倒す事が不可能である事は判っていた。
もはや彼女を逃がす事も叶わない。
それでもルーディスは薄れていく意識の中でたった1つを想い、彼女に向かって束縛を免れている右の掌を伸ばす。
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また、目の前で失ってしまう。
また、自分を守って誰かが死んでしまう。
自分が浅はかで無謀なことをしたからだ。
自分が弱いからだ。
自分が頼ってしまったからだ。
後悔に苛まれてユリアは涙を零した。
涙で視界が歪んで事態を見つめる事が出来ない。
いや、見たくないから涙を流しているのかもしれなかった。
昔の出来事を思い出してしまう。
自分を助けようと魔物に挑んで右腕を食われて逝った者と、自分を逃がそうとして魔物の爪に裂かれて絶命した者の姿を。
あの時、愚かな振る舞いを正す事を誓ったはずだ。
あれから自分を守れるように、他人を傷つけないように強くなることを目標として励んできた。
それなのに、また他人が自分の為に傷つき倒れようとしている。
無謀な事は判っていた。
自分が何も出来ないのも判っていた。
それでもユリアはたった1つを想い、歪んだ視覚の先にあるルーディスの姿を追って手を伸ばす。
――僕がユリアを絶対に助ける――
――あたしは必ずルーディスを守る――
違う理由で同じ想いを抱いた二人の手が触れ合った。
瞬間。
ルーディスはユリアに白い翼を幻視した。
ユリアはルーディスに耳の尖った黒い人影を幻視した。
2人の意識が暗転する。
その直後。不可思議な現象が起きた。
それはユリアの身体が突如、発光を始めたのである。
それは明るいが決して目に痛くない虹色の光。
光の発生と同時にユリアから衝撃波が放出された。
だが、それは普通の衝撃波ではなく精神を揺さぶる強力な波であった。
至近距離で衝撃波を受けた暗黒竜は意識を吹き飛ばされて地面に倒れ込む。
また衝撃波を放った本人であるユリアも自身の精神波に耐え切れずに意識を失ったようだ。
そんな中でルーディスは1人、意識を保っていた。
突然起こった理解不能な現象に困惑しつつもルーディスはそれを受け入れられた。
それはユリアが自分を助けてくれたのだと直感で漠然と理解していたからだった。
ユリアの身体から発せられる虹色の光は意識を圧迫する反面、痛覚を完全に取り払ってくれた。
おかげで全身は傷だらけで骨が何本も折れているにも関わらず、弊害なく立ち上がることが出来た。
痛みを感じない事でルーディスは冷静に状況を判断する思考を得た。
「これはいったい……」
ユリアの発している能力が何であるのかは理解できない。
ただこれは好機なのだ。
倒れている暗黒竜はただ意識を失っているだけに過ぎない。
痛覚もない今ならユリアを抱えて逃げる事も難しくない。
しかし、ユリアが放っている虹色の光が逃げるまで続いてくれるとは限らないし、暗黒竜もいつ意識を取り戻すかも判らない。
(今のうちに暗黒竜を討つ)
ルーディスはそう判断すると右足に刺さった自分の剣を引き抜いた。
その瞬間に傷口から激しく出血するが痛みはないので気にならない。
自分の剣で竜の鱗を斬れるのは実証済みだ。
問題なのは半端な攻撃では五感が敏感な暗黒竜の目を覚ましてしまうだけになってしまう可能性があること。
いくらルーディスが傷を気にせず自由に動ける状況にあるとはいえ、体力は既に限界を迎えている。
暗黒竜が意識を取り戻したら勝ち目はない。
だから慎重に考えて一撃で倒さなくてはいけない。
だが、ルーディスの身体は勝手に動いていた。
迷うことなく暗黒竜の頭へ向かっていた。
理屈や理論ではない。
直感がルーディスの脳裏にはあった。
ルーディスの『目』は暗黒竜の急所を捉えていた。
「はぁっ!」
気合の呼気。放たれたのは白銀の一線。
弧を描く刃は暗黒竜の顎にある一枚の鱗を斬った。
それは竜の弱点といわれる逆鱗だった。
暗黒竜が一瞬だけ目を覚ますが、そのまま絶命した。
ルーディスは緊張の糸が切れたようにその場に倒れこんだ。
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金髪の青年が暗黒竜と襲われていた男女の傍に駆け寄ったとき、すべてが終わっていた。
暗黒竜は死に、男女は地面に倒れていた。
「こいつはいい。最高だぜ。この女の能力。間違いねぇ。あの力だ。ようやく見つけたぞ」
一部始終を見ていた金髪の青年は堪えきれない様子で笑い出した。
だが、すぐに笑っている場合ではない事を思い出す。
2人は重傷を負っているのだ。
とくに男の方は瀕死と言っても良い。
早く治療しなければ命に関わる。
青年は靴の爪先を筆の代わりにして地面に円を、その中に六芒星と古代文字を記し魔法陣を描く。
そして、うつ伏せに倒れている男に駆け寄り、その身体を仰向けにして肩に左手を回して首にかけ、右手で下半身を支えて横抱きにして持ち上げた。
その時、金髪の青年は男性の顔を始めてはっきり見た。
見覚えのある顔である事にすぐ気が付いた。
(こいつ確か、ルイ・アトリスんとこのルーディス・オルラントだったな。そうか。こりゃ、ますます運が向いてきたな。いや、怖いか。ここまで偶然が重なると)
青年はほくそ笑みながら男―ルーディスの身体を魔法陣の上に乗せた。
そして同じようにして女性の方も抱えて魔法陣の中に運び込む。
青年は女性の顔にも見覚えがあった。
開会式からやたらルーディスと一緒に話題になっていた女性ユリア・フィナードだ。
金髪の青年は2人を魔法陣の中に並んで寝かせた後、杖を両手に持って魔法陣の中央に立つ。
そして杖の魔法陣の円の中心に突き立てる。
そして呪文を口ずさむ。
「身体・生成。生命を宿す連中の原型を素体に精霊の常識を発現するぜ。虚無から生まれ現世にこい。構造は陣に記した紋様参照。呪文も紋様をもって省略」
そこで呪文を中断した。杖を伝って魔法陣に魔力が送られる。
魔法陣は青年の魔力を受け取り淡い光を放つ。
光はやがて無数の糸のように空に伸びて蛇のようにうねりながらルーディスとユリアの身体を優しく包んでいった。
青年はそこで呪文を再開する。
「奇跡という名の理不尽を成形しろ。強化・錬成・開始!」
呪文の完了宣言と共に魔法が発動する。
光の糸がルーディスとユリアの傷口に入り込んでいく。
光の糸は傷口を瞬く間に塞いでいく。
傷口が塞がると、今度は光の糸は不自然に折れ曲がった関節を纏わりつき、その身体を矯正していった。
青年の魔法がルーディスとユリアの怪我を修復していく。
だが、その中で青年は違和感に眉を顰める。
(なんだこのルーディスとか言う男。魔法の効きが悪すぎるぞ。こんな事は初めてだ)
ユリアの傷は順調に治っていくのに対して、ルーディスの傷の修復が明らかに遅い。
暗黒竜や魔族に代表するような魔力に耐性のある化け物ならともかく、普通の人間にはありえない現象だった。
(そういえば、コイツ。竜の逆鱗をあっさり見破ったな。それにあの暗黒竜がルーディス・オルラントを警戒しているような素振りを見せていた。ユリアとかいう女の能力は『あの力』だろうから説明はつくが……この男はなんだ? こいつホントに人間なのか)
竜の逆鱗は鱗の中に紛れて人間に見分ける事は出来ない。
だが実力的に暗黒竜に劣ると思われるルーディスが簡単に逆鱗を探り当て暗黒竜を倒してしまったのは事実だ。
ルーディスにもユリアのように不可思議な力がありそれを使って見分けたのだとしたら……そこまで考えて青年は頭を振った。
(いや、それは後々調べればいい。とりあえず、当面の目的は……)
青年はユリアの顔を覗き見る。
(この女だ)
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夕刻。ルーディスとユリアは野戦実技の試験終了10分前に孤島の港へと辿り着いた。
他の受験者達も次々と港に戻ってきた。
姿を見せた受験者達のほとんどが疲れきった顔をしていたが、例外も存在した。
それが試験終了目前で港に現れたクリストフ・ゴーダだ。
彼は満足そうな笑みを浮かべて、大きな袋を背負っていた。
その袋の中身は恐らく戦利品。
野戦実技の成績は間違いなく上位にはいることだろう。
ただ、受験者達の前で戦利品を見せびらかすのかと思いきや、クリストフは試験官に大きな袋を手渡して無言で船に乗り込んだ。
(模擬戦のときみたいに大騒ぎするかと思ってたけど、疲れているのかな?)
ルーディスの疑問は船内の様子を眺めて氷解した。
疲弊していたのはクリストフではなく、その周囲の受験者達だった。
クリストフが騒いだところで疲れきった受験者達の方が付いていけない。
クリストフもそういう空気を察して黙ったのだろうと推測された。
試験官が受験者の乗船を確認した後、船は孤島を出発した。
受験者の人数が出発時より減っていた。
やはり、リタイヤした受験者もそれなりにいたようだ。
孤島を出発して帰路に着く船の甲板の上でルーディスは深刻な表情で暗黒竜との戦いの後の事を振り返った。
暗黒竜を倒した後、ルーディスは不覚にも気を失ってしまった。
それはあの大怪我では仕方のなかったことかもしれない。
しかし、その後の目が覚めたときの違和感は忘れられない。
なんと自分とユリアの怪我が完治していたのだ。
これもユリアの能力なのだとしたらすごいことだとルーディスは思う。
しかし、ユリア本人には不思議な能力の使った自覚はないようだった。
ルーディスは試験終了後に暗黒竜との戦闘について聞いてみたが、ユリアの記憶は曖昧だった。
ユリアには怪我をする直前の記憶しかなく、それ以降の出来事を一切覚えていなかったのである。
能力を使った弊害なのか、恐怖による記憶の欠落なのかは定かではない。
ただ、魔法では説明できない正体不明の能力というだけでも恐怖であり、加えてユリア当人がその能力に無自覚であることは危険な状況である気がする。
(放っておくべきなのか、何か対処した方がいいのか。とりあえず戻ったらルイ姉さんに相談してみるか)
黄昏に染まる海を眺めながらルーディスは隣で呆けているユリアの横顔を覗き込んだ。
彼女は無事に試験を終えた安心感で表情が緩みきっていた。
思わずルーディスは微笑する。
ユリアの顔を見ていると深刻に考える必要などないような気がして。
次回21日予定




