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6球目   すれ違う心

 敵意剥き出しの叶夢の瞳に、教室内の空気が一気に張り詰める。


叶夢(かのん)、何が言いたいのよ」


 詞葉が睨みつけるが、叶夢は全く動じずに答える。


「別に、そのままの意味よ。ただの負け犬の集まりがキャンキャンうるさいなって思っただけ。こんな弱小野球部、さっさと廃部になってしまえばいいのよ」

「ちょっとあんた! 自分が何言ってるかわかってるの? 琴音(ことね)先生が私たちにしてくれたこと、忘れたわけじゃないでしょうね?」

「そっちこそ、自分たちが何をしようとしているのかわかってるのかしら?」

「どういう……意味よ」


 叶夢の強気な態度に、詞葉は一瞬口籠る。


「私たちの約束は、みんなでエンジェルナインになることだったはずよ。そんな廃部が決まったも同然の野球部を守ることに何の意味があるの?」

「それは……」


 詞葉は叶夢から目を逸らすが、直ぐに視線を戻し話を続ける。


「でも、叶夢(かのん)たちが辞めなければ廃部の危機に晒されることだってなかったのよ! 裏切ったのは、あなた達の方じゃない!」

「先に裏切ったのはそっちでしょ。向日葵(ひまり)、チームを作ったあんたが無責任に途中でいなくなったりしなければ、こんなことにはならなかった!」


 叶夢は、怒りに任せ壁を叩いた。その大きな音に優音は、怯えたように身体を震わせ数歩後ずさる。一方、詞葉と一愛は動じることなく、しっかりと叶夢を見据えていた。


「あ、あたしは……」


 向日葵は自分が話題に上がったことで、戸惑いの表情を浮かべる。

 思うように言葉が出てこない向日葵を庇うように詞葉が前に出て、叶夢を睨みつける。


「ちょっと、なに言ってるのよ! この話に向日葵(ひまり)は関係ないでしょ! それに、向日葵(ひまり)の転校は親の都合なのよ。どうしようもないじゃない!」

「関係なくなんかない!」


 叶夢は、力強く右手の拳を握りしめて怒りを堪える様に唇を噛みしめた。


(やっぱり、叶夢(のんの)は、あたしが転校したの怒って……)


 二人とも一歩も引き下がる様子はない。向日葵は、自分の転校がもたらしたこの事態に、俯き何も言えずにいた。

 友人同士の言い争いを見るのに耐えられなくなって、優音は右手を胸元に当てると、意を決したように二人の会話に割って入る。


「ふ、二人とも、もうやめよ? ね? 落ち着いて話せば――」

優音(ゆい)は黙ってて!」

「はぅ……」


 しかし、優音は言葉を遮る叶夢の怒声にびくりと両手を胸元に抱き、怯えた表情で黙り込んでしまう。


向日葵(ひまり)さえいてくれれば、こんなことには……」


 悲しそうな表情で小さく呟いた叶夢の言葉は、向日葵たちに届くことはなかった。しかし、向日葵は内容こそ聞き取れなかったものの、叶夢が何かを言っていたことだけは認識できていた。


「え? 今なんて……」

「なんでもないわよ……」


 叶夢は、一度視線を向日葵から逸らし悲しげな顔を見せるが、すぐに先程までの凛とした表情に戻り声を張り上げる。


「とにかく、今更あんたたちが、仲良く野球部で一緒に楽しく過ごすなんて認めない!」

「ねぇ、叶夢(のんの)。それの何が気に入らないの? あたし、またみんなと野球やりたくて、それで戻って来たんだよ。叶夢(のんの)たちとだって一緒に野球したいって思ってる! だから、今からでも――」

「もう遅いって言ったでしょ! アタシたちを置いて勝手にいなくなって、勝手に戻って来て……そしたら今度はまた一緒に野球がしたい? ふざけないでよ! あんたのその身勝手さが気に入らないって言ってるのよ」

「あたし……そんなつもりじゃ……。それに、遅いってどうして? 叶夢(のんの)たちが戻ってくれれば廃部にはならないんだよ?」

「そんな簡単に言わないで!! こっちの事情も知らないくせに! もうあんたの顔なんて見たくもないわ!」


 そう言うと叶夢は教室を後にする。


叶夢(のんの)! 待って!」


 向日葵の呼びかけに、叶夢が振り返ることはなかった。


叶夢(のんの)……」


 向日葵が呟くと、隣に立っていた優音が「はぅ~」と声を漏らしながらその場にぺたりと座り込む。


「うぅ、怖かった……」

「みぃー。叶夢(かのん)、凄く怒ってたの」


 そう呟いた一愛は、椅子に座ったまま悲しそうな表情を浮かべていた。

 向日葵はそんな一愛を気にかける様に一度だけ視線を送るが、すぐに振り返り優音に手を差し伸べる。


優音(ゆいちー)、大丈夫?」

「う、うん。ちょっと力抜けちゃって。ありがとう」


 そういうと、優音は向日葵の手を借りてゆっくり立ち上がった。

 すると、そのタイミングを見計らって詞葉が口を開く。


「ごめん、向日葵(ひまり)

「ん? 別に詞葉(はーちゃん)が謝ることないでしょ?」


 詞葉が申し訳なさそうにしているのを見て、向日葵は笑顔で答えた。


「違うの。私、向日葵にまだ言ってないことがあるの」

「え? なーに?」

「実は……結花(ゆか)七乃(なの)は、専属契約してクラブチームに入ったのよ」

「専属契約!? ……ってなんだっけ?」


 聞きなれない言葉に、向日葵は「えへへ」と頭を掻きながら首を傾げる。


「はぁ……たった今、叶夢(かのん)と言い合ったばかりなのに、あんた緊張感ないわね」

「あたし、そういう張り詰めた空気苦手なんだもん」


 詞葉がため息交じりに言うと、向日葵は困った様に苦笑して見せた。


「まぁ、それのが向日葵(ひまり)らしいけどね」

「そうでしょそうでしょ? えっへん」


 呆れ気味に言った詞葉に、向日葵は胸を張って答える。


「別に褒めてるわけじゃないんだけど……まぁいいわ。それで、専属契約の話だけど、クラブチームに入るには、お金がかかるのは知ってるわよね?」

「うん。知ってるけど、それがどうかした?」

「ええ。入団するための金額は、クラブチームによって違うのだけど、どこも決して安くはないわ。でも、専属契約を結ぶとそれがかからなくなる……」

「おぉ! すごいじゃん!」


 向日葵は、詞葉の説明に感嘆の声を上げながら身を乗り出す。


「ただ、それには条件があるの。これもチームによっていろいろあるみたいだけど、だいたい共通しているのは二つよ。一つは、入団テストで優秀な成績を残すこと。そして、二つ目が……契約期間中に他のチームに所属しないこと」


 詞葉は、一つ、二つと指を立てて見せながら説明していった。


「それじゃあ、二人はもう……」

「ええ。野球部に戻ることは出来ないの。叶夢(かのん)は専属契約はしていないらしいけど、今更あの二人を置いてこっちに来るとは思えないわ。さっきもあんな感じだったし」

「そっか……」

「仕方ないわよ。だから、もうあの三人にこだわるのはやめましょう。しっかり切り替えないと。私たちには、もうあまり時間がないんだから」

「うん……そうだよね」


 向日葵は少し考え込むそぶりを見せ、寂し気な笑顔で答えた。

 すると、窓から強風が吹き込み、彼女たちは外へと目を向けた。

 その風に向日葵たちは髪を乱しながら、いつの間にか空を覆いつくしていた暗く厚い雲に、胸騒ぎを感じた。


「あ……雨……さっきまで晴れてたのに……」


 唐突に降り出した雨に向日葵は小さく呟いた。



 ******



 教室を出た叶夢は、向日葵たちの視界に入らない位置まで来ると駆け出した。目にはうっすら涙を浮かべ、階段を一気に上りきると、屋上へと飛び出した。

 叶夢は、乱れた呼吸を整えると、苛立った様子で柵の方へ歩みだす。


「なんなのよ! あんな楽しそうにしちゃって!」


 叶夢は柵まで来ると歩みを止めて野球グラウンドを見つめる。


「エンジェルナインになるのは、アタシたちみんなの約束だったのに!」


 言いながら乱暴に柵を叩くと、鈍い音が誰もいない静かな屋上に虚しく響いた。


向日葵(ひまり)のバカ……」


 叶夢は、力なく呟いた。彼女の感情を写すかのように、大きな雲が太陽を隠し、辺りは薄暗くなる。


「何で……何で今なのよ……どうしてもっと早く……」


 生暖かい風が俯く叶夢の髪を揺らす。


「アタシはもう……」


 叶夢は、悔しそうに唇を噛み締め、左手で右肩を強く掴んだ。

 その手は微かに震えていた。


(もう決心したはずなのに……そのはずだったのに……)


 心の中を形容しがたいモヤモヤしたものが包み込む。

 叶夢は、大きくため息をついて呟く。


「アタシ……何してるんだろ……最低だ……」


 叶夢の頬を一筋の雫が流れる。

 それに呼応するように太陽を覆う雲は黒々と広がり、数滴の雨粒が叶夢に降りかかった。

 それでも、叶夢はそこを動こうとはしなかった。徐々に激しさを増す雨を、ただひたすらその身に受け続ける。

 どれくらい時間がたっただろうか。打ちつける雨音だけが響く中、屋上への扉が開かれる。



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