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5球目   決意

 始業式の最中、向日葵は野球部のことが気がかりで、壇上で話す先生の言葉なんて全く耳に入らない程そわそわしていた。

 そして昼休み。他の生徒たちが校庭に遊びに行く中、向日葵は席に座ったままボーッと窓の外を流れる雲を見つめていた。左隣に座る優音は、そんな向日葵に何度か声をかけようと口を開きかけるが、結局、言葉が見つからずただ見守ることしか出来なかった。


 そんな二人の下へ一愛が歩み寄り、向日葵の前の席で足を止める。一愛は無言のままにその席の椅子を跨ぐように座った。3人を包む暗い雰囲気に、詞葉は申し訳なさそうな表情で一愛の左肩に一度ポンと手を触れ、その隣の机に後ろ手をついて軽く寄りかかりながら、向日葵に視線を送った。向日葵がその視線に気がつき一瞥すると、詞葉はそっと目を閉じた。


 向日葵たち四人だけを残した教室は、時が止まったかの様に静まり返っていた。それは、廊下でじゃれ合う生徒たちの声が大きく響くほどに、どこまでも冷たく凍りついた静寂。

 それを溶かすような暖かな声色で「向日葵(ひまちゃん)……」と優音が心配そうに呟く。そんな優音の声が耳に入らない程に放心状態の向日葵は一つ大きく呼気を吐きだすと、独り言のようにぼそりと話し出す。


「そっか……じゃあ、やっぱり叶夢(のんの)は……」

叶夢(かのん)だけじゃないわ。七乃(なの)結花(ゆか)。あの二人も野球部を辞めたわ。彩羽(いろは)は残ってくれたけど」

「そうなんだ。じゃあ、叶夢(のんの)たちはもう野球やめちゃったんだね」


 心ここにあらずと言った様子の向日葵を見て、詞葉は一瞬ためらい、一息おいてから口にする。


「……あの三人は……クラブチームに入ったわ」


 その言葉に、我に返った向日葵は乱暴に机を両手で叩き、立ち上がり身を乗り出す。


「そんな! どうして!? みんなでエンジェルナインになろうって約束したのに!」


 思わず声を荒げた向日葵の姿に、詞葉は目を逸らし悔しそうに自分の制服の胸元を手が震えるほどに強く握りしめた。

 優音は、立ち上がりそっと向日葵の左肩に手を当て、隣から覗き込むように優しく微笑み、アイコンタクトで落ち着く様に促す。向日葵は唇を噛みしめながらも、それに応じてゆっくりと席に着いた。


「仕方ないよ。ほら、野球部だと男子と日替わりで毎日は練習出来ないでしょ? それに比べて、クラブチームは設備もいいし、基本的に毎日練習出来るから。もちろん、わたしたちも何度も引き止めたんだよ……。ね? 詞葉(ことちゃん)?」


 詞葉は、優音に笑顔を向けられ、いつもの調子を取り戻す。


「まぁ、エンジェルリトルで勝ち上がりたければ、私立の小学校かクラブチームでないと望みは薄いものね。実際、今年のエンジェルリトルの栃木県予選のベスト4は私立とクラブチームだけだったのよ。もちろん、そこには叶夢たちのチームも含まれてるわ」

「そんなこと言われても……あたしわかんないよ……。だって、あんなに仲良しだったじゃん……。クラブチームが恵まれた環境だってのはわかってる。でも、それってあたしたちがバラバラになってまでクラブチームに入らなきゃいけない理由なの!?」


 向日葵の悲痛な叫びに、三人は向日葵から目を逸らし黙り込む。

 数秒の沈黙の後、詞葉が向日葵の方に向き直り口を開く。


「私たちだって、出来れば一緒にやりたかったわ」

「みんなは……叶夢(のんの)たちとクラブチームに入ろうとは思わなかったの?」


 詞葉は、思い出すように窓の外に見える野球部のグラウンドを見つめながら話し出す。


「それも少し考えたけど……やっぱり出来なかったわ。先輩たちは六人。だから、私たち四人まで一緒に部活を辞めていたら、ここの野球部は廃部だったのよ。それに、私たちの監督は琴音(ことね)先生でしょ?」

「それは……そうだけど……」


 寂しそうな笑顔で言う詞葉。その表情を見て、向日葵は叶夢たちと琴音を天秤に掛けなくてはいけなかった詞葉たちの胸中を察し、言葉に詰まる。


「部活は四年生からという決まりでしょ? それでも琴音(ことね)先生は、一年生の頃から私たちを部活に参加させてくれたわ。それに、覚えてるでしょ? 二年生の時の商店街主催の子供野球大会。あれに参加出来たのだって、琴音(ことね)先生が監督をやってくれたからだもの。だから、今でも私たちにとっての監督は琴音(ことね)先生だけなのよ」

「そっか……そうだよね」


「……それに…………わたしは、向日葵(ひまちゃん)たちと出会わせてくれたこの学校が好きだから……」

優音(ゆいちー)!」


 向日葵が隣に座る優音に飛びつくと、軽く仰け反りながらもしっかり抱きとめてくれる。


「ふぇ!? ちょ、ちょっと向日葵(ひまちゃん)


 優音は顔を赤く染めながらも嬉しそうに穏やかな表情だ。


優音(ゆいちー)たちが残ってくれてて良かった。叶夢(のんの)たちの事は……今はまだ割り切れないけど。それでも、あたしは今出来ることをみんなとしたい! あの時の約束……エンジェルナインになる夢を叶えたい!」

向日葵(ひま)ちゃん……」

優音(ゆいちー)


 二人が視線を絡ませると、優音はうっとりとした表情を見せる。


「お楽しみのとこ悪いんだけど。向日葵(ひまり)、野球は何人でやるものかしら?」

「なにそれ、なぞなぞ?」


 向日葵は、詞葉に問いかけられ、そちらに目を向け首を傾げる。


「別に、変に考え込まなくていいわよ」

「もう! 馬鹿にしてるの? そんなの九人に決まってるじゃん!」


 向日葵は、パッと立ち上がると胸を張って自信満々に人差し指を立てて見せる。


「さすが向日葵(ひまり)ね」

「でしょでしょ!」

「全然わかってないわ」

「ありゃ」


 向日葵は、お笑いコントのワンシーンの様にきれいにずっこける。


「わかってないってどういう意味?」


 向日葵は、腕組をしながら頬を膨らませ不機嫌そうに問いかけると、詞葉は左手で頭を抱えながらため息をつき答える。


「やっぱり、ちゃんと聞いてなかったのね。いい? 私たち四人が辞めたら廃部になるってことは、それより多い先輩たちが引退したんだから、今の野球部は当然人数が足りてないってことよ」

「つまり?」

「このままだと、野球部は廃部よ」


 詞葉、淡々と答える。


「なーんだ! 廃部かー! はい……ぶ……優音(ゆいちー)……廃部って?」

「え、えっと、部活がなくなっちゃう……ってこと」

「え? ……えぇぇぇえええええええ!」


 優音が申し訳なさそうに答える。向日葵は、優音が「約束を守れなかった」と言っていた本当の意味を理解して絶叫し、そのまま放心したように力なく椅子に腰を下ろす。


「ごめんね。向日葵(ひまちゃん)……」

「部員って……今何人なの?」

「わたしたちと、彩羽(いろ)ちゃんの四人だけなの。だから、向日葵(ひま)ちゃんを合わせても、五人にしかならなくて。このまま秋の大会までに人数が集まらないと……」

「廃部……。大会は!? 大会はいつなの?」

「参加申請の期限が九月二十日までだから、後一ヶ月もない……」

「そんな……」


 向日葵は、机に突っ伏すように身体を預けた。落ち込む向日葵の姿に、詞葉は口元に右手を当て、考え込む様に話し出す。


「私たちも手は尽くしたわ。勧誘もしたし、叶夢(かのん)たちの説得もした。でも、全部上手くいかなかったの……もう、無理なのかもしれないわ。それに、問題はそれだけじゃない」

「え? どういうこと?」


 そんな詞葉に、向日葵は机に突っ伏したまま上目で視線を向けて首を傾げた。その疑問に優音が答える。


「サンフラワーズのピッチャーは叶夢(かの)ちゃんだったでしょ? だから、今の野球部にピッチャーが出来る人は……」

「そっか……そうだったね……」


 言葉尻を濁した優音に、向日葵は察したように答えた。

 向日葵は、野球部に残っているメンバーから、言われなくてもこの事態は想像していた。しかし、改めてその事実を告げられると、やはり落ち込んでしまう。

 すると、黙って傍観を決め込んでいた一愛が不意に詞葉の腕を掴む。


「みぃー。とても難しい問題」


 一愛の悲し気な表情に、三人は言葉を失った。

 向日葵は、スッと大きく息を吸いながら身体を起こす。その表情に先程までの陰りは一切なかった。


(どうしよう……でも諦めたくない! なんとかしなきゃ。そのために日本に帰ってきたんだから!)


 向日葵は勢いよく立ち上がり、両手を胸元に引き寄せ力強く拳を握った。


「みんな! あたし……どうしてもみんなとの約束を果たしたい! 難しいかもしれない……無理かもしれない……それでも! 諦めるのだけは絶対に嫌なの!」


「……向日葵ひまちゃん…………」


 向日葵のまっすぐ未来を見据えた表情に、視線を交わした優音は小さく頷いた。

 それに笑顔で返すと、向日葵はゆっくり窓際へ歩き出す。


「あたしね……」


 言いながら左手を開け放たれた窓のサッシへそっと乗せる。吹き込む穏やかな風が、向日葵の髪を優しくなびかせる。

 教室内には、向日葵の甘く爽やかな香りが広がった。


「本当は、日本に帰ってくるの諦めてた……四年生のとき、アメリカのクラブチームで地区大会に出た時は準優勝だったの。その地区にはすごく強いチームがいて、どうしてもそこには勝てなかった。それで、みんなとはもう会えないんだ……あたしのせいでみんなとの約束をめちゃくちゃにしちゃうんだって思ったら悲しくて涙がとまらなくて……」


 向日葵は窓に乗せていた手を軽く握り胸に当てると、一呼吸しクルリと振り返った。その表情はとても穏やかなものだった。


「そんなとき、話を聞いてくれたアメリカの友達が言ってくれたの。『ヒマリはみんなを笑顔にできる。負けてても、いつもベンチではヒマリがみんなを笑わせてくれた。それは、みんなの力になる。だから笑って。そして、みんなを笑顔にして。今は負けて辛いけど、笑えたらまた頑張れる。来年は、一緒に勝とう。必ず』ってね」


 懐かしむようにかみしめながら一言一言を大切に紡ぐ向日葵は、時折り笑みを覗かせている。

 三人が見守る中、向日葵はゆっくりと瞼を閉じた。


 (そうだ……あたしに出来るのはみんなを笑顔にすること……諦めて逃げ出すことじゃない!)


 ――数秒の静寂の後、向日葵は瞼を上げる。その瞳には固い決意と情熱を灯していた。

 向日葵はしっかりと三人を見据えて言い放つ。


「あたしは、みんなといつまでも笑っていたい! 難しくても、無理かもしれなくても、必ず私がみんなを笑顔に出来るようにする! だから――」

「わ、わたしも! わたしも……みんなと笑っていたい」


 向日葵が言い終える前に、握った右手の拳を胸の辺りに当てながら優音が半ば絞り出すかのようではあるが、しっかりと意志を宿した声で告げ、にこりと微笑む。


「はぁ……こうなった向日葵(ひまり)は止められないわね。いいわ、やるだけやってみましょう。それに、このまま廃部になるのを黙って見ているだけってのも嫌よね」

「みぃー! ひなもー。ひなも頑張る」


 詞葉はやれやれといった様子でため息交じりだったが、笑みを覗かせている。それに続く一愛は、両手の拳を高くつき上げ屈託のない笑顔を見せる。


「みんな……ありがとう!」



 《このとき見せた向日葵(ひまり)の笑顔は、真夏の溢れんばかりに輝きを放つ日差しを全身で抱きとめながら、楽し気に風に揺られて咲き誇る【向日葵(ひまわり)】のようだった》



「とりあえず、部活ない日にでもお休み中の二人に戻って来てもらえるよう説得しに行きましょうか」

「お休み中の二人?」


 詞葉が言うと、向日葵は首を傾げて尋ねる。


「先輩たちが引退するまでは、五年生があと二人いたのよ」

「え? そうなんだ。でも、なんでその子たち辞めちゃったの?」

「なんでって、廃部になる部活に残ってる方が不思議でしょ」

「あはは。それもそうだね」

「まぁ、正確には辞めたんじゃなくて休部扱いなんだけどね」

「そっか。でも、その二人が戻って来てくれたら、あと二人で人数はクリアだよね! 意外とあっさり上手くいくんじゃない?」


 向日葵はこの朗報に、笑顔を見せた。


「そんなに簡単に集まるなら、私たちも苦労してないわよ」

「うぅ……ですよねー。あはは。」


 不服そうに目を向けてくる詞葉に、向日葵は気まずさを誤魔化すように苦笑する。


「みぃー。ひな、部活ない日は体操教室なの」


 詞葉の提案に一愛がしゅんとした表情で答える。そんな一愛を気遣うように優音が声をかける。


「あっ、そうだったね。じゃあ、残念だけど説得は三人でだね」

「みぃー。ごめんね」

「大丈夫だよ、一愛(ひなちゃん)。気にしないで」


 申し訳なさそうに表情を曇らせる一愛に優しい笑顔を向ける優音。そんな二人のやり取りを見ていた向日葵は、みんなを笑顔にするべく口を開く。


一愛(ひなっち)! 大丈夫だよ! あたしたちには、まだまだやることいっぱいあるんだから! 優音(ゆいちー)一愛(ひなっち)も、詞葉(はーちゃん)も、みんな笑顔でこれから頑張ろう!」


「うん! みんなで一緒に!」


「みぃー! えがおえがおー」


「ええ、やってやりましょう!」


『おー!』


 昼休みの教室に、四人の楽し気な笑い声が響き渡る。


「騒がしいと思ったら、いつまでも廃部寸前の野球部なんかにすがってる負け犬の集まりだったのね」


 その声に向日葵たちが振り向くと、そこには腕を組んで向日葵たちに鋭い視線を向ける叶夢の姿があった。

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