8球目 大切な事
優音の本職はキャッチャーだが、内野の守備が苦手なわけではない。ピッチャー以外であれば、どんなポジションでもそつなくこなし、守るのも走るのも人並み以上に出来る。肩の強さだけに関して言えば、部内でトップだ。
優音の能力の全ては、日々の練習の成果と言っていい。詞葉や一愛のように持って生まれた自分の為の特別な力はないが、そのひたむきな努力で着々と力をつけてきた。
「えいっ」 「はぁっ」 「それっ」
優音は基本に忠実なプレイスタイルで難なく打球を処理していく。
十球のうち九球を見事にさばいて、ファーストへの送球も見事なものだ。イレギュラーバウンドで一球はミスをしたが、充分な結果だろう。
「あはは。やっぱり、一愛ちゃんや詞葉ちゃんには敵わないや」
「そんなことないわ。シンプルで無駄のない動きだったわ」
「みぃー。ゆい、おじょうずおじょうず」
「うん! 優音かっこよかったよ!」
「みんな、ありがとう」
初め優音は苦笑交じりだったが、五年生組の言葉を聞くと満足そうな笑顔を見せた。
一方、向日葵はというと……
「あだっ」 「おごっ」 「はぐぅ」
見事に、脛、腹、顔面で打球を受け止めていた。
向日葵はフライもしくはライナー性の打球や、胸より上の高めのバウンドなら難なく取れるのだが、それより下の打球に関しては、壊滅的に下手くそである。
向日葵はボールを打つことが大好きで、打撃練習には積極的に取り組んできた。しかし、それ以外にはそこまでの興味は示さず、特に守備練習はあまり好まなかった。故に、球速測定の時のあの見事なまでのノーコンぶりと、この有様である。
十球のうち三球を捕球し、そのうち一球は大暴投だ。向日葵もキャッチボールくらいは人並みに出来る。なので普通に投げれば全然問題ないのだが、調子に乗って力み過ぎたりすると、とんでもないところに飛んでいく。お調子者の向日葵には致命的な欠点だ。
「あっれー。おっかしいなー。いつもはもっと上手くいくんだけどな」
向日葵は頭を掻きながら苦笑して誤魔化したが、その後みんなに総ツッコミされたのは言うまでもない。
補足ではあるが、かつては小中学生の野球の多くは軟式が採用されていた。しかし軟式野球は日本発祥と言われていて、海外ではあまり普及していない。もちろん国際大会は硬式で行われるので、日本も海外と対等に渡り合う為に、エンジェルリトルでは硬式が採用されている。
さて、話は戻り、四年生組はというと……
「うおっし! まずまずってとこかな」
彩羽は基本的な運動能力が高い。特に足の速さは部内でトップだ。その足の速さは外野の守備でこそ発揮されるもので、内野の守備では活かしきれないが、内野の守備が苦手な訳ではない。その他の能力に関しても軒並み平均以上だ。
十球のうち七球を上手くさばき、まずまずの結果だ。
「ありゃ、まぁこんなもんか」
夏姫は単純な腕力や脚力はある方だが、あまり器用なタイプではない。守備に関してはどちらかと言えば苦手だ。
結果、十球のうち五球を捕球するにとどまった。それでも向日葵よりは好成績だ。
「……あぁ……怠いわ……」
冬姫は夏姫とは反対に力はあまり……というか、ほとんどない。送球に関しては、体のバネを上手く使って力の弱さを補っている。その代わりと言っては何だが、夏姫にはない器用さや柔軟な対応力を持っている。
結果は、十球のうち八球と四年生組ではトップの成績を残した。
その後、何度かローテーションを繰り返して、守備練習を終え、軽く休憩を挟むことになった。冬姫はベンチで横になって夏姫の介抱を受けている。
それ以外のメンバーは、各々ベンチに腰を下ろして雑談をしていた。そんな中、向日葵が琴音に声をかけた。
「ねぇねぇ、琴音。次はバッティング練習しようよー! つまんないよー!」
「あんたはもう少しみっちりノックをしてもらった方がいいわよ」
「うえー、詞葉ってば嫌なこと言うのやめてよー」
向日葵は詞葉の適格な指摘に、口を尖らせ不満そうな表情を作る。
「あはは。向日葵はホント昔から打つのが好きだよね」
「だって、打つ方がカッコイイもん! それに、野球は点を取り合うゲームだからね! 点を取れなきゃ面白くないよ!」
そう笑いかけてくる優音に、向日葵はこれが正論だと言わんばかりに胸を張る。
そんな様子を見守っていた琴音が口を開く。
「そうね~。打つ楽しさを知るのも大切なことだものね~。みんな得意不得意はあると思うけど、苦手なことばかりでは辛いわよね」
「そうですけど、しっかり苦手も克服した方がいいんじゃないんですか?」
琴音の言い分に詞葉がもっともな指摘をするが、琴音は動じる様子も見せずに続ける。
「ええ、そうね。それは正しいことだわ。でも、それよりも、野球を楽しむこと、野球を好きだと思えることの方がず~っと大切だわ~。そうしたらその想いはあなたたちの苦手な事もきっと上手くできるように導いてくれるわ」
みんながじっと視線を集め見守る中、琴音は更に言葉を綴る。
「確かに、辛いことから逃げずに立ち向かう事も、もちろん素晴らしいことだわ~。でも、辛いことばかりに目を向けていては、良いところまで見失ってしまうものよ。そうしたら、出来ているものまで出来ていない様な気になって、全てが嫌になってしまうわ。そうなっては悲しいもの。だから先生は、あなた達にたくさんの楽しいと、たくさんの大好きを経験してほしいの。それはきっと、あなたたちの将来に素敵な宝物をもたらしてくれるわ」
そんな琴音の言葉を噛み締める様に詞葉は目を閉じて答える。
「そうかも……しれませんね。わかりました」
「さっすが琴音! いいこと言うねー! やっぱり野球は楽しくやらなきゃね!」
「まったく、向日葵はすぐ調子に乗るんだから! あんたはもう少し厳しくしてもらった方がちょうどいいのよ」
詞葉に釘を打たれて向日葵は「むー」と頬を膨らませて見せる。
そんな二人のやり取りに、琴音は微笑みながら言う。
「うふふ。それじゃあ、さっそくバッティング練習を始めましょうか。五年生のみんなはピッチングマシンを用意してちょうだい。四年生は、バットとか他の道具の準備をお願いね」
琴音の言葉に、一同は元気に返事をすると、各々準備に取り掛かった。
一同は滞りなく打撃練習の準備を終えると、みんなをバッターボックス付近に集め、琴音が説明を開始する。
「バッティング練習は一人につき十球ずつ行うわ。八十キロから初めて、二球ごとに十キロずつ速度を上げるわね。つまり、最終的には百二十キロになるわ。練習としては少し効率が悪くなるけど、そこは許してちょうだいね」
琴音の説明を受けて、四年生組はそれぞれの心中を語っていた。
「うわっ、ぼく百二十キロとか無理だよ」
「……そうかしら? ……イブは速い方が助かるのだけど」
「そんなの姉ちゃんだけだと思うよ……」
「ふっふっふ。ウチはどんな球でも打っちゃうもんねー」
彩羽は特にやる気満々のようだ。
そうこうしているうちに、向日葵はヘルメットを被り、バットを持ってバッターボックスへ向かう。
「じゃあ、あたしいっちばーん!」
「あっ! 向日葵ずるい! ウチが最初にやるー!」
「ダメダメー。あたしのが早かったもーん」
「早い者勝ちなんて聞いてないもん!」
向日葵と彩羽がバットを取り合っているのを見かねて、琴音が制止に入る。
「こらこら。ケンカは駄目ですよ~」
「……まったく、彩羽も向日葵先輩もお子様ね。……ナツはあんな風になっちゃ駄目よ」
「大丈夫。ぼくはあんな子供みたいなこと言わないから」
冬姫と夏姫の言葉に、向日葵と彩羽が「むっ」と睨みつける。
「おっと、ぼくは何にも言ってないよー」
夏姫はにひひと笑って誤魔化しながら冬姫の後ろに隠れるように後ずさる。
そんな様子を見ていた琴音が口を開く。
「しかたないわね~。それじゃあ、じゃんけんで決めましょうか」
「よーし! 絶対あたしが一番になってやる!」
「一番はウチだもんねー」
「みんなもそれでいいかしら?」
琴音の提案に、一同が同意すると、さっそくじゃんけん大会が始まる。
「よーし! それじゃあ、いっくよー!」
『さーいしょーはグー! じゃーんけーん――』
向日葵の掛け声を合図に、みんなで声を合わせる。
結果……
「やったー! ウチがいっちばーん!」
「ぼくが二番だね」
「……イブは……三番……」
前半は四年生組が固まった。
一方、向日葵はというと……グラウンドの隅でしゃがみ込んでいじけていた……
「……うっ……うぅっ………」
「向日葵ちゃん、元気出して。ほら、あまり物には福があるって言うし」
「向日葵ったら、あれだけ意気込んでおいて、まさか最後になるとはね。日頃の行いかしら」
「みぃー。ひまり、元気ない?」
向日葵は、五年生組に慰めてもらいつつも嗚咽を漏らしている。
向日葵が落ち着くのを見計らって、苦笑いで見守っていた琴音が声をかける。
「さぁ、そろそろ始めないと時間が無くなってしまうわ。みんな準備してちょうだい」
その言葉に皆は元気に返事をして各々準備に取り掛かる。まぁ、約一名は元気とは言えなかったが。