7球目 神眼
「やっぱり、優音の百五キロが一番ね。そして次が私の百二キロか……後は軒並み九十キロ台と言ったところね」
「なんだ~。みんな平均くらいかー」
詞葉の言葉に、残念そうに向日葵が言う。ちなみに、他のメンバーの球速は、夏姫が九十七キロ、一愛と彩羽が九十五キロ、冬姫が九十三キロで、向日葵は測定不能であった。
「あんたが偉そうに言うんじゃないわよ! このノーコン! ストライクどころか、一球も測定できるところにボールが来ないってどういうことよ!」
「いやー、だって、あたし打つの専門だし」
「エンジェルリトルにDH制度はないわよ!」
「ですよね~。じゃあ、守備はほどほどに頑張りまーす」
「はぁ……こんなんで本当にこれから大丈夫なのかしら」
頭を掻きながら苦笑で誤魔化そうとする向日葵の態度に、詞葉は表情を曇らせ、頭痛でもしているかのような仕草をみせている。
そこへ運動着姿の琴音が現れる。
「みんな、遅くなってごめんなさいね~」
「あっ、琴音!」
向日葵が笑顔で手を振って迎えると、詞葉が球速の測定結果が記してある小さなメモ帳を琴音に手渡す。
「琴音先生、これがさっきみんなの球速を計測した結果です」
琴音はそれに一通り目を通し終えると、少し難しそうな表情で唸っている。
「そうね~。結果だけ見れば、優音ちゃんにピッチャーをやってほしいのだけど、キャッチャーまで未経験者にしてしまうと難しいわね。とりあえずは、詞葉ちゃんと夏姫ちゃんにはピッチャーが出来るように練習してもらおうかしら」
「はい。わかりました」
「ぼくもそれでいいよ」
「ふぅ、よかったぁ」
琴音の提案に詞葉と夏姫が了承すると、優音は安堵の表情を浮かべる。
「それじゃあ、今日は守備練習から始めましょうか~。私がノックをするわ~」
「琴音のノック受けるの久しぶりだなー」
「うふふ。向日葵ちゃんがアメリカにいる間、どれくらい成長したかしっかり見てあげるから、覚悟しなさい」
「あはは~。お手柔らかにお願いします」
琴音は右腕で力こぶを作るような仕草をしてウィンクをしながら言うと、向日葵は苦笑いで答えた。琴音が練習内容についての説明を終えると、さっそく守備練習を始める。
一人ずつ順番にショートのポジションに入り、それぞれ十球ずつノックを受ける。ノックを受ける者以外は、ファーストに入る者と、レフトのポジションについて、ノックを受ける者が取れなかったボールをフォローする者の二手に分かれる。その三か所を、順番にローテーションしながら繰り返すのだ。
一愛と詞葉は、どちらも守備が上手いが、それぞれ違ったタイプの特徴がある。
「にゃおーん!」 「ほーい!」 「みぃー!」
一愛は次々と難しい打球をグラブに収めていく。一愛は小さい頃から体操教室に通っている。母親が昔、体操選手だったらしく、引退後に教室を開いたのだという。ちなみに一愛の父はスポーツジムを経営している。体操教室は、そのジムの一室で行われているのだ。そんな母親の元、一愛は幼いころからかなり熱心な指導を受けてきたようで、持って生まれた身体能力の高さも相まって、身軽さ、瞬発力、体の柔軟さは部内でも群を抜いている。
「ねぇ、詞葉。一愛の、あのボールが来る前にぴょんぴょん跳ねてるのってなんか意味あるの?」
「あぁ、あれね。テニスで言うスプリットステップのようなものかしらね」
「すぴりっと……すたっぷ?」
「スプリットステップよ。簡単に言うと、あれをやることでボールに対する一歩目への身体の反応速度を上げているのよ。まぁ、一愛のことだから、意識してやっている訳ではないと思うけどね」
「へー。じゃあさ、みんなあれやればいいんじゃないの?」
向日葵の疑問に詞葉は首を横に振り答える。
「それは無理よ。スプリットステップはタイミングがズレれば逆に大きく反応が遅れてしまうの。誰もが簡単に習得できる技じゃないわ。無意識に完璧なタイミングで出来ている一愛が特別なのよ」
「ふ~ん。よくわかんないけど、とりあえず凄そうってのはわかった!」
「まぁ、あんたに理論を説明してもどうせわからないと思うから、それだけわかれば充分だわ」
「でしょでしょ?」
キリッと誇らしげな表情を向ける向日葵に、詞葉は「褒めてないんだけど」と、呆れた様子でため息をこぼす。そうこうしているうちに、ラスト一球になったようだ。
「それじゃあ、ラストいくわよ~」
「みぃー! どんとこーい」
一愛のその言葉を聞き届けると、琴音は最後の一球を打ち込む。
低く強めの打球が一愛の左手方向に飛ぶと、一愛はすぐさま反応し、左方向に重心を移動させる。しかし、グラウンドの凹凸により、一愛の一メートルほど前でボールは逆方向へ大きくバウンドする。一愛は右利きだ。逆方向ということは、グローブをしている手とは反対側になる。既に重心を左に傾けている上に、背の小さな一愛には、大きく跳ね上がったボールはさらに難易度を上げる。
「にゃおーん!」
という掛け声と共に、重心のかかった左足で力強く地面を蹴り、ボールの跳んだ右方向へ大きく飛び上がる。勢いそのまま打者に背を向けた形で見事キャッチしたかと思うと、くるっと身をかがめるようにし一回転、アクション映画さながらの受け身を見せる。一愛はその流れでパッと立ち上がると、両手をピンと上げて、体操の着地を決めたかのようなポーズをとり「みぃー」と誇らしげな表情を見せる。
その様子を見ていた部員たちは、それぞれ一愛に称賛の声をかけている。
最後はファーストへの送球こそ出来なかったが、そこまではパーフェクト。驚くべき身体能力である。まさに猫のようだ。
一方、身長が高く、胸もかなりある詞葉は、一愛ほどの身軽さはない。と言っても、人並み以上には動けるのだが。あの体格で人並み以上というのはそれだけで凄いように感じるが、詞葉の強みは他にある。
「はっ」 「たぁっ」 「せやっ」
無駄のない動きで次々と打球を処理していく。とても丁寧で堅実な守備だ。送球までの流れもスムーズで、まるで送球までもが捕球動作の一部であるかのような滑らかな動きだ。
少し不自然に見えるのは、詞葉が琴音が打つのとほぼ同時に動き出しているところだ。プロの選手でも、バッターのスイングなどで打球の方向を推測して素早く動き出す選手はいるが、それは長年の経験があってのことだ。とても小学生が真似出来る芸当ではない。
「ねぇ、一愛。なんか、詞葉さっきから動き出すの早くない?」
「みぃー。ことはには全部見えてる」
「ん? どゆこと?」
一愛の言葉に対する疑問に答えたのは優音だった。
「詞葉ね、凄く目がいいの」
「まぁ、それは知ってるけど」
「うん、そうなんだけど。詞葉はただ視力がいいだけじゃないの。動体視力、視野の広さ、それと瞬間記憶能力」
「しゅんかんきおく?」
「そう、見たものを画像としてそのまま頭の中に記憶するの。だから、詞葉ちゃんは過去の似たようないろんな打者の打つ瞬間の画像を瞬時に探し出して、打球を予測してるの」
「え!? ほんとにそんなこと出来るの?」
「あはは。わたしも詞葉ちゃんに聞いただけだから、ホントの事は本人じゃないとわかんないかな」
驚く向日葵に、優音は苦笑して見せる。
詞葉は、勉学の成績はクラスでは常にトップだ。その大半はこの能力のおかげと言っていいだろう。見たものを画像としてそのまま記憶するのはすごい能力だ。しかし、それは同時に、見たくなかったものもずっと記憶として鮮明に残ってしまうということである。
「地区大会では結構有名なんだよ。みんなには【神眼】なんて言われててね。まぁ、その眼のせいで辛い思いもしてるみたいだけど……」
「そ、そうなんだ……」
優音が何かを思い出すかのように遠い目で詞葉を見つめながら呟くと、向日葵は表情を曇らせた。
「ふう。こんなところかしらね」
そうこうしているうちに、詞葉は十球を見事パーフェクトで終了させると、にこりと笑顔を見せた。
それと入れ替わるように、優音がポジションに入る。