6球目 部活
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今日は、向日葵が転校してきてから初めての部活だ。
部室では五年生組が着替えを済ませ、ベンチに座って談笑をしている。夏姫と冬姫はつい先ほど着いたところで、各々着替え始めたところだ。
「ごめーん! ちょっと先生に捕まっちゃって――」
という元気な声と共に部室のドアが勢いよく開け放たれ、一人の少女が飛び込む様に入ってくる。
見覚えのあるその姿に、向日葵は声をかける。
「おお! 彩羽久しぶりー」
そう向日葵が声をかけた相手は、四年生組で唯一部活に残ってくれていた【日光彩羽】だ。
身長は夏姫より若干低いくらいだろうか。腰のあたりまで垂れたツインテールが印象的だ。細身ではあるが、やや筋肉質らしく、特に太ももはスプリンターのそれを彷彿とさせる。
彩羽は向日葵の従妹にあたり、二人は幼い頃から姉妹の様に仲が良かった。いつも向日葵の後にくっついて回り、実姉の様に慕っていた。向日葵から見ても、彩羽は妹の様な存在だ。
「え? もしかして、向日葵?」
「そうそう! またよろしくね!」
「会いたかったよー」
そう言いながら彩羽は向日葵の元に駆け寄る。彼女は、その勢いで向日葵の胸に飛び込んだ。
「うぉっと。あたしも会いたかったよ。よしよし」
向日葵は彩羽の突進で一瞬バランスを崩すが、しっかり両手で抱き止め、そのまま優しく彩羽の頭を撫でてやる。すると、彩羽は、気持ちよさそうに向日葵の双丘にすりすりと頬ずりをする。
一頻り向日葵のもふもふを堪能すると、彩羽はパッと顔を上げて口を開く。
「向日葵、なんかすごく大きくなったね! ……特に胸とか胸とか胸とか」
「まぁねー……って! 全部胸じゃない!」
向日葵がツッコミを入れると、冬姫が相変わらずの気怠そうな口調で声をかける。
「……彩羽…………着替えているのだから、声くらいかけなさい」
「あちゃー。ごめんごめん!」
「……ナツを狙う野蛮な男どもが覗いていたらどうするの?」
「いやいや、ここ二階だし」
冬姫が二人のの再会に横槍をいれる。例の如く妹への愛情たっぷりに。
内容は冬姫の方が正論のはずだが、妹愛のせいで彩羽の方がまともに見えるから不思議だ。まぁ、冬姫にとってはたいした問題ではないのだろうが。
そんな二人のやり取りを遮るように詞葉が口を挟む。
「さぁ、彩羽もさっさと着替えてしまいなさい」
「はいはーい! ちゃちゃっと着替えちゃうねー」
促され、彩羽が手際よく着替え始めると、詞葉はスピードガンを取り出し全員に向かって声をかける。
「今日はこれでみんなの球速を計るわよ」
「詞葉、それなに?」
「これはスピードガンと言って、ピッチャーの投げたボールの速さを計るものなの」
「おお! なんかかっこいい! 貸して貸してー」
「こら、おもちゃじゃないのよ」
向日葵は、目を輝かせて身を乗り出しそれに手を伸ばす。しかし、詞葉に頭を押さえられ届かず手をバタつかせる。
しばらく格闘していたが、諦めた向日葵は「けちー」と吐き捨て、そっぽを向いて口を尖らせる。
そんな二人のやり取りを見ていた一愛が疑問を投げかける。
「みぃー。なんで球速計る?」
「私たちの中にピッチャーの経験者はいないでしょ? これから集めるメンバーでピッチャーを獲得できる望みは薄いわ。試合にでるなら、この中から最低でも二人はピッチャーが出来るようにしておかなくてはね」
「みぃー? なんで二人?」
「今はピッチャーの球数制限はなくなったけど、さすがに今まで投手経験がなかったのに、いきなり一人で七回を投げ切るのは無理よ。体力が続かないわ。もちろん、全国レベルのピッチャーになれば話は別だけど」
「みぃー! がってんがってん」
「がってんがってんって今どき聞かないわね」
一愛の古臭い言い回しに詞葉がツッコミを入れるが、当の本人はまったく気にしていないようだ。
そうこうしている間に、四年生組の準備も整い、一同はグラウンドに向かうことになった。
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天気は晴れ。まだまだ残暑の残る季節だ。未だ各所では、蝉が喧しく鳴いている。
永十小学校の野球グラウンドは一通りの環境は整っている。男子野球部は、向日葵の父の代で名を上げ、今でもそれなりに知名度のある強豪校だ。故に設備も道具もそこそこ充実していて、マウンドもホームベースも既定の位置に設置されている。一塁側、三塁側には、簡易的なものではあるが、ベンチも置かれていて、他校を招いての練習試合を行うこともある。
一方、外野に設置されているフェンスは移動式の小型の物を弧を描くようにいくつも並べて作る。打球がこれを超えるとホームランになるわけだ。ホームからの距離は、約七十メートルといったところか。
ホームベース裏は民間の私有地になっているので、バックネットはそれなりに本格的なものが備え付けられている。おまけに、ナイター設備までついているのだから、部員にとっては有難い限りだ。私立の学校では当たり前のようにあるものだが、公立の学校としては珍しい。これらの資金源は、主に保護者や後援会の寄付によるものだが、向日葵の父のようにこの学校から巣立ってプロになった選手からの贈り物もある。
ちなみに、小学生の野球大会は基本的に男女共に同じ規格ルールなので、グラウンドや設備はそのまま共有できる。
向日葵たちが部室棟の階段を降りると、さっそく冬姫がぐったりとしている。
「……うぅ……暑いわ……」
「姉ちゃん大丈夫?」
「……へ、平気よ。ナツ……ありがとう」
今にも溶けていなくなってしまいそうな冬姫に、夏姫が声をかけた。
そんな二人のやり取りを見て、向日葵が冬姫を指さしながら言う。
「なんだ冬姫情けないぞー! お姉ちゃんなのに夏姫に心配かけるなんて」
「う、うるさいわね! イブが心配をかけたんじゃないわ……ナツが優しいだけよ。そうよねぇ? ナツ」
冬姫は語尾にハートマークでもついているかのような猫撫で声で夏姫にすり寄りながら同意を求める。
「もう姉ちゃん、恥ずかしいからやめてよー」
「あぁ……ナツ……そんな意地悪言わないでちょうだい」
「もう、姉ちゃんってば! そんなくっついて、暑いんじゃなかったの!?」
「ナツにだったら、イブは焼き尽くされても構わないわ」
「もう、姉ちゃんってば! 何訳の分からないこと言ってんのさ!」
冬姫は夏姫にべったりだ。向日葵も今の夏姫に抱かれている状況の方がよっぽど暑そうだと思ったが、あえて口にはしなかった。
グラウンドに到着すると「じゃあ、さっさとアップ終わらせちゃいましょう」という詞葉にみんなが返事をしたのを合図に、ストレッチ、ランニング、キャッチボールなどの基礎練習メニューに入る。
その後、詞葉と優音が計測の準備をしている間、少し休憩を挟むことになった。
「……もう……ダメだわ、ナツ……イブは溶けてしまいそうよ」
「はいはい、溶けないから大丈夫だよー」
ベンチに横になってダウンしている冬姫を、夏姫が慣れた様子でぱたぱたとタオルで扇ぎながら介抱している。
「ホントにあの子、試合とか体力もつの?」
「みぃー。いぶきは、なつきがいたら元気百倍」
「でも、今まさにそこでダウンしてるんですが……」
「試合になったら大丈夫」
「そ、そうなんだ。そんな風には見えないけどな」
一愛の言葉に、向日葵は苦笑いで答える。するとそこへ、詞葉とキャッチャーマスク以外の防具一式を身にまとった優音がやってくる。
「向日葵ちゃんお待たせー」
「あっ、優音キャッチャーできるんだ?」
「うん。今年の県予選もキャッチャーだったんだよ」
そういうと、優音はにこりと笑って見せた。
赤を基調とした女の子らしいデザインではあるが、小柄な優音が身につけると少し不格好に見えてしまう。
「そうなんだー。でもさ、キャッチャーって、色々着けなきゃいけないし、かわいくな――」
「ちょっと向日葵! こっちに来なさい」
「詞葉、急にどうし……」
向日葵が言い終える前に、詞葉が腕を強引に引っ張りその場から引きずり離される。優音がなにか言いかけていたようだが、向日葵は最後まで聞き取れなかった。
「い、いだいよ詞葉、急にどうしたの?」
「あんたさっき優音にかわいくないとか言いかけたでしょ?」
「いや、それは優音じゃなくてキャッチャーの防具がって意味で……」
「それが不味いっていってんのよ!」
「え? どうして?」
向日葵は、訳が分からず、物凄い剣幕で言ってくる詞葉に聞く。詞葉は気が重そうにため息をつくと、優音がキャッチャーをやることになった経緯を話す。
詞葉が言うには、キャッチャーをやりたくなかった先輩たちが優音に押し付けたらしい。優音も最初はかなり嫌がっていたらしいのだが……それはもう泣き出してしまうほどに。最終的には「キャッチャーを任せられるのは優音ちゃんしかいない」などと優音をそそのかし、先輩たちの思惑通り優音がキャッチャーをやることになったのだという。
「ってな感じで、強引に先輩たちに押し付けられたのよ。まぁ、本人はそうは思ってないみたいだけどね。あの子、頼られると断れないタイプだから」
「な、なるほど」
「だから、キャッチャー防具がかわいくないってのは禁句なのよ。わかった? 今では暗黙の了解みたいになってるわ」
「そっか……気をつけるね」
確かに、キャッチャーは人気のあるポジションではない。夏の暑い中、守備の時には防具を着けていなくてはならないし、打席が回ってくる度に外したり付け直したりと色々面倒だ。もちろん、高校生やプロの世界となれば話は別だ。キャッチャーは、ピッチャーに次ぐ花形ポジションである。とはいえ、小学生からしたら抵抗がある子が多いのも事実だ。
そして、さらに問題なのは、今回の場合は対象が女の子であるということだ。そろそろファッションにも興味を持ち始め、異性を意識し始めるこの年代の女の子が、好き好んであんなごつごつした防具を装着したいとは思わないだろう。
優音は昔から、かわいらしい服装を好んでいた。そんな優音がキャッチャー防具を拒むのは想像に難くない。普段、自分の主張をあまり表に出さない彼女が、泣いてまで拒んだというのだから、そうとう抵抗があったのだろう。だが、それ以上に優音は誰よりも頑張り屋でもあった。期待されれば、どんなに自分が嫌であっても、何とかそれに応えようと健気に頑張る。
向日葵は優音のそんなところも好きだが、それと同時に心配でもあった。
(優音、無理してないといいけど)
向日葵は、そう思いながら優音を見つめていた。
二人が戻ると、四年生組から順番に計測を始めていく。最後は、キャッチャーの優音と詞葉が交代して行うという流れだ。方法としては、十球ずつ投げて一番良かったものを記録するというものだ。
マウンドからホームベースまでは、約十四メートルといったところだ。エンジェルリトルのグラウンド規格サイズは、プロが使用するもののおよそ三分の二になっている。これによって、実際にプレイする子供達は、プロが体感するものに近い感覚でプレイすることができる。
それはもちろん、投手の投げる球速にも同じことが言える。プロが使用するものより短い距離から投げるため、打者は実際の球速よりも早く感じるのだ。百二十キロの直球であれば、体感的には百五十キロを超える豪速球に感じる。
ちなみに、五・六年生の女子小学生の平均的な投手が投げる直球の球速は、だいたい九十キロ~百キロ前後だ。全国大会の上位チームレベルの投手で百十キロ台の半ばと言ったところか。
一方、彼女達の球速はというと……