4球目 詞葉の想い
俯いて立ち尽くす向日葵に優音が覗き込むようにして声をかける。
「向日葵、大丈夫?」
「うん……」
「ちょっと公園寄っていこっか」
黙り込む向日葵の手を引いて、優音が学校裏の公園まで連れていく。二人がベンチに腰掛けると、向日葵が口を開く。
「ねぇ、優音。あたし、やっぱり変かな」
「え?」
「さっきの話……」
「別にわたしは変だなんて思わないよ? 本当に天使さんがいたら素敵だなって思うし」
優音はにこりと微笑む。
「そっか。あのさ、みんなでエンジェルナインになったら何をお願いするかって話した時のこと覚えてる?」
「うん。もちろん覚えてるよ」
「あの時、心奏は自分の心臓のことじゃなくて、みんなといつまでも一緒にいられるようにお願いするって言ってた……」
「うん……そうだったね」
「それなのに……どうして心奏が死ななきゃいけなかったのかな……」
向日葵はうっすらと涙を浮かべていた。
「向日葵……」
優音が向日葵をそっと胸元に抱き寄せる。
「あたし……悔しいよ……何もしてあげられないなんて……」
「お葬式も身内だけでするからって行かせてもらえなかったもんね……」
「うん……。あたしだって、死んじゃった人がもう戻ってこないのなんてわかってる。それでも、心奏の為に何かしてあげたい」
向日葵の声は僅かに震えていた。それを感じ取ったのか、優音は優しく向日葵の頭を撫でた。
「それで、あんなこと言ったの?」
「うん……あたしたちがエンジェルナインになったら、心奏も天国で喜んでくれるかなって」
「そっか。わたしもそう思うよ。そうなったらきっと心奏ちゃんも喜んでくれると思う」
向日葵は、優音に抱かれた胸元から顔を上げる。
「でもね、ちょっとだけ本当に天使が現れて願い事を叶えてくれるんじゃないかって思ってる。あはは。やっぱり可笑しいよね」
向日葵は、舌を出していたずらっぽい笑顔を見せた。そんな向日葵に、優音は目を閉じて首を横に振る。
「ううん。可笑しくなんかないよ。わたしも、向日葵ちゃんと同じ気持ちだから」
「優音……ありがとう」
二人は、暫く見つめ合うと、どちらからともなく笑いだした。
その笑い声を遮るように、スマホの着信音が鳴り響く。
「あっ、わたしのだ。ちょっと待ってね」
そういうと優音はポケットからスマホを取り出し操作する。
「えっと……一愛ちゃんからだ。詞葉ちゃん、永十自然公園の展望デッキにいるって。向日葵ちゃん、仲直りしに行こ?」
「うん……」
「大丈夫だよ。ちゃんと話せば詞葉ちゃんだってわかってくれるよ」
「うん……そうだよね」
笑顔で手を差し伸べる優音に促され、向日葵はその手をとった。
******
詞葉は、公園の展望デッキから街を眺めていた。
公園内は他に人影はなく、蜩の鳴き声だけが響いている。夏独特のぬるい湿った風が詞葉の髪を撫でる。
詞葉は、見慣れた風景に昔の記憶を重ね見る。この公園は、サンフラワーズのみんなでよく遊んだ場所だ。そして、帰り際にみんなでここから夕日を眺めるのがお決まりの流れだった。
「みぃー。ことは、みーつけた」
後ろからかけられた声に、詞葉は振り向かずに答える。
「一愛……ついてきてたのね」
「みぃー。ことは、急にどっか行ったらみんな心配する」
「そうね……ごめんなさい」
詞葉がそう答えると、一愛が隣に駆け寄ってくる。
「ことは、元気ない?」
「大丈夫よ。少し、昔を思い出していたの」
心配そうに覗き込んでくる一愛に、詞葉は精一杯の作り笑顔で答えた。
「ここなのこと、考えてた?」
「ええ。結局、みんなでエンジェルナインになろうって約束した日が心奏と遊んだ最後の日になってしまったわね」
「みぃー。みんなで野球するの楽しかった」
「うふふ、そうね。あの日も、今日みたいな綺麗な夕焼けだったわ」
「みぃー。ひなも覚えてる」
詞葉が言いながら夕日に目を向けると、一愛も笑顔答えながらそちらに視線を移した。
「あの夏、心奏がいなくなってから、随分変わってしまったわ。あの頃は、この九人なら本当にエンジェルナインになれるんじゃないかって思っていたのに……」
詞葉がため息混じりに言うと、一愛は何も言わずに詞葉の方へ向き直る。口を挟まずに愚痴を聞いてくれる一愛の優しさに甘え、詞葉は話を続ける。
「あの後、二年生の終わりに向日葵が転校して、四年生の夏の終わりには叶夢たちがクラブチームに入って……残ったのはたった四人……」
詞葉は、悲しそうに俯き一瞬言い淀むが、すぐにゆっくり顔を上げて夕日を見つめながら続ける。
「今でも、ときどき思ってしまうのよ。あの時、心奏があんなことになってなければ、みんなバラバラにならずに済んだんじゃないかって」
暫しの沈黙があって、一愛が口を開く。
「ことは、ここなのこと、うらんでる?」
「そんなことないわ。あの事故は、親の運転する車の自爆事故だもの。心奏にはどうすることも出来なかった。向日葵の転校だって、叶夢たちのことだって、心奏の事故とは関係ない。それはわかってるわ……それでも、あの事故をきっかけに全てが壊れてしまった気がして。私って嫌な性格してるわよね」
「みぃー。そんなことない。ことはは、いつもみんなのことを思ってくれてる」
「一愛、ありがとう」
「それに、ひまりはもどってきてくれた」
「そうね。向日葵は、そういう大切な約束は無茶してでも守ろうとするものね」
詞葉は、目を閉じ、かつての向日葵の姿を思い浮かべていた。
(向日葵はいつもそう。集合時間とか簡単な約束は守れないくせに、こういう大切な約束だけは誰よりも必死に守ろうとする。それがどんなに難しかろうと、何度失敗しようと、あの子は絶対に諦めはしなかった)
詞葉は、殆どのことをそつなくこなすが、それ故に自分が無理だと判断したら、わざわざ挑戦しようとはしない。それどころか、結果が見えていることに全力を注ぐなんてバカらしいとすら思っている。一種の諦め癖のような物だ。
だからこそ、詞葉は向日葵に強く惹かれるものがあった。
(私たちが無理だと言っても、向日葵だけは絶対に下を向かない。向日葵の花みたいにどんな時も上を向いて……。私が諦めたことを何度も覆して見せた。やっぱり、心奏の事も……)
詞葉は、ゆっくりと目を開けて一愛の方へ顔を向ける。
「ねぇ、一愛。向日葵は本気で心奏が戻ってくるなんて思ってるのかしら」
「ひまり、いつも本気。きっと信じてる。ことはは、信じてない?」
「死んだ人が生き返るわけないじゃない。まさか、一愛も信じてるっていうの?」
「ひな、死んじゃったらもう会えないの、わかるよ」
「だったら、向日葵が滅茶苦茶なことを言ってるのもわかるでしょ?」
詞葉は、慎重に一愛を諭すように話を進めていく。
「おねがいごとの天使さんの話?」
「ええ。そんな天使なんていないのよ。あれは迷信で、エンジェルナインもただの伝説の話」
「ひな、天使さんのことは、よくわからない。でも、ひまりは本気。それはわかる。だからひなは、ひまりを信じる」
「でも、それで傷つくのは向日葵なのよ? 心奏が戻ってこないとわかった時、今ある希望は絶望になって向日葵を追い詰めることになる。私はそんなの嫌……向日葵が苦しむ姿なんて見たくない……」
「ことは、ひまりが心配?」
「別に……そういうのじゃないわよ……」
詞葉は、顔が熱くなるのを感じて一愛から目を逸らす。
「今、ひなしかいない。だから、嘘つかなくてもだいじょうぶ」
一愛が、心を見透かしたような笑顔を詞葉に向ける。
「うっ……私が心配してたなんて向日葵に言うんじゃないわよ?」
「みぃー。だいじょうぶ。ひなにおまかせ」
一愛のその言葉を聞くと、少し考えてから、覚悟を決めたように話し出す。
「向日葵は、いつも後先考えずに突っ走り過ぎなのよ」
「それは、ひまりの良いところ。ひまりがいるから、ひなたちは前に進める」
「それはそうかもしれないけど、見ていて危なっかしいのよ。何も考えずに思いだけでどうにかしようとして……あんなこと続けていたら、いつか酷い目にあうわよ」
「だから、ひまりには、ことはがひつよう」
「え?」
一愛の予想外の返答に、詞葉は驚きと戸惑いの入り交じった表情を見せる。
「ことは、ずっと先のことまで考えてる。それは、ひなとゆいには出来ないこと。だから、あぶなくないように、ことはがちゃんとひまりを見ててあげて。それは、ことはだけが出来ること」
「一愛……」
一愛の思いがけない言葉に胸が熱くなり、嬉しいようなむず痒いような不思議な感覚が詞葉の心を満たす。
「みぃー。だいじょうぶ! きっとひまりもかくご出来てる。それでも、ちょっとでもかのーせーがあるなら、ここなのためにがんばりたいって思ってる」
「……そうね。心奏も大切な仲間だものね。ダメ元で作り話の伝説にかけてみるのも悪くないかもしれないわね」
詞葉は、表情を緩めてうっすら笑みを浮かべた。
「みぃー! ことは、元気になった」
「うふふ。心配かけてごめんね。一愛が話聞いてくれたから、なんかすっきりしたわ」
「ひな、おやくにたてた?」
「ええ。ありがとう」
夕日に照らされた一愛の顔は、とても満足そうに見えた。
話も一段落し、そろそろ帰ろうかというところで後ろの方から足音が聞こえた。二人が反射的に足音の方へ振り向くと、そこには向日葵と優音の姿があった。