1球目 二人の姫
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翌日、帰りのホームルームも終わり、教室には数人の生徒がちらほら残るのみだ。
向日葵は自分の席に座り、隣の席の優音、前の席の椅子を拝借し背もたれに手を置き跨ぐように座っている一愛と談笑を楽しんでいた。
「みぃー。ひな、体操教室があるからそろそろ帰らなきゃ」
一愛は、スッと立ち上がると座っていた席の机に持ってきていたランドセルを背負い上げた。
「うん。一愛ちゃん、またね」
「一愛、気をつけてねー」
「みぃー。ばいばい。ゆい、ひまり」
一愛はにこにこしながら手を振ると、軽やかな足取りで去っていった。向日葵たちがそれを見送ると、間も無く一愛と入れ違いになるように詞葉が姿を現した。
「お待たせ。あら? 一愛はもう帰ったのね」
「うん。一愛ちゃんならついさっき」
「そう。それじゃ行きましょうか。とりあえず二人には部室に来るように言ってあるわ。一応、向日葵のことも話してあるから」
詞葉がそう促すと、二人のやり取りを見守っていた向日葵が「うん!」と頷き勢いよく立ち上がる。
「よーし! それじゃあ、かわいい後輩ちゃんに会いに行こうじゃないかー!」
「上手く説得できるかなぁ……前に引き止めた時は駄目だったんだよね……」
「まぁ、とりあえずやってみるしかないわ。あの二人が戻らなかったら、エンジェルリトルの優勝どころか、野球部の存続すら危うくなってしまうもの」
表情に不安を滲ませる優音に視線を送り、詞葉は肩をすくめ微笑む。その言葉で、優音は笑顔を取り戻す。
「うん、そうだよね。頑張らなきゃね」
優音がそう言うと、向日葵の「そうそう! 行動あるのみだよ! それじゃあ、しゅっぱーつ!!」という掛け声を合図に、三人は後輩二人が待つ部室へと向かった。
部室棟は二階建てになっていて、一階と二階でそれぞれ三部屋ずつある。ちなみに女子野球部の部室は二階で、階段を上り一番手前だ。女子の部室が二階になっているのは、防犯や着替えを考慮してのものである。
部室に着くと、詞葉が「入るわよ」と一声かけてドアを開ける。左側にはロッカーが10人分並び、右側には手前から5人分のロッカーがあり、その奥は道具を置くスペースになっている。正面には大きめの窓があり。その下には四、五人が座れるくらいの低めの長椅子が横向きに一脚、その手前に縦向きに二脚置いてある。
そして、そこには詞葉が呼び出した人物。雑誌を読みながら座っている一人の少女の姿があった。
「あっ、詞葉先輩!」
「あら、冬姫はどうしたの?」
「多分、いつものように図書室にいるんじゃないかな」
「なんで一緒に連れて来なかったのよ」
「いや、ぼくもつれてこようとは思ったんだけど」
「はぁ……あの子ったら、本当マイペースなんだから」
「あはは~。ごめんね」
ため息交じりの詞葉の言葉を受けて、その子は立ち上がると謝りながら肩をすくめ苦笑する。
詞葉の斜め裏でその様子を見ていた向日葵がその子にじーっと目を向けていると、それに気がついたらしく、声をかけてくる。
「あっ、その人が向日葵先輩? 初めまして。【益子夏姫】だよ」
「おお! 君が噂の後輩ちゃんかー! よろしくね!」
「うん。よろしく」
「うんうん! なんか野球出来そうないい体してるねー」
「え? そ、そうかな? ありがと」
品定めをするように、体中をさまざまな角度から見て回る向日葵に、夏姫は少し戸惑うような表情を見せる。
身長は百五十センチ程度で、細身の体つきにすらりと伸びた日焼けした健康的な足が目を引く。短めでボーイッシュな髪型に、顔立ちは快活な印象だ。
「仕方ないわね。一緒に話した方が早いから図書室に行きましょうか」
「そうだね。それのがいいかも。向日葵ちゃんもそれでいい?」
「うん! 早くもう一人の子にも会いたいし」
詞葉の提案に、後ろで話の行く末を見守っていた優音が同調し、向日葵に確認をとると、その返事を合図に一同は図書室へと向かった。
四人が図書室に辿り着くと、詞葉が扉を開ける。室内は誰もいないかのように静まり返っていた。
入ってすぐ左には、貸し出し用のカウンターがあり、正面には学習用の長机が数台と椅子が並んでいる。その奥には、スペースいっぱいに配置された本棚があり、さまざまなジャンルの本が所狭しと詰め込まれている。
基本的に放課後は自由に使えるようになっているが、今日は利用している生徒はいないようだ。ただ一人、長机に両手を投げ出し突っ伏して寝ている少女を除いて。
「いたいた! あそこで寝てるみたい」
夏姫はその子を指さして詞葉に視線を送ると、詞葉はため息を漏らしながら寝ている少女に歩み寄り、軽く肩を揺すって声をかける。
「冬姫、起きなさい」
「……ん…………あ……部長…………おやすみなさい……」
ゆっくりと一度顔を起こしたかと思うと、気怠そうな声を上げすぐさまぱたりと顔をうずめてしまう。
「おやすみなさいじゃないわよ! なんでこんなとこで寝てんのよ! 部室に来るように言ってあったでしょ!」
「まぁまぁ、詞葉ちゃん落ち着いて。他に誰もいないけど、一応ここ図書室だし」
声をかけながら冬姫の肩を揺する手が徐々に激しくなる詞葉を、宥めるように苦笑しながら優音が声をかける。
そして、数分間の格闘の末、ようやく冬姫が起きてくれた。
「……あっ……ナツ……それにみんな揃って…………どうしたのかしら?」
甘ったるくねっとり絡み付くような声色で、落ち着いた口調だ。
身長は夏姫より十センチくらいは低いだろうか。肩より少し長いくらいの絹糸のような髪に、眠たげな表情をしている。華奢な体つきで、透き通るような白い肌は淡雪の様で、今にも溶けて消え去ってしまいそうな印象を与える。おへその辺りで手を重ねてたたずむ姿は、さながら雪の妖精といったところだ。
「ねぇ、詞葉。この子すごく眠たそうだけど大丈夫? 寝不足?」
「心配ないわ。冬姫は普段からこんな感じだから」
「え? そっ、そうなんだ……」
向日葵は、冬姫の印象に一抹の不安を覚える。
(普段からこんな感じって……こんなんで野球なんて出来るのかな……)
向日葵がそんなことを考えていると、夏姫が冬姫の隣りへ歩み寄り声をかける。
「もう! 『どうしたのかしら?』じゃないよ! 先輩たち、部室まで来てくれたんだよ。ちゃんと来なきゃダメじゃんか」
「……だって、部室は暑いんだもの……」
冬姫は、いじけたように頬を膨らませて顔を背けた。
「それでもダメなの! ちゃんと先輩たちに謝らないと嫌いになるよ」
「嫌よ……ナツ、そんな意地悪言わないで……ナツに嫌われたら……イブ、もう生きていけないわ」
冬姫が瞳を潤ませすがるように、夏姫の左腕にしがみつく。
「だったら、ちゃんと謝って」
「うぅ……わかったわよ……ごめんなさい」
夏姫が、そっぽを向くと、冬姫は渋々頭を下げる。
「もういいわ。そのかわり、話はちゃんと聞いてもらうわよ」
詞葉が、ため息交じりに言うと、冬姫はほっと胸を撫でおろす。冬姫が顔を上げると、見知らぬ少女が視界に入る。彼女は、すぐにその少女が話に聞いていた向日葵だということに気がついた。
「……この人が…………向日葵……先輩? イブ……【益子冬姫】……よろしく」
「うん! よろしくね! なんか、昔の詞葉みたいなしゃべり方だね」
「私はこんな気怠そうにしてなかったわよ!」
向日葵が同意を求める様に詞葉に視線を向ける。すると、詞葉は納得がいかなかったのか、強めの口調で否定する。
「いやほら、このぼそぼそ話す感じとかさ。控えめで落ち着いた感じとか。あの頃はかわいかったのに――」
「なによ、それじゃ今がかわいくないみたいじゃない」
「え? なになに? かわいいとか言ってほしいのー?」
「べっ、別に、そんなこと言ってないじゃない!」
「うんうん。かわいいかわいい。詞葉ちゃんは今でもかわいいよー」
「もう! だから違うって言ってるでしょ! 恥ずかしいからやめなさいよ!」
詞葉の頭をぽんぽん撫でつつ、にやにやしながらからかう向日葵に、いつも落ち着いて大人の雰囲気を見せている詞葉が珍しく顔を赤く染めている。優音もその様子を見て向日葵と一緒になって笑っていたが、一頻り楽しむと口を開く。
「向日葵ちゃん、それくらいにしてそろそろ本題に入らないと」
「あっ! そうだった! さっそくだけど君たち、また部活に参加してほしいんだけど、ダメかな?」
呼吸を整えつつ話を戻す優音に、本来の目的を思い出した向日葵は、二人に向き直り声をかけた。
「どうする? 姉ちゃん」
「……そうね……でも、一人増えたからって人数が足りてないのに変わりないわ」
夏姫と冬姫は顔を見合わせ互いの想いを探り合う。
「え? 姉ちゃん?」
向日葵は、夏姫の言葉に思わず声を漏らした。すると、優音がそれに答える。
「あっ、そうそう。二人は姉妹なんだよ」
笑顔で衝撃の事実を教えてくる優音に向日葵は驚きと疑いの目を向けた。しかし、それに続いた夏姫と冬姫がそれが真実であることを告げる。
「うん! ぼくら姉妹なんだ。双子のね」
「……ええ……ナツはイブの妹よ……」
あまりにも双子に見えない二人に、不躾な質問だと思いつつも、向日葵は問わずにはいられなくなり、口を開く。
「で、でも、双子なのにあんまり似てないよね……?」
その問いに、二人は不快感を示すこともなく答える。
「まぁ、ぼくたちは二卵性双生児らしいからね。そんなに似てなくても不思議じゃないみたいだよ」
「……ええ……似ていないのは、イブたちにはたいした問題ではないわ…………イブがお姉さんでナツが妹……その事実は何も変わらないもの」
「にらんせい……ソーセージ? なにそれ美味しいの?」
向日葵のその発言に図書室は凍り付いたような静寂が包み込む。