魔法使い少女の涙笑顔
魔女の果実の姉妹編となります。
三作目となります。
夏の日は、呆れるほど暑かった。
でも、カラッとしていて素晴らしい天気だった。
お城からの緩やかな帰り道、美しい落日の様子を眺めて歩いていた。
そして
あたしは、焦っていた。
何もよく解らないまま、たぶん焦っていた。
それを、そうと認めるのはなかなか勇気が必要で、その勇気が必要ってのが、我慢ならなかった。
頭が痛くなるほど、顔が紅くなっていたと思う。
---1---
カール・ネスィフィタン博士は、こう言った。
『魔女は心に芸術を持っている。ある者は彫像を創り、ある者は絵画を描く。また、ある者は唄を謡い、ある者は弦をつま弾く。心のままに魔力を操る魔女は芸術家と言えよう』
しかし、こうも言っている。
『真の芸術に身を捧ぐのは、男だけだろう。女は何かに身を委ねる強さを持つがゆえに、男の弱さゆえの狂気には届かないのである』
あたしは、マヌエル・ジマナート。
魔法使いだ。
ああ、分かっている。どうして『魔女』じゃないのかってことでしょ。女だからと云って魔女とは限らないってことよ。簡単でしょ?
あたしは、いたって普通。
でも、普通じゃないって言われるわ。
『魔女』と『魔法使い』
もちろん、魔女は女で、魔法使いは男、そう決まっている。
例外を除けばね。
自分が、その例外だなんて、認めたくはないけれど、事実なんで仕方ない。
うんざりするわ。
だって、あたしは女なのよ。
矛盾している。
魔女が扱うのは『魔術』
魔術は、魔力とエーテルと感情に則っている。
良く喩えられるのは、音楽だ。
様々な音色、それを織りなす技巧、それらを超える感情の奔流。
実際に、『魔術』では感情の表現として様々な楽器が用いられる。
その程度の嗜みは魔女の必須だ。
四百年の時を掛け、洗練されて『譜面』となった魔術を、魔女を継ぐ者たちは覚えていかねばならない。
華やかなる魔女の世界。
羨ましい。
正直に、そう思う。
華やかで、けれども壮絶な、感情の奔流。
魔術。
あたしも、そちら側だった筈なのに。
それでも、あたしが覚えるのは『魔法』だ。
魔法は、魔力とエーテルと意思によって出来ている。
この意思の代用が『ゴーレム機関』であり『魔力薇』だ。より、大きく云うのであれば、水車や、道路、水道なども『魔法』の一部だ。
帝国に綿密に仕組まれた魔力の通廊。
更に大きいものが、河川であり、山脈であり、天体なのだ。
勿論、天体を左右することは出来ないけれど、組み込むことは出来る。
有名なのは天体を映す鏡として湖を造った例、帝都の東にあるティアルナ湖がそうだ。『魔法使いの時代』の最後に造られた、最高傑作。
帝都の命運を担う『天体機関』
四百年が過ぎた今では、風光明媚な観光地としての趣が強いけれど、今でも現役の『天体機関』
あたしは、そういうものを扱う『魔法使い』になる。
別に、魔法が嫌なわけではない。
納得がいかないのだ。
通常、帝都の魔法使いになるには、官吏の試験を受けて合格しなければならない。それは、かなり厳しい難関であり、合格したとしても、その成績に応じて部署は振り分けられるので、希望部署につけるとは限らない。
それが俗にいう『帝都の使い』
一般的な魔法使いだ。
勿論、各地方、地域に官吏の試験があって、就職すると魔法使いと呼ばれる。
でも、例外もある。
生誕時に星や地脈の加護を受け法力適正の高い子供は、十歳から徒弟制度に入り試験年齢の十八まで修業に明け暮れる。
これは、非常に名誉なことらしい。
何しろ、『魔法使い』になる事が約束されるのだ。
親許を離れての修業が必要だけど。
これにも、例外がある。
そう、あたしだ。
女の魔法使いは少ないうえに、いろいろと問題があって、徒弟制度には馴染まない。
その、『いろいろ』は、切りがないので措いておく。
いったい、皆はあたしに何を望んでいるのだろう?
魔法使いの才能と努力?
それとも、実は何も望んでいない?
『魔法使い』と『魔女』は、実際の力は殆ど変わらない。魔女だって魔法が使えるし、魔法使いだって魔術が使えるのだ。
それなのに、何故、線引きするのだろう?
位だって、『魔女の時代』だっていうのに、世の中では魔法使いの方を有り難がる。
世間では、『時代の魔女』『宮廷魔法使い』『星の魔女』『帝都の使い』の順で凄い位と思われている。実際には、それぞれ歴代の過去の実績で、そのように思われているだけで、実際の処は決まっていないと言っていいと思う。
でも、民衆の思い込みは実際に反映したりするから侮れない。
ただ、『時代の魔女』であり『星の魔女』でもある、エルマナイト・グルトネイヤ・エグヌィカンだけは特別。誰もが、一番だという。
あたしも、会ったことはないのだけれど、凄い美貌で、藍黒の瞳で、艶やかな黒髪で、長い小指で、圧倒的な魔力で、誰もが言葉を失うのだという。
あたしは、そんな『特別』ではない。
頑張って、『帝都の使い』を目指せるかどうかだ。
いや、それだってあやしい。
人より、少しだけ魔力が多いだけなのに、妙な期待は困る。
四面四角な『魔法使い』にはなれない。
もっとも、あたしが良く知る『魔法使い』は、先生だけだけれど。でもあれが一般的な『魔法使い』であるなら『魔法使いの時代』は、まだまだ続いている筈だと思う。
先生の名前は、カーネェス・ウルフォナン。
『獅子のワールツネッツァア』のほうが通りはいいかしら?
戦術ゴーレム兵器『ワールツネッツァア』を操る、無敗の『魔法使い』
魔法『同期』を開発した天才技師。
戦術ゴーレムに革新をもたらし、戦局のあり方を変えてしまった人。
『時代の魔女』ほどではないけれど、凄い人なの。
『獅子のワールツネッツァア』といえば知らぬ者はいないくらいの、『魔法使い』
だから、あたしが『普通』を教わるには、最もかけ離れた存在。
いったい、何をさせたいのだろう?と、 まだ十歳のあたしは、色々と考えた。小さいなりの論理を駆使して『魔法使い』じゃなく『魔女』だと先生に言ったのだが、帰ってきた『答え』は酷いものだった。
『そんな、理屈を捏ねる魔女が、どこにいる?』
あたしは、ぐうの音も出なかった。
たしかに魔女は直情的に行動する。
それを制御させるための魔女院なのだが、あそこでは、日々、魔女見習いたちの恋の斬った張ったが、繰り広げられている。特に若い子の情熱は魔力があるだけ激しい。
『魔女は理屈を捏ねない』
あたしが正しく『魔女』ならば、その場で癇癪を起して先生の脛を蹴ってやるのが、正しい『魔女』の反応なのだ。
でも、それは、何故か出来ない。
何でだろう。
十歳からの魔法律による先生。
この縁組は『時代の魔女』がひとり、クネカトリア・花・エイナッハの占いで決まった。
ほかの魔女娘たちに云わせると『それのどこが普通なのよ』となる。〈・・・大丈夫、魔女にも友達はいる・・・〉
それは、あたしのせいではない。
運命がおかしいのだ。
こんなにも、普通でいたいあたしに、何かが間違っている。
人は、生まれると教会に連れていかれる。
どんなに小さな村にも教会はある。
・・・らしい。
あいにくと、帝都グリベリウスでの生まれなもので、よくは知らない。一度だけ、先生について、戦争に出掛けた事があるけれど、帝国の隅だという村にも、確かにあった。
南方の蛮族の侵略による戦争だった。
『グロルラム事変』
実際には戦争と呼ぶべきか迷うような、帝国の一方的な勝利だった。技術的な格差があまりにも大きすぎたのだ。しかし、帝国は常に狙われている。
『辺境では、諍いは絶えないし、何より人は賢くはない』
これは先生の言葉。だけど、その通りかもしれない。
戦争の話しはさておく。
んん、っ
つづき
まず両親は、生まれた我が子を教会の教士に診てもらう。教会は出生管理の役所でもあるので、この時に出来る限りの登録を済ませておく。
魔力、魔性、法力適正、術力適正、勿論、性別、身長体重、血液型、髪の色、目の色もだ。
あたしは、そのときに頭抜けた魔力値と法力適正を見せたらしい。
思わず教士が星辰を確認したほどだったという。
両親は大喜びし、心配したそう。
なぜなら、女の魔法使いは婚期を逃すことで知られていたからだ。
『生まれたばかりで、結婚の心配されるあたしって』と、その話しを聴いた七つのあたしは、あきれて、そして申し訳なく思った。
魔法使いとなれば、将来食べるのには困らない。そういう子どもというのは、やはり親孝行だと思うし、婚期を逃す可能性が高いというのも、親不孝だと思う。
心配性の両親の許、すくすくと育ち、十歳になり、あたしは魔法使いの許に弟子入りをすることになった。当初は近くの魔法使いのお爺さんでいいかな、と思っていたら、託宣が下ったのだ。
神様からではなかったけれど、それくらいの衝撃はあった。
クネカトリア・花・エイナッハの託宣。
その強制力というか支配力というか、絶大。
両親は、そのときの託宣証書を額に入れて飾っているくらい。『時代の魔女』と係われるのは、それくらい名誉なことなのだ。
あっという間に、魔女街にも魔女院や教会にも、あたしの名前は広まった。
弟子入り後、魔女見習いたちの噂で、魔女院の一部には、あたしを魔女として教育しようとする動きもあったらしい。自分では魔法使い向きではないと思っているので、そっちのが良かった。
でも、『時代の魔女』の託宣、クネカトリア・花・エイナッハの託宣は強力で、先生ですら全く逆らえなかったらしい。
まあ、先生は独身でありながら、生徒を取らずに自由奔放に生きていたので、これを幸いとばかりに周りが、あたしとの縁談を組んだのだけど。
したがって、先生もあたしも本意ではないものの、逆らえるような状況ではなかったのだ。
その先生との、最初の会話が、いま思えばひどかった。
『莫迦に用はないからな』
『判りました』
これだ。
売り言葉に買い言葉。
というか、子供か、と思う。
それから五年。
月日は経ち、あたしは少しは大人になった。
でも、自分自身の問題は解決出来ずにいる。
魔法は、少しは巧くなった。
小さい時から、知りたがりで、図書館で借りれるような子供向けの本は、軒並み読みつくしていたし、本を読むこと自体は苦痛でもなんでもなかった。
いろいろ、わからない事も多くて、先生を質問攻めにした。
凄いことに先生は何でも知っていた。
残念ながら、当時のあたしには、それが凄いことだと判らなかったけれど。
何かを特別に教えてくれる訳ではなかったけれど、最初の指針としてゴーレム機関の一型から研究するように言われた。
後で、魔女娘たちの話しを纏めると、そんな教え方は普通しないらしい。
一型のゴーレム機関について、どんと来いって感じまで知り尽くした今となっては、どうでもいい話しだけれど。
今は魔力薇に夢中だ。
そんな十五の夏、あたしにとって最大の事件が起きた。
修業が済んで、お城からの帰り道、市場は店じまいで慌ただしかった。
薇の条件値の確定が巧くいって、ご機嫌だったし、宮廷楽士達の格別な練習風景にも与れた。〈通し稽古〉というやつだ。
すごく、幸せな日だった。
いつもより、かなりの上等な一日。
そんな足取りも軽く、夕陽を浴びて心地よかった。
夕闇の迫る中を、彼は立っていた。
銃壁の煉瓦の上に。
ただ、それだけなのに凄く気になった。
陽に照らされて、赤く輝く腕輪と足環。
銀髪の長い髪を邪魔そうに左手で掻き上げていた。
夏の長い夕陽にメイアスの仕立ての良い、ユッタリした生地のシャツ。パンツは折り目のすっきりした物。
あたしは、どうしたんだろう。
あたしは、何を見ているのだろう。
おかしくなっている。
思考がまとまらない。
動悸が激しい。
なに、これ。
あたしは、走りだした。
取り敢えず走った。
片付けの混雑する市場を駆け抜けた。
ハァハァ・・・ハア・・ッハ・・・
誰もいない場所で座り込んだ。
何?
何が起こった?
あたしは、焦っていた。
よく解らないまま、たぶん焦っていた。
それを、そうと認めるのはなかなか勇気が必要で、その勇気が必要ってのが、我慢ならなかった。
頭が痛くなるほど、顔が紅くなっていたと思う。
あたしは、恋したらしい。
---2---
その日は、もうよく憶えていない。
なんだか、頭の隅がモヤモヤとしていたけれど、普通に過ごしたみたいだ。
家族とは会っているとは思うけど、憶えていない。
なんだか、全てが遠く曖昧になった。
翌日、少し冷静になったみたい。
お母さんの顔もお父さんの顔も、ちゃんと判る。
昨日の事を振り返る。
冷静だ。
内心で、ちょっと溜め息を吐く。
あたしって、情感が足りないのかしら。
凹む。
カンカン、とノッカーが鳴る。
誰だろう。
暫くしたら、あたしの部屋の扉が開いた。
「あ~、いた、この莫迦っ」
そばかすさえなければ、美女確定といわれる親友がそこにいた。
会うなり、莫迦は無いんじゃないかな?
「なんで、魔力通話を切ってるのっよっ!」
「え、切ってないわよ」
「昨日から、なんだか、繋がってるのか、繋がっていないのか、変な感じで」
「ああ、あっ」
あたしは、不意に納得した。
「・・・なによ、」
リアリスノ・マッテイジは鳶色の瞳で、あたしを見下ろした。
「驚かないでね」
「はいはい」
「どうやら、あたし、恋したみたい」
彼女は固まっていた。
「・・・はい?・・・」
「うん、そう、そうみたい」
そこまで、驚くことないじゃない。
これでも、十五の乙女だよ。
「あー、あ~、えーと、ごめん、・・・・・あなたに掛けるべき言葉が思い浮かばないわ」
あたしは肩を軽く竦めた。
「いや、御免、混乱してる」
今、何を言っても無駄だよね。
「お母さん、お茶ぁー」
「いや、なんで、そんな落ち着いてんの」
「混乱なら、昨日の裡に通り過ぎた」
「早いな、もう」
お茶を飲みながら、昨日の夕暮れの顛末を親友に話した。
かなり、浮かれて話したのだと思う。
親友の顔が、呆れたものから、深刻なものに変わっていたのに気が付かなかったからだ。
リアリスノが言った。
「マヌエル、」
「何?」
「あなた、引き返すなら今のうちよ」
「はっ?」
鳶色の美しい瞳は真剣だった。
美しい顔が真顔になると凄みが出るのだと知った。
「あなたが、一般的な常識というか、世間というか、そういうのに疎いのも知っているし、あなたの先生にも問題があるのは知っているわ」
なんだか、酷いことを言われているような。
「でも、さすがに見過ごせない事態だわ」
「何を言ってるの」
あたしの初恋ぐらいで『事態』って言葉をつかうなんて。
「あー、もー、どうしよう、このままにしておいて、いいものか」
「え、」
「あー、ちょっと黙ってて」
「はい」
何だか知らないけれど、剣幕におされて、あたしは黙った。
まったく、なっとく、いかない。
でも、ちょっとばかし怖かったので、黙っていた。
「迂闊なことはできないし、」
「判らないことも、多いし、」
「そうね、」
「うん」
ブツブツと呟いている。
意味が判らないわ。
「よし、決定、あなた、暫くはお城禁止ね」
「何を言って」
「黙って、・・・禁止、解った?」
あまりにも強い目力に、あたしは、ただただ頷いた。
まあ、親友の気が済むなら、それで、いいか・・・
と、いい加減に納得した。
「取り敢えず帰るけど、勝手はしないでよ、いい?」
うんうん、と頷いた。
何だろう?
どうでも、いいくらいに、幸せな感じだ。
ふわふわとしている。
暫くすると、リアリスノがいない。
帰ったんだろうな。
赤い金の長い髪が落ちているのをみて、彼女がいたのを思い出す。
そばかすさえなかったら美人になるのは、赤く燃えるような金髪も大きいよね。
取りとめもなく、考えていたら、昨日の事を思い出した。
銀髪の長い髪。
風に煽られて、邪魔そうにしていた。
顔は、そういえば、よく憶えていない。
そんなのは大した問題じゃないわね。
何かしら、いったい、この気持ちは、・・・どうしたらいいのかしら。
メイアスの仕立ては、なんだか気持ち良さそうだった。
そんなことを考えている間に夜が来て、夕食を食べて、何事もなく寝てしまった。
翌日、先生の許に出掛けたのだが、何故だか追い返された。
もちろんお城に出掛けたのだ。
途中、リアリスノとの約束を思い出したのだが、『まぁ、いいや』と思って、足取りも軽くお城に辿り着いた。
先生は、あたしの顔を見るなり、怪訝な表情をして、
『今日は、もう帰れ』
『はい?』
『・・・ふぅ・・・』
と、溜め息をついて、頭を振っていた。
何よ。
生徒になったからって、先生のことが何でも判ると思ったら大間違いです。
五年で理解出来る先生じゃないわ。
仕方がないから、帰るとしますか。
今日も素晴らしい天気。
「マーヌーエール」
前方から、呪い殺しそうな波動がやってきた。
勿論、殺されるつもりはないので、翻って逃げようとした。
が、
あえなく、捕まった。
「リ、リア」
「その頭には、記憶装置は付いてないのか」
「い、いや、付いてる、付いてるよ」
本当に、魔女の怒りは洒落にならない。
「さて、マヌエルを捕まえたことだし、私の院長に会って貰いましょうか」
「ん、何で?」
「あなたの初恋の世話をしようってのよ」
「えー、やだ」
「わたしも、出来ることなら、触らずにすませたいわ、でも、そうもいかないの」
「な、なに」
「取り敢えず、ロドシカル院長に会えばいいだけだから」
魔女院は、あたしには、やはり敷居が高い。
なんというか、引け目のようなものを感じるのだ。
魔女見習いの視線も痛いし。
いや、見習い友達はたくさんいるよ、でも全員を知っているわけではない。その、ぞわぞわする居心地の悪さは何かに例えようもない。
「院長。連れてきました」
「お帰りなさい」
「この子ったら、約束破ってお城に行っているんですもの」
「ふふ、そんなことだろうと思っていました」
「す、すいません」
あたしは、小さくなって軽く頭を下げた。
なんか、さっと、リアが椅子を勧めてくれて、引き下がる。
「他ならぬ、カーネェス・ウルフォナンの娘弟子だし、エグヌィカンの秘蔵っ子にも関係あるし、ウチの半人前魔女も心配しているしね」
気にしなくていいわよ。
と、さらり。
しかし、知っている名前が二つ。
えっ、いったい何の事態。
「まあ、『魔法使い』のあなたには、真実の方がいいかと、思っていたたんだけれど」
ちょっと、肩を竦めるような仕草。
「札読みの通り、」
「カラッティー札ですか?」
カラッティー札とは、人を占うもの。世界を読み解くのは『天体機関』だ。
「あたしの得意とする魔術よ」
「えーと、すいません、あたしの初恋に院長自らの占術って、いいんですか」
「まあ、エグヌィカンに許可は貰ってあるから、気楽に」
気楽にって、そんなの出来るわけないじゃないですか。
あたしには、出せる言葉もなく、何も出来ない。
いったい、なんの事態が進行しているの?
さすがに、ふわふわした気分じゃなくなってきた。
「失礼します」
リアリスノが、お茶を持って入ってきた。
「リア、いったい何、これ」
「安心して、ロドシカル院長にまかせればいいの」
カラッティー札での占いには、大きく分けて二種類ある。運命を占うキィオンと今を占うアルーナ。
魔術の魔女術。
誰にでも出来るが、極めるのが最も難しいもの。
ちょっと古めの札。
目の前のテーブルで混ぜている。
たぶん、印刷初期のものだと思う。
「始めるわ」
「は、はい」
こんなに、本格的な占いは初めてだ。
せいぜいが見習い友達の実験台。
緊張する。
「一枚、選んで」
占い方は人それぞれだ。
「伏せたままで」
テーブルはエーテルの海に見立てられる。札は魔力の舟。院長の大きな美しい手は嵐であり救済。
「では、」
一枚を開く。
迷いない魔女の手。
「宝石が出たわ、賽をコップの中に」
「はい」
ガラスのコップにゆらゆらと水の中を沈んでいく。
こんな、占い初めて。
普通の占いと違いすぎる。
宝飾系はたしか、心を表す。
赤いからルビー、出た数字は四
「ふむ、難しいわね」
思案顔を残して、一枚を開く。
「カルコムの枝ね、賽をコップに」
「はい」
出たのは一。
何だか、深く深く呼吸するように、世界と一つになるような感じ。
意識が解けていく。
気が付いた時には、占いは終了していた。
何が占われたんだろう。
目の前で参加していたのに、曖昧で憶えていないなんて。あたし酩酊していた?
「・・・んっ・・・」
軽く耳鳴りのようなものがする。
これが、魔女の本気の占い。
これ、危ない。
「落ち着いた?」
「はい、なんとか」
「結果を知りたいわよね」
「はい」
「会って思いを伝えなさい」
「直ぐにですか」
「出来れば、早い方がいいわ」
「でも、誰だか知りません」
「心配ないわ、彼、凄い有名人だから」
院長は深く微笑みました。
「そ、そうなんですか」
「そう、知らないなんて、魔法使いとしたら失格も同然よ」
なんだか、今、聴いてはいけないような言葉を聴いたような。
「失格って」
「あした、ここにいらっしゃい、彼を紹介してあげるわ」
帰りにリアリスノに会うことはなかった。
あたしは、取り残されたような絶望と、溢れるような希望に満ちて帰路についた。そして、泥のように眠った。
今日は、何も出来そうになかった。
家のなかで、何も考えられず、ぼうっとして過ごした。
時間だけが過ぎていく。
いつになったら、出掛けて行ったらいいのだろう。
不意に、頭に言葉が囁かれた。
『マヌエル』
『はっ、はい、院長』
『用意が出来たわ』
『はい』
『ゆっくり、おいでなさい』
あたしは、魔女院に向かっていた
いちおう、身だしなみには気を使ってみた。
まあ、たいして選択肢はないのだけれど、彼に会うのだから無様なのは嫌だ。
急に自分が『どうなのか』という問題に突き当たって狼狽したのだけれど、もはや、今更、後戻りはできない。
「マヌエル、参りました」
「よく来たわね、お待ちかねの彼は、昨日の部屋よ」
たぶん、時間を察していた院長に迎えられて、もう一段階上の緊張に入る。
「え、っと、どこか変じゃないでしょうか」
「いいえ、大丈夫よ」
院長は、あたしより少し背が高くて、優しい手で、あたしを撫でてくれた。
「ありがとうございます」
「いってらっしゃい」
ポンと背中を押された。
「・・・っは、ふう」
ノックする。
「どうぞ」
少しして声がした。
なんて、耳を擽る声なんだろう。
そこには、彼がいた。
長い銀の髪、深く蒼黒い瞳、少し低めの鼻、いたずらそうな口許。
でも、
でも、解ってしまった。
彼は、この世の人ではない。
何故なら、あたしには見えるから・・・
あの日は、太陽があまりに眩しくて、彼が眩しくて、見えなかったのだ。
夏の悪戯。
あたしは、精一杯の意地をはって、溢れるものを押さえて笑顔をつくった。
「はじめまして、マヌエル・ジマナートです」
タイトルを考えてからが、難産でした。