お婆ちゃんと一緒
「さすが姐さんだ! 熊の解体なんて初めて見たよッ!」
イブは熊を宙づりにして血抜きをし、その後で熊の解体を始める。
「ふん、この程度のことならば、乙女のたしなみだ。貴様らも今後のためによく見ておくがいい」
果たして、熊の解体などをする機会が、今後訪れることがあるのだろうか。
そんなことを考えている七瀬たちに構うことなく、イブは熊五郎に刃を入れる。
手慣れた手つきで皮を剥ぎ、熊五郎の解体を進めるイブ。
その表情は真剣そのものだ。
「ふふふ、夏休みを利用して、紅老子と一か月間山籠もりをした日々を思い出すな」
「紅老子って誰!?」
【さすがイブさん。大自然を愛する山ガールビッチ!】
瞬く間に熊の解体を終え、熊の肉を整然と並べる。内臓はきちんと廃棄し、毛皮はアダムのアイテムボックスに入れることとなった。
【僕は『知恵の実』を食べたことで、『空間』に関係する力に目覚めたビッチ! 僕の直腸は広大なアイテム収納インベントリになっているビッチ!】
「……くさそう」
【七瀬さん! 天使はウンコしないビッチッ! だから、フローラルな香りがするビッチ!】
アダムはケツから一輪の薔薇を取り出すと、七瀬に捧げた。
その薔薇はあまりにも美しいクリムゾンレッドであった。
「まぁ、ホントだ。臭くない」
【僕のアイテムボックスは清潔に整えられているビッチ!】
イブは戦利品である熊五郎の毛皮を、アダムのケツに押し込んだ。
これがアダムの『腸収納術』。
【さすがイブさん。容赦なくねじ込んでくるビッチ! アッー!】
「よし、解体処理の片づけは済んだし、今からは肉の下ごしらえだ。七瀬、メルルも手伝うのだ」
「はいよ!」「ようこそー!」
一時間後、熊鍋はほぼ出来上がった。
ぐつぐつと湯気を立てて、いい匂いがする。
熊の肉の臭みを消す赤みそ仕立て。お野菜もたっぷり入れて、乙女の美容と健康にもバッチリ配慮されている。
イブは一心不乱に、鍋をかき混ぜていた。仕上げが大事なのだ。
するとその匂いに誘われて、ひとりの老婆がふらふらとこっちに近づいてきた。
老婆は七瀬に話しかけた。
「美代子しゃん。ご飯の時間はまだかえ?」
「あたいは美代子じゃないよ、七瀬だよ」
「美代子しゃーん! ご飯まだかえ?」
【どうやら、徘徊老人みたいビッチ!】
「ようこそ、サンタナ市へ!」
【家に帰してあげるビッチよ】
「わしゃお腹がすいたんじゃ~。美代子さんがご飯を食べさせてくれんのじゃ~」
泣く老婆に対して、七瀬は胡乱な表情をする。
「……その割には、お腹が膨らんでるんだけど」
【朝、ご飯を食べたことすら忘れてるみたいビッチよ。認知症の典型ビッチよ!】
「可哀想だねぇ。早く、その美代子さんとやらを探してあげないとね」
七瀬たちがそんなことを話しあっていると、イブは顔を上げた。
「できたぞ! 熊鍋が完成したぞ! ん、何だそのご老人は?」
「美代子しゃん?」
すっとぼけた表情の老婆の顔を見たイブの目に驚愕の色が宿る。
「ジェノ婆さん? ジェノ婆さんではないか!?」
「ジェノバ?」
「私の恩師といえる唯一の人物だ……」
「な、なんだって!?」
【このご老人がイブさんの恩師!】
「ようこそっ!?」
なんと目の前の婆さんこそがイブを育て上げた恩師、川本ジェノバこと、ジェノ婆さんだったのだ。
「久しぶりだな、ジェノ婆さん」
「美代子しゃんが、ジェンジェンご飯食べさせてくれんのじゃ」
「なんだと、その美代子とかいう奴、許せん……」
イブは拳を握りしめた。その眼は狂気で爛々と輝いている。
【ちょっと待つビッチ! 美代子さんはちゃんとジェノ婆さんにちゃんとご飯食べさせてるビッチ!】
「ジェノ婆さんがボケてるだけだよ……」
「なんだと!? ジェノ婆さんがボケてるだと。かつて女賢帝と謳われたジェノ婆さんだぞ!」
【若いころにどんなに頭が良かろうと、ボケるときはボケるビッチよ】
「ジェノ婆さん……」
イブはジェノ婆さんを心配そうに見つめる。
********
イブとジェノバとの出会いは四才の頃まで遡る。
そのころ、イブはその能力を持て余していた。
幼稚園の中で、感じざるを得なかったのは自分の特異性だ。肉体の成長はともかくとして、知能の発達スピードが、周囲と違い過ぎたのだ。
なんて周りの人間はバカなのだろうと見下していた。
まわりの子供たちだけでなく、その周囲の大人もそうだ。
自分はこんなにも能力があるというのに、同じ型に入れ込もうとする愚かなる大人に、イブは愛想が尽きていた。
それは極めて危険な兆候だった。
そんなときジェノ婆さんと出会ったのだ。
出会ったと言ってもイブとジェノバはすぐ近所に住んでいて、面識自体はあった。
ただ、話しかけられたのはその時が初めてだった。
縁側でお茶を飲んでいたジェノ婆さんは、たまたま道を通りかかったイブに声をかけたのだ。
「……ちょいと、そこの嬢ちゃん、こっちでお茶を飲まないかえ?」
「……」
「あんたはいつもつまらなそうな顔をしてるからねぇ。ちょっとババアの世間話にでもつきあってくれんか?」
「……はい。わかりました」
そのころのイブは誰に対しても愛想笑いしかしてなかったが、それをつまらなそうと見抜いた人間はいなかった。
どうして、わかったんだろう、そう思った。
だから、この婆さんの話を聞く気になったのだ。
イブはジェノ婆さんの隣に座り、お茶を貰った。
老婆は穏やかな表情で話しかける。
「幼稚園では、お友達はできたのかえ?」
「お友達なら、たくさんいます」
イブは四才とは思えないほど、しっかりした口調で答える。
「そうかえ、それはよかったねぇ」
「はい」
イブは微笑みながら答え、そして湯呑に視線を落した。
老婆は同じ口調で話し続ける。
「でも、それは本当のお友達とはいえないねぇ」
「……はぁ?」
「お友達なら、見下すのをやめなさい」
「……っ」
イブは目線を上げた。
そこにはジェノ婆さんのイブの心の中を透徹するような、怜悧な眼差しがあった。
初めて、自分の心の中を見透かされた衝撃は、親も妹さえも見抜けなかった心の奥底を掬い取られた衝撃は、少なくとも当時のイブには計り知れないものがあった。
思わずイブはジェノ婆さんに尋ねた。
「……どうして、わかったの?」
「わかるさ。わしも、子供の頃はお前さんと同じように思ってた時期があったからねぇ。周りの人間たちが全部愚かで、ちっぽけに見えてしまった時期が。でも、それは間違いだったのさ」
「……、私は間違いとは思いません。周りのみんなはバカばかりだから……」
「ふふふ、本当に良く似てるわい。じゃが、いつか気付く時がくる」
「……」
「しばらく、ワシの話し相手になってくれんかの? 老いぼれの暇つぶしに」
「……、いいですよ。……私も暇なんで」
こうして、イブは毎日、幼稚園が終わってからジェノ婆さんの家に通うこととなった。
傍から見れば、近所のお婆ちゃんに懐く可愛らしい幼女といった図式だが、内情はそんな生易しいものではなかった。
二人の会話内容は社会情勢、国際情勢、政治、経済と多岐にわたった。
その語り合いはまるで命のやり取りをしているかのごとく、緊迫感があった。
川本ジェノバはかつて女賢帝と呼ばれた才女で、昭和初期にアメリカに留学し、戦後はとある大学の学長として、日本の近代教育の礎を気付いた人物とされる。
彼女がいなければ、日本の教育は十年は遅れたと言っても過言ではないのだ。
齢七十になった彼女は現場を完全に引退し、残り少ない余生を平穏に過ごすために、故郷の三棚市に帰って来ていた。
だから、もう誰かに何かを教えようという気は、これっぽっちもなかった。
しかし、イブという少女と出会い、そうも言ってられなくなった。
ジェノバがイブに口酸っぱく教えた一つの言葉がある。
「人にはそれぞれ、何か役割があるんじゃ。どんな人間にも決していなくても良いという人物はおらん」
「それは新手の宗教ですか? 殺してしまった方が良いような人間は、この世界には溢れてるじゃないですか」
イブ(四才)の発言に、ジェノバは優しく首を振る。
「そうではないんじゃ。彼らは自分の果たすべき役割に、気付いていないだけなんじゃ。だから、導いてやる必要がある。良い導き手に出会えなかったことが彼らの不幸なんじゃ」
「ますます、宗教論臭い。そういう運命論はあまり好きではないです」
「わしは無神論者じゃよ」
「どの口でそんなことを……」
ジェノバはイブに軽口をたたきながら、自分が果たすべき役割を考えていた。
自分が果たすべき最後の役割を。
それは、イブという少女を正しい方向へと導くことだ。
もしも、彼女が間違った方向に成長した時、世界には未だかつてないほどの災厄が降りかかるだろう。
それほどまでに、イブの知能は段違いに高かったのだ。
そして、この街にそれができる人間は自分しかいないと思った。
だからこそ、ジェノバは必死だった。
彼女を正しく導くために、相応しい人物として振る舞わなければならなかったからだ。
その重圧は二年間で、彼女を枯れ枝の如く細くしてしまった。
一方で、イブにとってジェノバとの出会いは最良であった。
初めて出会った自分に匹敵しうる知性の持ち主との会話は、イブに多大なる影響を与えた。
イブはジェノバの知識を、それこそスポンジが水を吸うかのごとく吸収した。
閉鎖的な田舎町という土壌は、イブという稀有な才能を腐らせようとしていたが、ジェノバとの出会いによりその知性は大輪の花を咲かせようとしていたのだ。
イブは小学校を卒業し、特待生として東京の水仙院学園中等部にトップ合格するまでの間に、ジェノバの全ての知識を伝えられたのだった。
今現在、イブはどんな人間でも決して見下したりはしない。
どんな人間でも適材適所があり、それを活かすのが自分に与えられた使命であるというのが、イブが至った境地である。
だからこそ、誰も間違った方向性に進まない様に、この世の全てを支配し尽くさなければならないという結論に至ったのだ。
この世で最良の統治とは、善良なる独裁者による統治なのだ。
ああ、クレイジーバイオレンスビッチ伊吹イブは、なんと可憐な少女なのか!
********
「さぁ、ジェノ婆さん、飯だ。熊鍋だ。いっぱいあるぞ。好きなだけ食べるんだ」
「ありがとう、美代子しゃん。ありがとう」
イブは熊鍋から具材を小皿に盛って、ジェノ婆さんに渡す。
感謝するジェノ婆さんに、イブはニッコリと微笑んでいた。
その様子をアダムと七瀬たちは、ほっこりしながら眺めた。
【いい光景やビッチ】
「麗しき師弟愛だよ!」
「ようこそ! ようこそ!」
ジェノ婆さんが箸でこってりと煮込まれた熊肉を摘まむ。
肉汁がジューシーに滴る。
そして、ジェノ婆さんが熊肉を口の中に入れようとしたその時だった。
パクリ!
そんな間抜けな擬音が聞こえたような気がした。
ジェノ婆さんの箸からは、つままれていた熊肉が喪失していた。
ジェノ婆さんは肉を食べていない。
食べたのはジェノ婆さんの隣に突然現れた女。
亜麻色の髪に、健康的なスレンダーな肉体と、可愛らしい容貌。
その身体からは、おぞましいまでの女子力が迸る。
「旨ーいッ! 旨いのねーッ! 肉汁ジュウジュウ、大根おろしショリショリッ。ハムッ! ハフハフ、ハフッ! こんな熊肉に釣られるクマーッ!」
「美代子しゃんがご飯を盗ったぁ、美代子しゃーん!」
「な、なんだ!? 貴様一体何者だ!?」
「あたしの名は新房くいな! 『乙女五芒星』の一人、『豊饒の大地』の新房くいな! またの名を『腹ペコヒロインのくいな』なのね!」
さらには小皿からも、そして、ぐつぐつと煮えたぎっていた熊鍋も、気付いた時には中の具材が消えてなくなっていた。
そこにはペロリと平らげられた後の、空の食器しか残っていない。
「なんだーッ!? あたいたちは一口も食べちゃいないぜーッ!」
【どこいったー!? 僕たちの熊鍋は、どこいったビッチーッ!?】
「そいつはもう既に、あたしの胃袋の中なのね!」
くいなは自分の腹をポンと叩いた。
【な、何だってビッチ!?】
「その熊鍋を食べたのは、他でもない! このあたしなのね!」
「何だと!? この一瞬で熊鍋を食べ尽くしただと!?」
動揺するイブたちを前に、くいなは不敵に笑う。
「この『腹ペコヒロイン』を前にしては、いかなる料理も存在することができない! 料理は出された瞬間に、食べ尽くしてしまうのね! さぁ、もっと料理を作るのね! 全部、平らげてやるから!」
「ふえーん、美代子しゃんが料理を食べさせてくれんのじゃー!」
泣きわめくジェノ婆さんと、愕然となるイブ。
そして、イブは震えた。初めて、本当の怒りに打ち震えた。
その怒りは大気が震えるほどだった。
「許さん! 絶対に許さんぞ! 新房くいな!
貴様は謝っても絶対に許さん! 簡単には殺してやらんぞ!
うまれてきたことを後悔するくらい何度も何度も苦痛と屈辱を与えてやるッ! 覚悟しておけ!」




