わたしの、最高の友達
ここはどこだろう。声を出そうにも出すことすらできない。
気が付くと七瀬は目隠しをされ、猿轡を噛まされていた。
手足も縛られ、身動きもとれない。そして、自分がずだ袋のようなものに入れられている事だけがわかった。
今自分がどのような状況にいるのかさえわからなかった。
エンジン音と揺れる車体から、走行中のトラックか何かの荷台に押し込められて監禁されているということくらいしか分からなかった。
問題は自分が何故、そのような目にあっているのかということだ。
(……おかしい。どういうことなの)
自分はついさっきまで、生意気な伊吹イブとかいう淫乱クソビッチ女を父親の子分である暴力団組員を使って、脅して怖がらせて泣かせようとしていただけなのに。
どうして気付いた時にはこうなっているのか、さっぱり分からなかった。とにかく理解できない現状に恐怖しか湧いてこなかった。
そして、車内から聞こえてくるうめき声も七瀬の恐怖を倍増させた。
聞き覚えのあるこの声は自分と一緒にイブを脅しに動員した子分のチンピラの声だ。彼らも捕まってしまったのだ。
ますます、意味が分からなかった。
数人いた暴力団組員が自分も含めて全く抵抗するどころか、気付かぬうちにこうして拉致されているのだ。
一体何者を相手にしているのか、分からず、七瀬は恐怖で自然と涙が零れてきた。
(このまま、あたい、死んじゃうのかなぁ)
猿轡で声も出せない七瀬はそう思った。
どういう状況なのかはわからないが自分は子分ごと拉致されている。
自分ら相手にこのような強引な事を起こすということは相手も明らかに堅気の人間ではあるまい。
ということは、対立している暴力団に拉致された可能性が高いのだ。
ならば、これから自分を待ち受ける運命は想像すらしたくないような凄惨なものになるに違いないと七瀬は思った。
(死にたくないよぉ。でも、殺されるなら楽に死にたいよぉ。拷問されながら死ぬとかだけは勘弁だよぉ)
しかし、襲撃ではなく拉致されたということは拷問される可能性が極めて高いことは七瀬にもわかった。
いっそのこと舌を噛んで死にたかったが、猿轡のせいで死ねない。暗澹たる気持ちでいっぱいになっていた。
車が止まる。トラックの荷台のシャッターが開けられる音に七瀬はビクリと震えた。
屈強な男たちが七瀬らを押し込めたずだ袋を持ち上げ、次々に運び出す。
自分は一体どこに連れられて行くのだろう。不安ばかりが募るばかりだ。
どこか広い屋内に連れてこられた。ずだ袋に入れられて、目隠しまでされただったが、耳の感覚から昔父親に連れられて行ったドーム球場にいったような鼓膜が引っ張られるような感覚があった。気圧が違うのだ。とはいえ、ドーム球場のような目立つ場所に連れて来れれるわけがない。本当にここはどこなのだろう。
七瀬はずだ袋から出され、目隠しと猿轡を外された。
久しぶりの光に一瞬目が眩んだ。
徐々に視界が回復して、目の前に突き出された銃口に息を飲んだ。
機関銃だった。
ヤクザの娘である七瀬はそれが本物であることは一目でわかった。
迷彩服を着た屈強な男たちがそれを七瀬たちに突きつけていたのだ。
(こいつらが、あたいたちを拉致したのか。でも、ヤクザじゃない!? 一体何者なの?)
銃口を向けられて真っ青になっている七瀬に対して機関銃を持った男が前を向け、と顎で指示する。
七瀬は震えながら真正面を見て、その光景に驚愕した。
「親父! 兄貴もッ!? それに、叔父さんたちも!」
そこには七瀬の父親、関東最大の暴力団珍栗組組長、珍栗勘七および、その息子で幹部であった勘吉、勘蔵、勘太郎。および珍栗組の幹部、構成員たちがいた。
それだけでない。
系列暴力団の組長や幹部たち、その構成員。彼らが根こそぎ捉えられていて縛りつけられていた。
およそ数千人はいる珍栗組の構成員たちが一堂にここに集められ、皆捕えられていた。
この数千人の構成員たちを取り囲むように機関銃を構えた迷彩服の男たちがいた。珍栗組の構成員たちはこの機関銃に怯えるように縮こまって、身を寄せ合っていた。
この悪夢のような光景に七瀬が悲鳴をあげるように叫んだ。
「これはいったいどういうこと! なんでこんなところにっ!」
「それは私が答えてやろう」
七瀬の叫びに応えた可憐な声。
七瀬はその声に聴き覚えがあった。彼女はその声の主の方向に振り返った。
そこにいたのはこの場には場違いともいえるほどの清楚可憐な美少女だった。
艶やかな黒髪に白磁のような肌、スッと通った小鼻に桜色の唇。極めて整った精緻なビスクドールのような容貌に黒曜石のような深い黒の瞳を持った絶世の美少女。
彼女の名は伊吹イブ。その傍らには全裸の天使アダムを従えて、彼女はここに歩いてきた。
イブは迷彩服の男たちのリーダー格の男に近づくと声をかけた。
「小久保隊長! 素晴らしい仕事ぶりだ。よくぞ一人も逃さずに、また一人も殺さずに捕まえてくれたぞ! パーフェクトだ! 完璧な仕事だ!」
小久保と呼ばれた男はイブに対して直立不動で敬礼して答えた。
「サー、イブさんサーッ! 私は下された職務を全うしただけでーあります!」
「ふふふ、何と謙虚な。謙虚堅実をモットーにしているとはまさに貴様のような男をいうのだな。貴様のような優秀な男がこの国を守っているのだと思うと安心だぞ!」
「サー、イブさんサーッ! 身に余るお言葉! 光栄でーあります!」
感激に打ち震える小久保を見ながら七瀬は恐怖で震えながら尋ねた。
「あ、あんた、この男と知り合いなのか……。この機関銃をもった男たちはみんなお前の知り合いなのか」
そんな七瀬に男たちは銃を突きつけ、七瀬は「ヒエ~」と悲鳴を上げた。
しかし、それを遮ったのはイブだ。
「まぁ、待て。七瀬よ。ここがどこだか分かるか?」
「えっ、ここは?」
七瀬は顔を上げてキョロキョロと見回す。
巨大なフェンスがあり、その上には観客席と思われる席が、そして何よりもバックスクリーンにあるオーロラビジョンは見覚えがある。
昔、父親とよく野球観戦に行った思い出の地。
「……こ、ここは関東ドーム?」
七瀬の答えにイブは満足そうに微笑む。
「正解だ」
「こんなところに私たち全員を連れてきて……。それより、どうやって。一体何が起こったというの……」
「それはまず、あのオーロラビジョンに映し出されるニュースを見てからだ」
バックスクリーンの上にある、巨大なオーロラビジョンに電気がともり、国営放送のニュースが映し出される。
『ただ今中継を行っているのは関東最大の広域暴力団、珍栗組の総本家、珍栗組組長宅です。ご覧ください! 燃えております! 轟々と音を立てて、巨大な火を噴いて燃えております! 消防が懸命の消火活動をしていますが、炎の勢いは止まりません!』
「な、なんだあれは!?」
七瀬が思わず叫んだ。
自分が今まで住んでいた自宅が燃えている。
そして、親兄弟たちや住込みの構成員たちはここに監禁されている。
その事実から推察されることは。
「あ、あんたがやったことか……」
イブはにやりと笑う。
七瀬はその笑みを見て背筋が凍りついた。
さらにニュースは続けられる。
今朝、関東最大の暴力団珍栗組は何者かの襲撃により一斉に各支部が倒壊、炎上した。系列の組までも。
そして、なんと構成員たちが誰一人見つかることなく、約三千人全員が行方不明となっていると報道されていた。
今回の事件は抗争中の他の暴力団の仕業だという専門家の見解が伝えられていた。
いくらなんでもおかしすぎる。わずか一日で三千人も行方不明にしてのける暴力団がどこにいるのか。明らかにもっと大きな勢力が絡んでいるだろう。
どこの報道局もこの事件を中継している。
まさに蜂の巣を突いたようなパニックが起こっていた。
「さて、珍栗七瀬。貴様はもう終わりだ。貴様のよりどころである関東最大の暴力団珍栗組は跡形なく消し飛び、貴様の自慢の牙はへし折れた」
「どうやって! こいつら一体何者なんだっ! あんたは一体!?」
「ふふふ、知りたいか? 七瀬よ。まずは順を追って説明してやらねばなるまいな」
イブは先程の小久保という男を指差した。
「この男は小久保邦治。若くして自衛隊のとある特殊部隊の隊長を務めている男だ。これから日本の自衛隊のトップを担うであろう若き俊英だ」
「サー七瀬さんサーッ! 以後お見知りおきをでーありますッ!」
イブの紹介に小久保が七瀬に頭を下げる。一方で七瀬はさらに驚愕していた。
「じ、自衛隊だって!? じゃあ、まさか」
顔を真っ青にした七瀬に対して、イブは出来の良い生徒を褒めるようにいった。
「その通りだ。貴様ら珍栗組を瞬く間に潰したのは自衛隊だ。訓練しつくされたプロの軍人の暴力だ」
「じ、自衛隊だって!?」
「貴様ら暴力団の暴力がアマチュアの暴力なら、近代武装した軍隊の暴力はプロの暴力だ。ヤクザ風情と軍隊の暴力は比べるまでもない! まさに野良犬と狼ほどの違いだ!」
「ぐ、軍隊がうちらを潰した!? 一体どうして?」
「どうしてもクソもなかろう。海外ではマフィアと麻薬組織を潰すために政府が軍事作戦を敢行しているではないか。それが日本で行われても何ら不思議なことはあるまい。貴様らは『私のような善良な一般市民』に危害を加えようとしたのだからな」
「あんたが、善良な一般市民だと……。でも、どうしてウチを政府が潰すっていうんだい! おかしいだろ!」
「それは何もおかしくはない。私のアナベベならばな」
「アナベベ!? 一体何者なんだい!?」
「ふむ、ではそこからだな。どうやら中継が繋がったようだ。再びあのオーロラビジョンを見るがいい」
七瀬たちはオーロラビジョンを見上げる。
そして、驚愕することとなる。イブが持つ絶大なる権力を目の当たりにして。
そこに映し出された人物は誰もが知る人物だ。日本人であるなら知らない人間などいない人物だ。
日本を代表する、全ての日本人の上に立つ人物。
「えっ、まさか、まさか……」
『皆様、初めまして。美しい国へようこそ。私たちのおもてなしはどうでしたか?』
「あ、穴部晋之介、総理、だと?……」
そう、そこに映し出せれ立ていた人物は、日本国内閣総理大臣、穴部晋之介。
全身が震えだし驚愕の表情を隠せない七瀬に対して、イブは悪魔のような微笑みを見せる。
今、暴力系ヒロイン伊吹イブの秘められし力が、真の暴力の力がそのヴェールを脱ごうとしていた。