姫条院麗奈
この章は当初プロローグとして投稿しましたが、時系列に合わせて編集しなおしました。そのせいで、少々話におかしなところがありますが、ご了承お願いします。
新房くいなが、何者かに敗れた。
その凶報は姫条院麗奈の端正な容貌に、一点の曇りを残させた。
空を見上げれば暗雲が、覆い尽くそうとしている。
まるで、今の自分の心模様のようだと、麗奈は溜息せずにはいられなかった。
「一体、何者の仕業だというんですの……」
麗奈は失ってしまった仲間のことを思う。
新房くいな。
あの『腹ペコヒロイン』が。
強力な『土』の属性を持つ乙女が、本当に敗北を喫するなんて。
そして、このサンタナ市の悪魔結界を守護する、『乙女五芒星』の一角を打ち負かすほどの女子力の持ち主が存在するとは。
麗奈には到底、信じられない話だった。
しかし、実際にくいなが破れたというのも、事実だ。
報せを聞いて駆け付けた、残る四人が目撃したもの。
それは、『恋人』を失って変わり果てた、くいなの姿であったのだから。
彼女たちは現場を調べ尽くした。
一体何者が、くいなを打ち倒したのか。
その手がかりを手に入れることすら、ついにはできなかった。
そして、互いに気を付けるよう確認し合って、帰途についたのだ。
麗奈は家路につく最中、物憂げな表情で街並みを眺めた。
重い雲が暗い影を、街に落としていた。
海と山に囲まれた、風光明媚な地方都市、サンタナ市。
姫条院麗奈の暮らす豪邸は、この街の北東に位置する。
彼女の父親は、日本有数の企業の社長である。
地元の名士として、姫条院家はこの地に君臨しているのだ。
しかし、それは仮初の姿であり、虚構の姿である。
彼女はその虚構を本物にするために、悪魔に魂を売ったのだ。
このサンタナ市の本当の姿は、財政破綻寸前の地方都市三棚市。
麗奈たちは現実のサンタナ市を悪魔の力で、ゲームの世界であるサンタナ市に塗り替えたのだ。
そのゲームとは人口流出の止まらず、衰退していくだけであった街が最後に打って出た狂気の企画。地元ゲーム会社の作る、乙女ゲーとのコラボレーション企画。
初めは多くの人間が、鼻で笑った。
しかし、どういうわけか徐々に盛り上がっていき、やがては大きなうねりとなった。
そして、最後には市の全面協力を取り付け、かつてないほどの規模となった。
そうしてできたのが乙女ゲー『情熱のサンターナ』。
実際の街を元に描かれたサンタナ市を舞台に、実際に街にいる人物をモチーフにしたイケメンと恋愛するという、乙女ゲー。
『情熱のサンターナ』をプレイしたゲーマーが聖地巡礼をするのを、町おこしに利用しようという企みがあった。
あまりの浅はかさ。
俄かには信じがたいことだが、このゲームは空前の大ヒットを飛ばすこととなった。
勝因は乙女ゲーでありながら、女子だけでなく、男子にも、そして年齢層にも関係なく受けたという事だった。
元々話題性も十分で、一般ニュースでも取り上げられた点も大きいだろう。
町おこしイベントとのタイアップという関係上、ターゲットを絞り込むことはせずに、貪欲に全年齢層を狙って、様々な要素をぶち込み、出来上がったものは乙女ゲーとは到底言い難いようなカオスな代物であった。
しかし、そのゲームは奇跡的なバランスで、辛うじて成立していた。
結果、多く層から熱狂的に支持され、愛されることとなった。
このゲームの魅力は登場人物の多さにある。
主人公の初雪楓恋はその名の通り、初雪のような儚さと可憐さを併せ持った外見と、それに似合わぬ快活さを持った少女で、周りの人間をついつい元気にさせてしまう。そんな女の子であった。
そして、眉目秀麗な、魅力的な五人の攻略キャラ。
それらはどれも違った魅力を持った男の子たち。
それだけではない。ライバルキャラもまた魅力的に作られていた。
ただの主人公の引き立て役になるだけの悪役キャラではなかった。
時に主人公のライバルとなり、友達であり、心を通わす。
これらの人物の作り込みが素晴らしく、それが多くの支持を得る結果となったのだ。
そして、姫条院麗奈もまたこのライバルキャラの一人である。
大企業の令嬢にして、箱入り娘。
抜群のスタイルに容姿端麗。
そして、金髪巻き髪。
その性格は傲岸不遜にして、わがまま放題。しかし、根は寂しがり屋で優しい女の子。
いわゆる、典型的なお嬢様系のヒロイン。
しかし、単純な悪役キャラにはならず、主人公の友達として、交流をするのだ。
彼女の思い人は、金梨竜司。
主人公が攻略しなければ、竜司と麗奈が結ばれることとなる。
この金梨竜司は、貧乏子だくさんの典型的な苦学生系イケメンだ。
身分を越えた二人の恋愛模様は、『情熱のサンターナ』屈指の人気恋愛イベントのひとつ、だったりする。
だが、今ここにいる姫条院麗奈は、ゲーム上の登場人物ではない。
彼女は現実世界にいる別の人間だ。
そして、ゲームの登場人物『姫条院麗奈』になることを、悪魔に願いだったのだ。
これは、新房くいなも同じことだった。
彼女らは己の魂を悪魔に売り渡し、現実の三棚市を乙女ゲーム『情熱のサンターナ』のサンタナ市に書き換えたのだ。
現在の三棚市は、悪魔による結界によって何者の干渉も受けつけない、陸の孤島となっていた。
内部の人間の認識に直接作用する、巨大な結界のフィールドで包まれた街の住人たちは、自分らがゲームの登場人物だと思い込んでいる。
そして、街から出ることも、入ることもできないことに、誰も違和感を持つことができないのだ。
人口十万人の三棚市の住人は、全て悪魔結界の中に捕らわれてしまったのだ。
まんじりともしないような思いを抱えたまま、自宅までたどり着いた麗奈は、その豪奢な門の前から自らの豪邸を見上げる。
現実世界では、第三セクターが多額の税金を投入して、極めてずさんな見通しの元に建てられた旅館である。
三棚市三大失敗事業の、なれの果て。
しかし、この世界では日本有数の企業の経営者である、姫条院家の大豪邸だ。
自分はその姫条院家の令嬢である。
それは、夢にまで見た幸せ。
そして、もう思い出したくもなかった、現実世界の自分の姿が脳裏を過る。
もしも、自分たちが破れたならば結界が解け、この虚構の世界は消滅してしまう。
だからこそ、彼女は自分に言い聞かせるように呟いた。
「この夢は、絶対に醒めさせやしないわ……」
夢から醒めたくいなの姿。
そのおぞましい光景を思い出した麗奈は、身体の震えを抑えるように自らを抱きしめた。
そんな彼女を傍らに寄り添うように、男が心配そうに声をかけた。
「麗奈、どこいってたんだ? 顔が真っ青じゃないか」
「竜司君……」
彼女を優しげな声をかけたのは、金梨竜司。
『情熱のサンターナ』の攻略キャラの一人だ。
ゲームでは主人公『初雪楓恋』が攻略できなければ、姫条院麗奈とくっつくこととなるキャラだ。
そして、いまでは麗奈が完全に彼の心を捉えている。
攻略キャラである竜司を『恋人』にすることで、麗奈の女子力は完成したのだ。
竜司は麗奈の豪邸の前で忠犬のように、彼女の帰りを待っていた。
麗奈はそんな竜司を愛おしむように、そっと手を握る。
指先からはじんわりと温かみが伝わってきて、この世界が虚構のものではなく、リアルであると改めて実感するのだ。
そして、胸から込み上げてくるのは、それを守るという決意。
麗奈は心配そうに見つめる竜司に、無理して明るく笑って答えた。
パシッと扇子を開き、いつもの高飛車な自分を演じた。
「おーほっほっほ、なんでもないわ。さぁ、家に入りましょう、竜司君」
「ああ、そうだな。……、ん? あれは?」
竜司の声に麗奈は振り返る。
姫条院家の豪邸の反対、つまり今麗奈が帰ってきた道から、三人の人影がゆっくりとこちらに歩いてくるのが見えたのだ。
彼らの持つ、異様なプレッシャー。
麗奈は直感した。
自分は尾行されていた、と。
「……やってくれましたわね」
麗奈は眉を寄せ、唇を噛み締める。失敗を痛感させれたのだ。
まんまと自分の『恋人』と一緒にいるところを狙われた。
麗奈はやってくる三人を、睨みつけるように凝視する。
右にいるのは少しガラの悪い少女だ。黒いパンクなジャンバーにピンク色のポットパンツ。そして、虎柄のレギンス。ヤンキーのような、もしくは大阪のおばちゃんのようなファッションセンス。服装も着崩れているし、若い割には化粧もちっともナチュラルメイクじゃない。そして、粗暴そうな振る舞い。不良少女という言葉が似合うような少女だった。
麗奈は不良少女を一瞥すると、
(彼女では、……ないわ。あの程度の女子力では到底新房くいなは破れない)
と、結論付けた。
不良少女は麗奈の乙女センサーに、大きな反応を示さなかったからだ。
一方で『ガンをつけられた』と捉えた不良少女は、「お? やんのか? やんのか、コラ?」と牽制行動をした。
麗奈はその様子を無視して、視線を外した。
次に左の少年を見て、麗奈は眩暈がした。
その男も若かった。
パッと見では美少年と言えるのだが、その出で立ちは常軌を逸していた。
彼は、何一つ着衣を着ていなかった。
つまり、全裸だった。葉っぱ一枚で、股間を隠しているに過ぎない。だからこそ、それに気付かずにはいられなかった。
彼の背中に生える、大きな羽に。
麗奈は目を丸くした。
「何故、天使がいるんですの……。この結界は天界の者には干渉できないはずなのに……」
その問いに天使の少年は、清らかなる声で答えた。
【僕はアダム。天使にして堕天使、天界を追放された僕は元からここに住んでたんだビッチ。そして、僕はラテンの裸天使なんだビッチ!】
「何故、素っ裸なの……」
【それは知恵の実を食べてしまったからビッチ。僕はもう服を着ることは出来ないビッチ!】
「……普通、逆じゃないの?」
その問答に麗奈は軽く頭痛を感じた。
アダムと名乗った天使はその出で立ちに反して、悪魔のような言動で容赦なく麗奈の精神を削った。
だから、麗奈はアダムを見なかったことにして、残るもう一人に視線を移す。
この二人の間を歩くのは、黒髪の清楚可憐な乙女だった。
ただのありふれた制服を着ているだけの、高校生くらいに見える少女だった。
しかし、ただの少女でないことは見ればすぐにわかる。
麗奈の乙女センサーは、最大の警戒を示していた。
「……なんていう、女子力なんですの」
彼女から立ち上がる、凄まじいまでの女子力。勢いよく噴煙を上げる火山のような、迸るほどの女子力を。
麗奈は確信した。
黒髪の少女。
彼女こそが、新房くいなを倒した下手人であると。
三人は立ち止まり、麗奈と対峙する。
麗奈は竜司の腕をギュッと握りしめた。
気がつけば口の中はカラカラに乾いていた。
「ど、どうしたんだい、麗奈? おい、麗奈?」
常に自信に溢れ、傲岸不遜なお嬢様である麗奈の姿しか、竜司は知らない。
まるで別人のように青白い顔で、不安そうな表情をする彼女に問いかける。
しかし、当の麗奈にそれに答える余裕はなかった。
もしも、一言でも声を発して集中を逸らせば、その瞬間に全てが終わるような、そんな気がしてならなかった。
そして、真ん中の黒髪の少女が、一歩前に歩みを進める。
その楚々とした、愛くるしい出で立ち。白磁のように滑らかな肌。黒曜石のようにどこまでも深い黒の瞳。スッと通った小鼻に、桜色の唇。
麗奈もこの黒髪の少女が飛びぬけた美少女であると、認めざるを得なかった。
そして、その外見からは想像もつかないほどの怪物であることも。
突然現れた強敵に、麗奈は問わずにはいられなかった。
「あなたは……一体何者なんですの?」
黒髪の少女が口を開いた。
その声は可愛らしく、耳をくすぐるような優しげな声。
しかし、その内容は峻烈を極めた。
彼女は麗奈の問いかけを無視し、端的に己の目的を告げた。
「姫条院麗奈。貴様の命運は尽きた。私は今からそこの攻略キャラを寝取り、貴様の全てを奪い尽くしてやる」
黒髪の少女の第一声。可憐な少女のあまりに、苛烈な発言だった。
麗奈は予想はしていたものの、思わず声を失った。
一瞬空白になった思考をすぐに戻す。
そして、キッと睨みつける。その眼は好戦的に燃えていた。
「……、させないわ。竜司君は私の大切な人ですの」
「ふふふ、竜司君、か。貴様はその男の本当の名前を知っているのか? その上でこのような茶番を演じようというのか?」
「竜司君は竜司君よ。それ以外の何物でもないわ」
「その男の本当の名前はジェイ瘤。佐伯ジェイ瘤君だ。現実の三棚市では親のすねを齧ってニートをしている少し顔のいいだけのクズだ。貴様が最も嫌っていた類の人間ではなかったのか?」
黒髪の少女は告げた。その声音は、優しげな声質からは考えられないほど冷然としていて、ぞっとした。
そして、彼女の目は、深海の底よりどこまでも黒い。まるで、何もかも見通しているような瞳だった。
だから、麗奈はまるで自分の全てを見通してしまうような瞳が怖くて、思わず声を荒げたのだ。
「聞きたくないわッ! 竜司君は家が貧しくとも、一生懸命バイトとかして家計を助けてる好青年よ! あなたなんかに竜司君の何がわかるのッ!」
激高する麗奈に対して、黒髪の少女は首を振ると再び麗奈を真っ直ぐに見据えた。
「ならばそうやって、醒めない夢に引き籠って、現実逃避をしているがいい。それをこの私が、貴様をジェイ瘤君ともども一緒に引きずり出してやる。そして、自らの愚かさ加減を呪うがいい」
「竜司はジェイ瘤じゃないわっ! やれるものならやってみなさいッ!」
突如として大地がせり上がり、空間が歪む。そして、対峙する二人の乙女の間に出現したのは、『乙女ティックフィールド』。
このゲーム『情熱のサンターナ』では攻略キャラを巡り、乙女同士が直接対決をする際に、特殊フィールドが出現する。それが、この『乙女ティックフィールド』だ。
土で固められたその舞台上には、縄で円形上に文様が描かれており、それはまるで土俵であった。
そして、この乙女ティックフィールド(土俵)の中心部に、金梨竜司(本名佐伯ジェイ瘤)が立っている。
麗奈と黒髪の少女は、乙女ティックフィールド(土俵)をゆっくりと登る。
すると、三人組の一人である天使、アダムが股間の葉っぱを掴むと清涼な声を上げる。
その姿はさながら行司だ。
彼が股間の粗末すぎるものを晒すのは、自分が一切の武器を持っていないことを証明するためである。
この場においては、自分が公正なる審判だと証明するためだ。
そして、彼はテノールの様な美しい声音を上げ、葉っぱで麗奈を指し示す。
【ひが~し~、姫条院れ~い~な~】
伸びやかな声を聞きながら、麗奈は土俵を駆けのぼる。
そして、柏手を打ち、カモシカのような美脚を高々と振り上げる。
頭の上までそのつま先を振り上げると、ピタリと止まる。
まるでバレリーナのような華麗な姿勢。
そして、トンと静かに四股を踏んだ。
「なんて優美さなの……」
不良少女が思わず呟いた。まさに上流階級で育った上品な気品溢れる動きだった。
さらに、麗奈が『土俵入り』に選択したのは『雲竜型』。
せり上がる時に左手を胸に添え、右手を伸ばす。
その姿は華美にして絢爛豪華。
お嬢様系ヒロインに相応しい華麗なる女子力を見せつけた。
見るものを魅了する素晴らしい作法に、下で見ていた不良少女も「ふぁ~」と感嘆の溜息をもらす。
行司も【まさかここまでの女子力を持つとはビッチ……】と冷や汗を流す。
そして、麗奈は再び四股を踏む。今度は不良少女から「よいしょっ!」と歓声の声が響いた。
次は黒髪の少女の『土俵入り』だ。天使の行司がその名を呼んだ。
【に~し~、伊吹い~ぶ~】
伊吹イブと呼ばれた少女は、土俵に上ると両手を伸ばす。遠き地平線の彼方から、朝日が昇るがごときせり上がり。
そのスタイルは『不知火型』の『土俵入り』だ。
堂々した迫力ある姿にまたもや不良少女は「ふぁ~」と感嘆の溜息を洩らした。
小柄な身体が何倍にも大きく見えるのは、彼女の持つ女子力の賜物か。
イブが脚を振り上げる。
ひざ丈のスカートから太腿がチラリと見えた、。
「ッ!!」
そのあまりの白さに、アダムの目は奪われる。
彼の顔は天使とは思えないほど、邪悪ににやけていた。
しかし、目が奪われたのは麗奈も同様だ。
もちろん、彼女が着目したのは、その白磁のように綺麗な乙女の柔肌ではない。
「なんたる大腿四頭筋の、異様な盛り上がり……ッ!」
麗奈の顔は、真っ青になっていた。
あの鍛え上げられた下半身が生み出す脚力は、決して看過すべきものではないと、乙女の本能が告げていた。
麗奈の美しい横顔に、冷や汗が流れた。彼女の頭では、様々な憶測が目まぐるしく飛び交っていた。
(彼女はスポーツ少女系ヒロイン。もしくは、いわゆる『脱いだらすごい!』系のヒロインですわね。
たしかに腹ペコヒロインの新房くいなとは相性が悪いですわ……。
スポーツ少女は最も女子力が低いと思われがちだが、もっとも危険な『脱いだら(筋肉が)すごい』である可能性もある。
きわめて、厄介な相手ですわ!)
イブが四股を踏むと、再び不良少女が「よいしょっ!」と歓声の声を上げる。まるで地響きがするかと思うような力強い四股だ。
しかし、麗奈は今の『土俵入り』に感じるものがあった。
「……あの動き、どこかで見覚えが……。いや、まさか」
しかし、麗奈はすぐに思考の海から現実に戻された。
イブが右手に塩を握って、土俵の真ん中に立つ竜司に目がけて塩を投げつけたからだ。
「痛いッ!」
散弾のような塩のつぶてが、竜司の肉体を容赦なく痛めつける。悲痛な叫び声が響き渡った。
その声で、麗奈は呼び戻されたのだ。
「竜司君ッ!」
麗奈は心配そうに竜司の安否を気遣う。竜司は塩まみれになって苦悶の表情を浮かべていた。
だから、麗奈もまたゆっくりと振りかぶると、竜司に塩を叩きつけるように投げつけたのだ。
再び塩の猛威が竜司の肉体を苛む。
「痛い痛いッ!!」
これから行われるのは、イブと麗奈の対決だ。
それに巻き込まれた竜司の身の安全を図るためには、心を鬼にして、『清めの塩』による殺菌消毒をしなければならない。
さもなければ、竜司の命に関わるのだ。
再度、竜司の悲痛な声が『乙女ティックフィールド』に響き渡る。その切ない響きに、不良少女は「切ねぇ。マジで切ねぇ……」と涙を流す。
愛する故に、人を傷つけなければならない。それが人の定めなのだ。
土俵内では、悲喜こもごものやり取りが行われていた。
もちろん、彼女たちは伊達や酔狂でこのようなことをしているわけではない。
この『情熱のサンターナ』における男を巡る決闘前の重要な礼儀作法であり、すなわち乙女のたしなみなのだ。
ムエタイにおける戦いの前の舞、『ワイクルー』というものがある。
師や肉親に対する礼と、己の鼓舞と、戦いの無事と勝利を祈る伝統的な舞。
この『ワイクルー』にも近いが、それ以上の意味がある。
一連のやり取りは『どす恋』と呼ばれるものだ。
二人は互いの『土俵入り』の作法の美しさから、それぞれが持つ『女子力』を観察し、推理する。
それにより、二人が取りうる戦略が変わってくるのだ。
このゲームにおける最重要項目。それは女子の能力は『女子力』という数値で決まるということだ。
その名もアクティブビッチポイントシステム(ABPS)。
女子力は『ショッピング』や『お勉強』、『スポーツ』に打ち込むなどの『自分磨き』によって上昇する。
しかし、それとは別に最も飛躍的に上昇するのが恋人をつくることだ。
すなわち、思い人と結ばれ『恋人』とすることで極めて高い女子力を獲得ことができるのだ。
この『情熱のサンターナ』のキャッチフレーズはこうだ。
『恋する女の子は無敵なの!』
この文言を地で行くのがこのゲーム。
たくさん恋をした女の子が色んな意味で強くなるのが、このゲームの特徴なのだ。
そうであるならば、恋人の有無で女子力が大きく変わるのであれば、その恋人を奪ってしまえば、まるごと相手の女子力を奪ってしまえるという事となる。
もちろん、この全年齢乙女ゲームにおいて、実際に寝取るなんて『ハシタナイ』ことは許されない。
あくまでも、惚れさせてその心を奪う。惚れ直させる。
それが『テクニカルNTR』だ!
つまり、イブがこれから行おうとしているのは、竜司にアプローチして、麗奈の恋人を奪おうとしているのだ。
それも真正面から堂々と直接対決によって、どちらがより魅力的な乙女であるかを見せつけ、相手に惚れさせるのだ。
それがこの『情熱のサンターナ』における、女子たちの戦いなのだ。
姫条院麗奈は伊吹イブの『土俵入り』から、彼女の持つ女子力を推算する。
(凄まじい女子力ですわ……。
おそらく、それは新房くいなの『恋人』を奪うことで手に入れた女子力!
でも、それならば竜司君を『恋人』としている私と同程度。
真正面から叩き潰すことができるはず。
『テクニカルNTR』は恋人側に対して、寝取る側が圧倒的に女子力が高くなければ成立しない!
でも、それならば何故、新房くいなは破れたの?
あの伊吹イブという子には、まだ隠された秘密があるに違いないわ!)
麗奈はイブを真正面から睨みつけ、堂々と宣言する。
「見極めてやるわ、あなたの正体を! そして、ここで叩き潰してやるわッ!」
「やってみろ! 姫条院麗奈よ!」
乙女同士の恋の戦いの火蓋が、切って落とされる。二人の『恋の綱引き』が今、始まろうとしていた。




