乙女のダイエット大作戦
悔し涙を流す、くいなの周りにモクモクと紫色の煙が沸き出した。
思いもよらぬ光景にイブは声を上げる。
「こ、これは、一体何が起きたっ!?」
【大丈夫ビッチ】
動揺するイブたちに対して、手を上げたのは美少年全裸天使アダム。
【新房くいなは攻略キャラを守れなかったことで、悪魔との契約が切れたビッチ。
彼女はゲームの世界の人間である『新房くいな』ではなく、本当の彼女の姿に戻るビッチ】
そして、紫煙が消え去り、一人の女の子が現れた。
その姿を見て、イブは思わず呟いた。
「これは……、ちょっと太り過ぎだろう」
「ふえーん、やっぱりそういうと思ったのね!」
それはちょっとどころではなく、激太りしていた。
横幅がすごかった。二の腕が脂肪で、はち切れんばかりだった。腹のあたりはもう見るも無残な様子だった。
生活習慣病待ったなしの危険な女の子、それが新房くいなの本当の姿だったのだ。
突然現れた彼女を見て反応したのが、ジェノ婆さんだ。
「美代子しゃん!? 美代子しゃんじゃ!」
現れた真くいなに、ジェノ婆さんは騒ぎ出した。
その様子に、七瀬はやれやれ、と呆れながら首をふった。
「また言っているよ、このお婆ちゃんは。もう誰でも美代子さんなんだねぇ」
「いや、違うぞ」
七瀬の言葉を訂正したのはイブだ。
「聞いたことがある。ジェノ婆さんには孫がいたはずだ。確か、その名前は美代子。もしかして、貴様がその美代子ではないのか?」
イブに問われた彼女は、迷いながらも、こっくりと頷いた。
「うう、そうなのね。あたしの本当の名前は、美代子。……川本ジェノバの孫娘、川本美代子なのね」
「やはり、そうか。では、聞かせろ。貴様はどういう経緯でこのようなことをしでかしたのだ?」
「うう、これには深い訳があるのね……」
美代子は訥々と、悲しい過去を語り出した。
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川本美代子は、お菓子が好きだった。
ジャンクフードが好きだった。
インスタント食品が好きだった。
もちろん、普通の料理も好きだ。なんでも、好きだった。
とにかく、食べることが好きだった。
かといって、自分で作ることはそれほど好きでもなかった。
それどころか、動くこと自体が好きではなかった。
だから、働きもせずに『食っちゃ寝食っちゃ寝』していた。
そして、気がついたら、太っていた。
取り返しがつかないくらい、めちゃくちゃ、太っていた。
具体的には身長158センチで体重90キロだった。
階段を上がるのが辛いくらい、膝を曲げるのが痛いくらい、普通に歩くのもシンドイくらいに太っていた。
こんな身体なので余計に働きたくなくなっていた。
そんな時に、働きもせず、自宅でゴロゴロしながら、乙女ゲー『情熱のサンターナ』に、はまった。
特に、そこに出てくるとあるキャラクターに憧れた。
いくら食べても太らない『新房くいな』に、憧れたのだ。
イケメンミュージシャンに毎日ご飯を作ってもらって、それを食べてるだけなのに、とても喜んでもらえる。
そんな生活がしたいと思った。
実は美代子も毎日、親にご飯は作ってもらっているけど、親がご飯を作ってくれるのは当たり前。
是非とも、新房くいなみたいにイケメンにご飯を作ってもらって、それを食べるだけで喜んでもらえて、暴飲暴力の限りを尽くしても太らず可愛らしいままで、『食っちゃ寝食っちゃ寝』生活を満喫したい。
それだけが、川本美代子の望みだったのだ。
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「という涙ちょちょ切れの悲劇の過去編があったのね」
美代子の話は終わった。
唖然として、誰も何も言えずに、静まり返っていた。
一番最初に我に返ったのはイブだった。
「……、……えっ? もう終わり!? まだ何かあるのではないのか!?」
「いやぁ、もう何もないのね! でも、ラノベなら一冊分はいくと思うのね!」
【六百字しかいってないビッチ! 小冊子すら作れないビッチ!】
あまりの背景の無さに、逆に動揺してしまったのはイブだ。
「ほ、本当は他に何かあるのだろう。家が貧しかったとか、愛情が足りなかったとか。社会にも色々不満があったんだろう?」
「何もないのね! お母さんの作るご飯は美味しくて、ついついおばあちゃんの分まで食べてしまったくらいなのね!」
「ふえーん、美代子しゃんがわしのご飯食べてしまうんじゃぁ!」
この場にいた全員が困惑していた。
「……親が可哀想だな」
「あたいの想像を絶していたよ……」
【気持ちのいいくらいのクズだビッチ!】
「ようこそ! ようこそ!」
「美代子しゃーん! ご飯はまだかえ?」
イブはこめかみを抑えながら、話を要約する。要約するほどの内容もなかったから、むしろ補完していった。
「つまり、悪魔に『新房くいな』になることを望んだから、そうなったというわけか?」
「そうなのね! もっといえば、初雪さんに頼まれたのね」
「初雪……、誰だ、それは?」
アダムが割って入る。
【初雪楓恋。このゲームの主人公ビッチ! またの名を痴皇帝カイザービッチ!】
「また酷いあだ名だな」
「本当に酷いのね! 誰がそんな名前つけたのね!」
【この僕ビッチ! ……痛い痛い痛いッ!】
自供したアダムの肩関節を、イブが無言でひねり出した。
アダムは【ギブギブ!】と叫びながら、タップしているが、イブはアダムの関節ごと破壊するつもりだった。
母なる海から作り出された塩は生命の源であり、海を臨むサンタナ市の特産物だ。
大抵の怪我なら、塩をかければ治ってしまう。
この『情熱のサンターナ』においては、塩は回復アイテムに当たるのだ。
塩をかければ、脱臼しても大丈夫! それが、SHIOシステムだ!
「仮にも女の子に対して、どういうつもりでそんな酷いあだ名をつけたのだ! 貴様、恥を知れ!」
【痛い痛い! だって、彼女はすごいビッチなんだビッチ! 次から次へと三棚市民を手玉にとってあっという間に逆ハーレムを築き上げたんだビッチ】
「逆ハーレムを?」
【そうビッチ! このサンタナ市の男はみんな彼女の恋人なのビッチ!】
「それは本当なのね! あたしから見ても寒気がするほどの恋愛テクニックなのね!」
【まさに、痴皇帝カイザービッチという名にふさわしいビッチぶりなんだビッチ! いででででっ!】
イブはようやく、アダムへのサブミッションを解いた。
「まぁ、いい。それで、その初雪楓恋が頼んだとは?」
「彼女から『新房くいなになって、自分の配下にならないか』と頼まれたのね! オーケーしたら、悪魔の力も一部貰えたのね!」
「なるほど、新房が元々持っていたヒロインとしての力『腹ペコヒロインレクイエム』と、悪魔から移譲された大地の能力『ライスイズビューティフル』か」
【これで、敵は明確になったビッチ。痴皇て……ビクッ。……初雪楓恋さんこそが敵の首魁。倒すべき相手ビッチ。おそらく、悪魔は彼女に憑りついて、この世界の結界を作っているんだビッチ!】
「なるほど。では、聞かねばなるまいな。さぁ、美代子よ。吐くのだ。初雪の事、他の仲間の事、そして、貴様の知りうることの全てをな!」
「ふん! 例え敗残兵としても、誇りはあるのね! 仲間のことを売るような真似はしないのね!」
「ほう、では貴様も、『耳かき』をされたいようだな!」
美代子は先程の戦いを思い出して震え上がった。
伊吹式パーフェクト恋愛術『耳かき』は、相手の脳に間接的に触れることで、相手の記憶を取り出す恐るべき技。
その際に、確実に相手の鼓膜をぶち抜くというエグイ技でもある。
「ななな、なんだか急に、仲間のことを喋りたくなったのね! でも、これは独り言だから、決して仲間を売ったわけじゃないのね!」
「根性ないねぇ……」
七瀬が呆れながら、呟いた。
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美代子からの尋問の結果、敵勢力のおおよそが判明した。
まず、敵のリーダーが初雪楓恋。
サンタナ市の攻略キャラ以外の男性キャラをモブも含めて全て『恋人』としているため、53万ポイントの驚異的な女子力を持っている。その能力は不明。
初雪が攻略キャラに手を出せないのは、攻略キャラはイベント管理がシビアなためらしい。
この『情熱のサンターナ』の逆ハーエンドの難易度は最高レベルと言われている。
とてもではないが、5万人の男性キャラを相手にしながら、五人の攻略キャラの相手をしていられないために、五人のライバルキャラにあてがっているというわけだ。
その五人こそが『乙女五芒星』。
土の新房くいな。
金の姫条院麗奈。
水の鮫島朱里。
風の鳥野美羽。
そして、火の不知火桃花だ。
現状、イブが初雪と戦うためにはこの五人のライバルキャラから、攻略キャラをテクニカルNTRによって、奪わなければならない。
誰からどう戦うかがポイントとなってくる。
美代子は各々の能力の表層的な部分しか知らないため、それぞれがどのような『切り札』を持つのか想像もつかないのが現状だ。
それでも、一つの指針にはなる。
イブは総合的に考えて、一つの結論を出した。
「姫条院麗奈の能力は、危険すぎるな。早急に何とかしなければならない」
「そうなのね! あの子、贅沢するために、どんどんお金を作り出しているのね!」
麗奈の能力『リメンバージンバブエ』はお金を無限に生み出す力。
しかも、偽札でもなく、正真正銘の通し番号まである日本銀行券だ。
どうやら、彼女が能力を発動すると、その分だけ銀行がお金を刷ったという事実が追加されて、現実世界との整合性が取れてしまうそうだ。
札束の風呂に入るなどの人類の夢を、いとも簡単に叶えてしまう恐ろしき能力だ。
そして、今、麗奈は湯水のようにお金を消費しているらしい。
「奴はインフレを知らないのか? 調子に乗ってどんどん貨幣を作れば、物価は上がり、経済はメチャメチャになってしまうというのに」
「じゃあ、姐さん。今から、やりにいくかい?」
七瀬がいうと、「殺りにいく」と聞こえてしまうから怖いところ。
実際、このヤクザガールはやる気まんまんだ。
「いや、その前にやることがある。この美代子の処遇だ」
怯える美代子は懇願する。
「これだけ、色々と喋ったんだから、許してほしいのね!」
「そうだな……。貴様の処遇を簡潔にいうとだな……」
イブの目がギラリと光る。
「豚は死ね!」
「えーっ!?」
【ルカ様ーっ!】
「貴様のような醜く肥えた雌豚が、いや豚ビッチが生きながらえても、すぐに何かの病気になって死んでしまうのは目に見えている。
言っただろう、簡単には殺してやらんと。
ならば、貴様のそのたるんだ身体と、腐った性根を、矯正してやらなければならない!」
「いや、あたしはそんなの望んでないのね! 別にこのままくたばっても構わないのね!」
「黙れ!」
「ビクッ」
「貴様には、生れてきたことを後悔するような苦痛と屈辱を与えてやるといったが、貴様は既に乙女として耐えがたい苦痛と屈辱を感じるほどの醜悪な姿なのだ!
その状態にマヒして、気付かないほどに、貴様は人間として終わっている。死んでいるのだ。
だから貴様は今から生まれ変わらなければならない!
貴様には、私の編み出した伊吹式パーフェクトダイエット術を教えてやろう!
そして、醜い豚である自分と決別するのだ!」
「えーっ!?」
イブたちはサンタナ中学校の校庭に移動する。
それだけで、美代子はブヒブヒと息を荒げていた。
「ぶひ~、疲れたのね~。そろそろ休憩をするのね!」
「まだ何もはじめてないではないか。今からだぞ」
「え~!? お腹すいたのね!」
イブは美代子の発言を無視しつつ、話を進める。
「伊吹式ダイエットを伝授する前に、とりあえず、準備運動からだ。今からこのグラウンドを十周する!」
「じゅじゅ、十周!?」
素っ頓狂な声を上げる美代子に、イブは怪訝そうな顔をする。
「二百メートルの十周。たかだか二キロではないか」
「無理無理無理! 絶対に無理なのね!」
「大丈夫だ。私も一緒に走る! トレーニングも兼ねてな」
「いやいやいや、そんなの関係ないのね! それに、イブさんは軽そうだし、90キロのあたしと走るにしても条件が違いすぎて卑怯なのね! だから、走ることは拒否なのね」
「ほう、ならば私の条件も追加してやろう。おい、ケツホリー!」
「はい、師匠!」
「貴様も体重は90キロだったな!」
「押忍! 自分は90キロです!」
とはいっても、身長180越えで、筋肉ムキムキの90キロとでは見た目が全然違う。
「よし、私におぶされ! お前を担いでやる!」
「押忍! 師匠!」
ケツホリーがイブに背負われる。
「うむ、意外と軽いな。これではトレーニングにならんではないか。おい! アダム、斉藤エイジ!」
【どうしたビッチ?】
「なんだい『ギャイーン』、愛しのベイベー『ギャギャイーン』!」
「貴様もケツホリーの上に乗れ。一緒に背負ってやる」
【オッケービッチ!】
「合点『ギャン』承知『ギャンギャン』!」
「うひょ~、なんか当たってるぜ!」
【当ててんのよビッチ】
イブは、キャッキャいってるケツホリーとアダムと斉藤エイジを背負い、美代子と並び立つ。
甲斐性もちのイブならば、恋人三人を文字通り背中に背負っても大丈夫なのだ。
「よし、では走るぞ! さぁ、いけ! 走るのだ、美代子!」
「ぶひぃ、ぶひぃ!」
ようやくトロトロと走り出した美代子。
竹刀を持った七瀬が美代子を後ろから「さぁ、早く走るんだよ」と急かす。
そして、それに並走するイブ。
背負われながら「がんばれがんばれできるできる諦めるなよ!」と熱血応援をするケツホリー。
応援ソングを熱唱する斉藤エイジ。気分は二十四時間テレビだ。
さらには、メルルとジェノ婆さんも何故か黄色い旗を持って並走し、「ようこそ! ようこそ!」「美代子しゃーん!」と叫びながら、美代子を鼓舞する。
一時間後。
ようやく十周走り終えた美代子は汗だくで、疲れ切っていた。
もう、死にそうになっていた。
「ぶひぃ、ぶひぃ、……よ、ようやく、走り終わった、のね。し、死ぬかと、思ったのね」
「よし、よくやった! だが、これからが本番だぞ!」
「ぶはぁ、ぶはぁ……、ま、まだやるのね? 今日はもう、無理なのね!」
「大丈夫だ。今から、伊吹式ダイエットの神髄なのだ!」
「ぜえ、ぜえ……、わかったのね。何をやればいいのね?」
「伊吹式パーフェクトダイエット術、『よし! 一年ども! 今からグラウンド百周走ってこい!』だ! 今からグラウンドを百周してもらう!」
「また走るの!?」
今、走ったばっかりなのにまた走れというイブに美代子は仰天した。
「いいか、よく聞け!
脂肪を効率よく燃焼するためには、基礎代謝を上げればいい。
基礎代謝は筋肉量を増やせば、上げることができる!
そして、脚は腕に比べ、三倍の筋肉があるのだ。
ならば、走ることによって効率よく筋肉量を増やすことができるのだ!
清楚可憐な乙女の魂は、強靭な下半身に宿るといっても過言ではない! そのためには走るのが最もいいのだ!
朝一番から、日が暮れるまで走るのだ! そして、日没後も徹夜で走り続けるのだ!
これこそが伊吹式パーフェクトダイエット術の基本にして奥義!」
「ちょっと待つのね! もう足がパンパンで攣りそうなのね!」
「足が攣っても走れば治る!」
「治らないのね!」
「大丈夫だ。私も一緒に走る!」
「ちょ、ちょっと姐さん!」
さすがに七瀬が待ったをかけた。
「美代子のダイエットに付き合うのはいいけど、ここは敵地だよ。
のんびりしてる暇はないんじゃないのかい?
ほら、なんか『乙女五芒星』っぽい四人が、こっちに向かってきてるよ!
新房くいなが破れたことに気付いて、様子を見に来たんだ!」
「なに! よく気付いた! でかしたぞ! 七瀬!」
「えへへ」
「流石の私も四人に囲まれれば、勝てるかどうかはわからない。
もしかしたら、この百戦百勝の私が、万が一にも負ける可能性ができてしまうだろう!
常勝無敗の秘訣は、負けそうな戦いは絶対回避することだ!
まずは、隠れて様子を窺う!
そして、個別に分かれたところを撃破する! ターゲットは姫条院麗奈だ!
メルルたちはここに残り、口裏を合わせろ!」
「ようこそ~」
「美代子しゃーん」
「よし、お前たちは元々喋れないから問題ないな! ケツホリーと斉藤エイジは私の『恋人』であるから、私に不利になることは喋ることができない!」
「ぶひぃ、ぶひぃ。あたしは休憩してもいいのね?」
「ダメだ! 貴様は、走り続けろ! ケツホリー! 斉藤エイジ! 美代子がサボってないか、見張るのだ!」
「押忍!」
「合点『ギャイン』承知『ギャギャーン』!」
「一時間で、姫条院麗奈を倒してくる。それまでに、最低でも二十周はするのだ! いいな、わかったな!」
「ぶひぃ~」




