伊吹イブと堕天使アダム
『愛されることは幸福ではない。愛することこそ幸福だ』
ドイツの詩人ヘルマン・ヘッセの言葉だ。
仮にこの言葉が確かなのならば、きっと彼女は幸福とはいえないだろう。
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夕暮れの黄昏時を歩く、一人の女子高生がいた。
一目見たならば、誰もが振り返るであろう美少女だった。
その未踏の雪原のように、思わず触れることをためらうほどに、儚く白い肌。
清涼感さえ感じさせる筋の通った小鼻。
ほんのり桜色の形のよい唇。
そして、ながいまつ毛の下には、覗きこめばどこまでも吸い込まれてしまいそうな、潤んだ大きな瞳があった。
ストレートロングのあでやかな黒髪を、軽くまとめあげたヘアスタイルは少女の可憐さを引き立てる。
そして、その身を包む濃紺の制服は、この近辺の若い女の子ならば誰もが憧れる、清楚系お嬢様学校の水仙院学園に通っていることをあらわしていた。
その一挙手一投足が洗練されて、ただ歩くだけでもその清浄さが醸し出されている。
この少女の名前は伊吹イブ。
彼女は誰がどう見ても、美少女。それも百点満点の美少女だった。
そんな彼女は当然のことながら、モテる。
もう、目茶苦茶モテた。
現にイブは抱えきれないほどのプレゼントを抱えながら、えっちらおっちら歩いていたのだ。
彼女クラスの美少女ならば、ちょっと出歩けば、またたく間にプレゼント攻勢にあってしまうのだ。
夕暮れ時に山のようなプレゼントを抱えながら、イブが下校する光景は、『動く山』と呼ばれる。
ここいらではちょっとした名物でもあった。
そんな彼女は女子寮にたどりつく。
玄関をあがり、階段をのぼろうとすると、一人の女生徒が駆け寄ってきた。
「伊吹先輩!」
「あら、ゆかりさん? どうしたの?」
イブに見つめられて、ゆかりと呼ばれた女生徒は、おもわず顔を赤く染めた。
「あ、あの。ちょっと、見かけまして。その、……重そうだから、運ぶのを手伝います!」
「まぁ、ありがとう!」
イブはニッコリとほほえむ。
途端にゆかりは「ふぁ~」と叫んで、後ろに倒れそうになる。
イブのアルカイックスマイルは、例え同性であっても、その心を打ち抜いてしまうのだ。
頭から倒れそうになったゆかりだが、気付いた時にはふわりとやわらかい感触に、背中を支えられていた。そして、ほのかに鼻腔をくすぐるフローラルな香り。
イブが後ろから抱きかかえていたのだ。
「大丈夫?」
「だだだだ大丈夫です!」
ゆかりは飛び上がるように立ち上がると、恥ずかしさをごまかすように、イブの荷物を半分抱えて、あわてて階段を登りはじめた。
彼女の内心では、(……卓球部で動体視力には自信があるあたしにも、今の動きは見えなかった。いつの間に背後に回っていたんだろう?)という、疑問もあった。
しかし、それよりも、(イブ先輩いい匂い!)という思いが強くて、すぐに忘れてしまった。
イブはその様子に苦笑しながら、ゆかりが階段から転ばない様に後ろからついていく。
階段を登りはじめた当初こそ、ゆかりはあまりの気恥ずかしさに気が付かなかったのだが、それがなくなってくると一つのことが気になってきた。
(あれ? ……これ、めっちゃ重いんだけど。これ伊吹先輩の持ってたのの半分だよね? どうやってこんなの一人で持ってたんだろ?)
ゆかりは、後ろにいたイブに話しかけた。
「あの? これ、なんでこんなに重いんですか?」
「ああ、それ? みんなの込めてくれた気持ちって重いよね? 大事にしなくちゃね」
「……いや、そうではなくて、物理的に重いんですけど」
「ハンマー投げのハンマーって重いわよね」
「えっ?」
「冗談よ」
イブはイタズラめいた笑いを浮かべる。
こんなジョークもいえるんだと、ゆかりは思いながら、なるべく素っ気なく言葉をかえす。
「真顔で言わないでください。ホントに重いんですから」
「そうかしら? 割と軽い方だけど?」
「いやいやいや、あたし、二の腕プルプルいってますし、これ女の子が持てる重量じゃないですよね?」
「私は全然平気だけど?」
そういうと、イブはゆかりの持っていた荷物のさらに半分をひょいと持ち、スタスタ階段をのぼっていった。
ゆかりは内心、思った。
(すごい……。なんて筋力と体幹とバランス感覚……。やっぱり、先輩はステキです)
もう何でもよかった。
ちょっと、何だかおかしいなと思えることすら全肯定させてしまうだけの、美しさがイブにはあったのだ。
階段を上がり、イブの部屋の前にたどり着いた。
「ありがとう、ゆかりさん。とても助かったわ」
「いえいえ、こちらこそ勉強になりました」
「うふふ、精進するのよ」
「はい」
イブは手を振る。
ゆかりと別れたイブは自室に入った。
そして、ドアノブを閉めたときだった。かちゃりと、『勝手に』鍵がかかった。オートロックでもなく、ひとりでに。
イブはその瞬間に真顔になった。
耳をすます。
遠ざかっていくはずのゆかりの足音が聞こえない。完全な無音。
まるで、この部屋が空間ごと切り取られたかのような、奇妙な感覚を知覚した。
その予感は正しかった。
この部屋は今、外部と隔絶されている。
いかなる手段をもってしても、外に出ることも、連絡をとることすらできない状態となっていたのだ。
イブはそんなことを説明されなくとも、現状を直感で理解した。
「これは……。一体何があったの?」
【心配することはないビッチ!】
その声は突然、聞こえた。
まるで鈴が鳴るようによく響く、美しい声だった。
イブがその声のした方向をみると、そこには天使がいた。
見紛うわけもない。その背中から生える美しい羽の神々しさ。
【この空間を閉鎖したのは僕ビッチ! でも、あなたに対して危害を加えるつもりは一切ないビッチ! 僕はあなたに頼みごとがあって、ここに来たビッチ!】
その天使が全裸でブリッジしていた。イブのベッドの上で。
股間を見せびらかすようにブリッジしていた。
その股間に生えているものは全然神々しくなくて、むしろ貧相だった。
天使はブリッジしながら、叫んだ。
【イブさん! イブさん! イブさぁああんッ!! 僕のお願いを聞いてくれビッチ!】
「……」
【あああああアッ! いい匂い! クンカクンカ! このシーツ、いい匂いするビッチ! 僕の願いを聞いてくれビッチッ!】
「……」
イブは無言で、プレゼントの手包みのひとつの封を開ける。
先程、某有名陸上選手からプレゼントされたハンマーを取り出すと、おもむろに高速回転して、全裸天使の股間目がけて投擲したのだった。
********
【いやぁ、僕も今までに様々な女の子に出会って来たけど、いきなりハンマーを投げてくる女の子は初めてビッチ】
そこには、床に正座をしている全裸の天使がひとりいた。
先程、放り投げられたハンマーは、天使のまったく神々しくなくて、あまりにも貧相なものを、紙一重でさけて、後ろのサイドテーブルを大破した。
あまりの破壊力に呆気にとられて、モノもいえない天使。
そして、見事なスローイングをみせたイブは一言。
「……次は、当てます」
目が本気だった。
その瞬間に天使はブリッジをやめて、土下座をしていたのだった。
ひとしきり、謝りたおすと、天使は顔をあげた。
西洋系の外国人っぽい顔立ちの、けっこうな美少年である。(※ただし、全裸)
【それにしても、見事な投げっぷりビッチ。陸上の経験がおありで?】
「あの程度は乙女のたしなみです」
【またまた、ご謙遜を。って、え? ハンマー投げが?】
「そんなことは、どうでもよいことです」
ピシャリと話を打ち切り、イブは本題に入った。
「あなたはいったい何者なんですか? どうして、私を閉じこめたんですか?」
【それは余計なジャマが入らないために、外から遮断する必要があったんだ。
あなたと、こうして一対一で、お話合いをしたかったんだビッチ。
どうか僕の無作法を許してほしいビッチ」
天使はふたたび頭をさげる。
イブは「はぁ」と、わかったようなわからないような返事をする。
「とりあえず、頭をあげてください」
「はい、ありがとうございます。
まずは、自己紹介をさせてほしいビッチ。
僕の名前はアダム=アムステルダム。見てのとおり、天使ビッチ!】
「天使なのは見ればわかるけど……」
イブはアダムのベリースモールな股間に目をやった。
「なんで、すっ裸なの?」
【それは、僕が『知恵の実』を食べたからビッチ! もう服をきることはできないビッチ!】
「ふつう、逆じゃないの?」
【逆じゃないビッチ!】
すかさず反論したアダムは、懲りずにブリッジを再開した。貧相なアダムの分身がふたたび躍る。
【僕は禁断の知恵の実を食べたことで羞恥心を覚え、天界を追放されたビッチ!
だから、僕はそれを克服したことを示すために、常に服は着ないんだビッチ!
僕は堕天使にして、ラテンの裸天使となったんだビッチ!】
「……」
【さらにいえば、このブリッジの姿勢は手足の自由を自ら奪うことで、自分には攻撃するつもりがないという恭順の意を示しているんだビッチ!
そして、ケツの穴まで相手に見せることは武器を隠し持っていない、隠し事もしない、ウソ偽りなく全てをさらけだすという意志表示なんだビッチ!
これが僕の誠意なんだビッチ!】
「……」
【そして、僕の好きな小説は姪ブリッジオ〇ニーから始まるビッチ!
この姿勢は、それを筆頭にした全ての素晴らしい作品とそれの作者に対する、敬意を表明しているんだビッチ!
一度でいいから、日間一位とってみたいビッチ!
だから僕は誰かに大切なお願いをすることきは、必ずこうして全裸ブリッジするんだビッチ!】
「……」
イブは今度は、無言で某有名△サッカー選手からプレゼントされたサッカーボールを取り出すと、アダムの股間に標準を合わす。
その目は本気だった。アダムはイブの次はないといった言葉を思い出す。
【あわわわ、まさか、それを僕の股間にぶち込むビッチか……。そんなボールは友達とか言っといて、ゴールネットを突き破って、コンクリートにめり込むくらいのシュートを放つ人みたいな、強烈なシュートを蹴ろうとしているのではないかビッチ?】
「……」
イブはおもむろに助走をつける。
アダムは叫んだ。
【だが、ひかないビッチ!
僕の名前はアダム=アムステルダム!
そして、股間のアダムも小さなアダム!
アダム死すとも自由は死せず! 来るなら来いビッチ!】
それは魂からの真実の咆哮だった。
アダムは目を瞑る。
無慈悲なる一撃が見舞われるかと思ったが、しかし、いつまでたってもその一撃は来ない。
恐る恐る目を開けたアダムの目の前には、イブが座っていた。
彼女はそっと口を開いた。
「……死を覚悟してまで、頼みたいことがあるというのなら。……聞かないこともないわ」
【本当ビッチか!?】
「ええ、私も自己紹介するわ。私の名は伊吹イブ」
そういって、イブは右手を差し出した。
だから、アダムも小さい方のアダムを差し出し、二人は握手を交わす。
そして、小さかったアダムは、少しだけおっきくなった。
【僕のいうことを聞いてくれて、サンキュー、ビッチ!】
「……ところで、あなたが、全てをさらけ出しているということは、私も思っていることをさらけ出して構わないかしら」
【もちろんだビッチ! 僕はそれを望んでるからこその全裸ブリッジをしたビッチ! さぁ、互いに胸襟を開いて語り合おうではないかビッチ!】
「……そう。じゃあ、私も本音で喋るわ」
イブは少し考えるように俯くと、心胆に染みわたるような低く恐ろしい声がでてきた。
「……おい」
【ビクッ!】
立派になりかけていたアダムは、再び貧相な元のサイズに戻り、イブの右手からするりと抜けた。
その瞬間に、イブは右手を握りしめる。コンマ一秒の差だった。
あと少し、アダムの萎えるのが遅ければ、握りつぶされていた。
「貴様、郷に入れば郷に従えという言葉を知らんのか?
服を着るのが地上のマナーだぞ?」
【天界でも他の天使はみんな服を着てるビッチ!】
「なに?」
【羞恥心は関係なく、服を着るのは天界でも当たり前ビッチ。
そして、僕が全裸でいる本当の理由は羞恥心を乗り越えたら、快楽に変わったからだビッチ】
「はぁ?」
【ビクッ! ぼ、僕は嘘はつけないビッチ。全てを包み隠さず答えるビッチ。本音トーク重大しゃべり場ビッチ!】
「……まぁ、それはいい。あと、人に頼むときの態度は何だ?
何故、私が握手をしに手を差しだしたら、そんな粗末なものを差し出したのだ?
貴様、ふざけてるのか?」
【いやぁ、それは友達んこ、としか弁解のしようがないビッチ。というか、さっきからなんでそんな怖い口調ビッチ? 僕としては真実のストロベリートークがしたいビッチ】
「貴様が私の本音トークを望んだのだろう?」
「そ、その口調がイブさんの本音ビッチか……」
「そうだ。これが私の純度百%の本音だ」
【これは、恐ろしいビッチ。とんだいちご1〇0%ビッチ。
内心ではこんなことを思っていたとは想像がつかないビッチ。
清楚可憐な外見との差があり過ぎるビッチ!】
「……おい」
【はいビッチッ!】
「私もさっきから貴様に聞きたかったのだが、その語尾はなんだ?」
【さあな、何の事ビッチ? わからないな……、DI〇】
「それだ、その『ビッチ』とかいう語尾だ。
どういうつもりで、そんな喋り方をしているのだ?
私を馬鹿にしているのか?」
【もしも、バカにしていると言ったら、イブさんはどうするおつもりビッチか?】
イブはさっきのサッカーボールを握りつぶした。
パァンという破裂音が響く。
アダムがビクッと跳ねる。
【ひいぃ!? なんて握力ビッチ!?
馬鹿にしてないビッチ!
これは僕の子供のころからの口癖ビッチ!
今更治らないビッチ!】
「……まぁ、いい。それで、貴様の望みはなんなのだ?
私に何を頼みに来た?」
【それなんだけど、やっぱり別の人に頼むビッチ】
「なんだと?」
【僕は、伊吹イブという人が、世界一のモテモテのヒロインだと聞いて、頼みに来たんだビッチ】
「その通りだが?」
【おおう!? それをあっさり認めてしまうビッチ? すごい自信ビッチ。でも、僕がイメージしていたのとは違ったんだビッチ】
「イメージと違う?」
首を傾げたイブに、アダムは説明する。
【ヒロインには色々いるビッチ。
正統派ヒロインや幼馴染、妹、無口本好き、ボッチ、エトセトラ。
でも、イブさんはこうして本人に会って本音を聞いてみると、そのどれでもないことが分かったビッチ】
「……」
【確かに、顔だけは世界で一番可愛いといってもいいかもしれないビッチ。
でも、それを含めても、マイナスになってしまうほど、性格が怖い。
喧嘩っ早くて、腕っぷしが強い。そして、なんでも力で解決しようとするビッチ。
それではとてもヒロインとはいえないビッチ】
そういうアダムに、イブは首をふると、彼女の持論を語り出した。
「アダムよ。恋と暴力は表裏一体だ」
【え!? いきなり何を言っているビッチ?】
「相手の心を支配して、思うままに動かそうとする点に関しては、恋愛と暴力はまったく同じなのだ。
目的の最終地点が同じであれば、両者には相通じるところがある」
【何を言っているのか、僕にはさっぱりわからないが、何かすさまじいことを言っている事だけはわかるビッチ】
冷や汗をたらすアダムに対し、イブは顔色ひとつ変えることなく、滔々と語る。
「だから私はこの世のあらゆる暴力を極めた。そして、それと恋愛テクニックを融合させたのが『伊吹式パーフェクト恋愛術』だ」
【い、伊吹式パーフェクト恋愛術……】
「そうだ。この技術体系を用いて、落とせなかった男は存在しない」
【な、なんだって……。
暴力と恋愛の融合……。
とんでもない発想。とても正気とは思えない。
そして、落せない男はいないと豪語するビッチぶり……。
……この人はただのビッチじゃない。
……僕が今まであったビッチとは別のタイプのビッチ!
敢えて名づけるなら、クレイジーバイオレンスビッチというしかないビッチ……】
「だから、貴様が私をヒロイン失格と言ったのは、気にくわないな。
私のモテっぷりを、そして『伊吹式パーフェクト恋愛術』の神髄をじっくり見ていくのだ」
【いやだビッチ! 僕はちがう可愛い女の子を探すビッチ!
そして、また僕の全裸ブリッジを見てもらうビッチ!
黄色い声でキャーキャーいってもらうビッチ!
僕のアダムを見ても動じないビッチに用はないビッチ!】
「結局、それが目的か!」
【それではサラバビッチ!】
「させるか! 女の敵め! 伊吹式パーフェクト恋愛術『恋のキックオフ』!」
アダムがイブの部屋の結界を解いて、逃走を図る。
イブはおもむろにサッカーボール二号を取り出すと、強烈なミドルシュートを放った。
ボールは地をはうようにまっすぐに飛んでいき、吸い込まれるようにリトルアダムに的中したのだった。
男を絶対に落とすイブの恋愛術が、アダムを撃墜したのだ。
ボールが破裂する音を聞きながら、アダムはうすれゆく意識の中で、こうおもったのだった。
(彼女がもしも、ヒロインといえるのであれば、ひとつだけふさわしい呼び名があるビッチ。
それは『暴力系ヒロイン』ビッチ。
ならば、世界一の『暴力系ヒロイン』は、果たして本当に世界一のヒロインといえるのであろうか、僕にはわからないビッチ……)




